女帝の休暇
「二度と馬鹿なことをするんじゃないぞ! それから、陛下との約束を違えぬようにな」
城外から橋の向こうへ送り出されたソロンに、背中の兵士が声を浴びせた。
まるで釈放された囚人のような扱いである。囚人のような――というより、限りなくそのものに近かったが……。
幸い、愛刀や鞄といった荷物は全て返してくれた。
ただし、増えた荷物が二つほど。
一つは例の首輪である。この帝都で首輪を着けられているのは、ソロンを除けば亜人奴隷かペットぐらいのものだろう。
もう一つは一枚の紙である。冒険の詳細や、女帝との契約に関する注意事項が書かれていた。予定の日時や集合場所も、漏れなく記載されている。
ともあれ、ソロンはここに至って、拘束から解放されたのだった。
そして、目の前には――
「ソロン!」
後ろに髪をくくった金髪の娘――ミスティンが駆け寄ってきた。その後ろにはグラットも来ていた。
「ミスティン、グラット……来たんだ」
何ともバツが悪くて、ソロンは赤髪をかいた。
しょせん、彼女達とは出会って数日の関係でしかない。見捨てられるのが当たり前だと思っていたのだが……。
「ばか」
近寄るなりミスティンは、ソロンの頭を思い切りはたいた。
「ごめん……」
「心配したんだから」
謝ってはみたものの、ミスティンはなおもソロンの頭を叩き続けた。力は加減しているようだが、何度もポカポカと続く。
顔は無表情に近いが、空色の瞳は水気を帯びている。
「そろそろ、やめてくれないかな……」
無抵抗だったソロンも、さすがにやんわりと抗議する。
「まあでもそいつ、お前の書き置き見て、本気で心配してたからなあ……。城から兵士が来た時は真っ青になってたぞ」
「思い詰めた顔してたから、何かやらかしたんじゃないかって……。そしたら、兵隊さんがやって来るし。ソロンが城で捕まったっていうし」
「ごめん……」
ソロンが再び謝れば、ミスティンはようやく手を止めてくれた。
「んで、なんで城に忍び込もうなんて考えたんだ? 大方、神鏡のことだろうがよ」
「ここじゃなんだし。宿に帰ってから説明するよ」
追及するグラットを、ソロンも拒めなかった。後ろにはいまだ兵士の目線があるため、後ほど説明することにする。
「その首飾り似合ってるね。どこで買ったの?」
帰路の途中、ミスティンが悪気もなしにそんなことを聞いてきた。
その日、亜人が主人を務める宿に戻ったソロンは、二人の友人に説明をした。
内容は主に故郷を襲った神獣についてである。
故郷イドリスについて、ソロンは相変わらず隠していることがあった。
二人を信用しなかったわけではない。
ソロンが真実を語っても、信じてもらえないだろうな――と思っていたからだ。
ただ、ソロンが故郷を救うため、いかに真剣であるか。それだけは包み隠さずに話したつもりだった。
「よく分かんないけど、ソロンが一生懸命なのは何となく伝わった。私は信じることにするよ」
と、ミスティンは彼女なりに信じてくれた。
「そんなヤバい魔物がいるなら、こっちでも話題になりそうだがなあ……」
グラットは不思議そうにしていたが、深くは追及してこなかった。むしろ、彼が興味を持ったのはソロンが持ち帰った紙のほうだった。
「――それよか、そっちの遺跡探索の話は面白そうだな。陛下直々に冒険者の募集ってのは、ただごとじゃねえだろ」
何はともあれ、ソロンの気持ちは多少なりと楽になった。
*
城から解放されて以降、ソロンは約束通り帝都を出ることもなく過ごしていた。
もっとも、帝都を出ないことには、魔物退治はもちろん、隊商の護衛だってやりようがない。冒険者として、お金を稼ぐこともできなかった。
仕方なく手持ちの資金だけで慎ましやかに過ごすのだった。
そうして一週間が経ち、予定の日がやって来た。
女帝との約束に遅れることはできない。ソロン達三人は早朝から宿を発ったのだった。
「でも、いいのかな? これは僕の都合なわけで……」
道中、ソロンは仲間の二人に話しかけた。
「お前の都合はともかく、報酬としちゃあ悪くない。別にお前が気にすることじゃねえよ」
グラットは恩を着せるわけでもなく、言ってのけた。
元々はソロン一人で仕事に向かうつもりだったが、二人も付いて来てくれたのだ。
今回の冒険には、その他の冒険者もやって来るはずである。
とはいえ、やはり既知の仲間がいることは心強かった。なんせソロンは故郷を出て以来、一人で旅をしてきたのだから。
「うん。遺跡探検に宝探し。これぞまさに冒険者の醍醐味だね。むしろ、こういうワクワクする仕事がないと家出した甲斐がない」
家出のしがいを語るミスティン。さぞ、この妹には苦労をさせられたのだろうな――と、セレスティンには同情せざるを得ない。
そうこう話しているうちに、三人は集合場所へとたどり着いた。
指定されていたのは、帝都南のネブラシア港である。ソロンを含む遺跡探検隊は、そこから竜玉船に乗って出発するのだ。
