港湾都市ベオ
大破した二隻の雲賊船は、帝国の軍船によって牽引されることになった。
無事なまま捕縛された一隻についても、帝国兵が乗り込んで操ることになったようだ。元いた賊船の乗員は縄で縛られて、軍船に積み込まれていった。
そして、ソロン達の乗っていた商船も結局、帝都へたどり着くことは叶わなかった。事情聴取のため、帝国軍が拠点とする港へと寄港を求められたのだ。
軍船の先導に従って、船長は舳先を転じるように指示を出した。三隻の賊船、二隻の軍船、三隻の商船。合わせて、八隻の船団が即席で形成された。
「うう……。船は無事だったのに、どうして帝都へ行ってはいけないんですかねえ……。物資に被害がないのは幸いでしたが、それでも船を出すだけで金貨が何百枚も飛んでいくんですよ……」
商魂たくましい貿易商も、さすがに軍の要請は無視できなかった。こうしてソロン達を相手に、愚痴を吐くのが精一杯の抵抗だったのだ。
指示された寄港先は港湾都市ベオ。
帝国軍のこの地方における本拠地である。タスカートから南西――竜玉船に乗って数時間の場所にあった。
「結局、こんなことで故郷に連れていかれるとはなあ……。軍船がやって来た時には、嫌な予感がしてたけどよ」
陸地へと引き返す竜玉船の上で、グラットは嘆息していた。
ベオはグラットが故郷とする町でもあったのだ。先日、里帰りを勧めるアルヴァの提案を、グラットが断ったのは記憶に新しい。
ソロンはグラットの肩を叩いて。
「さすがにもう観念しなよ。ここまで来たら、里帰りするよい機会と思うしかないさ。……やっぱり後ろめたい?」
「ああそうだな。家を出た身だしなぁ……」
グラットは煮え切らない態度で言葉を濁す。
「グラットのことだから、軍役中に無断で逃げてきたとか?」
さらにはミスティンが半目で問いかける。
「ねえよ、下手すりゃ極刑だぞ。さすがの俺も、んな度胸はねえ。ちゃんと時期を見て除隊したぜ。まっ、親父には怒鳴りつけられたがな。っつうわけで、里帰りはちっとばかり気まずいわけだが」
「だったらよいではないか。わしや姫様と比べれば、恵まれたもんじゃろ。敷居は高く感じられようと、胸を張って堂々と帰ればよかろう」
追放の身であるガノンドも、グラットの背中を押す。
身元を隠さねばならない二人と比べれば、グラットは恵まれた立場である。それでもグラットは、不満かつ不安な表情を変えることはなかった。
*
先をゆく軍船が雲賊船を曳航していたため、八隻の船団はゆったりと雲海を進んでいた。
それでも数時間ほどすれば、ソロンの視界にベオの港が入ってきた。
日が暮れるには、まだしばらくの猶予がある刻限だ。港にそびえ立つ灯台も、今はまだ光を放っていない。
どうやらベオの港町は、雲賊に襲われた地点からそれほど離れていなかったらしい。
言わば帝国雲海軍の目と鼻の先で、凶行が行われていたことになる。だとすれば、雲賊の跋扈も相当なものだ。
ベオは雲海に突き出す半島の先に造られた港町である。その恵まれた立地を活用して、貿易の拠点および軍事の拠点として栄えてきたのだ。
カプリカ島の中心都市というだけあって、帝都ほどではないにせよ相当に大きな港町だ。
コンクリートで整備された港には、二十を超える軍船が停泊している。
グラットによれば、港にある一際大きな建物が、雲海軍の基地なのだそうだ。いかにも軍事施設らしく、装飾味に乏しい無骨で平べったい建物だった。
港から山側に向かって、町が広がっている。西に目をやればコンクリートの港が途切れ、天然の雲岸が続いていた。
竜玉船が港に接岸したので、一行は船を降り立った。
先導していた軍船からも、兵士達が降りてくる。どうやらソロン達を、そのまま基地へと案内してくれるようだ。
