ゾンディーノ家の食卓
エプロンを付けたアルヴァは、真剣な表情で魚をさばいていた。
四枚の翼を持った青く美しい魚――どうやらそれが雲海の飛魚らしい。包丁はその翼を、たちまちのうちに切り捨てていく。
ソロンの心配はよそに、包丁を振るう手つきは全く危なげない。やはり彼女は相当な努力家で、自己申告した通りに器用なのも確かなようだ。
ソロンは桶に汲まれた水で野菜を洗いながら、その様子を見ていた。
「おお、手つきがいいじゃないの。もしかして経験あったんじゃないの?」
「ええ、肉や魚をさばいた経験なら何度か」
マーシアの問いに、アルヴァが相槌を打つ。
「――召使い任せにはせず、一通りのことは経験するように――というのが、実家の方針でしたので」
「ほう、やはり、いいとこの娘なんだな。実家はイシュティールだったか?」
食卓に座っていたガゼットが、アルヴァへと尋ねた。
雲海軍の基地で、彼はアルヴァの非凡な能力を目にしていた。それが原因で彼女へと興味を持ったのかもしれない。
「その通りです。イシュテア海の海都イシュティールです。お分かりでしょうか?」
アルヴァは偽の設定をすらすら答える。イシュティールは彼女にとって、帝都に次いで詳しい町なのだろう。
これにはマーシアが頷いて。
「本島のことは帝都ぐらいしか知らないけど……。まあ、イシュテア海の名前は知ってるよ。……するってえと、水の海のそばで暮らしてたんだね」
「はい。海の魚を釣った経験も、さばいた経験もありますよ」
意外な申告だったが、恐らくウソは言っていないはずだ。厳格な教育を受けてはいても、極端な箱入り娘でもない。それは幾度かの旅中で見せた彼女の印象とも合致していた。
「へえへえ、それでなのかい。いいとこのお嬢さんなのに、大したもんだねえ」
しきりに頷きながらマーシアは感心を示していた。
*
マーシア主導の下、ゾンディーノ家の料理が無事に仕上がった。七人で食卓を囲み、鍋をつつく。
供されたのは、海鮮ならぬ雲鮮の鍋料理。雲海で捕れた魚を調理した帝国の港町らしい料理だ。
雲海を泳ぐ魚達も、今はその独特な形状を失って刺し身となっていた。透き通った青白い刺し身が美しい。しかしそれも、鍋に熱せられることで、透明感が失なわれ白くなってゆく。
思わず箸を使いたくなるが、帝国にその文化はない。ソロンはやむなくフォークで突き刺し、ソースに浸して口へと運んでいく。
歯応えはイドリスで食した海の魚とさほど変わらない。しかし変わらないことは悪いことでもない。ほどよい酸味の利いた味付けと相まって、ソロンの食も進んだ。
「どうですか、ソロン。私が本気を出せば、刃物の扱いなどお手の物なのですよ」
刺し身を切った当人たるアルヴァは、誇らしげに胸を張った。以前、料理で犯した失敗は相当に悔しかったらしく、何としても挽回したかったのだろう。
「うん、大したものだと思うよ。……それから、疑ってごめん。君ががんばりやさんだということは伝わった」
逆らう必要もないので、素直にほめておく。同時に詫びておくことも忘れなかった。
「分かればよいのです」
アルヴァの口調は高慢ながら、どこかあどけなさが残っていた。
これならあの塩むすび事件のことも、忘れてもいいかな――とソロンは思ったのだった。
*
「兄ちゃん、冒険者っていったい何やってるの?」
鍋の食材を選り分けながら、ショーナが兄グラットへと話題を振った。
「何ってなぁ……。そりゃ、色んなところを冒険するんだよ。雲海に浮かぶ無人島から砂漠まで色々さ」
砂漠というのは、イドリスから南に行った昼闇の砂漠のことだろう。もちろん下界については伏せてあるので、詳細を話せないのだが……。
