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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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雷鳥は旗艦を撃つ

 いよいよ、サラネドの軍船のそばを通る。危険はあるが、ここを通らねば旗艦には接近できない。

 遠距離から狙い撃つ方法もあったが、それでは一撃で航行不能に追い込めるかは怪しい。最低でも百歩の距離までは近づきたかった。


「さて、見逃してもらえるでしょうか……」


 アルヴァがつぶやけば、


「行くしかないよ」


 ミスティンが度胸を見せて、舟を強く漕ぎ出した。ソロンもそれに合わせる。

 敵船の合間を縫うように、二人は舟を走らせた。

 右に目をやれば、軍船の甲板(かんぱん)にいる兵士の姿が目に入った。こちらを双眼鏡で観察しているようだ。

 時を置かず、小ぶりな別の軍船が舳先(へさき)を転じる様子が(うかが)えた。転じた先は――


「来たっ!?」


 ミスティンが叫んだ。

 サラネドの軍船はこちらを目がけて進んでくる。やはり見逃してはくれなかったようだ。


「行くよ、ミスティン!」

「了解!」


 ソロンは(かい)を漕ぐ腕に力を込めた。同時に魔力を込めるのも忘れない。ミスティンも同じようにしてくれる。

 先端の竜玉が雲海を押す感覚が伝わる。同時にグッと舟が加速したのが分かった。右から迫る軍船は、難なく振りきれそうだ。

 ところが――


「また来たよっ!」


 左に目を向けたミスティンがまた叫ぶ。一隻を振り切ったかと思えば、次の一隻が迫ってきたのだ。

 進路をやや右へと転じて、次なる敵船も回避する。

 敵船との距離は一定以上を保っている。陸地の尺度でいえば何百歩の距離だろうか。敵にミスティンなみの射手がいるならばともかく、まだ危険はないはずだ。


 こちらの小回りは敵以上に()く。船体が軽い分、速度でも負けることはない。逃げていれば、まず追いつかれはしないだろう。

 だがそれだけでは、目的の旗艦への接近は叶わない。動き回る障害物を避けながら、目的地を目指すのは困難だ。

 情勢は帝国軍にとって圧倒的な不利。悠長に時間をかけていられる余裕はなかった。


「数を減らしましょう。ソロン、お願いできますか?」


 ついにアルヴァは決断を下した。指差した先は、斜め前方から迫る一隻だ。

 こちらから攻撃をしかければ、敵船もこちらを軽視できなくなる。一斉に攻撃をしかけてくるかもしれない。


「分かった」


 それを理解した上で、ソロンは立ち上がった。彼女が決断を下したならば、自分はそれに従うだけだ。


「――ミスティン、舟は任せるよ」

「了解。思いきりやって」


 ミスティンの返事を聞き終わる前に、背中の刀を抜き放つ。

 アルヴァがソロンを指名した理由は簡単だ。矢を放つよりも炎を放ったほうが、敵船に対して効果的だからだろう。アルヴァの雷魔法は元より温存する方針だった。


 ソロンが櫂を放した分だけ、こちらの舟は遅くなった。向かってくる敵船との間隔はまだ遠い。その間に、ソロンは紅蓮の刀へと魔力を込めていく。

 いつもより強く、焼きつくすための魔力を……。ガノンドから伝授された魔法――火球より強力な紅炎の魔法を用意する。


「まだ遠い……。もう少しだけ。…………よしっ!」


 間隔を測り、ソロンは紅蓮の刀を敵船へと向けた。向こうからも弓矢を放てる距離だが、その前に先手を打って片をつける。

 赤光(しゃっこう)と共に、炎が刀から放たれた。

 赤い軌跡を描きながら、炎が敵船へと襲いかかる。炎は踊るように船体へとまとわりついた。


 舳先(へさき)から甲板(かんぱん)。甲板から両舷(りょうげん)に、炎は次々と船体を喰らっていく。

 甲板に姿を見せて、こちらを狙っていた敵兵が驚愕(きょうがく)の表情を浮かべていた。

 爆音を響かせながら、船体が炎上を始めた。こうなれば航行も不可能だろう。狙い通り一撃で撃破できたようだ。


 燃え上がる船を尻目に、ミスティンは冷静に舟を漕いでいた。

 これだけ派手にやったのだ。他の敵船にも、間違いなくこちらが警戒の必要な相手と認識されたはずだ。


