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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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起死回生の一手

 再び訪れた小休止。

 ベオを守る警備兵の姿は、目に見えて減っていた。二度の激戦を経て、多くが命を落とし、あるいは怪我をしたのだ。かろうじて五十よりは多い程度だろうか。

 残った者も無傷であるのは数少なかった。包帯を巻いたまま剣や槍を持つ者も、幾人と見られた。


 赤い羽飾りを兜につけた警備隊長も、いまだ戦場に立っていた。しかし彼も、無傷ではいられなかったようで、右手に包帯を巻き、左手だけで采配を振っていた。


「これで終わると思う?」


 抜身の刀を下げたまま、ソロンはグラットへと尋ねた。二度あることは三度ある。再度の襲撃はあり得るのだろうか。


「あると考えたほうがいいだろうな。下手すりゃ次は、もっと来るぜ」


 肩で息をしながらグラットは答えた。

 顔も装備も汗と血にまみれており、その疲労は色濃い。彼と比べれば、途中から参戦したソロン達の疲労はまだ軽かった。

 戦力の逐次(ちくじ)投入は愚策……。それは敵にしても常識である。


 第一陣に第二陣――いずれも町の警備隊を相手取るには、過剰な程の戦力だったのだ。それを持ちこたえたのは、ソロン達の奮戦に他ならない。

 そして、今となっては敵も、ソロン達の手強さを把握しているはずだった。再度の襲撃があるならば、それすらも凌駕(りょうが)する戦力を投入してくる可能性が高い。


「戦線の放棄も検討すべきでは? 一旦は落ち延びて、ガゼット将軍の帰還を待つべきしょう」


 ついにナイゼルは提案した。もっとも、それはソロンも考えていたことだった。

 ガゼット率いる帝国軍が雲賊の討伐へ向かった地点までは、それなりの距離がある。一時間や二時間で、帰還すると考えるのは楽観に過ぎた。

 よって、ここを放棄して逃げるほうが、ずっと現実的だったのだ。


 もちろん、ソロン達の誰一人として隊の指揮を執る権限を持ってはいない。アルヴァにしても、今は一介の魔道士に過ぎないのだ。

 だが今や、戦いの中枢を担っているのは明白にソロン達であり、それは誰の目にも明らかだった。警備隊長に進言すれば、その意向を無視はできないだろう。

 けれど、グラットは苦々しい表情を浮かべた。


「だがよお。それじゃあ、基地の奴らを見捨てることになっちまうぜ。町だって焼かれちまうかもしれん」


 かつて軍に所属したグラットは、基地に残った者達へ深い情を持っていた。

 アルヴァは悲しげな表情を浮かべながら、横に首を振った。


「グラット……。時には非情な決断も必要ですよ。私達がここで玉砕をしても、彼らを助けることは叶いません。結果的に、何もかもを失っては元も子もありません。今は撤退すべきでしょう」


