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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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人兎の娘

「うい~、姫様、おはようございますじゃ。今日も朝からお美しいですなあ」


 翌朝、宿で顔を合わせた時には、ガノンドも調子を取り戻していた。……いや、少しばかり顔が赤いような気がする。


「お爺ちゃん、酒臭いよ」


 ミスティンがいち早く、そのにおいに気づいた。


「ガノンドさん。朝からお酒ですか……。いい加減、歳をわきまえてください」


 ガノンドのお世辞には眉一つ動かさず、アルヴァは冷ややかな視線を投げ返す。


「朝からではありませぬ、夜からですぞ。朝のこれはイドリスの伝統――迎え酒です。そうやって眉間にシワを寄せては、美しいお顔が台無しですぞ」


 ガノンドはアルヴァを相手にして一歩も引かなかった。


「…………」

「じょ、冗談ですじゃ……。老いぼれの戯言(ざれごと)と思い、どうかご慈悲を……」


 と思いきや、アルヴァににらみ返されてすぐに折れた。ガノンドは今にも平伏しそうな勢いである。


「昨夜は程々で切り上げるならば――と付き合ったのですが……。ご覧の有様です。不肖の父に代わって、私が謝罪いたします」


 ガノンドと同室だったナイゼルは、首を横に振りながら釈明した。

 ナイゼルは二日酔いの症状が出ているらしく、頭を押さえていた。ひょろい見た目の通り、酒には強くないのだ。

 四人の兵士達も付き合ったらしく、気分を悪そうにしている者もいた。


「まあ、いいじゃねえか。たまには酒盛りもいいもんだぜ。爺さんだって、酒飲んでヤなこと忘れたい時もあるってこった」


 グラットはガノンドを擁護した。

 どうも、昨夜の酒盛りには、彼も参加していたらしかった。もっとも、グラットは酒に強いのでケロリとしている。

 アルヴァはこれ見よがしに溜息をついて、


「こんな状態で馬車に乗れるかどうか、いささか不安ですが……。ソロンはこんな大人になってはいけませんよ」


 と、なぜだかこちらに視線を向けた。ガノンド達をたしなめるのは諦めたらしい。


 *


 少し出発の時間を遅らせたものの、河沿いの宿を一行は()った。

 ゆるやかに流れるセミューレ大河の水が、朝日の中にきらめいている。それを横目にして、馬車の駅へと歩いた。

 馬車に乗れば、フラメッタから海都イシュティールまでは一日もかからない。この日のうちに目的地までたどり着ける見込みだ。


 駅の建物が見えてきた。職員用の駅舎、馬小屋、車庫、停留所がひとまとまりになっているため、それなりに大きな施設だった。

 停留所に近づいたところで、(ひづめ)の音が聞こえてきた。そして、二頭の馬に引かれた馬車が到着した。

 まだ朝に含まれる時間帯である。夜を飛ばしたはずはないので、近郊の町を早朝に出発して来たのだろう。


 馬車から乗客がぞろぞろと降りてきた。

 全部で十人といったところだろうか。見たところ、ひとまとまりの団体ではない。他人同士を一緒に乗せてきたのだと思われた。


「ん……?」


 ソロンの目を引いたのは、最後に降りた若い娘だった。

 肩にかかる薄紅色の髪が鮮やかだった。どことなく気品はあるが、貴族のような華美な服装ではない。どちらかといえば、丈夫で動きやすそうな服装をしていた。


「あの女の子……」


 ソロンが指を差せば、


「好みなのか? ついにお前も色気づいたか?」


 グラットが見当違いの方向に持っていこうとした。ひょっとしたら、わざとやっているのかもしれない。


「……違う、あの耳」


 娘は薄紅の髪から、ウサギのような耳を生やしていたのだ。

 亜人のはずだが、顔つきは随分と人間的である。耳と髪色を除けば、遠目には人間と区別がつかないほどだ。


「おお、オリドナ! オリドナではないか!?」


 突然、ガノンドが叫びだした。停留所へと一気に駆け寄る。泣きながら娘にすがりつかんばかりだ。


「ちょっ、先生!?」


 ソロン達も小走りでその後を追った。


「な、なんだよ、あんたは!?」


 しかし、娘は狼狽(ろうばい)し迷惑そうにしていた。


「爺さんの愛人が生きてたってか? それにしたって、ちょっと若すぎないか?」


 グラットは首をかしげて、娘の顔を眺めていた。どう見ても精々がソロンと同年代にしか見えない。


