海には海賊、雲海には雲賊
西を雲海に面したタスカート港。
石造りの港に押し寄せる雲の白波は、そよ風のように静かな音を鳴らしていた。
時刻は正午を少し過ぎた頃。上界の青空を強く堪能できる時刻でもある。夏の日射しが厳しい刻限でもあるが、雲海から吹きつける風がそれを緩和していた。
「おお……! 雲海の上に船が浮かぶとは……。聞きしに勝る不思議な船ですね」
港に停泊する数々の竜玉船――それを目にしたナイゼルは、またも感嘆の声を発していた。
四人の兵士達もそれぞれ驚きの声を上げている。彼らにしても、竜玉船の存在自体はガノンドから聞かされていたが、やはり聞くと見るとでは大違いなのだ。
「そうじゃろう、そうじゃろう。竜玉船とは上界の神秘であり浪漫じゃからな。下界人には想像もできまい。わしも若い頃は七つの雲海を股にかけたものじゃったわい」
そして、ガノンドにとっては二十数年振りの竜玉船だ。
七つの雲海という表現は誇張じみて怪しいが、ともかく深い感慨もあるだろうと察せられた。
「僕も初めて見た時は驚いたなあ……。だけど、感動を分かち合う相手がどこにもいなくてね。だから、二人に声をかけてもらえたのは、ありがたかったな」
ソロンは、ミスティンとグラットの二人に視線をやった。
最初に上界へ昇った時、まともに会話を交わしたのは、この二人が初めてだった。竜玉船に密航して捕まったソロンを、二人が擁護してくれたのが始まりだった。
「ちょっと変な奴だとは思ったけどな」
グラットは豪胆に笑う。
「――まっ、声をかけるなら美女か変な奴に限るというのが俺の持論だ。それが旅を楽しくする秘訣でもある」
変な奴と思われていたのは心外だが、それでも彼は話を聞いてくれた。
もっとも、雲海と竜玉船の感動を二人に伝えても、反応は冴えないものだったが……。上界人にとって珍しくはないのだから、当然ではあった。
「私は……なんか可愛かったし、可哀想そうだったから」
「そ、そっか……」
ミスティンの言葉に、ソロンは苦笑して頭をかいた。
この金髪の娘は一見、無愛想だったり無表情だったりもする。けれど打ち解ければ、誰よりも表情豊かな一面を見せてくれる。
……まあ、ナイゼル辺りへの態度は今でも若干怪しいが。
「それじゃあ、久し振りに竜玉船へ乗るとしようか」
ソロンにとっては数ヶ月振りの竜玉船となる。
雲海の上を走るこの船は、まさしく帝国を象徴する乗り物だ。竜玉船の上で何度か魔物に襲われる経験はしたが、それでも心が踊るのも確かだった。
タスカートから帝都へは、日に何度かの定期船が通っている。時刻を調べたわけではないが、何時間も待たされる可能性は低いだろう。
ところが――
「いや、すまないね。ここ数日は出港する船がないんだよ」
定期船の乗り場にて、職員は申し訳なさそうに述べた。
「出港しないって……どういうことですか!?」
思わずソロンは叫んでしまった。
「この近海に出るんだよ」
「出るって? もったいないファンタズマ?」
口を挟んだミスティンが謎の名称を上げた。
確か、帝国の民間伝承にあるお化けの呼称だ。もったいないことをした子供の魂を、喰ったり喰わなかったりするらしい。
……が、それはどうでもいい。気にすべきはそれではない。
「違うよ、お嬢さん。出るのは雲賊さ。もったいないファンタズマも恐ろしいけど、雲賊だって恐ろしいよ」
「雲賊が……!?」
下界を出発する前に、雲賊という存在については聞いている。だが、それが身近に関わってくるとは思わなかった。
「ああそういうわけでね。雲賊が退治されるまでは、定期船は見合わせだよ。最近まで、この辺りまでは雲賊もやってこなかったんだけどねえ……。まあ雲軍が退治してくれるのを待つしかないよ」
*
