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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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雲海に飛び込む

 雷鳥の絶大な効果をゆっくりと確認する暇もない。

 ソロンとミスティンは、舟をひたすら漕ぎ続けた。

 この戦果によって、戦況がどう変化するのかは予想もつかない。

 だがそれはともかくとして、敵の反撃を受けてはたまらない。今はその場からの離脱が優先されたのだ。


 少し離れたところで、ようやく余裕ができた。

 アルヴァがぐったりして舟上に座り込んでいた。


「お疲れ。後は私達でなんとかするから寝てたらいいよ」

「お願いします……」


 相当に疲れた様子で、アルヴァは大人しくミスティンの助言に従った。狭い舟上ながら、体を器用に丸め出す。


「見て見てグソック。……かわいい」


 と、ミスティンがアルヴァを指差した。どうやら体を丸めている姿がツボに入ったらしい。

 ちなみに、グソックとは下界にいた巨大なダンゴムシのことである。あれはそんなにかわいくはないが。

 アルヴァは折り曲げた足を腕で抱え、顔をうずめていた。子供のように無防備な寝顔を見せている。今は見栄えを気にする余裕もないらしかった。


「疲れてるんだから、そっとしてあげなよ。……確かにいい顔してるけど」


 ソロンも何だか笑みがこみ上げてくる。なんせ丸まっているのは、いつも毅然(きぜん)としたあの元女帝だ。普段との落差がどこかほほえましい。


「……私のことは捨て置いてください」


 心底疲れた声で、アルヴァがそれだけつぶやいた。なんだか頬が赤かった。


 *


 眠るアルヴァをそっとしておき、二人は小舟を漕ぎ続けた。

 もっとも、やり終えた脱力感もあって、行きよりも動きはゆったりとしている。


 それにしても……グラット達は無事だろうか。ナイゼルやガノンドも無理はしていないだろうか。四人の兵士達も兄から預かった精鋭だ。できれば一人たりとも欠けて欲しくはない。

 一仕事終えた安心感からか、ここに至って心配がソロンの胸中へ湧き起こってきた。


「来てるっ……!?」


 その時――突如、ミスティンが叫んだ。

 ソロンはぼんやりとしていた頭を瞬時に覚醒させた。

 敵の船が接近していたのだ。ミスティン共々、注意力が散漫になっていたらしい。予想以上に近づかれていた。

 サラネド軍も、旗艦を撃沈したこちらを見逃すつもりはなかったのだ。旗艦を失ってもなお、撤退する気はないのか、それとも敗残兵の暴走に過ぎないのか。


 いずれにせよ、一難去ってまた一難。ソロン達にとって、危機であることは間違いなかった。

 そして――敵船の上には弓を構えた射手が二人、杖を構えた魔道士が一人。


 ソロンは気力を振り絞って立ち上がった。

 何度も炎を放った上、舟の操作にも魔力を使ったため消耗している。だが、アルヴァのように大魔法を放ったわけではない。戦う力はまだ残している。

 しかし、小舟は既に、弓と魔法の射程圏内に入ってしまっていた。

 敵の射手が矢を放つ。焦る気持ちを落ち着けて、ソロンは刀で矢を弾き飛ばした。


 ミスティンもその時には櫂を置いていた。弓を手に取るやいなや、ほれぼれするような素早さで反撃の矢を射った。どんな状況であれ、一瞬で弓矢を構える技術を持っているらしい。

