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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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黒狼の紋章旗

 ベオに残った一行にとっては、何事もない数日が過ぎた。

 掃討作戦がどのように進んでいるのかを、ソロンに知るすべはなかった。

 グラットもアルヴァも首尾を気にしていたが、二人にしても同じこと。アルヴァですら、今は一介の冒険者と立場は変わりなかったのだ。

 しかし、その平穏な日々もたちまち終わりを告げた。


 *


 甲高い鐘の音が響き渡った。時刻はまだ朝の早い頃合いである。

 その音をソロンは知っていた。

 帝都が緑の巨獣――グリガントに襲撃を受けた時にも、鐘は鳴り響いていた。町全体へ伝える警鐘の音だ。

 ソロンはすぐに跳ね起きた。同様に目覚めていたグラットと目を合わせる。

 ソロンは(すみ)やかに、アルヴァとミスティンの寝室へと走った。


「これは……!」


 目覚めの早いアルヴァは、すぐにソロンへと頷き返した。そのまま機敏に起き上がる気配を見せた。その顔には強い緊張の色が浮かんでいた。

 アルヴァにとって、帝都が襲われた時の出来事は強い心的外傷(トラウマ)となっている。

 一連の騒動の中で、未知の杖を用いた自らの魔法が民を傷つける結果となったのだ。それはソロンも察していた。


「港からだ。着替えたら屋上に来てくれ!」


 廊下に姿を現したグラットが叫ぶや、マーシアとショーナの部屋へと駆け込んでいった。この町を故郷とする彼は、事態の重大さを誰よりも悟っていたのだろう。

 ただ一人、ようやく上半身を起こしたミスティンは、眠そうに目をこすっていた。


「ミスティン、着替えますよ!」


 アルヴァは、ミスティンを抱きかかえるようにして強引に引き起こした。


「んにゅ~……」


 奇怪な声をもらしたミスティンは、されるがままになっていた。寝間着がアルヴァの手でまくれ上がり、ヘソが顔を出している。情けない体勢だったが、それでもどうにか立ち上がった。


「ソロン、あなたも早く着替えなさい」


 アルヴァに軽くにらまれて、ソロンは慌てて部屋に引き返した。


 着替えを終えた四人は、ゾンディーノ家の屋上へと集まった。みな武器を手に持って、不測の事態へと備えている。

 ゾンディーノ家の面々も、すぐに同じようにして姿を現した。

 そうしているうちにも鐘は何度も何度も鳴り響き、事態のただならぬ様相を(うかが)わせた。


 平民とはいっても、さすがは将軍の家である。ゾンディーノ家はこの住宅街の中では、最も高い建物だった。坂の上にあることもあって、その屋上は外を眺めるにも好都合だった。

