四番目の男
ひとしきり、皇帝イカの話題で話が弾んだ。
「はぁ~、冒険者ってのは軍隊に負けず劣らず凄いんだね。だけど、あんまり私に心配させないでおくれよ」
マーシアもグラットの話へしきりに感心していたが、それでも顔と言葉で心配を表していた。
「まあそういうなよ。軍隊にいたって結局、心配はかけるんだからな。俺は俺のやりたいことをしてるだけだ」
「ふらふらと危なかっしく見えて、しょうがないんだよ。私としては、早くお嫁さんでももらって落ち着いて欲しいね」
「嫁さんなあ……」
グラットは渋い顔になってつぶやいた。
無関係なソロンも思わず渋い顔になる。自分もイドリス人としては、とっくに成人を過ぎている身だ。槍玉に挙げられる辛さも知っていた。
そんな息子を横目にマーシアは続ける。
「そっちの二人なんてどうだい? どっちもとっても可愛くて綺麗じゃないか」
視線を向けられたのは、アルヴァとミスティンだ。二人ともきょとんとしながら目を見合わせた。
「おいおい、勘弁してくれよ……。おちおち飯も食えねえじゃねえか」
これにはグラットも、心の底から困ったような顔をした。スプーンを握ったまま、食事を運ぶ手を止めている。
アルヴァはマーシアに視線を向けられて、無視できなくなったらしい。上品な所作でお碗を置いてから、口を開いた。
「グラットは悪い男ではないと思っていますよ。粗野なようでいて、なかなか気が回りますし。軽薄なようで頼りになります。じきによい伴侶が見つかるでしょう。……私は遠慮しますが」
「ありがとよ。なんかけなされてるのは、気のせいだと思っとくぜ。……まあ、あんたには最初から期待してないさ」
そう言ったグラットの視線はアルヴァではなく、なぜだかソロンのほうを見ていた。
どこか、白けた雰囲気が流れる中――
「ん~、私もグラットはいい男だと思うよ。まあまあ好きかな」
空気を斬り裂いたのは、ミスティンの発言だった。当人は食事を続けながら、何でもないように澄ました顔をしている。
……が、何でもないのは当人だけ。全員の視線が彼女に集まっていた。
「マジで!? もしかして脈ありか!?」
俺にも春が来たか――とばかりにグラットは身を乗り出した。
「まさか、兄ちゃんにこんな綺麗な人が!?」
「ふむ……」
その妹もそれに続く。その父ガゼットは泰然たる態度をとっているように見せて、やはり気になるらしい。
サンドロスの戴冠式においても、グラットは着飾ったミスティンを賞賛していた。
今、彼女は飾り気のない旅装をしているが、それでも素朴な美しさとかわいらしさを保っている。好きだと言われれば、悪い気分にはならないだろう。
ソロンとしても、この二人はお似合いのように見えた。何だかんだと言いながら、気が合っている場面を何度も見てきたのだ。
自分へと集う注目に、ミスティンも一拍遅れで気づいたようだ。食事を進める手を止めて、無表情を維持したまま口を開く。
「ソロンとアルヴァに、それからお姉ちゃん……。四番目ぐらいには好きかな」
指折りしながら数えるミスティンを見て、グラットは「はぁ……」と肩を落とした。
ソロンが思わずミスティンへと目をやれば、彼女は空色の瞳と共に無邪気な笑みを返してきた。
少し気恥ずかしくなったソロンは、アルヴァと顔を見合わせる。アルヴァにしても、ミスティンの態度に対して、照れが半分、苦笑が半分といった表情になっていた。
「いや、なんつうか……突っ込みたいとこは色々あるんだが。そういう生々しい格付けは結構ヘコむんだぞ。お前のその、空気が読めないまでに正直なところは嫌いじゃないが……」
グラットはすっかり悄気ていた。
「まあなんだ、息子よ。お前はまだ若く、人生は長い。人生とは、あの雲海のように果てしなく続いていくものなのだ。だから、そのうちいい女だって見つかるとも」
ガゼットは息子を慰めているつもりらしい。しかし、何かそれっぽいことを言っているようで、大した意味がないのは丸分かりだ。
「そうそう。グラットはそれなりに強くてカッコいいし、綺麗なお嫁さんが見つかるといいね」
これを全く悪気もなく口にできるのが、ミスティンという女だった。天真爛漫なようで、もはや悪女と紙一重である。
「泣きたくなるほど優しい言葉をありがとよ……」
追い打ちをかけられたグラットは、本当に泣きそうな顔になっていた。
それでもソロンはグラットの肩を叩きながら、
「えっと、男の僕が言うのもなんだけど、グラットはいい男だと思うよ。なんていうか、もう一人兄さんができたような気がしてるんだ」
精一杯の慰めを口にした。
「おう、お前もありがとよ……」
グラットは大袈裟に涙をぬぐう振りをした。それから、ソロンを見つめ、
「――ほんとにお前が女だったらなあ……」
などと、ナイゼル並のことを言い出した。
……思ったよりも重症なのかもしれない。とりあえず、今の発言は聞かなかったことにした。
*
食事と入浴を終えて、四人はグラットの私室に集まった。
「ふわあ……」
ミスティンは床に寝転がって、心地よさそうにしていた。
濡れた金髪も、今はほどいて伸ばしている。ソロンに割り当てられた毛布を奪って、既に自分の部屋であるかのようにくつろいでいた。
「おい、寝るんじゃねえぞ。お前はこっちの部屋じゃねえからな」
湯を浴びてさっぱりしたらしく、グラットも多少は気を取り戻していた。
一応、女性二人については別に寝室が割り当てられている。それでもまだ寝るには早いらしく、こちらの部屋へと団欒に来ていたのだ。
