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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第五章 蒼海をゆく
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ベオに別れを

 グラットの故郷――港湾都市ベオでソロン達は出発の準備をしていた。


 ベオは帝国雲海軍の基地であり、カプリカ島でも最大の都市である。港のにぎわいも相当なもので、市場では様々な海産物や交易品が手に入った。

 先日、隣国のサラネド共和国軍による襲撃があったばかりだ。

 にも関わらず、活気には陰りが見られない。町に深刻な被害が出る前に、撃退できたのが功を奏したのだろう。


「わりいな。随分と寄り道を食っちまった」


 港の市場をうろつくかたわら、謝罪したのはグラットだ。

 はねた茶髪に、ソロンと違ってたくましい体つき。先日の負傷の傷跡も、今はほとんど見られない。

 先日の襲撃の際、わずかな人数で町を守り続けたグラットは体の至るところに傷を負っていた。名誉の負傷である。


 ……が、数日の滞在によって、グラットの傷もすっかり()えた。ミスティンの魔法による治療もよかったが、それ以上にこの男はとてつもなく頑丈だったのだ。


 グラットにソロン、アルヴァ、ミスティン。ガノンドとナイゼルの親子。さらにはイドリスから来た四人の兵士達。今は全員そろって食料を買い集めているところだった。


「なんのこれも、上界の社会勉強ですよ。……それにしても、今回の戦いで帝国に恩を売れませんかねえ」


 事もなげに応じたのは、灰茶の髪の魔道士ナイゼルだ。彼にしても死線をくぐる程の戦いを経験したはずだが、気にする素振りもない。


「これこれ、わしらは偶然襲ってきた敵を、倒しただけに過ぎん。その程度で恩を強調するようなせこい男に育てた覚えはないぞ」


 と、たしなめたのはナイゼルの父にして、かつての帝国公爵ガノンドだ。同じく灰茶の髪をしているが、こちらは白いものが混じっている。


「エヴァート兄様に出会えた(あかつき)には、皆様の活躍を報告させていただきますよ」


 アルヴァは苦笑して応じた。

 帽子の下から垂れる長い黒髪を、雲海の風に優雅になびかせている。帽子は変装のつもりのはずだが、その姿は市場の人混みの中でも際立っていた。

 彼女は続けて。


「――今頃、お兄様はどうされているのでしょうね? ガゼット将軍も今回の戦いについて、報告は送っているとおっしゃっていましたが」


 他国に基地を襲撃されるという大きな事態である。もちろん、皇帝としても何らかの行動を取ることになるだろう。


「それを知るためにも、まずは今の陛下に会ってみないとね」


 と、ソロンは応じた。

 この旅の目的は、彼女を母方の故郷イシュティールに届けることだ。そして望めるなら、下界に追放された彼女の立場を改善したい。

 少なくとも、ソロンはそう考えている。


 *


 ベオと帝都をつなぐ定期船。

 ソロン達一行はその竜玉船に搭乗するため、ベオの港にやって来ていた。

 港には見送りに来たゾンディーノ家の三人の姿もあった。

 グラットの母マーシアに、妹のショーナはもちろんのこと。将軍職として忙しいはずの父ガゼットまで見送りに来てくれた。


「別に親父まで、見送りに来なくてよかったんだぜ。仕事、忙しいんだろうに抜け出して大丈夫だったのか?」


 グラットは相変わらずの憎まれ口を叩いていたが、


「あいにく職場がすぐそばなものでな。休憩時間を少しずらした程度で何の問題もない。まっ、お前はともかく、他の皆には世話になったからな。見送りしないのも恩知らずというもんだろう」