雲海には、先日に乗ったものよりも立派な竜玉船が停泊していた。皇帝が自ら主導しているだけあって、上等な船が用意されたのだろう。
船の前には、既に十人程度の冒険者らしき者達が集まっている。
鋭い目つきの傭兵。
軽装ながらたくましそうな冒険者。
様々な格好をした者がいるが、いずれも確かな技量の持ち主のようだ。
当の女帝が『有能な冒険者を雇う』と言っていただけはありそうだ。
中には杖を持った魔道士まで含まれていたが、それだけこの探検隊に力を入れている証拠だろう。
なんせ、高価な魔石を扱う魔道士は、その多くが富裕層で占められる。雇うとなればそれなりの費用がかかるのだ。
*
やがて、厳重に警備された幌馬車がやって来た。周囲には大勢の兵士が、整然とした動きで行進している。
恐らく、探検隊の隊長である人物が乗る馬車だろう。皇帝直々の仕事で隊長に指名されるぐらいだから、それなりの人物なのかもしれない。
竜玉船の近くに馬車が停止した。
馬車から姿を現した娘に兵士達がうやうやしく礼をする。娘は礼を返す代わりに、優雅に視線を投げかける。
「まさか……!?」
「いやいや、そんなはずはないだろ……」
集まった冒険者達は、その姿を見て目を疑った。
周囲にざわめきが広がっていく。
腰まで届く長い黒髪に、黒一色の服装は相変わらず。ただし、今日はマントを羽織って旅装束といった雰囲気だ。
所作が落ち着いているため、娘は大人びて見えた。
それでも化粧っ気がなく瑞々しい肌が、その若さを示していた。まだ少女といっても差し支えない容貌である。
宝石の如く紅に輝くその双眸は、冒険者達を満足そうに眺めていた。
確かに皇帝直々の依頼である。
だが、その依頼した当人が姿を見せるなどとは、みな予想していなかった。
ただ、ソロンだけはこの人ならやりかねないな――と納得していた。
娘は冒険者達のほうに向き直って、丁寧に礼をした。
「ごきげんよう皆様。この国で皇帝を務めるアルヴァネッサと申します。本日は私の依頼のために、お集まりいただき感謝いたします」
そして、アルヴァはよく通る声で淀みなく挨拶した。
「本物の紅玉の陛下だ……!」
「俺、初めて見たよ!」
「今度、母ちゃんに自慢しよ」
冒険者達のざわめきはどよめきへと転じた。それでも、さすがに兵士達は規律正しくしたままである。
「俺ら下々のために、見送りに来てくれるとは随分と気前がいいんだな~。しかも、皇帝陛下は美人ときたもんだから感激だな」
グラットが驚きながらも呑気につぶやいた。
「意外と暇なのかな?」
ミスティンが失礼な発言を放つ。もちろん、女帝とは距離があるため、聞こえる心配はないのだが。
しかし、女帝の次なる言葉に、一同は驚きを一層に強くすることとなった。
「皆様には私と共に、ベスタ島へ同行を願います。しばしの間、同じ探検隊の仲間としてよろしくお願いしますね」
そう――彼女は決して見送りに来たわけではなかったのである。
これにはソロンもグラットも、口をあんぐり開けたまま絶句せざるを得なかった。
そして、女帝の破天荒な行動はそれだけに留まらなかった。
アルヴァは堂々とした足取りで、冒険者の一団に向かって歩き出した。護衛の兵士が二人ほど後ろに続く。
恐れ多いのか、冒険者達は大袈裟なくらいに引き下がって道を開けていく。その有様はまるで海が真っ二つに割れるかのようだ。
ソロンも慌てて後退するが、すぐに意味のない行動だと気づいた。
「逃げ出さずに来ましたね。ソロン」
あろうことか、アルヴァはこちらに向けて話しかけてきたのだ。
口調は穏やかで、表情も余裕たっぷりの微笑である。
……しかしながら、その笑顔が怖い。
もし逃げていたら、承知しなかった――という脅しを含んでいるのは明らかだった。
「あはは……。もちろんですよ。ていうか、あの……。陛下も行くんですか?」
引きつった笑みでソロンは答えた。そんなソロンへと、周囲の視線が一斉に集まってくる。
「ええ、せっかくの休暇を無駄にはできませんからね。それに、大事なことは人任せにしない主義ですので。あなたには期待していますよ」
「は、はい。頑張ります!」
それだけのやり取りを終えると、アルヴァは先頭に立って竜玉船へ向かっていった。
どうやら、ソロンに声をかけるためだけに近づいてきたらしかった。
「凄えな、お前……。ホントに陛下と知り合いになったんだな」
グラットはソロンの背後で、ただただ圧倒されていた。ミスティンは女帝の背中を興味深げに眺めている。
「ま、まあね……」
ただし、喜んでよいかは甚だ疑問であるが……。
序章『雲海の帝国』完です。
ここまでは導入部。次回から本格的に冒険へ入っていきます。
それから、少しずつブックマークや評価をいただいているようで感謝です。
目立つのは難しいと言われる非テンプレファンタジーですが、埋もれたままで終わらぬよう頑張っていきます! 今後ともよろしくお願いします!