「そうですよ、ミスティン。人の部屋に上がった時は、礼儀正しくなければいけませんよ」
ミスティンの上半身を支えて起こしながら、アルヴァは言った。もっとも口調は穏やかで、たしなめるというよりは愛でるような雰囲気だ。
「ん~、分かってるって」
「本当ですかねえ……」
そう答えながらも、アルヴァはミスティンの金髪をクシでけずり出した。どうやら起こしたのはそのためらしい。お互いにそうやって髪を整えるのが日課になっているのだ。
「ふにゃ~」
ミスティンも撫でられた猫のような声を出して応える。
寝間着の娘二人がたわむれる姿。男なら思わず目をやりそうになる光景だが、それはそれで気恥ずかしい。
視線を転じたソロンは、部屋を見回して、
「意外と綺麗にしてるよね」
と、話題を転じた。
主が家を出ていたため、部屋は二年の間、使われていなかったはずだ。それでも見る限り、部屋は清潔に保たれていた。
「そうですね。あなたのお母様がきちんと掃除をしていた証左です。家族だからといって、当たり前のこととみなしてはいけません。感謝せねばなりませんよ」
「感謝してねえわけじゃねえけどよ。いや……まあ、ちっとは家を出て悪かったと思ってんだよ。戻る気はねえけどな」
口うるさいアルヴァの指摘に、グラットは渋々同意する。
「いつまで反抗期を続けるかと思いきや、意外と殊勝なようですね。……よいご家族だと思いますよ。私としては羨ましいぐらいです」
アルヴァはクシけずる手を休めずに話を続ける。されるがままのミスティンは静かにしていた。
「まあな。なんだかんだと言いながら、悪い家族ではないんだろうな。まっ、親父の跡を継がされるのはゴメンだったもんで、家を出ちまったが」
「ふ~ん、でもガゼットさんは立派な人だよね。やっぱり、グラットに跡を継いで欲しいんじゃないかな?」
ソロンから見て、グラットはどことなく兄サンドロスに似た部分もある。それだけにサンドロスとは異なり、自由な道を進むグラットの選択が気になったのだ。
「世襲が絶対の貴族様じゃねえからな。俺はそんな堅苦しい世界にいるつもりはねえぜ。誰か真面目で実力のある奴が、軍を率いればいいさ」
「徹底的な実力主義で後継者を決めるなら、それも一つのやり方ではありましょう。ですが、世襲とて捨てたものではありませんよ」
「そういうもんかね?」
顎に手を当てて、少し興味深そうにグラットは問い返した。
アルヴァは手で支えていたミスティンを優しく横たえて、熱弁を開始する。
「家という制度の中で、幼少から仕事を学び続けることができる。そうして高い知識と技能を備えた後継者が育まれるのです。親から子へと後継者を明確にすることで、血で血を洗う争いも減らせましょう」
「なるほどなあ。世襲社会の頂点にいらっしゃたお方は言うことが違うぜ。……いや皮肉じゃなくて、そういう考え方もあるんだな。けどな、力説してもらって悪いが、やっぱり俺は嫌なんだよ」
アルヴァは分かっているとばかりに首を縦に振った。
「ことさら非難するつもりはありませんよ。正直なところ、世襲の実態は良いことばかりとはとても言えません。生まれ持った地位を、怠惰の許される特権と勘違いしている者もいます。誠に嘆かわしい限りですが……」
「まあ、アルヴァが遊び呆ける姿は想像できないけどね。むしろ、禁欲的にも程があるっていうか……」
「別に禁欲的なつもりはありませんよ。ただ俗世的な欲求に興味がないだけです。豪華な食事をしたところで、結局はしばしの間、腹がふくれるに過ぎません。華美な服をまとったところで、しょせんはそれも飾りもの。何が楽しいのか私には分かりませんので」
「お姫様は筋金入りだなあ……。生まれた時から物質的に満足だから、その辺のことは飽きちまったんだな、きっと」
「そうかもしれませんね。自分を磨き、知識を得て、それを実践する以上に満たされるものはないと思っていますから」
グラットは感心するやら、呆れるやらといった表情で苦笑を返した。それから話題を転じて。
「で、明日からどうするよ。俺としてはあんまり長居する気はないし、あくまでお姫様の用事が優先だからな。明日にでも出発しようと思ってるんだが……」
「あなたがそうおっしゃるならば、長居をする理由もなくなってしまいますが……。ただ、こちらにしてもタスカートと同じで船便はそう多く出ないはずです。準備もありますし、明日はゆるりと過ごしましょう」
アルヴァはグラットに気を利かせたのか、そう述べた。そしてその辺りで、ソロンは気づいた。
「ミスティンが寝てるんだけど……」
無垢な子供のような寝顔で、すやすやと寝息を立てている。湯に濡れた金髪がつややかだった。
「しょうがない子ですね。今日はこれまでにしましょうか。……ソロン、運んであげてください」
母ペネシアを思い出すような優しげな声で、アルヴァが言った。
ミスティンの体格はソロンとほとんど大差ない。身長はほぼ同じで、体はわずかに細いという程度。だから運ぶのはそれなりに大変なはずだ。
グラットのほうがよいのでは――と目を向ければ、
「俺、四番目だからなあ……」
と、悲しげな顔でソロンを見ていた。
寝息を立てるミスティンを運び終え、そうしてゾンディーノ家で過ごした夜は終わった。
それにしても忙しい日だった。
竜玉船に乗ったと思いきや、雲賊に襲われ……。雲賊を撃退したと思いきや、帝国軍にベオに連れられ……。しかも、そこの将軍はグラットの父だったのだ。