ゾンディーノ家の再会
ガゼットに連れられて基地を出たソロン達は、ゾンディーノ家へと向かっていた。
既に時間は夕刻。日中は白かった雲海も、黄昏の中で燃えるようにゆらめいている。
港を通って町へと向かう途中、褐色の肌をした一団の姿を見た。
船乗りのような粗野な男達の中に、身なりのよい男が混ざっている。どうやら商人と考えて間違いなさそうだ。商人は妻子らしき女子供も連れていた。
「あれっ、こんなところにもサラネド人がいるんだ?」
ソロンが疑問の声を発すると、グラットが反応した。
「そりゃそうだ。仲が良いとは言えんが、別に表立って戦争してるわけじゃねえからな。貿易だってやってるし、旅行者が来ることもあるぜ」
帝国と表立って敵対しているのは、あくまでサラネド人の雲賊である。国家として、全面対立しているわけではないようだ。
サラネドの商人は意外に立派な身なりをしていた。衣服は白を基調としており、汚れは見られない。白い布を頭にかぶり、その上から輪のような装飾品を巻いている。
最初に見た雲賊の印象が強く残っていたものの、サラネド人も決して野蛮人というわけではないようだ。
ベオの港を出て、町の中へと分け入った。
先頭にガゼット、少し遅れてグラット、その後に残りの九人が続いている。
港に隣接した地区には、宿と市場が数多く並んでいた。夕時であっても行き交いする人の数は多い。港から訪れる商人や旅行者を相手に、この地区も繁盛しているようだ。
そこで見つけた宿で、ナイゼル達とは別れることにした。
「では我々はここで失礼します。アルヴァさん、坊っちゃんのことをよろしくお願いします。私がいないと寂しくて夜泣きするかもしれませんが、その時は迷惑をおかけします」
「ええ、私も保護者としてペネシア様に託された身です。姉になったつもりで面倒を見ますので、ソロンのことは心配いりません」
冗談交じりのナイゼルに、アルヴァも真面目に返答する。
それにしても、なんと失礼なやり取りか。どこまでこちらを子供扱いする気だろうか。
「グラットよ。お主は家族仲良くするんじゃぞ。わしと同じ轍を踏むでないぞ」
家族関係に失敗したガノンドが、グラットを激励する。
「……さすがに、爺さんの域には達しないから安心してくれよ」
と、グラットは何気に辛辣な返事をした。
宿場街を抜けて、ゆるやかな勾配がある街道に差しかかった。
整然とした街路樹が道の両脇に並び、山側には立派な住宅が建てられている。貴族や富裕な商人が住む地区だろうか。
道はなだらかな山の斜面に沿って作られている。直線では大したことのない距離を、曲がりくねりながら登っていく。
日中、雲海から山を昇るように吹きつけていた風は、今になって鳴りを潜めていた。どうやら、雲海にも夕凪のようなものがあるらしい。静かで穏やかな一時だった。
港から合計で十分ほど歩いただろうか、今度は平素な民家が並ぶ一帯にたどり着いた。
いかにも平民が暮らしているような、なんてことのない住宅街である。帝国の基準ならば貧しいとはいえないが、さりとて富裕でもないようだ。
そしてそこに目的の家があった。
「どうだ、久しぶりの我が家だぞ」
ゾンディーノ家の自宅を目にして、ガゼットは息子へと声をかけた。
「まあ前に見たまんまだな。特に感想はないぜ」
平民が暮らす住宅街の中では、比較的に目立つ家である。
貴族の邸宅と比べれば、さすがに劣るが悪くはない。ガゼットは将軍になる前から軍の出世頭だったらしく、それなりに裕福だったようだ。
「給料も増えたし、港のそばに引っ越してもいいんだがな……。まあ、ここも悪い家じゃないし。住み慣れたところが一番ってところだ」
ベオは港を中心に発展した港町である。当然、港のそばに富裕層が集まる社会構造になっているらしい。
「ただいま! お~い、マーシア! ショーナ! あいつが帰ってきたぞ~!」
ガゼットは玄関に入るなり、元気よく声を張り上げた。それからグラットの首に腕を回す。
「お、おい、やめろよ。ここまで来て逃げたりしね~よ!」
「ははは、そうか。じゃあ、観念するんだぞ」
バタバタと二階から足音がして、すぐに中年の女性が顔を出した。恰幅のよい穏やかそうな女性。これがゾンディーノ夫人だろう。
「あら、あなた、そんなにお客さんを連れて――」
夫人は言いかけた言葉をすぐに飲んだ。
ガゼットに腕を回されたグラットの姿を見かけたのだ。
「ただいま、お袋。久しぶりだなあ」
「うそ!? 兄ちゃん、帰ってきたんだ!?」
目を丸くする夫人の背後から、若い娘が顔を出した。
「おう、ショーナもただいまだ。兄ちゃん帰ってきたぞ」
グラットは茶色の髪をかきながら、はにかむように言った。
*
怒ったり喜んだりと複雑な儀式を経て、家族の再会は果たされた。
父・母・妹。ゾンディーノ家はどうやら、グラットを除いた三人で暮らしているらしい。家自体は祖父母が存命だった頃に建てられたそうで、六人を想定した広さになっていた。
「グラットがお友達を連れて帰ってくるなんてねえ。それも女の子が二人も。うちの子にしては上等じゃないの」
居間に集まった面々を見て、ゾンディーノ夫人マーシアがつぶやいた。彼女は急遽、三人の客人と一人の息子をもてなすことになったのだ。