ソロン達の一行はイドリス兵も含めて十人。そこに船長や船員、商人や護衛も加わるので、合計で四十人近い人数となった。
船を降りて早々、兵士達の案内に従って基地の中へと足を踏み入れた。
名目は、雲賊を退治した協力者への事情聴取。連行というほど物々しくはないものの、それでも皆どこか緊張していた。
そんな中でも、ナイゼルは基地の内情を興味深げに観察していた。なんせ、軍事施設を視察できるという願ってもない機会である。ナイゼルは普段が軽く見えても、抜け目ない男なのだ。
「はぁ……。ここも久々だなあ」
最も緊張していたのは、二年前に軍を除隊したというグラットだ。
かつての職場を眺め回しながら、四人のイドリス兵にまぎれるように歩いている。ひょっとしたら、知り合いに会うのを恐れているのだろうか。
*
「ゾンディーノ将軍がお話を伺いたいとのことです。しばらくお待ちいただけますか?」
着席したソロン達へ、先導の兵士が告げた。どうやら貿易商や船長は、別の部屋に連れていかれたらしい。
案内されたのは、粗末な椅子と机があるだけの飾り気ない客室。部屋は広くないが余計な装飾もないため、十人が入っても余裕がある。
ソロンが了承すれば、兵士は去っていった。入れ替わりにその将軍がやって来るのだろう。
客室は仲間内だけになった。
一応は客として扱われているらしく、監視の兵はつかなかった。もっとも部屋の外には大勢の兵士がいるため、逃亡の心配はないというだけかもしれない。
久々にゆるんだ空気が流れると思いきや――
「ゾ、ゾンディーノ将軍……だあ!?」
そんな中でも、驚愕の表情を見せていたのはグラットだった。
「ああ、グラットの古巣だもんね。知り合いなんだ?」
「お、おう、俺がいた頃は副将軍だったが……。貴族でもなんでもねえってのに将軍に出世か。聞き間違いじゃねえよな?」
「間違いありません」
と、否定したのはアルヴァである。
「――今は歴とした将軍ですよ。一年半ほど前に先任の将軍が退役し、後継としてガゼット・ゾンディーノ副将軍が指名されたのです」
「マジかよ……。一年半前っていうと、まだあんたの時代じゃねえよな?」
アルヴァは頷きながらも。
「昇格の経緯は当時から存じていましたよ。父の秘書官として、人事にも携わっていましたから。先任将軍からの推薦文を読んだ限りは、有能な方なのでしょうね」
「そ、そうか……。やっぱり、将軍ってのはよっぽど偉いんだよな。やってることは、こんな地方の防衛だとしても……」
グラットは見るからにソワソワしていた。よほどその将軍のことが気になるらしい。
「そうですわね。将軍位は帝国に十しかありませんので、それなりの地位だとは言えましょう。ちなみにうち八つは貴族出身者が占めており、平民出身者は二人だけです。家柄ではなく実力によって選ばれたという点は、誇ってもよいでしょう」
「もしかしたら、お姫様と面識あったりするのか? だとしたら、まずくね?」
なんといっても相手は将軍という重職だ。追放刑を受けた前皇帝を前にして、ただ見逃してくれるとは思えない。
「仕事上、書類でのやり取りなら何度か行いましたよ。ですが、私の在位が短かったこともあり、会う機会はありませんでした。ただ目の前でアルヴァネッサを名乗るのは、よしたほうがよいでしょうね」
「えっと、偽名を使うってこと? なんて呼べばいいのかな?」
少し困ったようにソロンは問うた。『陛下』という敬称をやめて、アルヴァと呼び捨てるようになって既に長い。他の呼び方はどことなく嫌だったのだ。
「う~ん、せっかくだからカッコいい名前がいいね」
一人ミスティンは顎に手を当てて、真剣な表情で悩み出した。まっすぐにアルヴァへと瞳を向けて、何かふさわしい名前がないかを思案しているようだ。
