アルヴァネッサ
「皇帝陛下のアルヴァネッサ様だ」
呆然とするソロンを見かねて、ラザリックが補足してくれた。
ソロンは言葉を失った。
想像していた以上に若く、可憐な姿に驚きを隠せない。とてもこの人物が、帝国の最高権力者だとは信じられなかった。
「そ、それは……失礼しました! まさかそこまで偉い人だとは思ってませんでしたので!」
ソロンは平伏する勢いで謝った。もっとも手はふさがっているので、首の動きだけである。
「まあ、構いませんが……。まだ若い身空ゆえ、侮られるのも仕方ないところではあります」
「ははあ……でも、そんな偉い人がどうしてあんなところへ……?」
神鏡があるはずだった屋上は、城内でも孤立した位置にあるはずだ。騒ぎを聞いて駆けつけるにしても、あまりに動きが早かった。
「あんなところも何も、あそこは私の部屋の真上です。妙に騒がしいので気になって来たら、あの有様でした。私の部屋の窓を叩いたのはあなたですね」
屋上へよじ登る途中、ソロンはどこかの部屋の窓へ膝をぶつけたのだ。よりにもよって、部屋の主は城の主だったわけだ。
「……なるほど、納得しました」
「それは何よりです。改めて名乗らせていただきましょう。ネブラシア帝国第七十一代皇帝――アルヴァネッサ・サウザードと申します。それで、あなたは?」
目の前の娘は、噂に名高いかの紅玉帝その人だった。まさしく宝石のような紅い瞳こそが、その呼称の由来だろう。
今更になって気づくとは、自分の鈍感さを思い知らされる。
「えっと、僕はセドリウスの子――ソロニウスと申します。ほとんどの場合は、ソロンと呼ばれていますが……」
ここに至って、ソロンはようやく名乗った。
ひょっとしたら、ここでの出来事は父の名に泥を塗ってしまうかもしれない。そんなことを考える前に、条件反射でソロンは答えてしまった。
人に名乗られたら、自分も名乗り返すのは当然の礼儀なのだ。
「時代錯誤――と言っては失礼かもしれませんが、随分と古風な名乗りですね」
奇妙なものでも見るように、アルヴァはこちらを眺めていた。
それで、ソロンもハッと気づく。
「あ、えっと……。すみません、田舎生まれなもので……。故郷だと、こういう名乗りが普通なんです」
「田舎だから、という次元ではないと思いますが……。故郷はどちらですか?」
「イドリスです」
段々とまずい方向に話が進んできたが、聞かれたことには答えねばならない。
「…………聞き覚えがありませんわね」
「それはもう、田舎ですから」
お決まりの言い訳でソロンは応じたが、
「ふ~む……」
アルヴァは疑り深い目でこちらを見つめる。
「――イドリスとは、どの辺りの場所になりますか? 本島の地名でしょうか?」
「比較的近い場所を挙げれば、カプリカ島のタスカートになりますが……」
タスカートとは帝都へ向かう際に、経由した港町である。この発言はウソではない。……ただし、肝心なところも省いていたが。
「はぁ……」
ところが女帝は全く疑いの目をゆるめなかった。一辺たりとも信じていない目つきである。
「陛下、もしやこの少年――山窩の類ではないでしょうか?」
ラザリックが意見を述べた。山窩というのは、恐らく国家に属していない漂流民のことだろう。もちろん、的外れな意見である。
「その可能性は否定できませんが……。山窩にしては知性があるように見えます。私の見立てでは、この少年はそれなりの教育を受けているのではないかと」
「ならやはり、他国の諜報では……。いやはや、埒が明きませんな。多少の拷問をかけたほうが、手っ取り早いのでは?」
しびれを切らしたラザリックが、よからぬ提案を口にする。
「まだ、子供のようなものですが……。ならば、私が試してみましょう」
女帝は一瞬だけ躊躇したものの、なぜか乗り気になる。
ソロンを置いてけぼりにしたまま、話が不穏な方向に進んでいく。
「陛下! 御手をわずらわせることではありますまい。こんな小僧、私にかかれば指の一本や二本で白状しますよ」
「いいえ、私が行います。首輪を用意してください」
アルヴァの命令で、兵士が部屋を出ていった。
「小憎、痛い目を見ないうちにさっさと白状するんだな」
ラザリックは勝ち誇った笑みを浮かべて、ソロンを見下した。
「あのう、僕としては正直に話してるんですが……」
ソロンのささやかな抗議は黙殺された。
やがて、兵士が首輪を持って戻ってきた。白い金属で作られているという以外に、取り立てて特徴はない。
その首輪を女帝が受け取った。
「先に聞いておきますが、持病などはありませんか?」
「はい?」
突拍子もない質問に、ソロンの声は上ずった。
「例えば、心臓が悪いなどという問題はありませんか? あるいは、走ればすぐに息切れするようなことは?」
「へっ? 至って健康体ですけど? じゃなかったら、城に忍び込めるわけないですよ」
ソロンは馬鹿正直に回答した。
「ごもっともです。それはよかった」
アルヴァは満足したようで、首輪を兵士へと返した。さらに兵士がそれをソロンの首へと装着する。
冷えた金属の感触が首へとかかった。
この首輪が拷問器具なのだろうか。恐怖がソロンの背筋を走っていく。
「あの、さっきの質問に何の意味が……?」
「誤って殺してしまっては拷問になりませんから」
いかにも平静に女帝は答えた。そうして杖を突き出し、ソロンの首へと向ける。
突如、体中を電流が走り回った。
心臓が止まるのではないかという恐怖。
首輪から電気が流れてきているのだ。
「あ、あ、あ……!」
反射的に首へ手をやろうとするが、残念ながら両手ともに塞がっている。
「それであなたの飼い主は誰ですか?」
「だから、そんなのいないっ――て! うぐ……ああぁぁぁ!」
ソロンは顔面に苦痛を表現し、悲鳴を漏らす。
それでも目の前の女帝は顔色一つ変えない。ただ杖先を向けて電撃を流し続けた。
*
「ううむ、これだけ傷めつけても吐かないか……」
続く拷問に耐えたソロンを見て、ラザリックがつぶやいた。
「ですから、本当なんですよぅ……」
涙目でソロンは訴えた。
実際には隠していることもあるのだが、白状したところで余計立場を悪くするだけだろう。
「仕方ありません。今夜はここまでにしましょう」
「了解しました。それでは、明日は私が拷問にかけましょう。皇城への侵入は極刑もありえる罪……お任せいただいてよろしいですね?」
要するに拷問で死んでも構わないか――と、ラザリックは聞いているのだ。
「それには及びません。この者の処遇は私が決めます」
「はっ……。御意のままに」
権力には逆らえないのか、ラザリックはあっさりと引き下がった。
「ふぁ……」
そこまで言ったところで、アルヴァは上品に口をふさいで横を向いた。何かと思えば、あくびを隠しているらしい。
ソロンに至っては、激しい苦痛で一切の眠気が吹き飛んでいる。器の大きさが違うのかもしれない。
「あのぅ……。すみません、こんな時間に起こしてしまって……」
ソロンはとりあえず謝っておくことにした。生殺与奪を握られている以上、ここは下手に出るしかない。
「全くですわね……。処遇は明日決めるとして、今晩は牢で過ごしてもらいます。異議はありませんね?」
泥棒は犯罪である。それはソロンも自覚していたため、異議は挟めなかった。
そうして、ソロンは冷たい地下牢で夜を過ごすのだった。