元帝国軍の意地
ソロンは町中へと視線を転じた。
ベオの町に暮らす住民達が、騒然としながら走っていく。どこかへ避難しにいくのだろうか。
自宅か、頑丈な建物か、はたまた町の外か……。仮想敵国たるサラネドに近いこの町のことだ。普段から、避難の段取りが通達されているに違いない。
「お前達も逃げな。敵は雲賊と違って本物の軍隊だ。勝ち目はねえよ」
硬い表情を崩さずにグラットは告げた。
「グラットはどうするの?」
「逃げることも考えたが……。やっぱりここは俺の故郷なんでな」
言うなりグラットは屋上から駆け出した。
この屋上は三階の屋根に当たる。その端から二階の突き出た屋根に飛び降りて、さらには一気に地面へと着地した。
「ちょっ、グラット!?」
ソロンが止める間もない思い切りのよさ。槍を背負ったままそれをやるのだから、やはり大した度胸と運動神経だ。
地に降りたグラットは屋上へと叫びかける。
「港は基地の連中に任せるが、俺は町のほうを守るつもりだ。とりあえずは、住民を避難させるまでは踏ん張るぜ。つーわけで、お袋。すまんが俺は行ってくる。みんな避難するんだぞ! お前らもお姫様をしっかり守れよ!」
息子の無茶を見たマーシアは取り乱すかと思いきや――
「行ってきな! まあ、お前も父さんの息子だしな。逃げろなんて、口が裂けても言う気はないよ」
「兄ちゃん、がんばって!」
マーシアもショーナも、心配そうな顔はおくびにも出さなかった。
彼女達は軍人一家の一員として、ガゼットを長く支えてきたのだ。元より、家族を戦いへ送り出す覚悟はできているのだろう。
手を振り返して、グラットは走っていった。サラネド兵が迫ってくるだろう町の中へと……。
「どうする?」
と、ミスティンがつぶやけば、
「行きます」
アルヴァは胸に手を当てて、決然と言った。
「――皇帝の座を追われ、皇族としての資格も剥奪されましたが……それでも私は皇家に生まれた身です。民を見捨てて逃げたくはありません」
「やっぱり見捨てられないよね」
そしてソロンも悩まずに決断した。自分は部外者とはいえ、逃げるという選択肢は思い浮かばなかった。
「じゃあ、早く行こっか。グラットを追いかけないと。せっかちなんだからなあ……」
ミスティンはそう言いながら、アルヴァの手を取った。
アルヴァも何も言わずに頷いた。
「ナイゼル達はどうしてるかな?」
ソロンはふとナイゼル達のことを思い出した。イドリスから来た仲間達は、この状況をどのように受け止めるのだろうか。
「さあて、まずは合流するしかないでしょう。今頃、こちらに向かっているかもしれません」
ナイゼルやガノンドならば、まずはソロンとの合流を目指すだろう。ならば、ひとまずは心配いらない。
「それもそうだね……。お二人はどうします?」
残されたゾンディーノ家の二人――マーシアとショーナに対して、ソロンは声をかけた。
「あたしらはゾンディーノ家だからね。戦うことはできないけど、武門の一員としてやれるだけのことはやるよ。避難の誘導とかね」
「分かりました」
「ソロン君もがんばって! 兄ちゃんのこともお願い!」
「ありがとう! 行ってきます!」
ソロンは二人へ笑いかけ、走り出した。グラットを除いた三人で、階段を駆け下りていく。
*
ゾンディーノ家を出た三人は、すぐに坂を駆け上ってくる男達の姿を認めた。ナイゼルにガノンド、四人の兵士――イドリスの一行である。
合流するなりソロンは現在の状況を説明した。グラットに加勢するつもりだと意向を述べたのだ。途中、たどる道が違ったのか、ナイゼル達はグラットとは出会わなかったらしい。
「良い機会です。せっかくなので恩を売らせていただきましょうか」
説明を聞き終えるなり、ナイゼルはにやりとソロンへ笑い返した。どうやら、ガノンドも同意見らしい。
必然的に、四人の兵士達も同行してくれるようだ。
