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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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雲海を駆ける

 雲海の上を舟はすいすいと進んでゆく。後ろを振り向けば、次第に小さくなっていく港が見えた。


 舟旅は至って快調だった。

 船体と雲の間に大きな摩擦が発生しないため、滑るように進んでいける。雲と船体がこすれる音はかすかなもので、聞こえるのは風を切る音ばかり。

 実際の速度は、人間の全力疾走ぐらいだろうか。


 とはいえ、大きな竜玉船と違って、小舟から雲面までの距離はずっと近い。それゆえに体感速度も相当なもので、風に吹かれた髪が乱れていた。

 乗馬に慣れた三人でなければ、恐怖を感じる速度だったかもしれない。


「しばらくはこのまま直進しましょう。うかつに近づいて、敵船から注目されないように。……旗艦の横を通りすぎたのち、背後から狙い撃ちます」


 前方を指差しながらアルヴァが指示を出す。今は帽子を外しているため、黒髪が風の中を流れていた。


「見えたっ!」


 と、ミスティンが叫んだ。


 遠く左前方に、敵の旗艦の影が映っていたのだ。

 離れていても、大きな船はよく目立った。その周囲を囲むように敵の軍船が点在していた。合計で十隻は間違いなく超えている。

 そしてそれらと対峙するように、帝国の軍船が向かい合っていた。……が、五隻あるうちの三隻は既に黒煙を噴いており、もはや劣勢を(くつがえ)せないのは明らかだ。


 空は晴れ渡っており、視界を遮る(きり)はない。敵の配置は、離れていても手に取るように把握できた。……もっとも、天気晴朗というのは、よいことばかりではない。


「天気がいいのは結構だけど、近づいたらこっちも丸見えになるね」


 ソロンが懸念を声に出せば、アルヴァも相槌(あいづち)を打った。


「仕方ありません。雲上を隠れて進むのは、土台不可能ですから。……ですが、こちらは小回りも()きますし、速度も申し分ありません。さすがに全ての敵船が狙ってくるとは思えませんから、なんとか逃げおおせましょう」


 今はまだ出番ではないとはいえ、決着をつけるのはアルヴァの魔法だ。重大な役目を背負った彼女は、どこか緊張した面持ちをしていた。


「はた目には女子供が乗った小舟にしか見えないし。避難民と思って、見逃してくれないかなあ」


 ミスティンは呑気に楽天的な見通しを語った。

 女はともかく、子供とはソロンのことだろうか。これでも立派な成人のつもりだが……。


「難しいですね。女子供でも、どこかへ救援を要請する役目は果たせますから。ただ帝国船との戦いに必死で、余裕がないことを願いましょう。もしかしたら、敵がミスティン並の楽天家である可能性も皆無ではありませんし」

