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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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便りを出す

 結局、いつもの四人でタスカートの町を歩くことになった。

 まだ早い朝。東の外壁を越えて、弱々しい朝日が射し込んでいた。それでも上界の町は明るく感じられる。

 ソロンから見れば、上界の街並みはどこであっても美しい。

 その理由は建築技術というよりも、空が雲に覆われているか否かの違いだろう。建築技術の差はいずれ埋められても、天に広がる青空だけは、下界には望むべくもなかった。


 誰に手紙を託すのかは知らないが、アルヴァは目的地を把握しているらしい。向かう方角は港に近い西側。時々、立て札に張られた地図を参照しながら歩んでいった。


「そういや、手紙ってどんなこと書いたの?」


 それほど興味があるわけではなかったが、話題として振ってみた。


「それなのですが、こんな内容でよろしいでしょうか?」


 アルヴァは(ふところ)から出した手紙を、ソロンに手渡した。手紙は広げてあるので、グラットとミスティンの目にも入った。

 しかしなぜ、ソロンに確認を取るのだろうか? 疑問に思ったが、とりあえず見てみることにした。


”マリエンヌ・カーラント様

 探しものが見つかったので、これからイシュティールへ届けに向かいます。心配かけてごめんなさい。でも探しものには傷一つないので大丈夫です。伯爵にもよろしく伝えてください。神竜の月、二十七日。ソロン”


 彼女にしてはやや平易な文体。伯爵というのは、イシュティールにいる祖父のことだろうか。だが、そんなことより――


「これ、ソロンの名前になってるけど……」


 ミスティンが不思議そうに手紙を指差した。


「名義をお借りしました。貴族の家ならば、召使が先に内容を改めることも珍しくありませんからね。用心に越したことはないでしょう」

「なるほど……。それで、文体も僕っぽくなってるんだね」


 マリエンヌから受けた依頼に対して、ソロンが報告する形式になっている。これならば違和感はないし、意味も伝わるだろう。

 もっとも『心配かけてごめんなさい』という部分は、アルヴァ自身の気持ちを含んだものかもしれない。

 となると、ソロンに手紙を見せたのは、名義を使う断りを入れるためだ。こんなところにも、彼女の律儀な性格が垣間見れた。


「とはいえ、筆跡は私のものになっています。マリエンヌにとっては、飽きるほど見た字体ですから即座に分かるでしょう」

「そっか、じゃあ大丈夫だね。ところで誰が、手紙をマリエンヌさんに届けるの?」


 アルヴァは公に名乗ることもできない立場だ。タスカートの町に、誰か信頼できる人間がいるのだろうか? ソロンはそのことを懸念したのだ。

 ところが、三人は怪訝(けげん)そうにこちらを見た。


「誰がって、そりゃ郵便局に決まってるだろ」


 当然とばかりに、グラットは聞き慣れない言葉を口にした。


「郵便局?」

「もしかして、下界には郵便もないんだ?」


 ミスティンが哀れむような目をソロンに向ける。


「……イドリスでは、遠くに手紙を出す時はどうしていますか?」


 ソロンの疑問に答える代わりに、アルヴァは質問を返した。


「そりゃあ、誰か宛先に向かう人に頼むんだよ。例えば、君が参加してたような交易隊とか。……帝国だとそうじゃないの?」

「はい。郵便といって、公営の通信網が整備されています。竜玉船や馬車を使って、目的地まで手紙が短時間で到達する仕組みがあるのです。職員に渡しておくだけなので、こちらが名乗る必要もありません」

