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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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飛び交う異国語

 ソロン達は、ガゼットの先導で基地の廊下を歩いていた。

 ガゼットにはまだ仕事があるようだが、基地の外までは送ってくれるらしい。

 グラットでも基地の内部は把握しているはずだが、今となっては部外者である。やはり、関係者でない者を勝手に出歩かせるのは問題があるようだ。


 途中、とある部屋の中から、男の大きな叫び声が聞こえてきた。


「なんだか騒がしいですね?」


 ソロンがガゼットに尋ねると。


「ああ、賊どもを尋問してるんだ。あいつらは逃げ足が速いからな。これだけ見事に捕まえられるのも珍しいんだ。貴重な機会と思って、活用させてもらっている」


 近づくにつれ、雲賊の声がはっきり聞こえるようになってきた。

 しかし、何を言っているのかさっぱり分からない。それもそのはず、それは帝国やイドリスで使われている言語とは大きく異なっていたからだ。


「ああそっか、帝国人じゃないんだね」

「そりゃそうだ、あいつらはサラネド人だからな」


 ソロンが聞けば、グラットが答えた。

 ガゼットは扉の前へと近づき、聞き耳を立てていた。尋問の進み具合を気にしているのだろう。


「ふ~ん。でも、イドリスとネブラシアでは言葉が通じるのに、同じ上界でも全く違うのは変な感じだな」


 ガゼットへは聞こえないと判断して、ソロンは小声でつぶやいた。さすがにイドリスや下界について、堂々とは話せない。


「確かに興味深いですね」

 アルヴァもソロンへと同意する。

「――こんなところにも、歴史的経緯が(うかが)えます。帝国とイドリスは同じ民族が創った国であり、界門を通じてしばらくは交流もあった。対してサラネドとは雲海を隔てており、大元の民族も異なる。……理由はそんなところでしょうか」