彼らの任務はソロンやナイぜル、ガノンドの警護でもある。少し申し訳ない気もしたが、兵士達もその任務を無視はできないだろう。
「あなたまで、わざわざ危険を冒す必要はありませんよ。私は帝国人として、戦いに挑むだけなのですから。ソロンだってそうです」
アルヴァが難色を示すが。
「姫様、構いませんぞ。わしはこれでもかつては帝国の公爵でしたからな。炎獄の公爵と呼ばれたわが力、とくと見せてくれましょう」
そんなアルヴァをよそに、ガノンドは張り切っていた。
「そういうことさ。そう言う君も、イドリスでは手を貸してくれたわけだし」
ソロンが言えば、アルヴァはさらに反論する。
「あれは私が、あなたから受けた恩を返しただけです。ですから、今の私達に貸し借りの関係はありません」
「う~ん、そっか……。だけど、友達を見捨てて逃げ出したくはないんだ。君が僕の立場でもそうしたと思う」
「そうそう、私もアルヴァのために一肌脱ぐよ。後ついでにグラットのためにも」
ミスティンもソロンに負けじと戦う決意を示す。
「……では、無謀な行動を慎むようにお願いします」
渋々ながら、アルヴァも了承してくれた。
*
基地を内包する港は、町の北方に位置している。
東と南は山と外壁に囲まれていたが、港の西側に開拓されていない天然の雲岸があった。
サラネド軍の大半は港に向かっていたが、一部は雲岸へと上陸する気配を見せていた。
雲岸には帝国軍の基地はなく、防衛する兵力もいなかった。つまり雲岸から上陸すれば、敵は基地のそばを通らずに、町へたどり着けてしまう。
基地を陸上からも挟撃するつもりか、はたまた町そのものを襲撃するつもりか……。敵の狙いは定かではないが、住民にとって恐怖なのに変わりはなかった。
もちろん、基地に十分な兵力があれば、近辺への上陸は防げるはずだ。しかし、今の帝国軍の兵力では、港を襲撃する敵の相手をするだけで精一杯と見るべきだった。
そしてグラットは、この対処を行うと決めたのだ。雲岸から上陸する敵兵を迎え撃つため、町の北西へと向ったのだろう。
ソロン達もその後を追って走っていた。足並みの速さは、ガノンドが付いてこれるように少し落としている。
「み、みなさん、なかなか、お速いですね……」
ところが、真っ先に息を切らしたのはナイゼルだった。肩で息をしながら、途切れ途切れに悲鳴を上げている。
もっとも、予想通りではあったが……。
「お前は普段の鍛え方が足らんようだな。これも魔法と机仕事ばかりして、運動をサボっているせいじゃぞ」
ガノンドがそんな息子を叱責していた。ガノンドも楽々と走っているわけではなさそうだが、それでもナイゼルよりは余裕が窺える。
「私は魔道士兼、軍師兼、親善大使ですからね。体力はほどほどでいいんですよ。人には適材適所というものがあるのです」
「これ、言い訳するでない。魔道士だろうが軍師だろうが、体力は全ての資本じゃぞ。お前も姫様を見習うがよい」
ソロンの後ろから、アルヴァの息遣いが聞こえてくる。
そのしっかりと追走する足取りを見れば、ナイゼルよりもよほど体力がありそうだ。それこそ、ソロンがいなければ自分から先頭を突っ走っていたに違いない。
思えばベスタ島で同行した時も、このような位置取りだった。あの時もどこか危なっかしい彼女を、自分が先に立って守らねばと考えていたのだ。
ミスティンもソロンの隣を軽々と並走していた。相変わらず必死さがないのだが、それもある意味で頼もしく見えなくもなかった。
逃げ走ってくる住民達の姿が目に入ってくる。しかし、一行が向かう先は、彼らとは逆方向だ。
これから戦場に向かうのだという緊張感が、ソロンの胸に走った。既に人間同士の戦場も何度か経験した身ではあるが、やはり簡単に慣れるものではない。
* * *
走るグラットは、やがて警備兵の一団へと追いついた。
雲岸を見通せる坂の上。景色を眺めるには絶好の場所だった。
