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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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戦場の小休止

 ソロン達の強襲は大いに功を奏した。

 こちらを少勢と(かろ)んじていたサラネド軍に、予想外の損害を与えたのだ。異国の兵達は、たまらず雲岸へと引き返したのである。

 そうして戦場に、一時的な小康状態が訪れた。


「ははっ……。来ちまったか」


 振り向いたグラットは、ソロンと目が合うなりそう苦笑した。

 顔も胸当ても、そこら中に血を浴びている。酷い怪我をしているのかと思ったが、意外に元気そうだ。恐らくは大半が返り血で、彼自身の傷は小さなものだろう。


「そりゃ、来るさ」


 ソロンも軽く言い返す。叱る気はないし、ましてや恩を売る気もない。だから余計なことは言わなかった。


 ソロンの背後には二人の娘――ミスティンとアルヴァもいた。この戦場において、彼女達の存在は極めて目立つ。好奇の視線が兵士達から集まっているようだった。

 ミスティンが進み出て、無言でグラットへと歩み寄っていく。しかと向き合い、空色の瞳で背の高いグラットを見上げる。


 グラットは気圧(けお)された様子で後ずさるが、


「お……おう……。心配かけた――あたっ!?」


 ミスティンは力強くグラットの頭をはたいた。


「一人で突っ走らないの。走るの疲れた」

「わ……わりい……。けど、もうちょっと優しくできねえのかよ。ギュッと抱きしめるとかよう」


 グラットは叩かれた頭をなでながら、なおも軽口を叩いた。


「グラットにはやらない」


 ミスティンはピシャリと言いながらも、(かばん)から聖神石(せいしんせき)を取り出した。

 ミスティンの実家に伝わる(いや)しの魔石。グラットに治療を(ほどこ)すつもりらしい。


「治療するなら殴んなよ……」

「うるさいなあ」


 ミスティンは無表情に言い放ったが、その手つきは優しげだ。魔石がグラットの傷に当てられて、既に魔法の光が放たれている。


「ああ、そんなに大きな怪我はねえから、ちょっとでいいぜ。他に負傷した奴がいたら治してやってくれ」

「ん、分かった」


 実際、傷は大したこともなかったらしい。グラットの治療はそこそこに、ミスティンは倒れた負傷兵の元に駆けて行った。


「あんたにここまでやってもらう程、恩を売った覚えはなかったんだけどな……」


 次にグラットは、そんな様子を観察していたアルヴァへ向き直った。


「そう思っているのはあなただけです。仮に恩がなかったとしても、臣民を守るのは私の務め。理由はそれで足りませんか?」


 油断なく杖を構えながらアルヴァは答えた。いつ敵兵に襲われてもいいように備えているようだ。


「臣民ねえ……。やっぱ、お姫様は惚れ惚れする程、男らしいよなあ……」

「そうですね。坊っちゃんが心酔するだけのことはありますよ」


 割って入ったのはナイゼルだ。

 走る速さの問題で、ガノンド共々少し遅れて戦場にたどり着いていた。四人の兵士達もそれに付き従っている。


「わりいなナイゼル。爺さんも。イドリスのみんなも。こんな負け戦に、あんたらまで付き合わせちまって」


 ナイゼルはイドリス人である。元は帝国人のガノンドにしても、ベオの町のために命を懸ける動機はなかった。

 何より二人ともグラットとは、ソロンのように付き合いが長いわけではない。どこか遠慮もあったのだろう。


「爵位を剥奪(はくだつ)されたとはいえ、帝国貴族としての誇りは失っとらん。姫様に従い戦うまでじゃ。それにわしはお前らより長生きな分、戦場も豊富に経験しているからな。この程度は恐れるに足らんよ」