 下界ではイドリスからラグナイまで、広く共通の言語が使用されている。下界には、上界における雲海のような障壁がなかったからかもしれない。


 サラネド語で怒鳴り合う声が、なおも聞こえてくる。

 恐らくは雲賊の声だけではない。尋問する帝国軍の側にも、通訳としてサラネド語を使える者もいるはずだ。

 荒々しい声による応酬を耳にすれば、サラネド語を知らないソロンでも顔をしかめてしまう。


 ところが、アルヴァはそんな内部の様子に興味を引かれたらしい。将軍のそばへと近づいて、


捗々(はかばか)しくないようですね。差し出がましいようですが、通訳の方は語学力も話術も今一歩です。もう少し多様な角度から交渉したほうがよろしいかと」


 本当に差し出がましいことを言い出した。

 振り向いたガゼットは怪訝(けげん)な表情を浮かべて。


「どうしてそう思う? ……いや、君はサラネド語が分かるのか?」

「サラネド人の教師から指導を(たまわ)りましたので、それなりには……。少なからず、交渉術も積んだつもりです。よろしければ、私が話を聞いてみましょうか?」


 得意気にアルヴァは提案した。皇女として生まれた彼女のことだ。語学についても、一流の教師から指導を受けたに違いない。


 ……いや、そんな問題ではない。身元を隠している者としてはあり得ない目立つ行動だ。

 自分の能力を活かせる場面を見つけて、喜び勇んでしまったのだろうか。ソロンとしては、もう少し彼女には慎んで欲しいのだが……。

 いやいや、そこまで心配する必要もあるまい。土台、無茶な提案なのだ。きっと断られるに決まっている。


 ガゼットは思案の(てい)でアルヴァを見つめていたが、ふと笑みを浮かべて、


「案外、面白いかもな」


 思いのほか、軽い調子でそんなことを言い出した。将軍といってもさすがはグラットの父だ。堅苦しい人物ではないらしい。


「おいおい親父。本気で言ってんのかよ……」


 これには息子グラットすらも呆れていた。


「俺は本気だぞ。奴らも男だからな。美しい娘を見れば、気がゆるむ可能性はある。やってみる価値はあるだろう」


 ガゼットがそう言えば、アルヴァも力強く頷いた。

 そうしてガゼットの手によって扉が開かれた。アルヴァを部屋の中へと招き入れたのだ。


「提案するほうもどうかと思うが、受けるほうも大概だぜ……」


 そう言ったグラットも続いて室内へ踏み込む。


「さすがはアルヴァだね」


 ミスティンも当然のようにそれに続く。

 ソロンもやむなく部屋に足を踏み入れたが、そこで気づいた。どうやら、あまり広い部屋ではないようだ。


「さすがに全員は窮屈(きゅうくつ)かも。どうする?」


 扉を開けたまま、振り向いてナイゼルに尋ねる。扉の外にはナイゼルにガノンド、さらには四人の兵士が残っていた。


「では、私達はここで待っていますよ」

「ソロンよ。危険はないと思うが、姫様のことは頼んだぞ」


 ガノンドへと頷き返したソロンは、それで扉を閉めた。


 *


 狭い部屋の中、縄で手首を縛られた三人の男がいた。

 いずれも粗末な服装で褐色の肌をしている。それぞれ顔や体に古傷がついていて、見るからに人相が悪い。

 その三人を何人かの兵士が囲むようにしていた。

 ガゼット将軍も少し離れた場所に座って、それを見守っていた。威圧感があるが、それでも雲賊達はふてぶてしい態度を崩していない。


 帝国側の通訳らしき人物が、雲賊と会話を試みているが、事はあまりうまく運んではいないようだった。

 三人の雲賊は下卑た笑い声を上げながら、通訳に悪態らしき言葉を吐いていた。帝国語とは似ても似つかない耳障りな言語である。

 言葉が通じてはいても、雲賊の側に伝えようという意志が感じられない。言葉の分からないソロンでも、誠意がないことだけは理解できた。男達はあくまで白を切るつもりなのだろう。


 そこへスタスタと、迷いのない足取りで歩み寄る黒髪の娘がいた。

 今はアルヴァリーシャを名乗る彼女である。ソロンもさり気なく、そのそばへと移動した。

 ガゼット将軍が帝国軍の通訳へと一声かけた。そうして通訳と入れ替わったアルヴァは、三人の男達へと向き直った。


 雲賊達は意外な乱入者に「おぉ!」と歓声を上げた。どこの言語であろうとも、美しい娘を見た時に発する反応は大差ないらしい。

 そして、アルヴァは男を魅了してやまない微笑を浮かべた。

 周囲の空気が変わり、雲賊達の表情が一変してゆるむ。これも交渉術の一巻だろうか。まさに彼女は今、この場を支配しようとしていた。


「――――。アルヴァリーシャ――――」


 アルヴァは口調穏やかに言葉を投げかけた。

 帝国の交わされているそれとは異なる耳慣れない言葉。何を言っているのかは分からないが、自己紹介だろうとは推測がついた。

 三人の雲賊は目を見張り、お互いにサラネド語で驚きを表現していた。まさか現れた娘が、自分達の言語を解するとは思わなかったらしい。


「おお、本当にサラネド語ができるんだなあ。最近のお嬢さんは侮れん。うまく奴らのアジトを聞き出してくれよ」


 ガゼットが賞賛し、アルヴァもまた頷き返した。

 雲賊が何事かの返事をし、アルヴァはまた口を開いた。


「――――。――。――――」


 アルヴァのサラネド語は声調も美しく、賊と同じ言語とはとても思えない。こうして聞いてみれば、サラネド語が耳障りに思えたのは話し手の問題だったらしい。

 そのまま何らかの言葉が、アルヴァと雲賊の間で交わされた。


 アルヴァは穏やかに、かつ上品に話を続ける。時折ガゼットとも言葉を交わして確認を取っていた。雲賊達もしばらくは、普通に受け答えをしているように見えた。

 詳細は不明だが、恐らくはまだ重要な話に踏み込んではいないのだろう。ソロンはただ見守るしかなかった。

 ところが、男どもは次第にニヤついた顔になった。口調が段々と強くなっていく。アルヴァを若い娘と見て侮ったのか、調子に乗ってきたようだ。


 落ち着いて会話をしていたアルヴァが眉をひそめた。

 普段のアルヴァは、感情をあからさまにしない性格である。それでも気分を害したことがソロンには分かった。

 彼女との付き合いも既に長くなっていた。かすかな表情の変化から内心を(うかが)い知れたのだ。


「――――。――――――」


 雲賊は下卑た口調でアルヴァに声を投げかけた。

 アルヴァは「なっ……」と顔を赤くして、うつむく。いったい何を言われたのだろうか……。彼女が傷つくような羽目にならなければよいが……。


「――――」


 なおもアルヴァは粘り強く会話を試みる。

 だが、三人の雲賊はますます増長していった。さらなる下卑た笑い声を上げて、アルヴァのほうを見やっている。

 言葉少なに押し黙ったアルヴァだったが、その肩は震えているように見えた。


「おい、これやべえんじゃねえか……?」


 空気の変化を感じ取ったグラットが、小声で言った。ミスティンも不安げにアルヴァを見つめている。


「う、うん……。そろそろ止めたほうがいいかも」


 ソロンがそう口にした時には手遅れだった。

 左の賊がアルヴァに対して何かを言い放った刹那――杖が抜き放たれた。またたく間に室内を駆け抜けた雷が、賊の肩をかすめる。

 かすめた程度ではあったが、撃たれた賊には相当な電流が走ったらしい。男は体を震わせたまま、仰向けになって失神した。


「なるほど……。このような賊は犬と同じで、下手に出れば増長するのですね。人間として扱おうとしたのが(あやま)ちでした。ならば、私としても加減はよしましょう」


 紅の双眸(そうぼう)に炎をたぎらせて、アルヴァは言い放った。端正な顔はなおも微笑を浮かべていたが、かすかに引きつっているのをソロンは見逃さなかった。

 残った二人の雲賊や兵士達も、みな絶句するしかなかった。

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