客人が押しかけた驚きよりも、息子が帰ってきた喜びが勝るのだろう。口調はどこか朗らかで、さして迷惑そうには見えなかった。
どこかなつかしい雰囲気がする一家団欒である。父を亡くしたソロンにとっては、二度と手に入らない光景……。両親を亡くしたアルヴァにとっても、それは同じだろう。
「ははは、急ですまんな。俺も今日は驚かされたよ」ガゼットは笑って妻をねぎらった。「ところで、食材は足りそうか?」
「大丈夫よ、買い置きしてあるから。男の子はたくさん食べるでしょうけど、まあなんとかなるでしょう。……けどお料理が大変ねえ。ショーナ、がんばってもらっていい?」
マーシアはグラットの妹――ショーナへ期待の眼差しを向けた。
彼女は見る限り、ソロンよりも少し歳下の娘である。髪色は兄と同じ茶色。巻き毛のよく似合う活発そうな少女だった。
「まあ仕方ないなぁ……。やれるだけはやってみるね」
面倒臭がるような素振りは見せたが、渋々ショーナも引き受けた。
「料理でしたら、私も手伝いましょう」
アルヴァがすかさず申し出た。貴人の生まれであっても、労働をいとう素振りは全くない。彼女のそういう一面を、ソロンはとても尊敬していたが……。
「あらそう、お願いできるかしら?」
マーシアは喜んで応えたが、
「えっと、やめといたほうがいいんじゃないかなぁ……。僕でもミスティンでも、料理なら手伝えるし」
控えめな口調でソロンはアルヴァをたしなめた。彼女には、酷く塩辛いおにぎりを食わされた前科があったのだ。
「……信用していただけないのですか?」
そう言うと、彼女はしょんぼりした表情になった。前回のことを想像以上に気に病んでいたらしい。
「いやその……。信用しないってわけじゃないけど……」
今日は雲賊との戦いを始めとして、様々な出来事があった。そうした場面において、彼女は幾度も気丈な態度を見せてきた。そこから一転して、この表情である。
「アルヴァさんは料理が苦手なの? あたしもあんまり得意じゃないんだよね」
そんな様子を見かねたのか、ショーナが口を挟んだ。
「いえ、別に苦手ではないはずです」
ずっと歳下のショーナにも、アルヴァは丁寧に受け答えする。
「――手先の器用さには自信もありますし……。ただ少々、慣れない料理に挑戦して、失敗したことがあっただけです。それでソロンはいまだに私を疑っているのですよ。誕生日の贈り物として、一生懸命に料理したのですが……」
どこかすねたように、アルヴァは口をとがらせていた。
あくまで料理が苦手だとは認めたくないらしい。気高い性格は時に面倒である。
「ソロン君は冷たいなあ。女の子が一生懸命に作ったんだから、そこは喜んであげないと」
ショーナは歳下――のはずなのだが、なぜかソロンは君づけで呼ばれている。見た目のせいで、同じぐらいの年齢だと思われたのだろうか……。
「そうなのですよ。素直なところはよいのですが、素直が過ぎて時々無礼なこともありますね、この人は」
なんだか知らないが、槍玉に挙げられていた。
「そうだよ、ソロンの無礼者。アルヴァがかわいそう」
弱ったソロンの頬を、ミスティンがペシペシと叩く。
「君に言われたかないよ」
ソロンもミスティンの頭を小突いて返す。
例の塩むすび事件の際に、一番無礼な発言をしたのはこの金髪娘だ。なめられてはならない。
ショーナが兄グラットを見やって。
「なんかケンカしてるけど、大丈夫なの?」
「んあ~、ほっとけよ。こいつら、見た目以上に子供だからな。大好きなお姉ちゃんを巡って、争うこともあるわけよ」
興味なさげなグラットは、あくび混じりで投げやりに答えた。
「そうなんだ……。複雑な三角関係が展開されてるわけね」
ショーナはよく分からない合点の仕方をしていた。
そうして、しばらくソロンはミスティンと戦っていたが。
「ソロン君もミスティンちゃんも、ケンカしちゃいけませんよ」
ついぞマーシアに制止された。
ミスティンはごまかすように笑みを作って。
「大丈夫、ソロンで遊んでるだけだから」
『ソロンと遊んでいる』ならともかく『ソロンで遊んでいる』と返ってきた。相変わらずこの娘は何様のつもりだろうか。
そう思いはしたが、程度の低い争いをいつまでも続けるわけにはいかない。不毛なケンカはやめることにした。
マーシアはわざとらしく怖い顔を作っていたが、すぐに相好を崩す。
「よし、いいでしょう。それから今日はお鍋にするつもりだし、料理に自信がなくても心配いらないわよ、食材を洗ったりさばいたりするぐらいで、そんなに難しいことはしないもの。けど量が多いから、手伝ってもらえるのは本当に助かるわね」
「そうなのですか? それでは私も、精一杯力添えさせていただきます」
アルヴァは俄然やる気を見せた。
ソロンも鍋料理なら問題はなさそうだと安堵する。調味料を大量に振りかけるような惨事を起こさないかだけ、気を配ればよいだろう。
「じゃあ、僕もやりますよ。ミスティンもどう?」
「ん、了解」
変なことをやらかさないように、自分とミスティンで見れば万全なはず。ソロンも料理は得意というわけでもないが、手伝いぐらいなら問題ないはずだ。