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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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雲海に浮かぶ

「ソロン、ミスティンが……!」


 アルヴァの呼びかけに気づいてみれば、ミスティンが先程よりも遠ざかっている。魔法を放った反動で、ソロンの体が動いてしまったのだ。

 それだけではない。雲海にも流れがあるため、少しずつ体が流されていく。このまま引き離されては一大事だ。


「んぐっ……!」


 ミスティンへと手を伸ばすが、全く届く気配はない。

 ならば――と足で雲を蹴ってみるが、風を蹴るようなむなしさがあるだけ。水泳のようにはいきそうもない。空中に浮いているような奇妙な感覚だ。


「これでどうかな? つかまって」


 ところが当のミスティンが、握りしめた(かい)をこちらへ伸ばしてきた。

 飛び込む際に、ちゃっかりと持ってきたようだ。彼女の冷静さは、意外な頼もしさを発揮することがある。

 ソロンは伸ばされた櫂をつかんで、手繰り寄せるように体を引き寄せた。そのままミスティンの右手をがっしりとつかんだ。


「はぐれたらどうしようかと思った……」


 顔に安堵を浮かべて、ミスティンが二人に抱きついてきた。ミスティンに抱きしめられる格好で、意図せずアルヴァとも密着してしまう。そのまま三人で輪を描くような格好になる。


 そうして三人で、雲海にプカプカと浮かぶはめになった。

 季節もあってか雲海は意外なほど温かい。体温が奪われる心配がないのは救いではあるが……。


「とりあえずは助かったみたいだけど……。これ、どうやって動くの……」


 手足をバタつかせてみるが、やはり風を叩くような抵抗のなさがあるだけ。

 海で泳げるのは、手足が水を叩けるから。陸を歩けるのは、足が大地を蹴れるからだ。

 (ひるがえ)って雲海には、叩くものも蹴るものも存在しない。


「基本的に竜玉帯とは、泳ぐためのものではありません。浮いたまま体力を温存し、助けを待つのが常道です」

「こ、こんな戦場のまっただ中で、待たなくちゃいけないの……? どうにか進めないのかな……」

「それじゃ、あそこまで行ってみたら?」


 ミスティンが櫂を伸ばした先には、三人が乗っていた小舟があった。

 舟は逆さまになっており、遠く流されてしまっている。おおよそ五十歩の距離はあるだろうか。雲海の中を生身で進むには結構な距離である。


 小舟は風で転覆しただけなので、大した外傷はないはず。

 どうにか近づいて舟を起こせば、また動くに違いない。しかし、そうすると目立ってしまう懸念があった。こうして雲海に身を任せている間は、敵に見つかりにくいという利点もあるのだ。