 ガゼットも負けじと憎まれ口を返した。

 もっとも、そうやってやり合う二人の表情は、再会した頃よりどこかやわらかかった。何だかんだで別れるのは、お互いに名残惜しいのかもしれない。


「ソロン君もまた来てねっ!」


 と、なぜかショーナに声をかけられた。


「うん、ショーナも元気でね!」


 笑って頷いて手を振ったものの、また来る機会はあるのだろうか。

 いまだ彼女達は、ソロンが下界人であることを知らなかった。少しの後ろめたさはあったが、それでも悪い別れではなかったと思う。


 *


 竜玉船は滑るような速さで、帝都を目指して進んでいく。

 帝都へ向かう船に乗るのは、これで三回目。うち一回は結局、ベオへと引き返すことになってしまったのだが……。


「本当に、今度こそ何事もなかったらいいんだけどね……」


 過ぎゆく雲海を甲板(かんぱん)から眺めながら、ソロンはつぶやいた。竜玉船に乗る度、災難に見舞われている気がしていた。


「ははは、本当ですね。まあ、初の雲海の旅がああなったのは残念でしたが、悪い経験ではありませんでしたよ。まっ、今度こそ雲賊に襲われないことを願いましょう」


 と、ナイゼルは余裕の笑みを浮かべる。


「もっとも、雲賊など何度遭遇したところで、恐るに足りませんよ」


 隣り合うアルヴァが、強気で言い放つ。


「いや、それだけじゃなくて。その前に乗った時も皇帝イカに襲われたしね。竜玉船そのものは好きなんだけど、あんまりいい思い出がなくてさ」


 過去の出来事を回想しながらソロンが説明すると。


「ああ、その話ですか」

 と、アルヴァが頷く。

「――皇帝イカに襲撃されるとは、運が良いのか悪いのか……。帝国全体でも年に何度か目撃される程度ですのに。それでも、撃退できたのはさすがですが」

「運が良かったんだよ」


 振り向いたミスティンが、(ほが)らかに笑いかけてきた。後ろにくくった金髪が馬の尾のように弾む。空色の瞳はまっすぐにソロンを見つめている。


「――あれがきっかけでソロンと組めたんだから」


 何とも前向きなとらえ方だが、ウソではない。あの戦いで互いの実力を見せたことが、仲間として組む契機だった。


「そうだったね。あれが僕達の初めての共闘だった」

「その話なら、俺様も仲間に入れろよ」

「むう、私はのけ者ですね」


 グラットが口を挟み、ナイゼルがすねるが、


「それに、結構おいしかったよ。イカ」


 ミスティンは今日もわが道を進んでいた。


「食べたのですか!?」


 これにはアルヴァも目を丸くして、声を上げた。


「おお、戦った時にヤツの足を斬ったんでな。それをこいつが拾ってたわけよ」

「あ~、皇帝イカを料理したと言っていましたね。まさか……そのままの意味だったのですか……!? いやはや、さすがはミスティンですね……」


 口では賞賛したアルヴァだったが、表情には呆れの色が浮かんでいた。


「それほどでもない。アルヴァにも食べさせてあげたかったね」


 そんなアルヴァの様子を気にする素振りもなく、ミスティンは得意気に胸を張る。


「え、ええ……。機会があればお願いします」

「そんなこと話してたら、そろそろご飯が食べたくなった」


 ミスティンはどこまでも我が道を進むのであった。


 *


 飯時には少しばかり早い時間帯だった。

 それでもソロン達が食堂の席についたのは、ミスティンの希望に沿ってのものである。この定期船は内部に食堂を完備していたのだ。

 さすがに時間が早かったため、ナイゼル達はまだ来ていない。いつもの四人だけで席についていた。


 ふと船員達の話し声が聞こえてくる。彼らも少し早めの食事を取っているようだ。

 初めは他愛のない会話でしかなかったが、それも段々とソロンの気になる内容に移っていった。


「おい、紅玉の陛下のことだけど知ってるか?」

「ああ、追放されたっていう? どこに追放されたんだっけか?」

「さあ、それは秘密みたいだぜ」

「ふ~ん、どっかの島かねえ?」

「さあな。それより、帝都に魔物を呼び寄せたのは、その陛下の仕業だってよ」

「んん? 帝都の事件についちゃ聞いてたが、前の陛下のせいとは初耳だな」

