帰ってきた帝都
「おいおい、男ならそこはケンカをしかけるところだろ~」
「グラットと一緒にしないの。ソロンは良い子なんだから」
軽口を叩くグラットと、機嫌のよさそうなミスティン。
ソロンはしてやったりの顔をしていたが、そこで様子のおかしいアルヴァに気づいた。
「えっと、大丈夫……」
彼女は食卓に突っ伏していた。帽子に隠れて、その表情はほとんど窺えない。
こちらも頭を低くして、目を合わせようと試みるが――
「こら……大人しくしてと言ったでしょう」
コツンとアルヴァに頭を叩かれた。手つきが妙に優しいのは、こういったことに慣れていないからだろう。
「でも、話してみたら分かってくれたでしょ」
「風説を晴らしてくれるのはよいとしても、後のほうは余計だったでしょう」
決して目を合わせずにアルヴァが言った。
「そうかなあ?」
「……顔から火が出るほど恥ずかしいのですが。ああもうっ……!」
アルヴァは顔を赤くして、またも食卓に突っ伏さんばかりだった。
そんなアルヴァの背中を、ミスティンは「よしよし」となでている。
「そこまで、恥ずかしがることでもないと思うけど……」
極めついて高貴に生まれた彼女のことである。褒め殺しには慣れていると思っていたが、思いのほか効果があったらしい。
「お姫様をそこまで照れさせるとは。お前もやるようになったな」
グラットが親指を立てて、ニヤリと笑った。
そんなことがあったものの、雲海の旅は何事もなく進んでいた。
ナイゼル達も二回目となる雲海を、すっかり満喫していた。
嵐に見舞われることもなく、雲賊に襲われることもなく、ましてや皇帝イカに襲われることもなく。
――本当の意味で旅は平和だった。
「こうなんだよ、本当の竜玉船の旅ってもんは。今までがツイてなさすぎたんだぜ」
グラットは、平穏な竜玉船の旅にはしゃいでいた。
「相変わらずグラットは竜玉船が好きだよね」
ソロンが言えば、グラットは頷く。
「まあな、軍船として竜玉船にはしょっちゅう乗ってたからな。結局、軍の仕事は好きになれんかったが、船は好きだった。自分で好きなようにあれで旅ができたら最高だなって、何度も思ったもんよ」
「ああそっか。それで自分の竜玉船が欲しいって話になったんだね」
「おうよ」グラットは力強く返事をした。「まあ、夢は後でもついてくる。今はお姫様のために頑張るとしようぜ。お前も俺もな」
「うん」
ソロンも強く頷いた。
それこそソロンが上界を再び訪れた目的なのだ。
ここへ来るまでに思いもしない寄り道で時間をかけてしまった。イシュティールで待つというマリエンヌは、今も心配しているだろうか。
*
各地に設置された灯台を目印にして、竜玉船は昼夜を問わずに航海を続けた。
ベオを出発した翌日の朝方。
竜玉船の甲板から、帝都ネブラシアの威容が見えてきた。
「おおぉ、なつかしの帝都じゃ!」
感慨もひときわに、ガノンドが声を漏らす。かつての彼は帝都に暮らす公爵だったのだ。
遠くからでも見える数々の高層の建物。
ひときわ目立つのはやはりネブラシアの皇城だ。イドリス城とはもちろん比較にもならない。
ソロンの隣には、かつて皇城の主だった娘がいる。どんな顔をしているのかと見てみれば、どこか懐かしげに目を細めていた。
色んな感慨があるだろうに、アルヴァは否定的な感情を面に出さなかった。
「あれは……城ではないのですね?」
ナイゼルが驚愕をあらわにして問いかけた。
彼が指差したのは皇城ではない。
それを中心として立ち並ぶ、数々の建物だった。イドリス城に匹敵するような建造物が、いくらでも存在するという事実。それが彼にとっては驚異だったのだ。
まさしく、初めて帝都に来たソロンと同じで田舎者丸出しである。
「帝国では通常、あの大きさの建物を城とは呼びません。役割に応じて、館あるいは砦と呼称します。住居なら館、軍事拠点なら砦――といったところですね。帝都内部に砦はありませんので、多くは館となります。その他にも皇学院や大図書館、大聖堂、大闘技場といった施設も大きいですね」
無駄に丁寧なアルヴァの解説を聞いて、ナイゼルは溜息をついた。やはり国としての格差を実感せざるを得ないのだ。
「サンドロス陛下を連れてきたら、なんとおっしゃるでしょうね……」
「一度、連れてきたほうが勉強になっていいかもね。まあ、さすがにそんな余裕はないと思うけど」
*
ソロン達一行は港へと降り立った。
帝都の南方に位置するネブラシア港は、天然の小島を利用した巨大な港である。軍船、貿易船、漁船など様々な船舶が入港している。