 非情な決断を下す必要性を、アルヴァが最も理解していた。わずか一年とはいえ、少し前までは彼女こそが、この国の最高責任者だったのだから。


「ああ、そうだなあ……。逃げるしかないか……」


 アルヴァの苦悩をグラットもよく理解していた。だから、さほどの抗弁はしなかった。

 そうしてグラットは、自ら警備隊長に歩み寄った。

 当初は部外者だったグラットだが、それを怪しむ者はもういない。共に戦い、死線をくぐったという事実が、わずかな時間で信用を築いたのだ。


「隊長さん。ここはもう無理だ。逃げるとしようぜ」


 突如、声をかけられて警備隊長は驚いたようだったが、


「それは……無理だ。我々が退いては、基地の仲間を見捨てることになる。ここで敵の一部を引きつけるだけで、基地の者達にとっては助けになるからな」


 その口振りは真摯(しんし)であり、こちらの意見を部外者だからと退ける様子もない。けれど、彼にも譲れない一線があるのだ。


「だからって、このままじゃあ犬死だぜ。死ぬにしても、もうちょっと報われるやり方があるだろ」


 なおも、グラットは説得を試みるが――


「そうか……。ならばお前達は逃げてくれ。軍属でない身でありながら、よくぞそこまで戦ってくれた。軍の者でも、逃げたい者がいるなら逃げるがいい」


 警備隊長は周囲を見渡しながら、そう答えた。

 残った警備隊の者達に逃げようとする意志は見られない。皆、ここまで奮戦した勇士なのだ。


「愚かですよ……!」


 アルヴァは悲痛な声で吐き捨てた。かつての臣民達が死にゆく姿を見ていられないのだ。

 彼女には、非情な決断を下すだけの決断力があった。しかし、心の中までも非情なわけではないのだ。

 グラットは「そうか……」とつぶやくなり、こちらを見た。


「付き合ってもらって悪かったな。お陰で住民の避難をする時間は稼げたと思う。だがこれ以上は無理だ。みんな逃げてくれよ」


 グラットは逃げずに戦う決意を固めたようだ。仲間の兵士達を見捨てられないのだろう。


「そうはいきません」

「おい、お姫様。あんたはこんなところで死んでいい人間じゃねえだろ! あんたは十分優秀なんだ。どんな立場になったって、やれることはあるはずだろ! あんたが逃げねえと、そいつらも逃げねえだろうが!」


 叫ぶグラットだったが、アルヴァはこの状況下でもゆるりと首を振る。


「死にませんよ。あなたも私も。だから――玉砕は許しません。生き延びる方法を考えましょう」


 ソロンは頷いた。


「同感だ。僕だって諦めたくない。……いっそ攻撃に出たらダメかな?」


 無謀かと思えるソロンの提案だったが、ナイゼルは気に留めたようだ。


「ふむ。いかに守るかばかり考えていましたが……。ですが攻撃は最大の防御とも言います。敵の旗艦を沈黙させてしまえば、追い払うこともできるかもしれません」

「しかし……あそこまでは距離が遠すぎて――」


 ためらうアルヴァだったが、すぐに首を振った。


「――いえ、この状況なら悪い選択ではありません。どうせ守るばかりでは先が見えています」

「できるのか!?」


 大胆不敵な作戦にグラットが驚く。

 言うは易し。だが、軍船の――それも旗艦を沈黙させるなど並大抵のことではない。


「私は竜玉船の仕組みに詳しくはありませんが……。けれど、アルヴァさんのあの魔法なら――」


 ナイゼルの視線を受けて、アルヴァが頷く。


「推進機関を破壊すれば可能でしょう。小舟か何かで旗艦に近づく必要はありますが」

「そんなことできるんだ!?」


 今度はソロンが叫んだ。


「まあ、スクリューを狙うって考えは悪くないな。……が、問題は旗艦にどうやって近づくかだ。敵もバカじゃない。簡単には接近できねえぜ」


 竜玉船に詳しいグラットは、懸念を持ちながらも理解を示した。


「少人数で隠密裏(おんみつり)に進まねばなりませんね。どのみち、人数を割くだけの余裕もありませんが……」


 アルヴァが言えば、ソロンは悩まず即答する。


「僕が行くよ」


 サンドロスに、アルヴァを守るよう指示されていたこともある。けれどそれ以上に、彼女を守るのは自分の役目だと決めていた。


「ソロン、一緒に来ていただけますか?」

「もちろん」

「二人が行くなら私も!」


 すかさずミスティンも挙手をする。

 二人への好意を隠さない彼女にも、迷いの影は見えなかった。

 それどころか、輝くばかりの笑みを浮かべている。そこに戦場へ向かう悲愴さはない。友達と遠足に行くような気楽さすら(うかが)えた。

 必然的に残った者達は、この場の防衛を続けることになる。


「あっ、でも……。ナイゼルと先生、みんなは――」


 イドリスから来た面々は、そもそも町のために命を懸ける理由がない。任せてよいのだろうか?


