帝都への道のり
「しっかし、話を聞くにお姫様のウチは仲がいいんだな。皇族様の家なんて、もっとドロドロしてるもんだと思ってたぜ」
ありがたいことに、グラットが話の流れを変えてくれた。
「家族仲良くというのが、サウザード皇家の家訓でもありますから」
「そりゃあいい言葉だな。ちと平凡過ぎる気もするが」
「ええ平凡ですよ。ですが、それだけ家族の結束を保つことは重要であり、困難なのです。有史以来、どれだけ多くの名家が内輪の揉め事で衰退したことか……」
「うむ。わしなんぞ愚弟に密告されて、このざまですからな。姫様の言うことに間違いありませんぞ」
ガノンドの自虐は大変な説得力があった。
「それに貴族や皇族の場合、身内の話が外部に飛び火しますからね。最も顕著なのは、二百五十年前の三国時代です。あれは皇家のお家騒動が、そのまま国家の分裂につながった例でもあります」
「その反省が家訓につながってるわけだね」
ソロンは納得した。
以前にアルヴァとミスティンが、そんな会話をしていた記憶がある。帝国の歴史はよく分からないが、言いたいことは伝わった。
「はい。その点、あなたの王家は問題なさそうですね」
『王家』という部分をアルヴァは強調した。上界のサウザード家から遠く血筋を隔てて、下界に根を下ろしたのがソロン達の一族だった。
「――あなたもお兄様とは仲良くなさってください。サンドロス陛下とあなたの長幼が逆ではなくて、本当によかったと思います」
長幼が逆ではなくてよかった――とは、頼りある性格のほうが兄でよかったということだろう。優秀過ぎる弟は、時にお家騒動の種になりかねないのだ。
「そう言われると、なんか複雑だなあ。まあ、僕と兄さんなら大丈夫だよ。……それより、今日はこれからどうする?」
まだ町の北門からほとんど進んでいない。再び港に目をやれば、この時間になっても、出入りする竜玉船の姿が目に入った。
「どうとは? 宿を取るつもりではないのですか?」
ナイゼルは怪訝な表情を浮かべた。
「いや、竜玉船は夜中でも出港してるんだよね」
イドリス王国では、夜間の航海は基本的に行われない。
座礁する危険もさることながら、海の魔物も恐ろしかった。せいぜい漁師がごく近海で、夜の獲物を求めて漁をするぐらいだろうか。
「ええ、安全な航路ならば、各地の灯台を頼りに夜間でも進めますから」
「アルヴァはやっぱり急ぎたい?」
「いいえ。もう随分とマリエンヌを待たせていますし、急いだところで今更でしょう。……ときにソロン、竜玉船の渡航費は用意してありますよね?」
「もちろん。下界に降りる前に、帰りのことも考えておいたからね。帝国の金貨が二十ま――」
金貨二十枚――そこまで言おうとして、ソロンの顔面が蒼白になった。
「……もしや、四人分しか用意していなかったのですか?」
「う、うん。ごめんなさい……」
とりあえず、素直に謝ってみたものの事態は後の祭りである。
「おいおい……。そんじゃあ、船の護衛の仕事でもやったらどうだ。魔剣持ちなら、悪い扱いはされないだろ」
ここぞとばかり、グラットが提案してくれる。
「さすがに十人も護衛はいらないんじゃないかな……」
あまり大人数の護衛を雇えば、費用がかかる。船の持ち主も、そこまで過剰な負担を背負いたくはないだろう。とはいえ、何人かに分けてやる方法は考えられるが。
「じゃあ、帝都まで歩けば?」
意外な提案をしたのはミスティンだ。
「いや、歩くって……。島が違うんでしょ?」
「地図をよく見てみなよ。間の雲峡に橋が架かってるから。ザーシュ大橋って言うんだよ」
ソロンの指摘に、ミスティンは平然と返す。
「うん?」
と、ソロンは地図を改めて見直す。雲峡なる言葉は海峡の雲海版と考えればよさそうだ。
「――ほ……ほんとだ! この線が橋だったんだ……。雲海の上に橋なんてあるんだね……。じゃ、じゃあ――」
これならいける――ソロンの胸に希望の火が宿った。
「却下です」
しかし、それはアルヴァによって無慈悲にも却下された。
