便りを出す
結局、いつもの四人でタスカートの町を歩くことになった。
まだ早い朝。東の外壁を越えて、弱々しい朝日が射し込んでいた。それでも上界の町は明るく感じられる。
ソロンから見れば、上界の街並みはどこであっても美しい。
その理由は建築技術というよりも、空が雲に覆われているか否かの違いだろう。建築技術の差はいずれ埋められても、天に広がる青空だけは、下界には望むべくもなかった。
誰に手紙を託すのかは知らないが、アルヴァは目的地を把握しているらしい。向かう方角は港に近い西側。時々、立て札に張られた地図を参照しながら歩んでいった。
「そういや、手紙ってどんなこと書いたの?」
それほど興味があるわけではなかったが、話題として振ってみた。
「それなのですが、こんな内容でよろしいでしょうか?」
アルヴァは懐から出した手紙を、ソロンに手渡した。手紙は広げてあるので、グラットとミスティンの目にも入った。
しかしなぜ、ソロンに確認を取るのだろうか? 疑問に思ったが、とりあえず見てみることにした。
”マリエンヌ・カーラント様
探しものが見つかったので、これからイシュティールへ届けに向かいます。心配かけてごめんなさい。でも探しものには傷一つないので大丈夫です。伯爵にもよろしく伝えてください。神竜の月、二十七日。ソロン”
彼女にしてはやや平易な文体。伯爵というのは、イシュティールにいる祖父のことだろうか。だが、そんなことより――
「これ、ソロンの名前になってるけど……」
ミスティンが不思議そうに手紙を指差した。
「名義をお借りしました。貴族の家ならば、召使が先に内容を改めることも珍しくありませんからね。用心に越したことはないでしょう」
「なるほど……。それで、文体も僕っぽくなってるんだね」
マリエンヌから受けた依頼に対して、ソロンが報告する形式になっている。これならば違和感はないし、意味も伝わるだろう。
もっとも『心配かけてごめんなさい』という部分は、アルヴァ自身の気持ちを含んだものかもしれない。
となると、ソロンに手紙を見せたのは、名義を使う断りを入れるためだ。こんなところにも、彼女の律儀な性格が垣間見れた。
「とはいえ、筆跡は私のものになっています。マリエンヌにとっては、飽きるほど見た字体ですから即座に分かるでしょう」
「そっか、じゃあ大丈夫だね。ところで誰が、手紙をマリエンヌさんに届けるの?」
アルヴァは公に名乗ることもできない立場だ。タスカートの町に、誰か信頼できる人間がいるのだろうか? ソロンはそのことを懸念したのだ。
ところが、三人は怪訝そうにこちらを見た。
「誰がって、そりゃ郵便局に決まってるだろ」
当然とばかりに、グラットは聞き慣れない言葉を口にした。
「郵便局?」
「もしかして、下界には郵便もないんだ?」
ミスティンが哀れむような目をソロンに向ける。
「……イドリスでは、遠くに手紙を出す時はどうしていますか?」
ソロンの疑問に答える代わりに、アルヴァは質問を返した。
「そりゃあ、誰か宛先に向かう人に頼むんだよ。例えば、君が参加してたような交易隊とか。……帝国だとそうじゃないの?」
「はい。郵便といって、公営の通信網が整備されています。竜玉船や馬車を使って、目的地まで手紙が短時間で到達する仕組みがあるのです。職員に渡しておくだけなので、こちらが名乗る必要もありません」
「そ、そうなんだ。そんなことまでやってるんだ。帝国って凄いね……」
恐るべき帝国の発展に、ソロンは怖気づいた。
「ていうか、お前知らなかったのか? しばらく帝都にいたくせによ」
「だって、そんなの使う機会もなかったし。知ってたとしても、届ける相手もいないしさ」
何事もなく、アルヴァは郵便局で手紙を渡し終えた。といっても、少額のお金と共に手紙を渡しただけである。何とも簡単なことだった。
「便利だなあ。宛先に向かう人を、いちいち探す必要もないんだね」
ソロンは感心しきりだったが、グラットは何でもないように。
「よっぽどの田舎じゃない限り、大丈夫だぜ」
「そっか。いつか、帝国とイドリスで郵便ができるようになれば、便利なんだけど」
「それは面白そうですね」
アルヴァも賛同するが。
「――もっとも、それ以前にイドリスは魔物も多く交通網も不安定です。郵便のような制度が発達するには、もうしばらく時間がかかるのではないでしょうか」
「う~ん。イドリスもまだまだだなあ……。後でナイゼルにも教えてあげよう」
国家としての水準の違いに、ソロンは溜息をつくしかなかった。
*
次はナイゼル達と合流するために、市場へと向うことにした。
港町として栄えるタスカートは、いずれの施設もやはり港付近に集まっていた。郵便局と市場もやはり港に近く、距離としてはそれほど遠くなかった。
市場に入ってすぐに目についたのは、色とりどりに並ぶ魚達だ。海ではなく、もちろん雲海で捕れた魚達である。
海の魚と比較すれば、色こそ似ているがどことなく形状が違う。
羽のようなヒレを持った種類。体外にもふくらみが見えるような浮袋を持った種類。それぞれ雲海に浮き上がるために、適した身体構造をしているらしい。
「前に来た時は、じっくり町を見る暇もなかったな。……二人もタスカートに来たことあるんだよね?」
グラットもミスティンも、この町から出港した竜玉船に乗っていた。だからこそ、ソロンと出会うことになったのだ。
「私はあんまり見て回ったことはないけど……。どっちかというと、船の護衛の仕事で行っただけだから」
「俺は元々、こっちの島の生まれだからな。ベオからタスカートまでは竜玉船なら数時間だ。当然、何度も来たことあるぜ。まあ、港町なら見た目はどこもこんなもんだ。目新しい物はねえな」
