ガノンドとカリーナ
「ぐふっ。……おお、うぉぉ」
うつ伏せに倒れたガノンドは、泣きながら嗚咽を漏らした。
「せ、先生……」
ソロンは哀れな師から目をそらした。とても見てはいられない。無論、父の醜態を見せられたナイゼルも、同じような調子だった。
「カリーナよ、わしを許してくれ!」
ガノンドはくじけなかった。なおもカリーナの足をつかんで、すがったのである。
「だから、やめろって!」
泣き叫ぶガノンドを引き離そうと、カリーナはもがいた。足蹴にするようにして、どうにかガノンドを引き離した。
またも倒れ伏したガノンドは嗚咽を漏らしながら、
「お、おお……。やはり、許してはもらえんのか……。そうじゃな、わしは二十年以上もお前達を置き去りにしたのじゃ……。わしは……わしのような男がいまさら父親ヅラしても……。カリーナよ、お前が怒るのは当然じゃ……」
なんともいたたまれない光景だった。
「姉さんが怒る気持ちは分かりますとも。ですが、父さんにもやむを得ない事情があったのです。どうかお許しください」
声を上げたのはナイゼルだった。父に代わり、存在を知ったばかりの姉に向かって頭を垂れた。
「姉さん……か。随分と大きな弟がいたもんだね」
カリーナは困惑したような表情でナイゼルの顔を見る。
「僕からもお願いするよ。先生は師として、尊敬できる人物だから。多少、だらしないところあるけど、それでも僕は感謝してるんだ」
ソロンもナイゼルに続いた。
「あー、あんねえ。あたしはそんなことに怒ってるわけじゃないんだけど……」
カリーナは困ったようにつぶやいた。
「じゃあ、なんで爺さんを突き飛ばしたんだ?」
グラットが問うと、カリーナはアルヴァのほうを見て。
「例えば、あんた。今日、初めて会った爺さんが、いきなり物凄い形相で抱きついてきたらどうするよ」
「……それは、恐ろしいですね。魔法での迎撃が間に合わなければ、護身術で撃退すると思います」
アルヴァなら、股間を蹴り上げるぐらいはやりそうだ。状況は違うが、ソロンは盗賊相手にそれをやる彼女を目撃している。
「だろう」
カリーナは呆れるようにガノンドのそばにしゃがみこんだ。そして、今だ泣き続けるガノンドの肩を叩いた。
「――ほら、何もそんなに泣くことないだろ」
ガノンドは顔を上げて、カリーナのほうを向いた。
「カリーナや……。わしを許してくれるのか……」
カリーナは溜息をついて、
「許すも何も、母さんはあんたを恨んじゃなかった。父さんは人間でありながら、自分と仲良くしたから罪を着せられたって……。ずっと気に病んでたよ」
思いのほか、優しい声で言った。
「ぅおお! カリーナやあ!」
ガノンドがまたも娘に抱きついた。
カリーナはいまだ嫌そうにしていたが、どうにか突き飛ばしはしなかった。彼女は実父の肩をポンポンと叩いて、
「親父さん、あんたも大変だったんだろ」
そんな呼称でガノンドを呼んで労った。初めて会った父親に対して、微妙に距離を測るような態度である。それでも、一応の父親として認めたのは大きな前進だった。
*
奇跡にも近い親子同士の邂逅である。一行は駅の休憩所へと腰を落ち着かせていた。
「家を出たとは聞いたが、仕事は何をしておるのじゃ?」
時間と共に落ち着きを取り戻したガノンドは、父親らしい質問を投げかけた。
「冒険者ってヤツさ。真っ当な仕事とは言えないだろうけど」
娘のカリーナは淡々と答えた。
「冒険者だあ? なんでまたそんな仕事をわざわざ?」
グラットが反射的に口を挟んだ。自身も冒険者たる彼だが、それだけに口を出さずにはいられなかったらしい。
「それしかなかったんだよ。亜人の娘ってのは、世間では奴隷扱いだからね。まともな職に就くのも一苦労なのさ。だからって、血のつながらない兄さんに、いつまでも甘えてらんないから」
自らの生まれに対する引け目――それがカリーナが家を出た理由らしい。
カリーナの語りからは、苦労が偲ばれた。彼女は真性の亜人ではなく、人間との混血である。それでも、世間的には亜人同然の扱いを受けているようだった。
イドリス人のソロンにはよく分からない苦労である。イドリスでも、全体として人間優位な傾向があるのは確かだ。それでも、亜人は各自の特性を活かして仕事を得ていた。
「そうなんだ。カリーナはかわいいし、仕事ぐらい見つかりそうだけどね」
ミスティンがカリーナの耳を撫でながら言った。相手は自分より歳上だが、お構いなしである。
カリーナはその手をパチンと叩き払って。
「かわいい……ねえ。まあ、稼ぐだけなら方法はないこともないよ。実際、亜人の娘を買いたいっていう物好きな親父は結構いたからな。けど、そりゃ最終手段だ。あたしはこれでも男爵家で育ったんだからね。誇りってもんもある」
「な、なるほど……大変なんだね」
あっけらかんとカリーナは言ったが、
そういう話に弱いソロンは顔を赤くした。実際、物好きな親父がすぐそこにいたからこそ、この娘は生まれたわけだが……。
「そう。その点、冒険者なら、亜人の女でも実力があれば認めてもらえるしさ。人兎ってのは、すばしっこいから何かと重宝されるんだよね」
「ふ~む、そうか……。しかし冒険者となると少々心配じゃのお。成人した娘のやることにあまり干渉したくはないが……」
ガノンドは父親らしい悩みをさっそく吐露していた。
ナイゼルは考え込む素振りを見せて。
「冒険者ですか。それでしたら、姉さん。父さんの手助けをしていただけませんか?」
「手助けって、なんの?」
「父さんは長年とある国に追放された身だったのです。そして――その国と帝国は国交を結ぶことになりました。様々な人と物が行き交う中で、冒険者にとっても様々な仕事が生まれるはず。少なくとも、我々はそうしたいと考えています」
ナイゼルはイドリス王国とネブラシア帝国との未来予想図を描いていた。そして、その中にカリーナを組み込もうというわけだ。
「ふ~ん、どうしてあたしを?」
「帝国人の協力者はできるだけ多いに限りますからね。それに、わがイドリス王国では亜人の扱いも悪くありません。もちろん、報酬は出しますよ」
「へえ~、そんな国があるんだね。報酬がもらえるならやってみてもいいよ。んで、親父さんはそれでいいのかい?」
カリーナはあまり悩む様子もなく即答した。
どうやら気風のよい性格らしく、冒険者としてのたくましさを持ち合わせているようだ。
「うむ……そうだな。少々心配ではあるが、そのほうがいいかもしれん。手伝ってくれるか、カリーナや」
ナイゼルらしい巧妙なやり方だった。
生まれて初めてあった父に対して、仲良くしろと言っても現実には難しい。そこでまずは、仕事上の付き合いから始めるように促したのだろう。
危険がないとはいえないが、既にカリーナは冒険者なのだ。ならば、ガノンドやナイゼルの目が届く仕事をさせたほうがまだしもである。
連絡先を確認した上で、カリーナとは一旦、別れることになった。
ガノンドは娘との別れを惜しんでいたが、彼女には彼女の生活がある。今すぐ、イシュティールの旅へ同行させるわけにはいかなかった。