「どうして!?」「え~!?」
ソロンに呼応してミスティンも声を上げた。
「いったい何日歩くつもりですか? 二十日程度はかかりますよ。それでは結局、路銀が持ちません。竜玉船に乗ればわずか二日。それなら、この町で仕事を探すほうがまだしもです」
ぐうの音も出ない。馬車ならもっと早くなるはずだが、そもそもそんな費用があれば船にも乗れる。
「私は長旅も好きなんだけどなあ……。みんなと一緒なら楽しそうだし」
ミスティンは論理を置き去りにして、自分の好みに走っていた。
「それは今後に取っておきましょう。私も身辺が落ち着けば付き合えるかもしれません」
ところがアルヴァはミスティンに優しかった。
ミスティンなら、今後も長くアルヴァを友人として支えられるに違いない。比較して、下界人である自分の立場を考えると、少し寂しい気持ちになるのだが……。
「仕方ないね。お金稼がないとなぁ……」
そんなことを考えながら、ソロンはつぶやいた。
「やれやれ……」
黙って聞いていたナイゼルが、呆れ返って溜息をついた。それから眼鏡に手をやって。
「――坊っちゃんじゃあるまいし、ちゃんと考えていますよ。何のために、皆が重い荷物を運んでいると思っているのですか?」
重い荷物とは兵士達が背負っているそれのことだろう。そちらに目をやったら、兵士達も力強く頷いた。よく分からないが、何だか頼もしい。
「そ、そっか……。それでどうするの?」
ナイゼルの言い方は気に食わないが、内心では相当にホッとしていた。
「竜玉や塩といった交易の候補となる品を持ってきています。後々のためにも、こちらの相場を把握しておきたいですからね。よほどのことがない限り、渡航費は足りるでしょう」
「た、助かったよ、ナイゼル。それじゃあ、今日は宿にしようか。店は明日にでも回って見ればいいしね」
そうして、その晩は宿を取ることになった。
*
翌朝、起きて部屋を出たところで、ナイゼルに声をかけられた。
「おはようございます、坊っちゃん。今日は市場に向かおうと思うのですが、いかがですか?」
港の市場では、様々な品物がやり取りされている。ナイゼルはそちらに向かうつもりだろう。
「ああ、換金に行くんだっけ。どうしよっかな?」
「行ってきてはどうですか? 私は用事があるので、そちらを済ませるつもりですが」
迷うソロンをアルヴァが後押ししたが。
「用事って、どこ行くの?」
「手紙を出そうと思いまして」
「手紙って、マリエンヌさんに? 僕も行くよ」
簡単にアルヴァの正体が割れるとは思っていない。とはいえ、用心に越したことはないだろう。
「よいのですか? それほど長くはかからないので、市場にも後で向かいましょうか」
「私もアルヴァと一緒がいい」
「じゃあ俺も」
と、ミスティンとグラットも同行を申し出る。
「じゃあ、四人だね」
「坊っちゃん……。私よりもアルヴァさんをとるのですか……? 私は坊っちゃんのことを、これほどまでにお慕い申しているのに……」
「ナイゼルは先生と一緒に行きなよ」
ナイゼルがわざとらしく悲しげな表情を作ったので、ソロンは適当に流しておいた。
「うむ、わしがいるから大丈夫じゃぞい! お前達は姫様と一緒に行くがよかろう」
ガノンドが力強く後押ししてくれた。
「ふ~む……。しかし、父さんも帝国の町は久々でしょう。市場で取引したいのですが、大丈夫ですか?」
「ほほう、ナイゼルよ。わしを耄碌したジジイとでも思っとるのか?」
「二十年も経ったんですよ。知識が通用しない可能性は大いにあるでしょう」
「ぐぬ……。そんなに変わらんと思うが、どうでしょう姫様?」
ガノンドがアルヴァに助け舟を求める。
「心配はいらないでしょう。ここ数十年は物価も安定していますし、父も私も大きな改革はしていませんから」
アルヴァが太鼓判を押したのが、決め手になった。
「それではお願いしますよ。まっ、物価ぐらいは市場に行けば大体は分かりますけどね。値札が貼っているでしょうから」
ナイゼルはガノンドと兵士達を連れて、市場へと向かっていった。