「まったく……。野には野盗、山には山賊、海には海賊。そして雲海には雲賊ですか。賊というのは、どこにでも湧いてくるんですねえ……」
ナイゼルが辟易としてぼやく。
乗り場を出たソロン達は、方針を決めるために港で立ち話をしていたのだ。
「雲賊か……。不謹慎かもしれんが、なつかしいな」
妙なところでグラットは昔をなつかしんだ。かつてはその雲賊に手を焼かされた立場らしく、それだけに印象も強く残っているのだろう。
「雲賊退治の仕事をしてたんだっけ?」
ミスティンが聞けば、
「おうよ。交易船を襲う雲賊共を、やっつけたり捕まえたりと忙しくしてたぜ」
グラットは胸を張って答える。
「――……いや、俺のことはいいんだよ。んなことより、どうするか決めようぜ。再開を待つか、やっぱ帝都まで歩いてくか?」
アルヴァは思案の体で。
「路銀に余裕もできましたし、馬車を使えばそれなりの日数で着けるでしょうが……。それより、他の船はありませんか?」
「他の船って……雲賊が出るから出港しないんじゃないの?」
ソロンが訝しむと、アルヴァは首を横に振って。
「それはあくまで定期船に限った話であって、私船までそうとは限りませんよ。他に安全な航路があるかもしれませんし、武装した商船もあるかもしれません。市場はにぎわっていたようですから、交易船も出ているのでは?」
「なるほど……。そうだね、ちょっと聞き回ってみようか」
*
手分けして聞き回ること一時間。
「どうだった? 帝都に向かう船はあるかな?」
ソロンが聞けば、ナイゼルが答える。
「予想通りではありますが、雲賊のせいで他の船もほとんど出港していないようです。みな命は惜しいですからね」
「ほとんど――ですか? ということは、出港している船もあるのでしょうか」
アルヴァは耳聡く、ナイゼルの言葉を聞き逃さなかった。
「うむ」
これにはガノンドが答えた。
「――中には欲の張った商人もいるようでしてな。商売敵が少ない今こそ好機――とかなんとか。護衛を集めて出港を強行する気らしいですぞ」
この老人もかつての上界人として、積極的に情報収集を行っていたらしい。
「なんともたくましいことですね。ですが、文字通りの渡りに船でもあります。我々も護衛として同乗させていただきましょうか」
アルヴァがあっさりと言ったが、グラットは難色を示す。
「おいおい、わざわざそんな危険を買わんでもいいだろ。雲賊と言っても、中にはちょっとした軍隊みたいな連中もいるからな。他の航路を探すとかないのか?」
「そうですか? さほど危険とも思いませんが。もし襲ってきたなら、返り討ちにすればよいだけでしょう」
アルヴァは不敵な光を紅い瞳にたぎらせていた。雲賊を避けるどころか、かかってこいと言わんばかりだ。
「……もしかして君、雲賊と出遭いたいと思ってない?」
そうアルヴァへ尋ねてみたら。
「そうですが何か? かつては帝国の治安を預かっていたものとして、雲賊の跋扈は看過できませんので。清浄なる内雲海を守るため、雲賊という汚点は駆除せねば」
迷いなく即答されてしまった。
その顔には余裕の微笑みが浮かんでいる。うら若き女性には似合わぬ好戦的な言葉だった。
「アルヴァ、カッコいい……」
しかし、そんなアルヴァをミスティンはうっとりと見ていた。空色の瞳を鮮やかに輝かせている。ひょっとして、これが恋する乙女の目というヤツだろうか……。
「やる気満々だな……。まあ、帝国の治安を預かってたのは俺も同じだ。どうしてもってなら、反対はしないがな」
グラットも渋々という調子であったが、アルヴァに強くは反発しなかった。
さっそく、交渉のため商人を探すことになった。アルヴァは急がないと言ったものの、何日もマリエンヌを待たせるべきではないだろう。善は急げである。