「いえ、これは噂のご息女のほうでしょう。年齢的にも違いありません」


 取り乱すガノンドをよそに、アルヴァは落ち着き払っていた。


「落ち着けって! オリドナはあたしの母さんだけど……」


 亜人の娘はガノンドを押しのけながら告げた。


「なな、なんと! では、お前はオリドナの娘なのか!?」

「うん、そうだよ。爺さん、あんたは母さんの知り合いかなんかかい?」

「知り合い……。そうじゃな、知り合いじゃよ。わしは……あの子の主人じゃった。帝国に戻って、二十年ぶりに会いに来たんじゃが……」


 さすがのガノンドも、愛人にしていたとは言えなかったらしい。またもガノンドは泣きそうな顔になった。

 二人の奇妙な邂逅劇(かいこうげき)に、駅の利用者からの視線が集まっている。


「…………すると、母さんの奴隷時代のご主人様ってことか? ほら、泣くなよ。会えなくて残念だったのは分かったけどさ」


 娘は困惑の(てい)でオロオロと周囲を見回し、そこでソロン達の存在に気づいた。


「爺さんの知り合いかい? なんとかしてくれないかねえ?」

「これは失礼しました。ほら父さん、落ち着いてくださいよ」


 娘の懇願に、ナイゼルが応える。ガノンドの背中に手をやって、さすり始めた。


「ふう……」


 亜人の娘は人心地がついたようで、ほっと息を漏らした。

 そこにミスティンが近づいて、娘の顔を覗き込む。ミスティンらしい無遠慮な所作だった。


「な、なんだい?」


 ギョッとしたようなオリドナの娘に、


「いくつ? 私は十九だけど」


 ミスティンが唐突に質問を投げかけた。


「歳のこと? 二十二だけど、それがどうかした?」

「うお、俺の一個上かよ!」

「同じくです。まさか歳上とは……」


 意外な回答にグラットとナイゼルが驚きを見せた。


「若く見えるのは人兎(じんと)の血だってさ。母さんなんて、死ぬ前は四十代のなかばだったけど、人間の二十代みたいだったよ」

「どうでもいいけど、初めてグラットの年齢を聞いた気がする」


 ミスティンが無表情のまま、確かにどうでもよさそうにつぶやいた。


「どうでもよくはないぞ。大事なことだから、覚えておけよ。俺のほうがお前より二歳上で偉いんだぞ」


 この期に及んでグラットは年齢を笠に着ていた。……が、そんなグラットを、ミスティンは無視して娘との会話を続ける。


「あんまり似てないね」


 しかし、簡潔すぎて分かりにくいのも相変わらずだった。


「誰と?」

「お兄さんと」


 そこでソロンも気づいた。若きヘテロ男爵によれば、オリドナが後妻へ迎えられたのは二十年前だという。目の前の娘とは年齢が合わないのだ。

 もしかしたら、ミスティン一流の直感が何かを掘り当てたのだろうか。


「ああ、兄さんに会ったんだね。今日は仕事のついでに顔見せするつもりだったんだけど。……似てないのは、血がつながってないからさ」

「失礼ですが、あなたのお父様は?」


 アルヴァが単刀直入に切り出した。ここまで来れば、追求をやめるわけにはいかない。


「いないよ。あたしが生まれる前に別れたって」

「もしや、彼女は父さんの娘さんでは?」


 ナイゼルが確信を口にして、ガノンドへと目をやった。それはつまり、ナイゼルの腹違いの姉という意味でもある。


「お前がわしの娘なのか……? 名前は?」


 ガノンドは亜人の娘を見つめて、


「カリーナだけど。あんたがあたしの父親な――」

「カリーナ! オリドナとわしが二人で決めた名前だ! 男ならナイゼル、女ならカリーナと相談していたのじゃ!」


 カリーナが言い終わる前に、ガノンドは叫んだ。

 どうやら、ガノンドと奴隷の娘は、子供が生まれた時のことを話し合うような仲だったらしい。当時、ガノンドは妻帯者だったはずだが、それはどうなのだろうか……。


「……私の名前、使い回しだったのですか。母さんが生きてたら何と言ったでしょうね……」


 ナイゼルが悲しげな表情で父を見ていた。いつも飄々(ひょうひょう)とした彼には珍しい本気の目だ。


「じゃあ、やっぱり……!」


 カリーナは目を見開いて、ガノンドを直視した。彼女の目は髪色と同じような薄紅色だった。


「おお、わが娘よ!」


 ガノンドは泣き叫びながら腕を大きく広げ、カリーナへと抱きついた。


「ちょっ! やめろよ!? この変態!」


 ――が、すげなくカリーナに投げ飛ばされた。護身術の心得があるらしい華麗な投げ技だった。

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