「……嫌な予感しかしないので、遠慮します」
すげなくミスティンを制止したアルヴァは、ほんのわずかに考えて口を開いた。
「――アルヴァリーシャ。愛称はアルヴァでよいでしょう。アルヴァネッサという名前は珍しいですが、愛称がアルヴァとなる名前は他にもなくはありませんから」
「でも、それだとそのまんまじゃない? 面白くないよ。ザザナーティンか、ボボロガーティン……ベベルプーティンも捨てがたいかな……」
ミスティンの感性はソロンにも計り知れない。ティンというのは、自分の名前に合わせていることだけは分かったが……。
「……ミスティン、私を玩具にしないでください。それに、私が全く別の名前を名乗ったところで、それを徹底できますか? 特にソロンに聞きますが」
冷ややかな瞳でアルヴァはこちらに矛先を向けた。思わずソロンはのけぞって。
「えっと、あんまり自信ないかも……」
自信がないどころではない。ほぼ確実に、何かのはずみで呼んでしまいそうだ。
「無理だろうな……。お前、絶対に学校の先生を『母さん』って呼んで、恥かくクチだろ」
グラットは関係あるようでないようなことを言い出した。
「うあああ! なぜそれを!?」
ソロンの脳裏に黒歴史が浮かび上がってくる。しかも鮮明に……。ソロンは頭を抱えてうずくまるしかなかった。
「ほう……。坊っちゃんの黒歴史をよくご存じですね。私の知る限りでは三回……。最新では五年前、イリビア先生の講義で――」
追い打ちをかけるように口を挟んだのは、もちろんナイゼルだ。
「ナイゼル! その話はやめ!」
椅子を蹴ってナイゼルに駆け寄り、その襟首をつかんだ。思いっきりゆさぶる。これ以上、余計な話をさせるわけにはいかない。
「ちょっ、坊っちゃん。そんな激しい……。皆さんが見てますよ……」
のけぞりながらも、どこか気色の悪い口調でナイゼルが言った。どこまでもからかうつもりのようだ。
そこに背後から、ミスティンがポンポンと頭を叩いてきた。振り向けば、謎の優しい眼差しでこちらの肩をつかんでくる。
「大丈夫だよ、ソロン。私はバカにしたりしないから。……私のこともお母さんって呼んでいいよ」
軽く抱きしめてくるミスティンを振り払って。
「絶対に呼ばないから!? もう五年はやってないから!」
叫ぶソロンの横で、アルヴァが溜息をついた。半目でこちらを呆れるように眺めている。
「……ともかく、そういうことです。用いるウソは少ないほうが危険も抑えられるというわけですよ」
話を戻してくれたことはありがたいので、ソロンもそれに乗っかる。
「わ、分かった……。アルヴァネッサじゃなくても、アルヴァでいいんだね。だったら、間違えないから安心だよ」
「はい。……ああ、でも私のこともお姉さんと呼んでいただいても構いませんよ。それなら名前を呼ぶ必要もなくなります」
「いえ、結構です」
瞬時に拒絶したら、アルヴァが少しだけ残念そうな顔になった。
*
「なんだ……騒がしい客人だな」
そんなソロン達の元へ、中年の男が扉を開けて入ってきた。後ろには書記らしき文官を引き連れている。
四十代の男盛り。茶髪に鋭い目つき。たくましい体つきだが、無駄な肉はなく引き締まっている。今は鎧こそ付けていないが、軍服に身を包んでいた。
いかにも武人といった精悍な顔立ちだ。この男がゾンディーノ将軍で間違いないだろう。
……それにしても、どことなく誰かに似ている気がする。
「俺がここを統括するガゼット・ゾンディーノだ。雲賊退治に協力してくれたそうで――」
話を始めようとした将軍だったが、すぐに口を大きく開けたまま目を見開いた。その視線の先では――
「よう親父! 久しぶりだな!」
グラットがどこかヤケクソ気味に元気よく立ち上がった。