表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
144/441

元帝国軍の意地

 ソロンは町中へと視線を転じた。

 ベオの町に暮らす住民達が、騒然としながら走っていく。どこかへ避難しにいくのだろうか。

 自宅か、頑丈な建物か、はたまた町の外か……。仮想敵国たるサラネドに近いこの町のことだ。普段から、避難の段取りが通達されているに違いない。


「お前達も逃げな。敵は雲賊と違って本物の軍隊だ。勝ち目はねえよ」


 硬い表情を崩さずにグラットは告げた。


「グラットはどうするの?」

「逃げることも考えたが……。やっぱりここは俺の故郷なんでな」


 言うなりグラットは屋上から駆け出した。

 この屋上は三階の屋根に当たる。その端から二階の突き出た屋根に飛び降りて、さらには一気に地面へと着地した。


「ちょっ、グラット!?」


 ソロンが止める間もない思い切りのよさ。槍を背負ったままそれをやるのだから、やはり大した度胸と運動神経だ。


 地に降りたグラットは屋上へと叫びかける。


「港は基地の連中に任せるが、俺は町のほうを守るつもりだ。とりあえずは、住民を避難させるまでは踏ん張るぜ。つーわけで、お袋。すまんが俺は行ってくる。みんな避難するんだぞ! お前らもお姫様をしっかり守れよ!」


 息子の無茶を見たマーシアは取り乱すかと思いきや――


「行ってきな! まあ、お前も父さんの息子だしな。逃げろなんて、口が裂けても言う気はないよ」

「兄ちゃん、がんばって!」


 マーシアもショーナも、心配そうな顔はおくびにも出さなかった。

 彼女達は軍人一家の一員として、ガゼットを長く支えてきたのだ。元より、家族を戦いへ送り出す覚悟はできているのだろう。

 手を振り返して、グラットは走っていった。サラネド兵が迫ってくるだろう町の中へと……。


「どうする?」


 と、ミスティンがつぶやけば、


「行きます」

 アルヴァは胸に手を当てて、決然と言った。

「――皇帝の座を追われ、皇族としての資格も剥奪されましたが……それでも私は皇家に生まれた身です。民を見捨てて逃げたくはありません」

「やっぱり見捨てられないよね」


 そしてソロンも悩まずに決断した。自分は部外者とはいえ、逃げるという選択肢は思い浮かばなかった。 


「じゃあ、早く行こっか。グラットを追いかけないと。せっかちなんだからなあ……」


 ミスティンはそう言いながら、アルヴァの手を取った。

 アルヴァも何も言わずに頷いた。


「ナイゼル達はどうしてるかな?」


 ソロンはふとナイゼル達のことを思い出した。イドリスから来た仲間達は、この状況をどのように受け止めるのだろうか。


「さあて、まずは合流するしかないでしょう。今頃、こちらに向かっているかもしれません」


 ナイゼルやガノンドならば、まずはソロンとの合流を目指すだろう。ならば、ひとまずは心配いらない。


「それもそうだね……。お二人はどうします?」


 残されたゾンディーノ家の二人――マーシアとショーナに対して、ソロンは声をかけた。


「あたしらはゾンディーノ家だからね。戦うことはできないけど、武門の一員としてやれるだけのことはやるよ。避難の誘導とかね」

「分かりました」

「ソロン君もがんばって! 兄ちゃんのこともお願い!」

「ありがとう! 行ってきます!」


 ソロンは二人へ笑いかけ、走り出した。グラットを除いた三人で、階段を駆け下りていく。


 *


 ゾンディーノ家を出た三人は、すぐに坂を駆け上ってくる男達の姿を認めた。ナイゼルにガノンド、四人の兵士――イドリスの一行である。

 合流するなりソロンは現在の状況を説明した。グラットに加勢するつもりだと意向を述べたのだ。途中、たどる道が違ったのか、ナイゼル達はグラットとは出会わなかったらしい。