 それでも、今の状態はあまりに心細い。利点を捨ててでも、舟に近づきたかった。


「あそこまではどうやって……? 刀から炎を噴いて、反動で動く方法もあるけど……」

「そんな無茶な方法を取らずとも、竜玉がありますよ。それに魔力を込め、反発を起こして進みましょう」


 この場にある竜玉とは、竜玉帯とミスティンが持つ櫂だけである。

 竜玉帯でもできないことはないだろうが、さすがに想像しづらい。


「ソロン、がんば」


 方法を考える前にミスティンが櫂を手渡してきた。ひとまずはそれで試すしかなさそうだ。

 目的の舟から反対側の方向へと櫂を伸ばす。その間、両隣の二人もソロンにつかまったままである。


「離れないようにつかまってて」


 二人へ注意を呼びかけ、杖と同じように魔力を込める。

 握った手から、木の柄を通して先端の竜玉へと魔力を伝えていく。この際に生じた魔力の流れが、そのまま出力となって反発を引き起こすはずだ。

 竜玉が赤く輝いた。


「うわっ!」「ひゃっ!」「わわっ!」


 予想以上の勢いに押し出されて、各自が悲鳴を上げた。


 怖い思いをしたものの、三人は無事に小舟のそばへとたどり着いた。

 逆さまに転覆していた小舟は見た目以上に軽く、ソロンとミスティンの二人だけでも容易に元へ戻すことができた。

 近くにサラネド船がないことをサッと確認。息も絶え絶えにソロンは舟上へと転がった。


「うぇ……はぁ……。本当に疲れたよ」

「ふぅ……。すみませんでした。まさかこれほど難事業になるとは……」


 アルヴァもソロンに添い寝するように転がった。普段の彼女ならやらないような体勢だが、よっぽど余裕がないらしい。


「いいってことよ」


 なぜだかグラットのような口調でミスティンが応えた。


「――でも、こうやって苦難を共にするっていいよね。なんだか私達は運命共同体って感じがして」


 ミスティンも混ざって、狭い舟上に三人が寝転んだ。

 ……が、さすがに気まずくなって、ソロンは起き上がった。


「もうちょっと休みなよ」


 と、ミスティンに足を引っ張られたが、それは無視する。


「みんなが心配だから早く戻ろう。二人は休んでてもいいから」


 ソロンは櫂を手に取ったが、そこではたと気づいた。

 もう一つの櫂が、舟に見当たらなかったのだ。

 転覆した時、雲海に落ちてしまったらしい。竜玉を備えた櫂は雲海にも浮かぶはずだが、探すのは至難だろう。


 仕方なくソロンは一人で舟を漕ぎ始めた。

 もう体力の限界だったので、強い力は出せない。竜玉を備えた櫂は魔力でも加速できるが、どちらにせよ疲れるのに変わりない。

 空を見上げれば、太陽がまっすぐにこちらを照らしている。

 早朝に始まった戦いだったが、ようやく真昼に至ったらしい。程よい微風も合わさって、日光浴には絶好の頃合いだろう。


「平和だねえ~」


 いまだ寝転がったまま呑気につぶやいたのは、やはりミスティンだ。もちろんここは、戦場のど真ん中であって平和なはずはない。

 しかし、ミスティンの言ったことも分からないではない。ここは不自然に静かだった。それはまさしく嵐が去った後のように……。


 ふと気になって、ソロンは周りを(うかが)ってみた。

 見渡す限りの雲海に、船の姿は見えない。サラネドの船、帝国の船、いずれも見当たらなかった。

 ただ見つかったのは、雲海を流れる残骸だけ。これは先程の戦いで発生したものだろう。

 ソロン達が雲海に落ちてもたもたしているうちに、サラネドの船団は引き上げたのだろうか?


「さすがに、あれで終わったのかな?」


 口にしたのは予測というより願望である――それはソロン自身も理解していた。


「さあて、どうでしょうね。敵の司令官に気骨(きこつ)があれば、旗艦から他の船に乗り換えて、戦闘を続行するやもしれません」


 アルヴァの口調はどこか投げやりで素っ気ない。

 そこには悲観というよりも、諦観(ていかん)が混じっているようだ。彼女もミスティン同様に寝転がったままだった。


「そ、そっか……。終わりとは限らないんだよね」

「乗り換える暇も与えないほどの、魔法をぶつけたつもりではありますが……」


 眠った体勢のまま、気だるげにアルヴァは語り出した。


「――なんにせよ、私達にはこれが精一杯です。うまくいこうがいくまいが、港へ戻りましょう。全ての敵船を破壊して回るわけにもいきませんし。それに……正直なところ、今日は疲れました」

「なんか、アルヴァにしては珍しいね」


 そう言ったミスティンにしても、声はいかにも眠たげだった。


「私だって限界がありますよ。時には引き際を見極めるのも大事なことです」


 下界に追放され、盗賊にさらわれても、アルヴァはほとんど弱音を吐かなかった。それでも、今回はさすがに疲労を隠せなかったようだ。


 *


 途中、サラネドの軍船に遭遇することもなく、小舟は無事に港へとたどり着いた。

 相変わらず一人で漕いでいたソロンは、元あった桟橋へと小舟を停泊させた。元気を少しだけ取り戻したミスティンが、(つな)を桟橋にくくりつけてくれた。

 周囲には、帝国の軍船が港へ停泊している姿が見える。サラネドとの戦いを終えて、戻ってきたと考えてよいのだろうか……。


「終わったのかな……」


 その様子を見たソロンがつぶやけば、


「まだ分かりません。基地の様子を見にいきましょう。それではっきりするでしょうから」


 アルヴァは断定を避けて、慎重に提案した。

 疲れた体を押して、彼女は小舟から立ち上がった。他の二人もそれに続いて、桟橋へ足を踏み出す。

 お世話になった竜玉帯を、小舟へ残しておくことも忘れない。


 港をゆっくりと歩く三人の前に、雲海軍の基地が見えてきた。

 遠くから見ても、コンクリートの壁面が黒く焦げているのが分かる。激しい戦いの跡が刻まれていたのだ。


 基地の周囲を囲んでいたサラネド軍の姿はなかった。

 その代わり、周囲には数多くの遺体が散乱しており、それを収納しようとする兵士達の姿が見えた。

 遺体は帝国兵とサラネド兵の両軍が混じりあっているようだ。分かってはいるが、いつ見ても気の沈む光景だった。


「終わったね……」


 ミスティンがポツリとつぶやく。

 事ここに至って、戦いは終わったとしか考えられなかった。

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