「そ、そうなんだ。そんなことまでやってるんだ。帝国って凄いね……」


 恐るべき帝国の発展に、ソロンは怖気づいた。


「ていうか、お前知らなかったのか? しばらく帝都にいたくせによ」

「だって、そんなの使う機会もなかったし。知ってたとしても、届ける相手もいないしさ」



 何事もなく、アルヴァは郵便局で手紙を渡し終えた。といっても、少額のお金と共に手紙を渡しただけである。何とも簡単なことだった。


「便利だなあ。宛先に向かう人を、いちいち探す必要もないんだね」


 ソロンは感心しきりだったが、グラットは何でもないように。


「よっぽどの田舎じゃない限り、大丈夫だぜ」

「そっか。いつか、帝国とイドリスで郵便ができるようになれば、便利なんだけど」

「それは面白そうですね」

 アルヴァも賛同するが。

「――もっとも、それ以前にイドリスは魔物も多く交通網も不安定です。郵便のような制度が発達するには、もうしばらく時間がかかるのではないでしょうか」

「う~ん。イドリスもまだまだだなあ……。後でナイゼルにも教えてあげよう」


 国家としての水準の違いに、ソロンは溜息をつくしかなかった。


 *


 次はナイゼル達と合流するために、市場へと向うことにした。

 港町として栄えるタスカートは、いずれの施設もやはり港付近に集まっていた。郵便局と市場もやはり港に近く、距離としてはそれほど遠くなかった。


 市場に入ってすぐに目についたのは、色とりどりに並ぶ魚達だ。海ではなく、もちろん雲海で捕れた魚達である。

 海の魚と比較すれば、色こそ似ているがどことなく形状が違う。

 羽のようなヒレを持った種類。体外にもふくらみが見えるような浮袋を持った種類。それぞれ雲海に浮き上がるために、適した身体構造をしているらしい。


「前に来た時は、じっくり町を見る暇もなかったな。……二人もタスカートに来たことあるんだよね?」


 グラットもミスティンも、この町から出港した竜玉船に乗っていた。だからこそ、ソロンと出会うことになったのだ。


「私はあんまり見て回ったことはないけど……。どっちかというと、船の護衛の仕事で行っただけだから」

「俺は元々、こっちの島の生まれだからな。ベオからタスカートまでは竜玉船なら数時間だ。当然、何度も来たことあるぜ。まあ、港町なら見た目はどこもこんなもんだ。目新しい物はねえな」


 先日、グラットは故郷のベオという町について語っていた。知らぬ間に随分と近くに来ていたらしい。


「そうでしたね。せっかくだから、里帰りしてはいかがですか? 既にマリエンヌへは手紙を送りましたし、私もそこまで急ぐつもりはありませんので」

「よしてくれよ、こっちは家を出た身だぜ」

 グラットは嫌そうに手を横に振る。

「――それにちょっとした寄り道でも路銀はかかるしな。迷惑はかけらんねえよ」

「路銀なら私がどうにかしますので、気になさらず。あなたの貢献には感謝していますので、その程度なら任せてください」

「いや、あんた財産を没収されたんだろ? そんな余裕があるわけ――」


 アルヴァは罷免(ひめん)と追放を受けた際に、多額の財産を没収されたはずだった。

 彼女のことだから、豪奢(ごうしゃ)な生活をしていたわけもない。けれどそれだけに、無駄遣いなく溜め込んでいた資産もあったと考えられた。


「全てが没収されたわけではありません。元老院の権限では、私的財産の全てにまで厳格な適用はできませんから」

「どういうこと?」


 意味がよく分からなかったらしく、ミスティンは口を挟んだ。


「ざっくばらんに言えば、銀行口座や土地・家ならばともかく、戸棚の奥までは把握できないということです。それらはマリエンヌに移譲してありますので」

「なるほど、なるほど」


 納得したらしくミスティンは手を打った。


「はい。他にも色々と抜け道はありますが割愛します。元の資産と比べれば、ささやかなものですが、それでも中流貴族程度には資産も残っているはずです」

「ちゃんとアルヴァも私腹を肥やしてたんだね。私も安心したよ。あんまり欲がないみたいだから、心配してたんだ」


 皮肉でも何でもなく、心から安心したようにミスティンは表情をゆるめた。


「……ミスティン、その言い方は誤解を招きます。一応、私が取ったのは合法的な手段だけですよ」

「分かってるって」


 ミスティンはニコニコしながら、アルヴァの帽子をポンポンと叩いた。少し前なら、不敬になりかねない所作である。

 手を振り払ったアルヴァは、少しムキになったようで赤くなる。


「私欲がなくとも、蓄えはあるべきですよ。元老院の理解を得られぬまま、事業を行いたいこともあります。いざという時――例えば天災や戦争が起こった際に、必要な予算が不足していることも考えられましょう。その度に財務省や元老院へ(はか)っていては、手遅れになりかねませんので」