「良い機会です。せっかくなので恩を売らせていただきましょうか」


 説明を聞き終えるなり、ナイゼルはにやりとソロンへ笑い返した。どうやら、ガノンドも同意見らしい。

 必然的に、四人の兵士達も同行してくれるようだ。

 彼らの任務はソロンやナイぜル、ガノンドの警護でもある。少し申し訳ない気もしたが、兵士達もその任務を無視はできないだろう。


「あなたまで、わざわざ危険を(おか)す必要はありませんよ。私は帝国人として、戦いに挑むだけなのですから。ソロンだってそうです」


 アルヴァが難色を示すが。


「姫様、構いませんぞ。わしはこれでもかつては帝国の公爵でしたからな。炎獄の公爵と呼ばれたわが力、とくと見せてくれましょう」


 そんなアルヴァをよそに、ガノンドは張り切っていた。


「そういうことさ。そう言う君も、イドリスでは手を貸してくれたわけだし」


 ソロンが言えば、アルヴァはさらに反論する。


「あれは私が、あなたから受けた恩を返しただけです。ですから、今の私達に貸し借りの関係はありません」

「う~ん、そっか……。だけど、友達を見捨てて逃げ出したくはないんだ。君が僕の立場でもそうしたと思う」

「そうそう、私もアルヴァのために一肌脱ぐよ。後ついでにグラットのためにも」


 ミスティンもソロンに負けじと戦う決意を示す。


「……では、無謀な行動を慎むようにお願いします」


 渋々ながら、アルヴァも了承してくれた。


 *


 基地を内包する港は、町の北方に位置している。

 東と南は山と外壁に囲まれていたが、港の西側に開拓されていない天然の雲岸があった。

 サラネド軍の大半は港に向かっていたが、一部は雲岸へと上陸する気配を見せていた。


 雲岸には帝国軍の基地はなく、防衛する兵力もいなかった。つまり雲岸から上陸すれば、敵は基地のそばを通らずに、町へたどり着けてしまう。

 基地を陸上からも挟撃するつもりか、はたまた町そのものを襲撃するつもりか……。敵の狙いは定かではないが、住民にとって恐怖なのに変わりはなかった。


 もちろん、基地に十分な兵力があれば、近辺への上陸は防げるはずだ。しかし、今の帝国軍の兵力では、港を襲撃する敵の相手をするだけで精一杯と見るべきだった。

 そしてグラットは、この対処を行うと決めたのだ。雲岸から上陸する敵兵を迎え撃つため、町の北西へと向ったのだろう。


 ソロン達もその後を追って走っていた。足並みの速さは、ガノンドが付いてこれるように少し落としている。


「み、みなさん、なかなか、お速いですね……」


 ところが、真っ先に息を切らしたのはナイゼルだった。肩で息をしながら、途切れ途切れに悲鳴を上げている。

 もっとも、予想通りではあったが……。


「お前は普段の鍛え方が足らんようだな。これも魔法と机仕事ばかりして、運動をサボっているせいじゃぞ」


 ガノンドがそんな息子を叱責していた。ガノンドも楽々と走っているわけではなさそうだが、それでもナイゼルよりは余裕が(うかが)える。


「私は魔道士兼、軍師兼、親善大使ですからね。体力はほどほどでいいんですよ。人には適材適所というものがあるのです」

「これ、言い訳するでない。魔道士だろうが軍師だろうが、体力は全ての資本じゃぞ。お前も姫様を見習うがよい」


 ソロンの後ろから、アルヴァの息遣いが聞こえてくる。

 そのしっかりと追走する足取りを見れば、ナイゼルよりもよほど体力がありそうだ。それこそ、ソロンがいなければ自分から先頭を突っ走っていたに違いない。

 思えばベスタ島で同行した時も、このような位置取りだった。あの時もどこか危なっかしい彼女を、自分が先に立って守らねばと考えていたのだ。


 ミスティンもソロンの隣を軽々と並走していた。相変わらず必死さがないのだが、それもある意味で頼もしく見えなくもなかった。


 逃げ走ってくる住民達の姿が目に入ってくる。しかし、一行が向かう先は、彼らとは逆方向だ。

 これから戦場に向かうのだという緊張感が、ソロンの胸に走った。既に人間同士の戦場も何度か経験した身ではあるが、やはり簡単に慣れるものではない。


 * * *


 走るグラットは、やがて警備兵の一団へと追いついた。