 ガノンドは杖を振り回しながら余裕を見せた。

 帝国の貴族には、軍務への参加を誇りとする風潮がある。彼にしても元公爵として、戦場を駆け抜けた経験があったのだ。

 イドリスに降りて後は主に後進の指導をしていたが、時には魔道士としても活躍していた。


「構いませんよ。あなたには坊っちゃんも世話になりましたから。それに……。必ずしも負け戦というわけではありません」


 そう言って、ナイゼルは不敵な笑みをグラットに向けた。

 それはソロンのよく知るナイゼルの顔。兄弟子であり、また頼れる親友でもある男の顔だった。

 なんといってもナイゼルは軍師だ。少し前には戦場に立って、ラグナイの大軍を退けた実績すらある。何かしら自信があるのかもしれない。


「ナイゼル。勝ち目はありそう?」


 そう思ったソロンは、ナイゼルへと声をかけた。


「勝算はありますよ。もっとも、正確を期すならば我々が勝つ必要はありません。ガゼット将軍の船団が戻ってくるまで、持ちこたえればよいのですから」

「だが、そう簡単にいくか?」


 グラットが疑問を呈したのは当然だ。そんなことが簡単にできるなら、誰も必死になる必要はないのだから。


「難しいかもしれませんね」

 アルヴァが悩ましげに眉をひそめた。

「――敵の狙いはこのベオの港と、帝国船団の分断にあるのでしょう。恐らくは、ガゼット将軍の側も攻撃を受けているはずです。そうしなくては、作戦として意味がありませんから」


 これだけ大規模な襲撃だ。ガゼットの船団が、その動きをつかんでいないはずはない。

 ……にも関わらずベオが襲撃を受けたのは、ガゼットの船団自体も足止めを受けたからだと考えられた。


「確かに簡単ではありませんよ。ですが活路とは、敵の計画を崩したところにあるものです。計画を崩すには予想外の要因があればいい。そして、今回……この戦場において、最大の予想外となるものは――」


 眼鏡を押さえながら、ナイゼルが語る。いつもの仕草が今日はなんだか頼もしい。


「僕らの存在ってことか……。責任重大だな。そこまで活躍できればいいけどね」


 ナイゼルにしても、決して無責任に楽観を語っているわけではない。その程度の男なら、サンドロスが重用するはずもないのだ。ならば、ソロンも自分達の力を信じなくてはならない。


「ですが……。助けが来るかどうかは、将軍次第というわけですね」


 アルヴァの瞳は(うれ)いを帯びていた。自信家の彼女にしても、他人の成否まではいかんともしがたい。


「そうだな……。あっちががんばってくれなきゃ、俺達がいくらがんばってもどうにもならんわけか……。親父のヤツ、大丈夫かな」

「信じるしかないさ。向こうだって、本職の軍人なんだから」

「ああ、分かってるよ。なんだかんだ言って俺の親父だからな。息子としてちっと心配しちまっただけさ。それよか、俺達の役目はここで暴れることだな」


 ソロンは黙って頷いた。

 それ以上を語るよりも、次なる襲来に備えて心構えをしておきたかったのだ。もちろん、警備隊長にも話を通しておくべきだろう。この難局には、力を合わせて立ち向かう必要があるのだ。


 *


 しばし小康状態は続いた。

 その間、軽傷の兵士はミスティンが治療を行った。重傷の者は神竜教会の修道院へと運ばれ、治療を受けることになった。

 そうして、ただでさえ少ない警備兵は、ますます少なくなっていた。新たに合流したソロン達を合わせても、確実に百を下回るだろう。


 そんな中、助けを差し伸べてくれる者達もいた。勇敢な民間人の中には、物資を戦場まで届けてくれる者がいたのだ。

 小康状態とはいえ、多くの帝国兵は臨戦態勢を取り続けねばならなかった。とても油断できる状況ではなかったのだ。

 こちらに回ってきた敵兵力は、サラネドの船団が持つごく一部に過ぎない。その兵力も見えない場所に引き返しただけで、まだいくらかは残っている。

 いずれ兵を再結集し、さらなる襲撃をかけてくることも予想されたのだ。


 やがて、雲岸の方角に新たなサラネド船が姿を現した。

 こちらへとより多くの兵力を振り分ける気になったらしい。恐らくはさきほど撤退した兵と合流し、押し寄せてくるつもりだろう。

 警備兵達も騒然となっていた。

 先の第一陣をしのげたことが奇跡だったのであり、これ以上の交戦は常識的には不可能だ。誰もが(おもて)に悲愴な覚悟をまとわせていた。


 *


 坂の下から(とき)の声が(とどろ)き、空気を震わせる。サラネドの兵士達が攻撃を再開する合図だった。


「来たね……!」


 ミスティンが緊張した面持ちで言った。

 彼女は手近な兵士の治療を終えて、今はアルヴァと共に後ろ側で控えている。弓を構えて、いつでも矢を放てる態勢だった。


「ああ……。あんまり無理すんなよ。お前なら、敵に近寄らなくても戦えるだろうしな」


 それより前に位置するグラットは、振り返ってミスティンを気遣った。ミスティンがそれに頷き返す。


「大丈夫。グラットも気をつけて。ちょっとくらいなら治してあげるけど、致命傷は無理だから」

「分かってらよ。こう見えても死にたかないんでな」

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