起死回生の一手
再び訪れた小休止。
ベオを守る警備兵の姿は、目に見えて減っていた。二度の激戦を経て、多くが命を落とし、あるいは怪我をしたのだ。かろうじて五十よりは多い程度だろうか。
残った者も無傷であるのは数少なかった。包帯を巻いたまま剣や槍を持つ者も、幾人と見られた。
赤い羽飾りを兜につけた警備隊長も、いまだ戦場に立っていた。しかし彼も、無傷ではいられなかったようで、右手に包帯を巻き、左手だけで采配を振っていた。
「これで終わると思う?」
抜身の刀を下げたまま、ソロンはグラットへと尋ねた。二度あることは三度ある。再度の襲撃はあり得るのだろうか。
「あると考えたほうがいいだろうな。下手すりゃ次は、もっと来るぜ」
肩で息をしながらグラットは答えた。
顔も装備も汗と血にまみれており、その疲労は色濃い。彼と比べれば、途中から参戦したソロン達の疲労はまだ軽かった。
戦力の逐次投入は愚策……。それは敵にしても常識である。
第一陣に第二陣――いずれも町の警備隊を相手取るには、過剰な程の戦力だったのだ。それを持ちこたえたのは、ソロン達の奮戦に他ならない。
そして、今となっては敵も、ソロン達の手強さを把握しているはずだった。再度の襲撃があるならば、それすらも凌駕する戦力を投入してくる可能性が高い。
「戦線の放棄も検討すべきでは? 一旦は落ち延びて、ガゼット将軍の帰還を待つべきしょう」
ついにナイゼルは提案した。もっとも、それはソロンも考えていたことだった。
ガゼット率いる帝国軍が雲賊の討伐へ向かった地点までは、それなりの距離がある。一時間や二時間で、帰還すると考えるのは楽観に過ぎた。
よって、ここを放棄して逃げるほうが、ずっと現実的だったのだ。
もちろん、ソロン達の誰一人として隊の指揮を執る権限を持ってはいない。アルヴァにしても、今は一介の魔道士に過ぎないのだ。
だが今や、戦いの中枢を担っているのは明白にソロン達であり、それは誰の目にも明らかだった。警備隊長に進言すれば、その意向を無視はできないだろう。
けれど、グラットは苦々しい表情を浮かべた。
「だがよお。それじゃあ、基地の奴らを見捨てることになっちまうぜ。町だって焼かれちまうかもしれん」
かつて軍に所属したグラットは、基地に残った者達へ深い情を持っていた。
アルヴァは悲しげな表情を浮かべながら、横に首を振った。
「グラット……。時には非情な決断も必要ですよ。私達がここで玉砕をしても、彼らを助けることは叶いません。結果的に、何もかもを失っては元も子もありません。今は撤退すべきでしょう」
非情な決断を下す必要性を、アルヴァが最も理解していた。わずか一年とはいえ、少し前までは彼女こそが、この国の最高責任者だったのだから。
「ああ、そうだなあ……。逃げるしかないか……」
アルヴァの苦悩をグラットもよく理解していた。だから、さほどの抗弁はしなかった。
そうしてグラットは、自ら警備隊長に歩み寄った。
当初は部外者だったグラットだが、それを怪しむ者はもういない。共に戦い、死線をくぐったという事実が、わずかな時間で信用を築いたのだ。
「隊長さん。ここはもう無理だ。逃げるとしようぜ」
突如、声をかけられて警備隊長は驚いたようだったが、
「それは……無理だ。我々が退いては、基地の仲間を見捨てることになる。ここで敵の一部を引きつけるだけで、基地の者達にとっては助けになるからな」
その口振りは真摯であり、こちらの意見を部外者だからと退ける様子もない。けれど、彼にも譲れない一線があるのだ。
「だからって、このままじゃあ犬死だぜ。死ぬにしても、もうちょっと報われるやり方があるだろ」