 下り坂の向こうに港が見える。港の向こうには白く雲海が広がっている。そしてその雲海には――


「いっぱい来てるね……」


 ミスティンが不安を交えた口調で言った。さすがの彼女も、眠気まなこではいられなかったようだ。

 ソロンは数瞬、それが何なのか分からなかった。あまりにも距離が遠く、黒い点が雲海上に点在しているとしか見えなかったためだ。


 目の焦点が合うに従い、ソロンもすぐに理解した。

 全部で数十隻はあろうかという船団――それが雲海を越えて、町の方角へと押し寄せてきているのだ。

 船上には何か布のような物が掲げられている。

 帆かとも思ったが、色は黄色い。恐らくは旗だろう。さすがに、この距離では柄までは判別できないが。


「これで見てみな」


 と、母マーシアがグラットへと双眼鏡を手渡した。武門という家柄もあって、常に港と雲海を監視できるように常備していたのかもしれない。


「サラネド軍の旗だな」


 覗き込むなりグラットは断言した。

 予想通りだったらしく驚く様子もない。帝国軍人としての経歴を持った彼が言うのだから、疑いを挟む余地はなかった。

 その横顔は今までにもなく真剣だ。父の将軍を思い起こすような鋭い目だった。

 まだ距離は遠く、サラネド船の様子はよく見えない。ソロンもグラットの双眼鏡を覗き込めないかと、気にする素振りをしていたら、


「ソロン君も見る?」


 と、双眼鏡を手渡してくれたのはショーナだった。


「ありがとう」


 さっそく双眼鏡をソロンも覗き込んだ。

 双眼鏡――イドリスにおいて遠眼鏡(とおめがね)と呼ばれるそれは、結構な高級品だった。

 帝国ではイドリスよりも、ずっと手頃に買える物らしい。それでいて、イドリスの遠眼鏡よりも作りはよほど確かなようだ。双眼鏡の視界に歪みはない。


 レンズ越しに港がグッと近づいていく。

 そこから焦点をずらしながら、雲海を目指す。慣れない操作にとまどいながら、サラネドの船団を収めようと悪戦苦闘。


 白一面の海が狭い視界に収まり、やがては目的の船団が目に入った。

 雲海に浮かぶ数々の木造船。帝国の竜玉船とも、外観が異なる異国の船が映し出される。

 掲げられた旗をよく見れば、黄色というよりは砂色の生地(きじ)をしている。そこに描かれた紋章は黒の狼。これが初めて見るサラネド国の紋章だった。


 船団の中に際立って大きな船が一つ。他の船の数倍はあるだろうか。その船だけは材質が異なって、船体は灰色の金属に覆われていた。


「どうですか?」


 アルヴァが息のかかるような距離まで顔を近づけていた。

 ……無言の圧力を感じる。どうやら、ソロンの双眼鏡がお目当てらしい。


「うん、大きな船が一つだけある」

「サラネド軍の旗艦でしょうか」


 そう言いながら、なおも顔を離してくれない。


「見る?」

「はい」


 圧力に負けて双眼鏡を指差したら、さっと奪われてしまった。そうして手中にした双眼鏡を、彼女は食い入るように覗き込んだ。


「ちっ、よりにもよって、親父達が作戦の途中に襲ってくるとはな……」


 双眼鏡から目を離したグラットが唇を噛む。


「いえ、この機を見たような動きは恐らく偶然ではありません。雲賊は(おとり)で、サラネドは帝国軍がその討伐に向かうのを待っていたのでしょう。狙いは雲海軍の基地に違いありません」


 アルヴァの推測が合っているならば、サラネド軍の襲撃は相当に計画的なものと考えられた。

 例えば、軍が出払った時期を見計らって襲撃をしかけるにも、入念な準備が必要なのだ。

 そのためには港を監視し、帝国の軍船が雲賊討伐に向かったという情報を、いち早くつかむ必要もある。

 もっとも商人を初め、サラネド人も堂々と港へと入り込めたのだ。監視だけなら難しくもなかったはずだ。


「んなっ……。サラネドの連中は、賊を完全に手なづけてるってことかよ!?」

「どちらかというと利用されていたのでしょう。こうなっては、雲賊もただでは済みませんからね。……それにしても、愚かなのはサラネドです。ここで一時的に勝利をつかんでも、下手をすればその後は全面戦争ですよ」


 話しながらもアルヴァは、双眼鏡を通して状況の確認を(おこた)らない。

 ソロンも再び、肉眼に映る黒い点となった船団へと目をやった。

 サラネドの船団は大半が港へと向かってきていた。帝国製の竜玉船に負けず劣らず、滑るような速さで港へと迫っていく。こうして話しているうちにも、事態は動いてゆくのだ。


 敵の目標はアルヴァの見立て通り、このベオにある帝国軍基地で間違いなさそうだ。あそこさえ陥落させてしまえば、帝国軍は反撃もままならなくなってしまうだろう。


「くそっ……。どうやら、基地だけを狙ってくれるわけじゃあなさそうだな」


 グラットが悪態をつく。

 そんな中でも、敵船団の一部は港を通さずに雲岸へ向っていた。

 どうやら、港以外からも上陸してくる作戦のようだ。陸地から基地を目指すのか、あるいは町そのものを狙うのか……。


「町を守れるだけの兵力はありますか?」

「基地を守るだけで精一杯だろうな。普段から警備の兵もいるが、精々が何十人だ。それにあれは同じ帝国兵でも、軍というより警察隊だからな。軍隊の相手は荷が重いだろうぜ」

「そっか……。そりゃ厳しいな」


 船団を見ながら、ソロンは暗然とつぶやいた。

 あそこに搭載されたサラネド兵の数は、千を超えることは間違いない。町を襲う兵力も何百という規模になるはずだ。何十人では相手になるはずもなかった。

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