「急ぎましょう! 一気に旗艦へ接近します。ソロンもまた櫂を取ってください」

「了解!」


 刀を櫂に持ち替えて、ソロンは力強く漕ぎ始めた。

 櫂へと魔力を込めて、より一層に船を加速させる。ミスティンも同じように必死で漕いでくれる。

 馬の全力疾走に等しい速度は出ていそうだ。

 アルヴァが周囲を見渡している。ソロンは一心不乱に前を見て舟を漕ぐ。右前方から迫る一隻が見えた。


「三隻が来ています。ですが、後方の二隻は追いつけません。右前方の船だけを撃破してください」

「忙しいなあ……。了解!」


 足元に置いた刀を再び手に取り、座ったまま魔力をじっくりと溜める。

 敵船から矢が放たれたが、狙いは大きくそれており回避するまでもない。動き回る小舟へと当てるには、相当な技量が必要なのだ。

 だが、その逆――小舟から見れば、大きな船は格好の的である。的はさきほど焼いた船よりも大きな軍船だった。

 狙いを定めるまでもない。立ち上がるやいなや、まっすぐに刀を軍船へと向けた。


 紅炎の魔法が再び放たれた。雲海の上を大蛇のように炎が這ってゆき、迫る敵船に到達した。

 大きな船ではあっても、紅炎の前には無力だった。またたく間に火炎は船体を焼き、炎の(かたまり)となった。


 雲海が夕焼けのように赤く染まる。

 熱波がここまで伝播して、ソロンの額にも汗が浮かんだ。

 炎をまとってなおも勢いは残っており、船は止まらない。しかし、その末路を見届けもせず、ソロンは再び櫂を手に取った。


 *


 邪魔になる船を焼き払って、舟はついにサラネドの旗艦へと接近した。

 近づけば近づくほどに大きな艦が、こちらと向かい合う。

 他の軍船とは一線を画しており、全長は百歩を大きく超えていそうだ。船というよりは、やはり艦と表現すべきだろう。

 それに対してこんな小さな舟で挑もうなど、普通なら冗談としか思えない。


 しかしながら、今や敵もこちらの本気を疑ってはいないはずだ。ソロンは既に二つの船を撃破しており、敵艦の乗員が警戒していないわけはなかった。

 目安となる百歩の射程には、まもなく到達する。残った問題は位置取りだけだ。船尾へと正確な一撃を見舞うためにも、背後を取りたかった。


「そろそろだよ!」


 ミスティンが合図を出した。

 そして、アルヴァは立ち上がった。

 決して足場がよいとはいえない舟上ではあるが、足を開いて悠然(ゆうぜん)と構える。


「精神集中を開始します。徐々に接近しながら、背面を目指してください。けれど決して側面に近づきすぎないよう」

「任せて!」「了解」


 ソロンとミスティンがそれぞれ返事をする。

 雷鳥のような強大な魔法を発動するためには、精神を研ぎ澄ませる必要がある。

 精々が数分とはいえ、刻一刻と情勢が転じる戦闘では軽視できない時間の長さだ。発動には仲間の助けが必要だった。


 アルヴァは右手の杖を前に突き出し、左手をそれに添える。

 以前にも見た弓のような構えで、魔力を溜め始めた。紅い瞳が閉じられる。こんな状況であっても、外部の刺激を遮断することが肝要なのだ。


 ミスティンには櫂の操作を第一としてもらう。

 よって、その間はソロンがアルヴァを守らなければならない。二人で極力、アルヴァが魔法の集中に専念できるよう立ち回るのだ。


 ソロンはアルヴァにやっていた視線を外し、旗艦を見据えた。

 小舟は艦の右側面を進んでいく。アルヴァの指示通り、大きく距離を取るように気を配る。

 側面とは船体における最も長い部分であり、射手や魔道士を並べることができる。当然、そちらに近づけば狙い撃たれる危険があった。

 それでも――


「撃ってくる……!」


 ソロンは小さく叫んだ。

 艦の右舷(うげん)から、弓矢と魔法がこちらを狙ってきたのだ。

 しかし距離は遠く、狙いは甘い。

 あちらがいるのは、大きく高い艦の甲板だ。すれ違う方向のため、相対速度も速い。こちらを狙うのは至難の業だった。

 矢は雲海に沈み、下界へと落ちた。炎は雲を焼いて、表面を蒸発させるだけに留まった。


 とはいえ、こちらとしても撃たれるがままにしている義理はない。

 ソロンは右手で櫂を握ったまま、左手の刀から火球を放った。

 合計五発。