なおも、グラットは説得を試みるが――
「そうか……。ならばお前達は逃げてくれ。軍属でない身でありながら、よくぞそこまで戦ってくれた。軍の者でも、逃げたい者がいるなら逃げるがいい」
警備隊長は周囲を見渡しながら、そう答えた。
残った警備隊の者達に逃げようとする意志は見られない。皆、ここまで奮戦した勇士なのだ。
「愚かですよ……!」
アルヴァは悲痛な声で吐き捨てた。かつての臣民達が死にゆく姿を見ていられないのだ。
彼女には、非情な決断を下すだけの決断力があった。しかし、心の中までも非情なわけではないのだ。
グラットは「そうか……」とつぶやくなり、こちらを見た。
「付き合ってもらって悪かったな。お陰で住民の避難をする時間は稼げたと思う。だがこれ以上は無理だ。みんな逃げてくれよ」
グラットは逃げずに戦う決意を固めたようだ。仲間の兵士達を見捨てられないのだろう。
「そうはいきません」
「おい、お姫様。あんたはこんなところで死んでいい人間じゃねえだろ! あんたは十分優秀なんだ。どんな立場になったって、やれることはあるはずだろ! あんたが逃げねえと、そいつらも逃げねえだろうが!」
叫ぶグラットだったが、アルヴァはこの状況下でもゆるりと首を振る。
「死にませんよ。あなたも私も。だから――玉砕は許しません。生き延びる方法を考えましょう」
ソロンは頷いた。
「同感だ。僕だって諦めたくない。……いっそ攻撃に出たらダメかな?」
無謀かと思えるソロンの提案だったが、ナイゼルは気に留めたようだ。
「ふむ。いかに守るかばかり考えていましたが……。ですが攻撃は最大の防御とも言います。敵の旗艦を沈黙させてしまえば、追い払うこともできるかもしれません」
「しかし……あそこまでは距離が遠すぎて――」
ためらうアルヴァだったが、すぐに首を振った。
「――いえ、この状況なら悪い選択ではありません。どうせ守るばかりでは先が見えています」
「できるのか!?」
大胆不敵な作戦にグラットが驚く。
言うは易し。だが、軍船の――それも旗艦を沈黙させるなど並大抵のことではない。
「私は竜玉船の仕組みに詳しくはありませんが……。けれど、アルヴァさんのあの魔法なら――」
ナイゼルの視線を受けて、アルヴァが頷く。
「推進機関を破壊すれば可能でしょう。小舟か何かで旗艦に近づく必要はありますが」
「そんなことできるんだ!?」
今度はソロンが叫んだ。
「まあ、スクリューを狙うって考えは悪くないな。……が、問題は旗艦にどうやって近づくかだ。敵もバカじゃない。簡単には接近できねえぜ」
竜玉船に詳しいグラットは、懸念を持ちながらも理解を示した。
「少人数で隠密裏に進まねばなりませんね。どのみち、人数を割くだけの余裕もありませんが……」
アルヴァが言えば、ソロンは悩まず即答する。
「僕が行くよ」
サンドロスに、アルヴァを守るよう指示されていたこともある。けれどそれ以上に、彼女を守るのは自分の役目だと決めていた。
「ソロン、一緒に来ていただけますか?」
「もちろん」
「二人が行くなら私も!」
すかさずミスティンも挙手をする。
二人への好意を隠さない彼女にも、迷いの影は見えなかった。
それどころか、輝くばかりの笑みを浮かべている。そこに戦場へ向かう悲愴さはない。友達と遠足に行くような気楽さすら窺えた。
必然的に残った者達は、この場の防衛を続けることになる。
「あっ、でも……。ナイゼルと先生、みんなは――」
イドリスから来た面々は、そもそも町のために命を懸ける理由がない。任せてよいのだろうか?