坂下の雲海を眺めれば、白い小波が静かに浜辺へと押し寄せていた。だが、その静寂も、戦の喧騒によって破られようとしている。
浜辺のそばにはゴツゴツした岩場があった。そこへ切れ込むように、町へと続く坂道が整備されている。
警備兵達も、サラネド軍を迎え撃とうと構えていた。坂が狭くなる辺りに陣取って、敵を通すまいという態勢だった。
グラットは、これより戦友となるだろう警備兵の装備を観察してみた。
胸当てに兜。小振りな盾に幅広の剣……。造りは整っており、素材も銅ではなく鉄だ。決して粗悪な装備だとは思わない。
それでも、あくまで町の巡回を前提とした軽装備である。かつて正式な軍隊の一員として、雲賊と戦ったグラットからすれば見劣りは否めなかった。
中にはより一層、装備が貧弱な者もいる。どうやら、町の男や冒険者へ急遽声をかけたようだ。
これだけの危機ともなると、帝国軍だけでは人員がとても足りないのだろう。そして人員を補充すると、今度は装備が足りなくなったのだ。
そうした義勇兵をかき集めたところで、人数は百を超える程度。サラネド軍を相手取るに足りないことは、考えるまでもなかった。
ともあれ、これなら自分がまぎれ込んでも問題はなさそうだ。これ幸いと、グラットも戦陣に加わることにした。
しかしながら、注意は必要だ。勝手に参加してもよいのだが、不審に思われて同士討ちをしてはたまらない。
一応は警備隊の誰かへと声をかけることにした。
義勇兵を除けば、警備隊は全部で百人にも満たないだろう。
それを統括するのは、壮年のヒゲをたくわえた警備隊長だ。立派な赤い羽飾りを兜に付けているため、一目でそれと分かった。
そしてその下は、いくつかの小隊に分かれている。グラットが所属していた軍でいうところの、百人隊とほぼ同じ構成だろう。
声をかけるなら、警備隊長よりは小隊長のほうが気軽そうだ。
勝手にそう判断したグラットは、手頃な小隊長を見つけて声をかけようとした。一般兵と小隊長の違いも、やはり兜を見れば区別がつく。小隊長の兜には、白い羽飾りがついているのだ。
「おいお前、グラットじゃないか!?」
そう思った矢先、小隊長らしき男から逆に声をかけられた。
見れば、かつては軍の同期だった男である。グラットと同じ雲海軍にいたはずだが、いつの間にか警備隊へと転籍していたらしい。
「誰かと思えば、トーディじゃねえか。元気にしてたか? その兜――出世したみたいだな」
警備隊は格式でいえば、正規の軍隊よりも劣る位置にある。それでも重要な役目に変わりはない。若くして小隊長になったのだから、立派なものだろう。
「お前こそ、軍を辞めたんじゃなかったのか?」
「ああ、長いこと旅暮らしだぜ。今日は、久々に帰ってきたところだったんだがな。せっかくだから、ここは手を貸すぜ」
「そっか……。相変わらず物好きな男だな。じゃあ、俺の部隊に混ざるか? お前だったら歓迎するぜ。なんせ手も武器も足りないんだ」
グラットが持つ立派な槍を見やって、小隊長のトーディが言った。
トーディの表情には、悲愴な覚悟が窺えた。この警備隊は敵の戦力と比較して、圧倒的に弱小なのだ。それはこの場の誰もが理解していた。
「そんじゃ、俺も仲間に入れてもらうぜ」
「……何だかんだ言って、お前は頼もしいよな。ガゼットさんも将軍になったし、お前も辞めてなかったら、もっと出世できると思うんだが……。もったいねえ」
「そう言うなよ。軍にいなくても町は守るからよ。親父の留守番ぐらいは務めるぜ」
グラットがそう言えば、トーディも笑い返した。
戦いを前にして、男同士の連帯感が醸成されていた。戦友の絆とは、時に家族や恋人すらをも上回るという。軍を辞めたグラットだったが、それでも絆は完全に途絶えていなかったのだ。
敵の船が近づく様子が見えた。
辺りにある岩場のせいで、雲岸の全てを見通すことはできない。どうやら敵の船は、こちらの死角となる位置に接岸するようだ。
戦いの時は間近に迫っていた。