戦場の小休止
ソロン達の強襲は大いに功を奏した。
こちらを少勢と軽んじていたサラネド軍に、予想外の損害を与えたのだ。異国の兵達は、たまらず雲岸へと引き返したのである。
そうして戦場に、一時的な小康状態が訪れた。
「ははっ……。来ちまったか」
振り向いたグラットは、ソロンと目が合うなりそう苦笑した。
顔も胸当ても、そこら中に血を浴びている。酷い怪我をしているのかと思ったが、意外に元気そうだ。恐らくは大半が返り血で、彼自身の傷は小さなものだろう。
「そりゃ、来るさ」
ソロンも軽く言い返す。叱る気はないし、ましてや恩を売る気もない。だから余計なことは言わなかった。
ソロンの背後には二人の娘――ミスティンとアルヴァもいた。この戦場において、彼女達の存在は極めて目立つ。好奇の視線が兵士達から集まっているようだった。
ミスティンが進み出て、無言でグラットへと歩み寄っていく。しかと向き合い、空色の瞳で背の高いグラットを見上げる。
グラットは気圧された様子で後ずさるが、
「お……おう……。心配かけた――あたっ!?」
ミスティンは力強くグラットの頭をはたいた。
「一人で突っ走らないの。走るの疲れた」
「わ……わりい……。けど、もうちょっと優しくできねえのかよ。ギュッと抱きしめるとかよう」
グラットは叩かれた頭をなでながら、なおも軽口を叩いた。
「グラットにはやらない」
ミスティンはピシャリと言いながらも、鞄から聖神石を取り出した。
ミスティンの実家に伝わる癒しの魔石。グラットに治療を施すつもりらしい。
「治療するなら殴んなよ……」
「うるさいなあ」
ミスティンは無表情に言い放ったが、その手つきは優しげだ。魔石がグラットの傷に当てられて、既に魔法の光が放たれている。
「ああ、そんなに大きな怪我はねえから、ちょっとでいいぜ。他に負傷した奴がいたら治してやってくれ」
「ん、分かった」
実際、傷は大したこともなかったらしい。グラットの治療はそこそこに、ミスティンは倒れた負傷兵の元に駆けて行った。
「あんたにここまでやってもらう程、恩を売った覚えはなかったんだけどな……」
次にグラットは、そんな様子を観察していたアルヴァへ向き直った。
「そう思っているのはあなただけです。仮に恩がなかったとしても、臣民を守るのは私の務め。理由はそれで足りませんか?」
油断なく杖を構えながらアルヴァは答えた。いつ敵兵に襲われてもいいように備えているようだ。
「臣民ねえ……。やっぱ、お姫様は惚れ惚れする程、男らしいよなあ……」
「そうですね。坊っちゃんが心酔するだけのことはありますよ」
割って入ったのはナイゼルだ。
走る速さの問題で、ガノンド共々少し遅れて戦場にたどり着いていた。四人の兵士達もそれに付き従っている。
「わりいなナイゼル。爺さんも。イドリスのみんなも。こんな負け戦に、あんたらまで付き合わせちまって」
ナイゼルはイドリス人である。元は帝国人のガノンドにしても、ベオの町のために命を懸ける動機はなかった。
何より二人ともグラットとは、ソロンのように付き合いが長いわけではない。どこか遠慮もあったのだろう。
「爵位を剥奪されたとはいえ、帝国貴族としての誇りは失っとらん。姫様に従い戦うまでじゃ。それにわしはお前らより長生きな分、戦場も豊富に経験しているからな。この程度は恐れるに足らんよ」
ガノンドは杖を振り回しながら余裕を見せた。
帝国の貴族には、軍務への参加を誇りとする風潮がある。彼にしても元公爵として、戦場を駆け抜けた経験があったのだ。
イドリスに降りて後は主に後進の指導をしていたが、時には魔道士としても活躍していた。
「構いませんよ。あなたには坊っちゃんも世話になりましたから。それに……。必ずしも負け戦というわけではありません」
そう言って、ナイゼルは不敵な笑みをグラットに向けた。
それはソロンのよく知るナイゼルの顔。兄弟子であり、また頼れる親友でもある男の顔だった。
なんといってもナイゼルは軍師だ。少し前には戦場に立って、ラグナイの大軍を退けた実績すらある。何かしら自信があるのかもしれない。
「ナイゼル。勝ち目はありそう?」
