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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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グラットの戦い

 雲岸に続く坂道から何かが駆け上がってくる音。それをグラットの耳がとらえた。

 何か――考えるまでもない。サラネドの兵士がやってきたのだ。敵は岩場の死角を利用しているため、視界にはまだ入らない。


「来たぞ!」


 先頭に構えていた警備兵が叫んだ。

 坂の下から雄叫びを上げて、ぞろぞろとやって来るサラネド兵の姿が見えた。

 帝国人には分からない言葉――まぎれもないサラネド語だった。

 正確な人数は定かでないが、目に見えるだけでこちらの数倍はいることも分かった。


 敵兵は皮をなめした鎧で胸部を守護し、頭を布で覆っている。腕には短めの槍と盾を持っていた。どちらかと言えば軽装の部類に入るだろうか。

 もっとも、警備兵とは違って(れっき)とした軍隊の装備だ。防御力よりも機動力を重視する構成に違いない。


「射て!」


 赤い羽飾りを兜につけた警備隊長が号令を下した。

 槍を構えて突進してくるサラネド兵に向って、矢と投槍が放たれる。その後ろから駄目押しのように投石も放たれた。

 こちらの陣地は坂の上。地の利があるのは間違いない。


 降り注ぐ矢を敵兵は盾で防いだ。

 それでも矢数は多く、軽装備のサラネド兵が全てを防げはしない。防具の隙間に当たって致命傷を受ける者が続出した。勢いの乗った矢と槍は防具ごと体を貫くこともあった。


 投石も、当たれば矢と槍に負けない破壊力を発揮した。坂を駆け上がる途中、石の直撃を受けて転倒する者も多くいた。

 投槍が盾に防がれることもあったが、刺さってしまえば盾も無事では済まない。

 重い槍が盾に刺さったまま、進軍することはできないのだ。数で勝る敵軍に、投擲(とうてき)物はじわじわと損害を与えていた。


 グラットも負けじと槍を放り投げた。トーディに任された投擲用の槍である。イドリスで手に入れた超重の槍は、もちろん近接戦で振るうために温存している。

 宙を飛んで坂を下った投槍は、サラネド兵を盾ごと貫いた。どうやら一撃で仕留めたようだ。


「おお~、腕は全くにぶってないな」

「まあな、今までだって別に遊んでたわけじゃねえしな」


 トーディの賞賛に、グラットも胸を張って自賛する。投槍は軍団兵時代からの得意技だ。現役を退いたとはいえ、他の誰にも負ける気はしなかった。

 激しい投擲が、サラネド軍を一気に押し返していく。

 ……がしかし、サラネド軍の勢いを完全に殺せはしなかった。やはりあちらのほうが圧倒的に多勢なのだ。サラネド兵は少々の犠牲はいとわず、坂を駆け上がってくる。


 グラットも渡される投槍をいくつも放り投げ、幾人もの敵を貫いた。破格の活躍ではあったろう。……が、戦況を覆すことは叶わなかった。


 じきに矢も槍もなくなった。警備隊の装備では、投槍や弓矢のような標準的な武器も満足に用意できないのだ。

 ましてや魔石を持った魔道兵などは存在しない。そのような人材がいれば、真っ先に正規の軍へ送られるからだ。

 それでもまだ、石だけは残弾があった。


「残った石を全てぶつけろ!」


 坂の下に向かって、残りの石が放たれた。投石は原始的でありながら、いまだに効果的な攻撃でもあった。手練の兵士が投石器を使えば、弓矢をしのぐ射程と威力を得ることもあった。