先日、グラットは故郷のベオという町について語っていた。知らぬ間に随分と近くに来ていたらしい。
「そうでしたね。せっかくだから、里帰りしてはいかがですか? 既にマリエンヌへは手紙を送りましたし、私もそこまで急ぐつもりはありませんので」
「よしてくれよ、こっちは家を出た身だぜ」
グラットは嫌そうに手を横に振る。
「――それにちょっとした寄り道でも路銀はかかるしな。迷惑はかけらんねえよ」
「路銀なら私がどうにかしますので、気になさらず。あなたの貢献には感謝していますので、その程度なら任せてください」
「いや、あんた財産を没収されたんだろ? そんな余裕があるわけ――」
アルヴァは罷免と追放を受けた際に、多額の財産を没収されたはずだった。
彼女のことだから、豪奢な生活をしていたわけもない。けれどそれだけに、無駄遣いなく溜め込んでいた資産もあったと考えられた。
「全てが没収されたわけではありません。元老院の権限では、私的財産の全てにまで厳格な適用はできませんから」
「どういうこと?」
意味がよく分からなかったらしく、ミスティンは口を挟んだ。
「ざっくばらんに言えば、銀行口座や土地・家ならばともかく、戸棚の奥までは把握できないということです。それらはマリエンヌに移譲してありますので」
「なるほど、なるほど」
納得したらしくミスティンは手を打った。
「はい。他にも色々と抜け道はありますが割愛します。元の資産と比べれば、ささやかなものですが、それでも中流貴族程度には資産も残っているはずです」
「ちゃんとアルヴァも私腹を肥やしてたんだね。私も安心したよ。あんまり欲がないみたいだから、心配してたんだ」
皮肉でも何でもなく、心から安心したようにミスティンは表情をゆるめた。
「……ミスティン、その言い方は誤解を招きます。一応、私が取ったのは合法的な手段だけですよ」
「分かってるって」
ミスティンはニコニコしながら、アルヴァの帽子をポンポンと叩いた。少し前なら、不敬になりかねない所作である。
手を振り払ったアルヴァは、少しムキになったようで赤くなる。
「私欲がなくとも、蓄えはあるべきですよ。元老院の理解を得られぬまま、事業を行いたいこともあります。いざという時――例えば天災や戦争が起こった際に、必要な予算が不足していることも考えられましょう。その度に財務省や元老院へ諮っていては、手遅れになりかねませんので」
「ああ、何となく分かるかも」
ソロンは頷いた。
「――僕の父さんや兄さんだって、いざという時は私財に頼ってたしね」
「そうでしょう。ですから、滞在費ならマリエンヌに送ってもらえば済む話なのです。……いかがですか、グラット?」
グラットはまた手を振って。
「お姫様もけっこう世話焼きだよな。……けど、お節介はそこの二人だけにしといてくれよ。俺は帰りたくなった時に帰るからよ」
「……分かりました。ですが、あなたのお父様も恐らくは軍人なのでしょう? でしたら、健在なうちに親孝行はしておくべきですよ。いつまでも、親が元気だと思っては大間違いです」
アルヴァの言葉には、既に両親を亡くしている者の重みがあった。
「歳下に説教されたかない――と言いたいとこだが、あんたも苦労してるからな。すぐに考えを曲げるつもりはないが、考えとくぜ。気遣いありがとよ」
グラットはやんわり断り、それから前方を指差した。
「――それよりいたぜ」
見知った一団が視界に入ったのだ。
灰茶の髪を伸ばした青年が、商人と身振りを交えながら商談をしている。立派なヒゲを生やした老人が、しげしげと商品を見つめている。
二人の周囲には四人の青年達が軽装の鎧をまとっていたが、いずれも護衛の兵士であるとソロンは知っていた。
「ナイゼル、うまくいってる?」
商談を終えたところを見計らって、ソロンは灰茶髪のナイゼルに声をかけた。
「やあやあ、坊っちゃん。至極、順調ですよ。竜玉は本当に大した値段がつきますね。品質も良いと評判も上々です」
ナイゼルはほくほく顔で袋を掲げてみせた。見ているだけで、金貨の重みがずっしりと伝わってきそうだ。
「さすがだね」
ソロンもこれには脱帽し、素直に賞賛するしかなかった。ナイゼルは有能な魔道士ではあるが、交渉事も得意としていた。もちろん商談もお手のものだ。
「なんの、帝国では良い値で物が売れるというだけですよ。私の功績にはあらずです。帝国の通貨価値はまだ勉強中ですが、これだけあれば路銀に不足もないでしょう」
「金貨が二百枚はあるからのう。帝都からイシュティールまでを往復しても、お釣りが帰ってくるじゃろう」
ガノンドも同じく、自信ありげな顔をしていた。
「ええ、悪くないと思います」
アルヴァも金貨の袋を見て頷いた。
「――これこそが交易の王道ですね。イドリスでは価値の低い物を、帝国で高く売っているわけですから」
「そうだね。もっと大規模にやれば、かなりの収入になるかも」
「イドリスに戻ったら、サンドロス陛下に進言しましょう。ですが戻る際には、お土産もたくさん買わないといけませんね」
ナイゼルは満足気にしながらも、悩む様子を見せた。
『お土産』という言葉で軽く表現したが、事は重大だった。ナイゼル達が帝国で購入した品が、イドリスの将来を左右する可能性すらあるのだ。
昼頃にはナイゼル達も市場での売買を終えた。
その結果、路銀にも余裕ができた一行は、満を持して竜玉船へ乗り込むことに決めた。
ついに今から、帝都へと向かうのだ。
ソロンにとっては久々の竜玉船――ナイゼル達にとっては初めての竜玉船だった。