「へぇへぇ~。なんだか面白そうだね。もっと話してよ」
目を輝かせてショーナは兄へと催促した。
しかし、グラットは眉間にシワをよせて、悩む素振りを見せた。ソロンやアルヴァのほうへ、ちらりと目をやってから、ようやく口を開く。
「言っとくけど、冒険者だってそんなに面白いことばっかじゃねえぞ。商隊の護衛兼荷物運びとか。作物を荒らす魔物退治とか。魔物っつても、子供でも倒せそうな大バッタの相手とかもな。ともかくそうやって地道にメシ代を稼がなきゃならん。うまくいかない時は単なる日雇い労働者と変わりないぜ」
グラットの話が、一面の事実なのは確かだろう。
しかしながら、このところの彼には当てはまらない。何といっても、下界を巡る大冒険をしてきたばかりなのだ。
それでもグラットが素っ気ない答えを返したのは、下界や神獣に関する話を避けているからだろう。ソロンやアルヴァの正体につながる話題は、避けなくてはならないのだ。
「う~ん、そんなんじゃなくてさあ。もうちょっと面白いのない?」
「つってもなあ……。冒険者には、おいそれと語れない秘密もあるんだぜ」
さすがにショーナは納得してくれなかった。グラットは適当にはぐらかそうとするが、妹はますます不満げな顔になった。
「じゃあ、イカの話なんかどうかな? 僕達が最初に会った時のこと」
そこでソロンは助け舟を出すことにした。この話題ならば、特に支障はないと考えたのだ。
「あ~、それだ! あれだったら話していいな。俺達の乗った竜玉船が、バカでかいイカに襲われたんだよ。こんなにデカいヤツだ。皇帝イカって知ってるか?」
グラットは座ったまま腕をいっぱいに広げた。かつて戦った皇帝イカの大きさを表現しているのだ。大袈裟にやっているようで、その実、本物は遥かに巨大だったのだが。
「ん? 皇帝イカだと!? アレに襲われたっていうのか?」
ガゼットは疑いの眼差しを息子に向けた。
「本当ですよ。タスカートの港から帝都に向かう途中に襲われたんです。みんなでどうにか撃退しましたけど」
ソロンが裏付ける発言をすれば、ミスティンもうんうんと頷く。
「そうそう。みんなでやっつけて、料理したんだよね」
もちろんミスティンが言う『料理』とは、文字通り触手を食材とした料理のことである。それを理解していれば、耳を疑う発言だった。
一家の面々が誰も突っ込まなかったのは、料理という言葉が退治の比喩にしか聞こえなかったからだろう。ソロンも話が面倒なので、そのまま触れないでおく。
「なんとまあ……。そいつは驚いたな……。息子だけなら信じないところだが、客人まで疑うわけにはいかんか」
皇帝イカを退治したという事実には、将軍たるガゼットすら驚きをあらわにした。軍人であると共に、彼も雲海の船乗りである。皇帝イカについてはもちろん知っているはずだった。
「ああ、そうだぜ。すっげえだろう。俺様の大活躍を見せてやりたかったぜ」
そんな父を見て、息子グラットは得意になる。
皇帝イカにとどめを刺したのはソロンだ。しかし、グラットが皇帝イカの触手をつかみ、引き止めてくれたことで好機を得たのだ。グラットが得意気になる資格は十分にあった。
「ううむ……。皇帝イカには、軍船を沈められたなんて事件もあってな。そんな相手によくやったものだ。やはりお前達は単なる冒険者とは思えないが……」
ガゼットは一同を見回しながら、感心を表情に示した。将軍と視線が合ったアルヴァは、ゆるりと首を横に振るって、
「その頃、私は一緒ではありませんでしたけれどね」
と、少しばかり寂しそうにしていた。自分が知らない頃の話題は疎外感があるらしい。