オムダリア家の事情
ガノンドの弟であるビロンド公爵。その妻であるイローヌは、ガノンドの妻でもあったという。
「なんと……!?」
思わぬ事実に、ナイゼルが声を上げた。彼からすれば、父の前妻という微妙な関係の相手だ。しかもそれだけではない。
「それってえのは……あれか。つまり、兄から弟へ乗り換えたんだな」
グラットがまた身もフタもない発言をする。
「そうなるな。……まあ、わしにも非があったので、文句を言える立場でもないがの」
ガノンドの口調はあっけらかんとしていた。そもそもの夫婦関係も、うまくいっていなかったと推測できる。
「確かに、非難すべきとは限りませんね」
淡々とアルヴァは答えて。
「――なんせ、貴族の結婚とは概してそのようなものですから。家のつながりを維持するという観点では、相手が兄だろうと弟だろうと大した違いはありません。要は家督の相続者ならよいのです」
「それはそれで、世知辛い世界だなあ……。考えてみたら、アルヴァもそんな世界にいたんだよね」
と、ソロンは同情の視線を向ける。
「ええ、縁談の候補はありましたよ。皇帝になった際に断ってしまいましたが」
ソロンも以前に聞かされた話なので驚きはない。
「そっか、アルヴァも大変だね。でも、こうなったからには、気に入った相手と一緒になりなよ」
ミスティンが同情するように言った。
「そうですね。ある意味では、今は自由な身分ではありますから」
ミスティンも「うん」と力強く頷いて、
「アルヴァをどこぞの馬の骨に取られるぐらいなら、私がもらうから」
また妙ちくりんなことを言い出した。本気か冗談かは知らないが、その瞳は謎の自信に満ちていた。
「ふふっ、気持ちだけはありがたく受け取っておきます」
と、アルヴァは至って平静に受け流していた。
*
妙に仲の良い女同士は置いておいて、いよいよオムダリア家へ乗り込むことにした。貴族の家に向かうだけあって、人選にはなるべく警戒心を招かない者が選ばれた。
すなわち、ソロンとナイゼルである。
見た目的にはミスティンも適っているが、突拍子もない発言の常習犯なために外された。
「追放先のガノンド元公爵から頼まれまして、人を探しています。二十年以上前に勤めていた亜人の女性で……種族は人兎、名前はオリドナです。当時の事情をご存知の方がいれば――」
ソロンは門衛に向かって、小細工なしの要件を述べた。
相手は若い門衛である。かつてガノンドが追放された頃には、まだ子供だっただろう。それでも、かつて館の主であった公爵が、追放された事実は知られているに違いない。
不審な要件に、門衛は怪訝な表情を浮かべていた。それでも、無視はできないと感じたらしく、人を呼んでくれた。
門の向こうに、身だしなみのよい中年の婦人が現れた。見た印象ではガノンドより十歳程度若い。
「公爵夫人のイローヌです」
夫人は自ら身元を明かした。
ガノンドの元妻で、現公爵ビロンドの夫人イローヌ……。
兵士達の様子もあって、身分の高い女性だとはすぐに分かった。
それでも、ソロンとナイゼルは身元の怪しい人物であり、公爵夫人自らが、相手をしてくれるとは思わなかった。
親切なのか、あるいは意外と暇なのか、ともあれ幸運ではある。
さすがに門の中へは入れてくれなかったが、それは高望みというものだろう。
「あの人の使いだそうですね。前の夫――ガノンドは一体どこに追放されたのですか?」
門の向こうに立つ公爵夫人は、こちらに先んじて質問をしてきた。意外にも追放先を知らなかったらしい。
「えっと、南東のほうに……。詳細は秘密なんですが」
ソロンは曖昧に言葉を濁した。実際イドリスは南東に位置するため、ウソというわけではない。
「まあ、いいですよ。大して興味はありませんし、追放先は非公表が基本でしたものね。元気にしていますか?」
興味がないなら、なぜ聞くのか――とは、さすがに言えなかった。
「ええ、大変に元気ですよ。追放先でガノンド先生の師事を受けたのが、私達というわけです」
ナイゼルが白々しく答えてみせる。運命が少し違ったならば、彼自身もオムダリア家の嫡子として屋敷にいたのかもしれない。
いや、そもそもガノンドが追放されなければ、彼という人間は存在しなかったと考えるべきだろうか。
「それなら結構です」
やはり大して興味なさそうに公爵夫人は言った。それでも尋ねたのは、前の夫に対する最低限の義理だろうか。
「いえ、ガノンド先生のことはどうでもいいのです。それよりオリドナさんについて、よろしいですか?」
イローヌといいナイゼルといい、ガノンドへの扱いは酷かった。
「ああ、そういう要件でしたね。もちろん、覚えていますよ。ガノンドが手を出した亜人の娘です。ああ、あの時を思い出すたびに腹が立ってきます」
「ですが、オリドナさんにも事情があったのでは……」
色をなすイローヌを見て、思わずソロンはなだめにかかった。
「いえ、オリドナのことではありません。どちらかと言えば、あの子は被害者でしょう。腹が立つのはガノンドです。奴隷の亜人に手を出すなんて、オムダリア家どころか貴族の面汚しですよ」
わりと真っ当な倫理観に、ソロンも口を挟む気は起きなかった。
「それで、ガノンド先生が追放された後ですが。オリドナさんはどうされたのですか?」
ナイゼルの質問に、イローヌは間を置かず反応する。
「人手が欲しいという貴族がいたので、売り払ってしまいましたよ。少しかわいそうではありましたが、お互いによい気分ではありませんでしたから。飼い殺しにするよりは、他の主人に仕えたほうがあの子のためでしょうし。……一応、評判の悪い人物は避けたつもりですよ」
言い訳するようにイローヌは付け足した。
イドリスの倫理観では非道に当たるが、帝国では奴隷の売買は当たり前に行われる。しかし、それを非難しても仕方がない。
「売り払ったというのは、どなたに?」
「フラメッタのヘテロ男爵だったかと記憶しています。ただ、そこから先は知りませんよ。知ろうとも思いませんでした」
悪意と見れば、奴隷の厄介払い。善意に取れば奉公先を紹介したともいえる。できれば、後者と考えたいところだが……。
手間を取らせた謝意を述べて、二人はオムダリア家の門前を立ち去った。
*
「で、フラメッタに行くのか?」
オムダリア家から離れた路上で、グラットが切り出した。
「行こうよ。ウサギさん、かわいそうだし」
ミスティンが即断しようとする。
「そんな単純に決めんなよ。まあ、フラメッタなら経路上なんで問題ないと思うが……」
「あっ、そうなんだ。経路上なんだね」
と、ソロンが帝国の地理への疎さを発揮すれば、
「そうなんだって……。おいおい、そのくらいの地理は把握しとけよ」
グラットに苦言を呈された。
「ガノンドさん、ヘテロ男爵という方は?」
アルヴァの質問に、ガノンドは首を横に振った。
「う~ん、さすがにフラメッタの男爵までは心当たりありませんな……。すみませぬ」
「いいえ、大丈夫です。無名の市民ならともかく、男爵ということでしたら、さほど探すのに苦労はしないでしょう。ついでに寄ってみるといたしましょうか」
「おお姫様、ありがとうございますじゃ!」
ガノンドは感激も露わに感謝していた。