 矢は狙い(あやま)たずに射手を仕留めた。達人たる彼女は、この距離なら疲れていても外すことはない。

 ソロンも追撃の火球を放ち、もう一人の射手を仕留めた。

 さすがに、この状況下に至ってアルヴァは目を覚ましていた。


「ん……」


 と、かすかに声を漏らしたが、起き上がる余力はないらしい。体を小さく丸めたまま、この場をしのいでいた。

 脅えているように見えなくもないが、豪胆な彼女のことである。単なる疲労の限界だろう。


 ミスティンがまたも矢を放ち、魔道士を仕留めた。


「よし!」


 と、ソロンが思った瞬間だった。

 倒した魔道士の後ろから、別の一人が杖を構える姿が見えた。物陰に隠れて見落としたのだろう。

 船上の戦いで最も頻繁に使われるのは、炎の魔法である。そのため、火球が来るかと、ソロンは構えたが――


「ぐっ……まずい!」


 実際に杖先から放たれたのは、風の魔法だった。

 吹きつける風を受けて、ソロンの赤髪が揺れる。左手で防ごうとするが、効果は乏しい。ミスティンも風に顔を押されて、顔をしかめていた。

 姿勢の低いアルヴァだけは無事だったが、不安気な顔をしている。


 単なる火球ならば、ソロンの刀でかき消せた。だが風は広い領域を吹きつけてくる。魔力による打ち消しは難しかった。

 それでも、そこまでは大した問題ではなかった。風魔法は殺傷力自体が低いためだ。


 例えば、ナイゼルのような熟練の魔道士になれば、風圧で敵を切り裂くこともできる。

 しかし、大多数の術者はその域まで至らない。敵の体勢を崩したり、矢を跳ね返すといった補助的な用途が精々だ。よって、普段ならそれほど恐れる魔法ではなかった。

 ところが、ソロン達が乗る小舟――これがまずかった。


 小舟は風にあおられて、今にも転覆しようとしていた。

 魔法が強力なのではない。しょせんは吹けば飛ぶような小舟に過ぎなかったのだ。

 刀で炎を送り返したいところだが、向かい風の中では危険極まりない。この舟上では、炎が跳ね返ってきた場合の逃げ場もないのだ。

 ミスティンの弓矢にしても、狙い射つのが困難なのは同じだった。


「う……わわわっ……!」


 均衡を必死で取りながら、ミスティンが悲鳴を上げる。


「飛び込むしかないか……」


 こうなればもう、観念するしかなさそうだ。三人とも竜玉帯をしっかり身に着けている。

 ソロンは右手に持った刀を背中に収めると、舟上に()いつくばるアルヴァの体を左手で抱えた。


「あっ……」


 と、言うか細い声と共にこちらへとしがみついてくる。疲れてはいても、最低限の力は残っているようだ。

 こちらを向いたミスティンと目線が合った。彼女は必死に手をばたつかせていたが、それでも頷き返す余裕を見せた。

 さらなる強風が小舟を襲う。魔道士が次なる風を送り込んできたのだ。


 いよいよ、立っていることも叶わない。

 ついに舟は完全に均衡を崩した。

 これだけの大立ち回りを演出した舟だったが、なんとも呆気ない幕切れだった。


 ソロンはアルヴァを抱えたまま、雲海めがけて跳んだ。

 白い海が目前へと迫る。目をつぶって、着水ならぬ着雲に備える。

 生温かい強風を下から受けたような感触が、全身を打った。濃い霧のように、水分が体を覆う感覚がある。これが雲海に飛び込んだ感触なのだろう。


 続いて体がグッと沈み込む。

 どこまでも沈み続けるような恐怖が、ソロンの脳裏に浮かんだ。だが、すぐに竜玉帯の力強い浮力を腰に感じた。徐々にアルヴァと共に、雲面へと浮かび上がっていく。

 いまだ雲中。薄く目を開ければ、視界に白い世界が広がっていた。やはり、濃い霧の中に近いだろうか。


「ぷはあぁ~」


 雲の上に頭を出したソロンは、思わず息を吐いた。雲海の中でもわずかに呼吸はできるらしいが、慣れていないので呼吸を止めていたのだ。

 すぐそばのアルヴァも目を(またた)いている。今ので意識が覚醒したらしく、ギュッとこちらをつかむ手を強めた。


 少し離れてミスティンが浮かんでくるのが見えた。どうやら無事だったらしい。

 彼女も手を振って返した――いや、手を振ったのではない。その指差す先を見上げれば、敵の船が見えた。こちらを捕獲しようと迫ってきているのだ。


 ソロンはすぐに刀を抜き放った。左手のアルヴァが、動きやすいように少しだけ体を離してくれた。

 雲海に浮かんだ状態では、まともに体勢を整えるだけでも難儀する。強力な魔法を正確に放つだけの余裕はない。せめて牽制だけでも――と、火球を闇雲に連射した。


 うち一発が着弾。敵船から火と黒煙が噴き上がった。しかし、かすった程度であるため、航行能力は奪えなかったようだ。

 それでも、危険だと判断したのか、敵船は諦めて去っていった。

 舟から落ちた以上、こちらは無力だ。放っておいても問題はないと判断したのかもしれない。

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