そう思ったソロンは、ナイゼルへと声をかけた。
「勝算はありますよ。もっとも、正確を期すならば我々が勝つ必要はありません。ガゼット将軍の船団が戻ってくるまで、持ちこたえればよいのですから」
「だが、そう簡単にいくか?」
グラットが疑問を呈したのは当然だ。そんなことが簡単にできるなら、誰も必死になる必要はないのだから。
「難しいかもしれませんね」
アルヴァが悩ましげに眉をひそめた。
「――敵の狙いはこのベオの港と、帝国船団の分断にあるのでしょう。恐らくは、ガゼット将軍の側も攻撃を受けているはずです。そうしなくては、作戦として意味がありませんから」
これだけ大規模な襲撃だ。ガゼットの船団が、その動きをつかんでいないはずはない。
……にも関わらずベオが襲撃を受けたのは、ガゼットの船団自体も足止めを受けたからだと考えられた。
「確かに簡単ではありませんよ。ですが活路とは、敵の計画を崩したところにあるものです。計画を崩すには予想外の要因があればいい。そして、今回……この戦場において、最大の予想外となるものは――」
眼鏡を押さえながら、ナイゼルが語る。いつもの仕草が今日はなんだか頼もしい。
「僕らの存在ってことか……。責任重大だな。そこまで活躍できればいいけどね」
ナイゼルにしても、決して無責任に楽観を語っているわけではない。その程度の男なら、サンドロスが重用するはずもないのだ。ならば、ソロンも自分達の力を信じなくてはならない。
「ですが……。助けが来るかどうかは、将軍次第というわけですね」
アルヴァの瞳は憂いを帯びていた。自信家の彼女にしても、他人の成否まではいかんともしがたい。
「そうだな……。あっちががんばってくれなきゃ、俺達がいくらがんばってもどうにもならんわけか……。親父のヤツ、大丈夫かな」
「信じるしかないさ。向こうだって、本職の軍人なんだから」
「ああ、分かってるよ。なんだかんだ言って俺の親父だからな。息子としてちっと心配しちまっただけさ。それよか、俺達の役目はここで暴れることだな」
ソロンは黙って頷いた。
それ以上を語るよりも、次なる襲来に備えて心構えをしておきたかったのだ。もちろん、警備隊長にも話を通しておくべきだろう。この難局には、力を合わせて立ち向かう必要があるのだ。
*
しばし小康状態は続いた。
その間、軽傷の兵士はミスティンが治療を行った。重傷の者は神竜教会の修道院へと運ばれ、治療を受けることになった。
そうして、ただでさえ少ない警備兵は、ますます少なくなっていた。新たに合流したソロン達を合わせても、確実に百を下回るだろう。
そんな中、助けを差し伸べてくれる者達もいた。勇敢な民間人の中には、物資を戦場まで届けてくれる者がいたのだ。
小康状態とはいえ、多くの帝国兵は臨戦態勢を取り続けねばならなかった。とても油断できる状況ではなかったのだ。
こちらに回ってきた敵兵力は、サラネドの船団が持つごく一部に過ぎない。その兵力も見えない場所に引き返しただけで、まだいくらかは残っている。
いずれ兵を再結集し、さらなる襲撃をかけてくることも予想されたのだ。
やがて、雲岸の方角に新たなサラネド船が姿を現した。
こちらへとより多くの兵力を振り分ける気になったらしい。恐らくはさきほど撤退した兵と合流し、押し寄せてくるつもりだろう。
警備兵達も騒然となっていた。
先の第一陣をしのげたことが奇跡だったのであり、これ以上の交戦は常識的には不可能だ。誰もが面に悲愴な覚悟をまとわせていた。
*
坂の下から鬨の声が轟き、空気を震わせる。サラネドの兵士達が攻撃を再開する合図だった。
「来たね……!」
ミスティンが緊張した面持ちで言った。
彼女は手近な兵士の治療を終えて、今はアルヴァと共に後ろ側で控えている。弓を構えて、いつでも矢を放てる態勢だった。
「ああ……。あんまり無理すんなよ。お前なら、敵に近寄らなくても戦えるだろうしな」
それより前に位置するグラットは、振り返ってミスティンを気遣った。ミスティンがそれに頷き返す。
「大丈夫。グラットも気をつけて。ちょっとくらいなら治してあげるけど、致命傷は無理だから」
「分かってらよ。こう見えても死にたかないんでな」