 もっとも機械式の立派な投石機があるわけではない。警備隊にあるのは、紐と布で造られた簡易な投石器だけだ。


 段々と投げられる石も減ってきた。元々、岩場から急遽(きゅうきょ)かき集めた物であるため、質も粗悪だったのだ。今はそれすら調達する余裕がなくなってしまっている。

 やがて、サラネドの前衛にも余裕ができたらしい。

 連中は盾を構えながら前進してくる。弱まった石の雨は、それでやすやすと防がれてしまった。


 安全を確保した後列のサラネド兵が、矢を放ってきた。坂下に位置していた彼らの攻撃も、ついには坂上へと届くようになってしまった。

 帝国軍も小振りな盾でそれを防ぐ。だが、矢を受け損ねて倒れる者も続出した。

 攻撃は敵の一部――後列部隊によるものに過ぎないが、そもそもの敵数が多いのだ。激しい射撃を受けきるのは至難だった。


 ついには前列のサラネド兵も、こちらの前線へと到達した。それらには帝国兵が剣を持って対峙する。槍と剣による戦いが繰り広げられた。

 帝国の警備兵は剣を振り回して、敵兵の槍を切り落とした。

 敵兵は勢いに乗っているが、帝国軍の前線もそう簡単には崩れない。帝国軍は坂上で体力を温存していたので、その差が有利に働いているのだ。


「そろそろ、俺の力を見せてやるかな」


 グラットは超重の槍を手に持ち、前線へと躍り出た。

 グラットのまとう装備は、警備兵と比較しても軽装である。しかし、実際はイドリス製の特別な胸当てをまとっているため、見た目よりも(はる)かに頑丈だった。

 ともあれ、サラネド側から見ても相当に目立つ存在なのは間違いない。


 そして何より、異彩を放つのはその槍だ。

 持ち主の背丈よりも長い柄に、黒光りする穂先は重量感があった。魔法武器だと見抜いた者はなくとも、相当な業物なのは誰の目にも明らかだった。


 たちまち二人のサラネド兵が襲いかかってきた。

 突き出された一人目の槍を、グラットは軽く叩き折った。衝撃で体勢を崩した相手を、瞬時に貫いて絶命させる。

 素早く槍を引き抜くと同時に、死体を蹴って放った。迫る二人目は、飛んできた仲間の死体をよけきれず、体勢を崩した。

 そこを見逃さず、隙を突いて二人目のサラネド兵を貫いた。自然、二つの死体が重なった。


 どっしりと槍を構えて、グラットは敵軍を睥睨(へいげい)した。今度は三人の敵兵がこちらに向かってきていた。まだ敵軍にこちらを恐れる様子はない。

 一連の動作は流れるように繰り出された。あまりの早業に、グラットの実力を見抜けなかったのかもしれない。


「ふっ……。命知らずめ」


 茶髪をかき分けながら、グラットはニヒルにつぶやいた。……少なくとも当人の主観ではニヒルなつもりだった。戦場の高揚感もあって、段々と調子に乗り始めていたのだ。


 見た目には相当な重量感がある槍を、グラットは軽々と振り回していく。

 振り始める時は軽く、当たる時には重く。魔力によって自在に重量を転じているのだ。

 そうやって威力を高めれば、サラネド兵の頭を一撃で砕くのもたやすかった。布で覆われた敵の頭頂部は、鉄の板で補強されていたようだったが、それも関係ない。


 その動きの鮮やかさに、味方から歓声が上がった。

 緊張と決意がグラットの集中力を高めていた。今までになく超重の槍の力を引き出せている感覚があった。

 しかし、サラネド軍も愚かではない。真正面から攻撃するばかりではなかった。迫る敵兵の背後から援護射撃が飛んでくる。


「甘いぜ」


 グラットは、素早く槍を振るって矢を叩き落とした。今度は槍の重量を魔法によって瞬時に軽くしたのだ。金属ではありえない軽量だが、硬度は元のままである。

 重力を操る槍を持つグラットの勢いは、留まることを知らない。存分にサラネド兵を打ちのめしていった。

 無双を誇るその雄姿に、敵兵もひるんでいる。迂闊(うかつ)に近づいて、槍のサビとなることを恐れているようだ。


「やべ……俺、超カッコよくね?」


 元よりそういう性格である。グラットはすっかり調子に乗っていた。

 ……が、乱戦のまっただ中では、それを自慢する相手もいない。グラットの勢いについて来れる仲間も、この場にはいなかった。

 ソロンがいれば――とも思ったが、彼を置いてきたのは自分なのだ。だから仕方がない。


 しかし、目立ちすぎた。

 ついには五人、十人――いや、敵軍の背後に構える射手を含めれば、二十を超える敵がグラット一人を狙い定めていた。


「えっ、いや……。ちょっ……それ酷くね!? 俺一人狙い撃ちするなんて多勢に無勢だろ!?」


 抗議をするが誰も聞いていない。

 相手はサラネド人、元より帝国語は通じないのだ。たとえ通じたとしても、敵の言葉など誰も耳を貸さなかっただろうが。

 槍を振るう合間に周囲を見渡す。助けを求める味方を探したが、元より警備隊は少数なのだ。頼りにできる仲間はそばになく、孤立無援の様相だ。


 グラットは勇戦していたものの、警備隊の戦いは限りなく劣勢だったのだ。

 突き出される槍を逃げ腰でかわし、飛んでくる矢を叩き落とした。けれど、いかんせん数が多すぎる。さすがのグラットもしのぎ切れる数ではない。

 かすり傷を何度か受けた。返り血を浴びて、視界が(くも)った。防具のない場所に致命傷を受けていないのが奇跡だった。


「やばっ、死ぬ……。謝っても許してくれねえよなぁ……」


 そんなことをつぶやいてみても、やっぱり誰も聞いていない。死ぬとは口にしてみたものの、死にたくはないしそのつもりもない。

 グラットは往生際の悪い男だった。死に物狂いで槍を振るい続ける。

 敵を盾にして、同時に多勢の相手をしないように立ち振る舞う。一人二人と敵兵を撃破していくが、疲労も段々と溜まっていく。

 逃げ出そうかと思ったが、もはや突破口を見つけ出すことも至難だった。


「お袋とショーナは逃げたかねえ……」


 半ば諦め、そんなことをつぶやいた。


 その時――風が戦場を吹き抜けた。


 飛来した矢が風を運び、サラネド兵に衝突したのだ。尋常ならぬ勢いで、吹き飛んだサラネド兵が背後の仲間を巻き込んでいく。

 次に火球が落ちて、街路から火柱が立ち昇った。それはサラネド軍のまっただ中に炸裂し、逃げ遅れた敵兵の身を焦がした。

 炎から逃れた者も、坂上からほとばしる雷撃をかわすことはできなかった。一発、二発、三発と、次々放たれる稲妻が刺すように敵兵の命を奪っていった。


 突然の強襲を受けて、サラネド軍は大いに乱れた。それを見た帝国軍は、たちまち勢いを盛り返す。

 そして、グラットは助けが来たことを悟った。……と、同時に複雑な表情を浮かべた。


「あ~、来たのか……」


 半ばでは期待し、半ばでは来て欲しくなかった。今、自分がいるこの場は戦場であり死地である。命を懸けねばならない戦いだからこそ、仲間を巻き込みたくはなかったのだ。

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