「皮肉を言わないの」


 振り向いたミスティンが口をとがらせていた。


 二人が漕いで、舟は進んでいく。

 まだ距離は遠い。大きな軍船の甲板(かんぱん)から見ても、こちらは米粒程度にしか視認できないだろう。戦いで必死な敵軍によって、発見される危険はまずなかった。


「今のうちに慣れておいてください。接近してからは迅速に行動しなくてはなりませんから」


 アルヴァが注意した通り、この状況がいつまでも続くわけではない。敵船との戦いに突入してからは、それこそ命懸けでの逃走劇を覚悟すべきだ。


「了解」


 ソロンが相槌を打てば、アルヴァはなおも続ける。


「そして、ここからが本題ですが……。竜玉も魔石の一種です。いざという時、(かい)に魔力を流せば反発力を高められますよ」

「それは……もっと加速できるってこと?」

「はい。舟が軽量なのも有利です。機械化された大型の竜玉船よりも、よほど速度が出るはずです」

「なるほど、練習してみる」


 頷いたソロンは、ミスティンと二人で練習に取りかかった。土壇場にも程があるが、やらないよりはマシだろう。

 先端に竜玉を付けた櫂は、先端に魔石を付けた杖とほぼ同じ構造になっている。つまりは同じ要領で魔力を流せばよいのだ。


 目的の旗艦まではそれなりの距離があった。

 だが魔力を使って漕いだ小舟は、馬のように速かった。視界に映る旗艦が見る見る大きくなってくる。

 ソロンも舟を漕ぐコツが、段々とつかめてきた。魔力による操作もうまくいきそうだ。しかしそれも、もっと接近するまで温存しようと決めた。


「ちょっと楽しいかも」


 櫂を漕ぎながら、ミスティンがそんなことを口走った。

 金色の髪が風になびいて、フラフラとゆれている。空の色を映した瞳を心地よさそうに細めていた。


「気持ちは分かるけど、もうちょっと緊張感持ちなよ」

「でも、綺麗な景色で風を切って運動するのは楽しいよね」


 ソロンが苦言を呈しても、ミスティンはいつも通りのどこ吹く風。

 実際、ここが戦場だと忘れてしまいそうな心地よさだった。

 手が届くような間近で見る雲海は美しかった。透き通った雲面に、(うら)らかな日射しが差し込んでいる。そこには薄っすらと青い空が映し出されていた。

 ここまで港から離れれば、海底ならぬ雲底に陸地が続いている可能性はないだろう。日射しは雲海を突き抜けて、下界を照らしているのだ。


「あなたはいつも気楽で、幸せそうですね」


 皮肉と羨望(せんぼう)を交えてアルヴァが返す。


「だって、深刻になっても仕方ないし。アルヴァも力抜きなよ。敵の船まではもう少し時間あるんだから」


 ミスティンはアルヴァを気遣う余裕すら見せた。天然なのか、ミスティン一流の心配りなのか、判断がなかなか難しい。


「……それもそうですね。少し気を張りすぎたかもしれません」


 ともかく、アルヴァもそれなりの納得を示した。今の会話で多少は緊張もほぐれたらしい。


「うん。天気もよくて、お天道様が気持ちいいし、こんな所でお昼寝したらサイコーだと思うよ」

「ここ戦場なんだけど……」

「分かってる。今度は平和な時に乗りたいなあ……」

「戦いが終われば、後で機会はありますよ」

「そうだね、アルヴァも漕ぐ機会がないのはかわいそうだよ。本当なら、こういうのは代わりばんこでやるもんだし」

「かわいそうも何も、アルヴァは舟を漕ぎたいなんて一言も言ってないけど……」

「えっ、漕ぎたくないの?」


 ミスティンはさも意外そうに驚いた。


「……興味はありますよ。私が一番非力なので、今はお任せしますが」

「そ、そうなんだ……。じゃあ、終わったらまた来ようか」


 思えば彼女も、ミスティンに負けじと好奇心旺盛なところがある。さして意外ではなかった。


「そうそう、三人でデートだね」


 ミスティンが嬉しそうにほほえんだ。

 デートは三人でやるものではないとか、やっぱりグラットはハブるのかとか。突っ込みたいことは色々あった。

 しかし、ソロンもアルヴァも苦笑しただけだった。今は来たるべき決戦に専念する時なのだから。


 *


 雲海の戦場が近づいてきた。

 やがて、数多くの船影が明確な実像となって視界に映った。


「思ったよりも小さいね」


 ミスティンが感想を漏らした通り、意外と小ぶりな船が多かった。先端がとがっているのは、やはり突撃を行うためだろう。

 既に三人とも臨戦態勢に入っている。ここまで来れば、いつ発見されるともしれなかった。


「接近戦を主体とするならば、小回りが()く船のほうが便利ですからね。軍船といっても、実際は交易船より小さなものも多いぐらいです。弓や魔法での攻撃が大人数でできるなら、大型船も利点はありますけれど」


 いつものようにアルヴァが解説してくれる。


 両軍の船が戦う姿も、今や明確になっていた。船の国籍を間違えることはもはやない。

 見る限り、帝国船は消極的な戦いに終止していた。距離を取って、弓や魔法での攻撃をしかけている。

 衝角による接近戦は決して行わず、サラネド側にもさせないようにしていた。やはりガゼット将軍の帰還を願い、時間稼ぎをしているのだろう。


「まずは帝国船の陰に隠れましょう。サラネド側には見つからないように」


 アルヴァは注意をうながしたが、


「大丈夫? 帝国の船も間違えて、こっちを狙ってこないかな?」


 ソロンは懸念を述べた。

 戦場では常に同士討ちの危険が伴う。決して無視できる要素ではないのだ。ましてや、今のソロン達は正規の軍属ではない。


「少なくとも、こちらの姿を見ればサラネド人とは思わないでしょう。何より劣勢の帝国軍に、そんな余裕があるとは考えられません」


 アルヴァやミスティンはもちろん帝国人だ。イドリス人たるソロンも、人種的には帝国人とほぼ変わりない。サラネド人とは歴然とした差があった、


「それもそうか」


 と、ソロンは納得する。

 もっとも、船の上から人種の差を見極められるのかという心配もある。絶対とは言い切れないが、結局は腹をくくるしかなさそうだ。

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