「それが、噂によるとそうらしいんだよ。元老院の中に、政策に反対する奴がいたんだとさ。それで、紅玉の陛下が魔法で魔物を操って脅しつけたんだとよ」

「マジかよ!? とんでもねえやり口だな。そりゃあ首になるってもんだよ。絵で見た限りは綺麗な姉ちゃんだったのにな……。俺、結構応援してたんだけど、がっかりだぜ」


 紅玉帝ことアルヴァネッサの追放が公表されてから、はや一ヶ月半が過ぎ去っていた。久々に見た帝国の町は平穏を保っており、情勢に乱れは(うかが)えなかった。

 とはいえ、魔物による帝都の襲撃、皇帝の罷免(ひめん)といった出来事が国民に少なからぬ衝撃を与えたのも確かだ。


 最も衝撃を受けたのは、帝都に住んでいた者達だろう。その目で魔物の姿を見なかった者達も、破壊された町の姿を後で目にすることとなった。

 帝都から離れた地域に暮らす者にとっては、実感に乏しい出来事だったに違いない。それでも、一連の出来事は格好の噂話の種になっていたようだ。


 アルヴァの瞳がかすかに震えていた。

 自分について根も葉もない噂が流れていることに、平静ではいられないのだろう。表向きは泰然と構えていても、内面はソロンと同年代の娘なのだ。


「大人しくしていてください。私は気にしませんから」


 アルヴァはこちらの手に手を重ねた。

 ソロンの気持ちに気づいたのだろう。平静でいられないのはソロンも同じだったのだ。

 ――が、ソロンは意を決して立ち上がった。


「ソロン……!」


 アルヴァが小さく悲鳴を上げた。


「ほう、やる気か。ならば俺もいっちょ――」


 グラットは腕まくりをして乗り気だった。


「それ違いますよ」


 ソロンは近づくやいなや、船員達の会話に口を挟んだ。……ただし、喧嘩腰ではなく努めて明るい口調で。

 グラットはさておいて、ソロンに喧嘩を売る度胸はない。

 幾度もの戦いを経てソロンは強くなったが、小心者という本質は変わらない。そもそも、船員達は大して悪いことをしたわけではない。精々が根も葉もない噂話をしていただけだ。


「んん?」


 船員達はソロンの乱入を見て、怪訝(けげん)な表情を浮かべた。


「反対派を魔物で脅したんじゃないですよ。むしろ、陛下は帝都を襲撃した魔物と戦ったんです」

「なんだあんたは? 実際に見でもしたのか?」

「はい。現地にいましたから」

「じゃあ、なんで前の陛下は首になったんだ?」

「その時に使った魔法で事故が起きて、犠牲を出してしまったからですよ。ただ敵もそれだけ手強い魔物だったので、仕方ないと思ってます。何も手を打たなくても、やはり犠牲は避けられませんでしたから」

「う~ん、よく分からんが、事は単純じゃないんだなあ。帝都にいたあんたが言うならそうなのかもしれん。……それが本当なら、前の陛下はちょっとかわいそうだなあ」

「そうなんです」


 ソロンは大袈裟に相槌を打って見せた。


「へえ、ところで実際に見たんだろ? やっぱり美人なんだよな?」


 ……答えにくい質問が飛んできた。

 ちらと後ろを振り返れば、当の前陛下と視線があった。帽子を目深(まぶか)にかぶって顔を隠しているが、まぎれもなくこちらを凝視していた。

 よし――と、決意したソロンは船員達に向き直った。


「それはもう! 紅玉の陛下といえば、黒髪の似合う美人ですよ。肖像画より本物のほうがよっぽど綺麗ですから。帝国で一番の美人といっても、過言ではありませんね」


 ここは恥ずかしくても、褒め殺しで突き抜ける時だ。言い回しの参考にしたのは、兄弟子ナイゼルである。副作用として、軽薄な印象になったが仕方がない。


「ああ、やっぱり美人なんか……。いっぺん見ておきたかったなあ……」


 ソロンの褒め殺しが効いたのか、船員達も後悔の色を見せた。

 ……当の紅玉帝はすぐそばにいる。思わず紹介したい衝動に駆られたが、さすがにソロンもそこまで愚かではない。


「ええ。追放刑が解かれたら、また見れると思いますよ」


 それだけ言って、ソロンは自分の席に戻っていった。

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