港には様々な施設があった。一日に何万という利用者があるこの小島は、それだけでちょっとした小都市ともいえそうだ。
「どうする? さっそく馬車に乗ろうか?」
ソロンはアルヴァに向かって尋ねた。
港には馬車を備えつけた駅がある。イシュティールまでの道を急ぐならば、ここから搭乗するのが最善だった。
彼女は首を振って、長い黒髪を横に揺らした。
「できれば、帝都の様子を見たいと思いますので」
「私も同意します。ここまで来て帝都の町並みを見られないのは生殺しですよ」
「そうじゃ。わしも二十年ぶりの帝都を見て回りたいのでな」
アルヴァ、ナイゼルにガノンド――三人はそれぞれの事情で帝都の町へ行きたがった。ソロンとしても特に断る理由はない。
大型の馬車が二台すれ違えるような幅の広い大橋――そこを北へと渡りながら、一行は帝都の町中へと足を踏み入れた。
港から接続する帝都南部は、市場や宿でにぎわっていた。
アルヴァは町中を、しきりに見回していた。かつては自らが君臨していた都である。様子が気になって仕方ないのだろう。
「特に混乱はないようですね。ベオにいた時点で予想はついていましたが……」
努めて淡々とアルヴァは言った。
「そりゃ君が追放された後――僕達が下界に向かう頃には、もう落ち着いてたからね」
アルヴァが追放されて、はや二ヶ月。既に先帝は過去の人物に成り下がっているようだった。
「寂しい?」
ミスティンがぽつりとアルヴァに尋ねた。
「いえ、こんなものでしょう。最初から分かっていたことでしたから」
そう口にしたアルヴァは、言葉とは裏腹に儚げだった。
その間、ナイゼルと四人の兵士達は、ただただ呆然と町並みを眺めていた。間近で見る建造物の数々が、彼らを圧倒していたのだ。
「う~む。この帝国とわがイドリスで同盟を目指すわけですか……」
さしものナイゼルも、帝都の威容には怖気づかずにいられなかったようだ。
「これこれ、何を怖気づいておるか。まだ交渉は始まってもおらんのだぞ。全てはやってみてからじゃ」
ガノンドがナイゼルに活を入れれば、アルヴァもそれに引き続く。
「そうですね。そのためにも、お兄様とお会いして話をせねばなりません。さすがに、今すぐとは難しいでしょうが……」
しかし、彼女の言葉は次第に弱々しくなった。
「なんか伝手とかはないのか? ……ってか、あるだろ。お姫様なら」
グラットが言えば、アルヴァは頭を振って。
「お恥ずかしいことですが……。伝手と言って思いつくのは、マリエンヌやお祖父様ぐらいのものです」
その二人は、これから向かう海都イシュティールにいるはずだ。もちろん、帝都では役に立たない伝手である。
「じゃあ、帝都にいる人だと?」
ソロンも質問した。酷かもしれないが、一応は聞いておきたい。
「はあ……。他に信頼できそうな方といえば、お兄様や大将軍ぐらいのものでしょうか。どちらも普段は城に詰めているはずです」
その『お兄様』に会えないからこそ、伝手が必要なのだ。大将軍という人物も役職からして、簡単に会えるとは思えない。
「無理そうだね」
ミスティンは遠慮もなく結論を下した。
「ごめんなさい。私は無力ですね……。地位がなくなれば、従兄と会うだけのことに苦労させられるなんて……」
目に見えてアルヴァは消沈していた。
「だ、大丈夫だよ。そこまで急ぐ必要もないだろうし。イシュティールには頼れる人がいるんだよね。そこから改めて、皇帝陛下に連絡をとってもらおう」
すかさずソロンが慰めに入った。そもそもそれが当初の予定であり、彼女が落ち込む必要はないのだ。
「……そうですね。今日は帝都の様子を眺めて満足しておきましょう」
アルヴァは気を取り直すように言って、それから提案した。
「――落ち合う場所を定めて、自由行動にしようと思いますが。それでよろしいですか?」
「分かりました」
同意したナイゼルは、ガノンドを気遣うように視線をやった。
「――父さんもどこか行きたい場所は? 久々の故郷なのでしょう?」
「ううむ……。見たい場所はないこともないが……。しかしなあ……」
ガノンドは逡巡するように、視線を町並みへ送っていた。どこかで知り合いと会わないかどうか、おどおどしているような雰囲気である。
「まっ、色々あって敷居が高いってのは分かるけどよ。どうせ爺さんのことなんて、誰も分かりゃしねえんだ。悔いがないように、好きなとこ行っとけよ」
グラットは彼らしい表現でガノンドを励ました。
「口の悪い奴じゃのう。……まあ、お主の言うことにも一理はあるがな。こっそりと実家のほうを見てみようかのう……」
ともあれ、ガノンドも少しは決心がついたようだった。