「ああ、何となく分かるかも」

 ソロンは頷いた。

「――僕の父さんや兄さんだって、いざという時は私財に頼ってたしね」

「そうでしょう。ですから、滞在費ならマリエンヌに送ってもらえば済む話なのです。……いかがですか、グラット?」


 グラットはまた手を振って。


「お姫様もけっこう世話焼きだよな。……けど、お節介はそこの二人だけにしといてくれよ。俺は帰りたくなった時に帰るからよ」

「……分かりました。ですが、あなたのお父様も恐らくは軍人なのでしょう? でしたら、健在なうちに親孝行はしておくべきですよ。いつまでも、親が元気だと思っては大間違いです」


 アルヴァの言葉には、既に両親を亡くしている者の重みがあった。


「歳下に説教されたかない――と言いたいとこだが、あんたも苦労してるからな。すぐに考えを曲げるつもりはないが、考えとくぜ。気遣いありがとよ」


 グラットはやんわり断り、それから前方を指差した。


「――それよりいたぜ」


 見知った一団が視界に入ったのだ。

 灰茶の髪を伸ばした青年が、商人と身振りを交えながら商談をしている。立派なヒゲを生やした老人が、しげしげと商品を見つめている。

 二人の周囲には四人の青年達が軽装の鎧をまとっていたが、いずれも護衛の兵士であるとソロンは知っていた。



「ナイゼル、うまくいってる?」


 商談を終えたところを見計らって、ソロンは灰茶髪のナイゼルに声をかけた。


「やあやあ、坊っちゃん。至極、順調ですよ。竜玉は本当に大した値段がつきますね。品質も良いと評判も上々です」


 ナイゼルはほくほく顔で袋を掲げてみせた。見ているだけで、金貨の重みがずっしりと伝わってきそうだ。


「さすがだね」


 ソロンもこれには脱帽し、素直に賞賛するしかなかった。ナイゼルは有能な魔道士ではあるが、交渉事も得意としていた。もちろん商談もお手のものだ。


「なんの、帝国では良い値で物が売れるというだけですよ。私の功績にはあらずです。帝国の通貨価値はまだ勉強中ですが、これだけあれば路銀に不足もないでしょう」

「金貨が二百枚はあるからのう。帝都からイシュティールまでを往復しても、お釣りが帰ってくるじゃろう」


 ガノンドも同じく、自信ありげな顔をしていた。


「ええ、悪くないと思います」

 アルヴァも金貨の袋を見て頷いた。

「――これこそが交易の王道ですね。イドリスでは価値の低い物を、帝国で高く売っているわけですから」

「そうだね。もっと大規模にやれば、かなりの収入になるかも」

「イドリスに戻ったら、サンドロス陛下に進言しましょう。ですが戻る際には、お土産もたくさん買わないといけませんね」


 ナイゼルは満足気にしながらも、悩む様子を見せた。

 『お土産』という言葉で軽く表現したが、事は重大だった。ナイゼル達が帝国で購入した品が、イドリスの将来を左右する可能性すらあるのだ。


 昼頃にはナイゼル達も市場での売買を終えた。

 その結果、路銀にも余裕ができた一行は、満を持して竜玉船へ乗り込むことに決めた。

 ついに今から、帝都へと向かうのだ。

 ソロンにとっては久々の竜玉船――ナイゼル達にとっては初めての竜玉船だった。

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