「我々のことなら心配無用ですよ。比較的に余力もありますからね。そして何より――この私が坊っちゃんを見捨てて、逃げるなんてことはあり得ません」
「わしも同じじゃ。久々に帝国のために戦えて、満足しておるわい。まあ、まだ死にたくないから無理はせんがな。せいぜい長引かせてやるわい」
ナイゼルもガノンドも協力を約束してくれた。四人の兵士達も元より勇敢な者達だ。引き続き戦ってくれるらしい。
「すまん……。俺も行きたいところだが、警備隊のみんなと戦うと決めたからな。……だから、そっちは任せるぜ。お姫様はお前らが守れよ」
グラットがソロンの肩を叩いて激励してくれる。
「うん、がんばってみる」
ソロンらしい返事をしてみれば、
「おいおい、もっと男らしい返事を頼むぜ。まっ、お前らしいけどよ」
と、苦笑を返された。
「まっ、我々もいるので心配はいりませんよ。このナイゼル、場を持たせるための姑息な手段は大の得意ですから」
「得意気にいうことではないと思うがのう……」
「いいえ、この場では心強い言葉です。戦場においては、突き進むばかりが能ではありませんから」
アルヴァは心から、ナイゼルを褒めているようだった。知恵者同士、通じるところがあるらしい。
「それでは父さん、雲岸に穴を掘るところから始めましょうか。精々、進軍に邪魔な地形へ変えてやりましょう。景観を汚すのは少しばかり忍びないですがね……」
「ほほほ、任せておけ」
ナイゼルとガノンドは顔を見合わせるや、よく似た悪巧みの表情を浮かべるのだった。
まだ敵の第三陣はやって来ない。行くなら今しかないだろう。
「じゃ、行ってくるよ!」
「おう! こっちは任せろ! 散々、暴れてやるからな!」
*
名残を惜しむ余裕もなく、グラット達と別れた三人は走り出した。
ソロンを先頭にミスティンとアルヴァが続いた。まずは町中を駆け抜けて、港を目指すのだ。
走りながらもソロンは、アルヴァに作戦を確認する。十分に計画を詰める時間がなかったのだ。
「舟の調達はどうするの? 旗艦にはそれで近づくんだよね?」
「港に行けば、小舟の類はいくらでもあるはずです。漁師はたくさんいますし、軍も作業用の小舟を置いています。それを拝借しましょう」
アルヴァが悩まずにすらすらと答える。走ってはいても、思考に乱れはないようだ。
「っていうか、操縦できるのかな?」
「原始的な櫂船なので問題ないでしょう。……舟を漕いだ経験は?」
「水の舟だったら」
ソロンには、イドリスの川や海で舟を漕いだ経験があった。それについては問題ない。
「――けど、雲海の舟はさすがに経験ないよ」
「大丈夫。行けば分かるよ。今は急ごう」
ミスティンに肩を叩かれたので、ソロンも質問をやめた。
「分かった。信じるよ」
だから、それだけを答えた。彼女達は問題ないと確信している。ならばソロンはそれを信じるだけだった。
坂を駆け上がってから、町中を東へと進んでいく。
朝に始まった襲撃であったが、既に日は高く昇ろうとしていた。
町は不気味なくらい静かで、ただ雲海から吹く風が木々を揺らしていた。サラネド兵もいなければ、住民もいない。既に皆どこかに避難していったのだ。
「基地のみんなは無事なのかな……?」
ソロンは先日、期せずして基地の内部を見学することになった。その時に見かけた兵士達の姿を思い出す。
「何もわからないのが、歯がゆいですね。基地が陥落していては、もはや取れる戦法はありませんから。何とか持ちこたえていただかないと……」
これが将校だったならば、連絡の兵をやって戦況の把握に努めただろう。だが、戦場のまっただ中にいるソロン達に戦況を知るすべはない。
しかし、一兵卒にとってはそれが当然なのだ。多くの者は戦場において指揮官に従い、ただ前を見て戦うだけだ。
かつては戦場全体を見渡す立場にいたアルヴァは、その歯がゆさを痛感しているようだった。