 敵の妨害をする以上の意図はないため、狙いは適当だ。それでも運悪く、一人の射手へと火球が直撃し炎に包まれた。続いて右舷に着弾した一撃が、黒煙を巻き起こした。

 敵が気を取られている隙にも、ミスティンは舟を漕いでいく。ソロンも片手でその補佐をした。


 *


 まもなく、舟は旗艦の真横に到達した。艦の後尾は既にアルヴァの射線に(とら)えられている。

 旗艦が舳先を転じる様子はない。当然だろう。こちらのような小舟のために、旗艦が戦列を崩すわけにはいかないのだから。

 どのみち転じたところで、小回りが()くこちらを振りきれるわけもない。


「もう少し接近を!」


 アルヴァは杖を構えたまま、そう叫んだ。魔法の威力を減衰させないため、より一層の接近を求めたのだ。

 ソロンとミスティンは息を合わせて、舟を漕ぐ手に力を込めた。舳先を左へ傾けて、旗艦の背面を取ろうと一気に加速する。

 そのせいで敵の射程に近づいた。それでもアルヴァは「もう一息です!」と叱咤する。


 さらに接近すれば狙われる危険はある。だが、小回りの()くこちらに対して、敵がすぐさま対応できるとは思えない。

 二人は思い切って、旗艦の背後へと舟を接近させていく。


 大きな船体がぐんぐんと迫ってくる。

 敵の射撃をくぐり抜け、船は旗艦の背後へと回り込んだ。側面にいた敵の射手が、慌てて後尾へと走り込んでくる。

 しかし、もはや手遅れだ。


「いいですね」


 と、アルヴァは満足そうな笑みを浮かべた。

 次の瞬間に雷鳥が放たれた。

 雷の翼が(くう)を貫きながら、雲海の上を渡っていく。余波を受けた下の雲海が、真っ二つに割れて噴き上がった。

 そして、いかずちは(またた)く間に巨艦へと突き刺さった。


 雷鳥は破壊と共に拡散し、凄絶な光を放つ。

 遠くからでもまばゆいその光景に、ソロンは視線を外した。

 轟音が少し遅れて耳へと届く。今度は慌てて耳をふさいだ。


 スクリューを失った敵艦は動きを止めた。それもそのはず、艦が失ったのはスクリューどころではない。艦尾を丸ごとごっそり持っていかれていたのだ。


 そして――艦が雲海へと沈み始めた。

 どうやら浮力となる竜玉を失ったらしい。単に推進機関が破損しただけなら漂流するだけで済む。しかし、竜玉そのものをやられてしまっては、浮かぶこともできなくなる。

 そうならないように通常、竜玉は艦底へと多めに散らばらせているそうだ。……が、受けた損傷はあまりに巨大で、想定を外れていたのだろう。


 旗艦が雲の中へと飲み込まれていく。

 沈む艦を中心に雲海は、巨大な渦を巻いていた。浮力を失った巨艦は、自らの質量で渦を形成しているのだ。

 艦に積み込まれた避難用の小舟を、兵士達が引っ張り出す様子が見えた。だがそれも、雲海に投じられた時には渦へと巻き込まれてしまう。


 艦の命運は決した。下界へ墜落する定めを、誰も変えることはできなかった。


 今回の作戦の目標は旗艦を大破させ、航行不能にすることだ。ところが、これは文字通りの撃沈である。予想を超えた戦果といってもよい。

 しかし、それをソロンは素直に喜ぶことはできなかった。


「やっぱり乗ってた人も、堕ちていくのかな……」


 そうして、顔を蒼白にしてつぶやいた。戦場に立つ以上、覚悟していたことではある。それにしても、あまりにおぞましい光景だったのだ。


「竜玉帯があれば、渦の中でも浮かんでくるかも……」


 これにはミスティンが答えてくれた。アルヴァは答える余裕もないほど、消耗してうずくまっていたからだ。

 ソロンはミスティンの言葉を信じ、乗員が助かってくれることを祈るしかなかった。


 やがて大渦は消え、静寂が訪れた。

 見るも無残な残骸が、雲海に浮かんでいた。そのそばには、浮き上がる乗員の姿が見えた。恐らくは下に竜玉帯を装着していたのだろう。

 気づいただけで数十人はいる。とはいえ、あれだけ大きな艦のことだ。どれだけの人数が元々乗っていたのかは、ソロンにも分からなかった。


 雷鳥の魔法は、旗艦の向こうにあった船も巻き込んだらしい。既に原型が留めないものもあったので、何隻かを数えるのは困難だった。

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