 雲岸を見通せる坂の上。景色を眺めるには絶好の場所だった。

 坂下の雲海を眺めれば、白い小波(さざなみ)が静かに浜辺へと押し寄せていた。だが、その静寂(せいじゃく)も、戦の喧騒によって破られようとしている。

 浜辺のそばにはゴツゴツした岩場があった。そこへ切れ込むように、町へと続く坂道が整備されている。


 警備兵達も、サラネド軍を迎え撃とうと構えていた。坂が狭くなる辺りに陣取って、敵を通すまいという態勢だった。


 グラットは、これより戦友となるだろう警備兵の装備を観察してみた。

 胸当てに兜。小振りな盾に幅広の剣……。造りは整っており、素材も銅ではなく鉄だ。決して粗悪な装備だとは思わない。

 それでも、あくまで町の巡回を前提とした軽装備である。かつて正式な軍隊の一員として、雲賊と戦ったグラットからすれば見劣りは否めなかった。


 中にはより一層、装備が貧弱な者もいる。どうやら、町の男や冒険者へ急遽(きゅうきょ)声をかけたようだ。

 これだけの危機ともなると、帝国軍だけでは人員がとても足りないのだろう。そして人員を補充すると、今度は装備が足りなくなったのだ。

 そうした義勇兵をかき集めたところで、人数は百を超える程度。サラネド軍を相手取るに足りないことは、考えるまでもなかった。


 ともあれ、これなら自分がまぎれ込んでも問題はなさそうだ。これ幸いと、グラットも戦陣に加わることにした。

 しかしながら、注意は必要だ。勝手に参加してもよいのだが、不審に思われて同士討ちをしてはたまらない。

 一応は警備隊の誰かへと声をかけることにした。


 義勇兵を除けば、警備隊は全部で百人にも満たないだろう。

 それを統括するのは、壮年のヒゲをたくわえた警備隊長だ。立派な赤い羽飾りを兜に付けているため、一目でそれと分かった。

 そしてその下は、いくつかの小隊に分かれている。グラットが所属していた軍でいうところの、百人隊とほぼ同じ構成だろう。


 声をかけるなら、警備隊長よりは小隊長のほうが気軽そうだ。

 勝手にそう判断したグラットは、手頃な小隊長を見つけて声をかけようとした。一般兵と小隊長の違いも、やはり兜を見れば区別がつく。小隊長の兜には、白い羽飾りがついているのだ。


「おいお前、グラットじゃないか!?」


 そう思った矢先、小隊長らしき男から逆に声をかけられた。

 見れば、かつては軍の同期だった男である。グラットと同じ雲海軍にいたはずだが、いつの間にか警備隊へと転籍していたらしい。


「誰かと思えば、トーディじゃねえか。元気にしてたか? その兜――出世したみたいだな」


 警備隊は格式でいえば、正規の軍隊よりも劣る位置にある。それでも重要な役目に変わりはない。若くして小隊長になったのだから、立派なものだろう。


「お前こそ、軍を辞めたんじゃなかったのか?」

「ああ、長いこと旅暮らしだぜ。今日は、久々に帰ってきたところだったんだがな。せっかくだから、ここは手を貸すぜ」

「そっか……。相変わらず物好きな男だな。じゃあ、俺の部隊に混ざるか? お前だったら歓迎するぜ。なんせ手も武器も足りないんだ」


 グラットが持つ立派な槍を見やって、小隊長のトーディが言った。

 トーディの表情には、悲愴な覚悟が(うかが)えた。この警備隊は敵の戦力と比較して、圧倒的に弱小なのだ。それはこの場の誰もが理解していた。


「そんじゃ、俺も仲間に入れてもらうぜ」

「……何だかんだ言って、お前は頼もしいよな。ガゼットさんも将軍になったし、お前も辞めてなかったら、もっと出世できると思うんだが……。もったいねえ」

「そう言うなよ。軍にいなくても町は守るからよ。親父の留守番ぐらいは務めるぜ」


 グラットがそう言えば、トーディも笑い返した。

 戦いを前にして、男同士の連帯感が醸成されていた。戦友の絆とは、時に家族や恋人すらをも上回るという。軍を辞めたグラットだったが、それでも絆は完全に途絶えていなかったのだ。


 敵の船が近づく様子が見えた。

 辺りにある岩場のせいで、雲岸の全てを見通すことはできない。どうやら敵の船は、こちらの死角となる位置に接岸するようだ。

 戦いの時は間近に迫っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