「我々のことなら心配無用ですよ。比較的に余力もありますからね。そして何より――この私が坊っちゃんを見捨てて、逃げるなんてことはあり得ません」

「わしも同じじゃ。久々に帝国のために戦えて、満足しておるわい。まあ、まだ死にたくないから無理はせんがな。せいぜい長引かせてやるわい」


 ナイゼルもガノンドも協力を約束してくれた。四人の兵士達も元より勇敢な者達だ。引き続き戦ってくれるらしい。


「すまん……。俺も行きたいところだが、警備隊のみんなと戦うと決めたからな。……だから、そっちは任せるぜ。お姫様はお前らが守れよ」


 グラットがソロンの肩を叩いて激励してくれる。


「うん、がんばってみる」


 ソロンらしい返事をしてみれば、


「おいおい、もっと男らしい返事を頼むぜ。まっ、お前らしいけどよ」


 と、苦笑を返された。


「まっ、我々もいるので心配はいりませんよ。このナイゼル、場を持たせるための姑息な手段は大の得意ですから」

「得意気にいうことではないと思うがのう……」

「いいえ、この場では心強い言葉です。戦場においては、突き進むばかりが能ではありませんから」


 アルヴァは心から、ナイゼルを褒めているようだった。知恵者同士、通じるところがあるらしい。


「それでは父さん、雲岸に穴を掘るところから始めましょうか。精々、進軍に邪魔な地形へ変えてやりましょう。景観を汚すのは少しばかり忍びないですがね……」

「ほほほ、任せておけ」


 ナイゼルとガノンドは顔を見合わせるや、よく似た悪巧みの表情を浮かべるのだった。

 まだ敵の第三陣はやって来ない。行くなら今しかないだろう。


「じゃ、行ってくるよ!」

「おう! こっちは任せろ! 散々、暴れてやるからな!」


 *


 名残を惜しむ余裕もなく、グラット達と別れた三人は走り出した。

 ソロンを先頭にミスティンとアルヴァが続いた。まずは町中を駆け抜けて、港を目指すのだ。

 走りながらもソロンは、アルヴァに作戦を確認する。十分に計画を詰める時間がなかったのだ。


「舟の調達はどうするの? 旗艦にはそれで近づくんだよね?」

「港に行けば、小舟の(たぐい)はいくらでもあるはずです。漁師はたくさんいますし、軍も作業用の小舟を置いています。それを拝借しましょう」


 アルヴァが悩まずにすらすらと答える。走ってはいても、思考に乱れはないようだ。


「っていうか、操縦できるのかな?」

「原始的な櫂船(かいせん)なので問題ないでしょう。……舟を漕いだ経験は?」

「水の舟だったら」


 ソロンには、イドリスの川や海で舟を漕いだ経験があった。それについては問題ない。


「――けど、雲海の舟はさすがに経験ないよ」

「大丈夫。行けば分かるよ。今は急ごう」


 ミスティンに肩を叩かれたので、ソロンも質問をやめた。


「分かった。信じるよ」


 だから、それだけを答えた。彼女達は問題ないと確信している。ならばソロンはそれを信じるだけだった。


 坂を駆け上がってから、町中を東へと進んでいく。

 朝に始まった襲撃であったが、既に日は高く昇ろうとしていた。

 町は不気味なくらい静かで、ただ雲海から吹く風が木々を揺らしていた。サラネド兵もいなければ、住民もいない。既に皆どこかに避難していったのだ。


「基地のみんなは無事なのかな……?」


 ソロンは先日、期せずして基地の内部を見学することになった。その時に見かけた兵士達の姿を思い出す。


「何もわからないのが、歯がゆいですね。基地が陥落していては、もはや取れる戦法はありませんから。何とか持ちこたえていただかないと……」


 これが将校だったならば、連絡の兵をやって戦況の把握に努めただろう。だが、戦場のまっただ中にいるソロン達に戦況を知るすべはない。

 しかし、一兵卒にとってはそれが当然なのだ。多くの者は戦場において指揮官に従い、ただ前を見て戦うだけだ。

 かつては戦場全体を見渡す立場にいたアルヴァは、その歯がゆさを痛感しているようだった。

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