港町タスカート
翌日も、十人の一行はつつがなく街道を進んでいった。
道が分かっているだけあって、ソロンが一人旅をしていた時よりもよほど順調だった。
道中では近づいてくる魔物もいたが、グラットが槍で脅しただけであっさりと逃げていった。
空に陰りが帯びる頃、彼方にそびえ立つ高い塔が見えてきた。ついにタスカートの港町が見えてきたのだ。
薄暗い空の中で、塔は光を明滅させていた。
「あれは……!?」
ナイゼルが疑問の声を発するが、すぐに自分で言葉を継いだ。
「――もしや、灯台ですか?」
「正解。よく分かったね。タスカートの灯台だよ」
感心したようにソロンが答えた。
「それはもちろん。灯台ならイドリスにだってありますからね」
得意気に胸を張るナイゼルだったが、内心でソロンはちょっとだけ悔しかった。
ソロンは以前、一目で灯台と見極められなかったからだ。灯台といえば海という固定観念――それがあったため、雲海と灯台を結びつけるのは容易でなかった。
灯台に向かって歩を進めれば、次第にその姿が鮮明になっていく。
一時間ほど歩いたところで、小高い丘の上に広がる壁が見えてきた。
町を外壁で囲む習慣は、下界も上界も変わりない。
比較的、治安の良い帝国でも魔物への防衛は重要な課題なのだ。壁の向こうから、高い建物の屋根がポツポツと見えている。目的となるタスカートの港町に違いなかった。
時刻は既に夕時となっていたが、極めて順調だといえた。
王都イドリスを出発したのが二日前の早朝。つまり、ここまでに三日とかかってないのだ。これならば、イドリス国内で少し離れた町に向かうのと変わらない。
ソロン達は町の北門へと近づいていった。
一人ナイゼルは外壁のほうにそれていく。壁に接するやコンコンと叩いていた。
「宿場の時から気になっていたのですが、この壁はなんですか? 普通の石とは違いますね」
どうやら外壁の材質が気になったらしい。
「ああこれ、僕も気になってたんだよな」
ソロンも何度となく帝国の町を囲む外壁を見ている。多くの町ではこの壁と同じ材質が使用されていた。石に似てはいるが、継ぎ目が見当たらない。
「コンクリートです。比較的に新しい製法で造られているので、知らなくとも無理はありませんわね」
アルヴァが質問に答えてくれたが、ソロンは首をかしげた。
「コンクリート? 初めて聞いたよ、そんな名前」
「凝灰岩や石灰岩を水分と混ぜあわせ、固めた建築資材です。単なる石よりも強固な建造物を造ることができますよ」
「ほほう……。凝灰岩が建材になるのですか。下界でも火山の近くに行けば、いくらでも取れますね。ぜひ詳しく知りたい技術です」
ナイゼルは興味深そうに目を細めたが、
「火山……とはなんですか?」
しかし、今度はアルヴァが首をかしげた。冗談で言っているわけではないらしい。地震の時も同じような反応があった。
「火山って――そのまんま火を噴く山のことだけど。……もしかして、こっちにはないの?」
「ないよ。火を噴いたら山火事になるじゃない」
ミスティンも意味が分からないらしく、ソロンを見た。
「山火事じゃなくって……。山の上にある大穴から、火が噴き出るんだよ。山林が燃えるんじゃなくて、山自体が火を噴き出すんだ」
火口という表現は伝わらないと考えたので、大穴と言い換えた。相手が持たない概念を伝達するのは苦労する。
「山の上の大穴とは、大口のことですか? それなら存在はしますが、火は噴きませんよ」
アルヴァが考え込みながら話した。
「その大口が下界でいう火口だと思うんだけどなぁ」
「火口というものを見たことがないので、なんとも言えませんが……。その火はどこから来るのですか? 例えば、山頂の大口に石油のようなものが溜まっていて、燃焼しているということでしょうか?」
「ええと、火口に溜まっているのは溶岩といって、高熱で溶けた岩だよ。それが時々、噴き出すんだ」
「それでは、その溶岩はなぜそこにあるのですか? その高熱はどこに由来するのでしょう?」
アルヴァの質問攻めに、ソロンはたじろいだ。
「さ、さあ……。先生、知らない?」
ガノンドのほうを振り向いて、助けを求める。
「わしはそもそも上界人じゃぞ」
ガノンドはナイゼルのほうを振り向いて。
「――お前は確か、自称イドリスの知恵袋じゃったな」
「……私にだって、分からないこともあります。というか、父さんのほうが下界は長いでしょう。その下に火竜石でも埋まっているのではありませんか?」
ナイゼルも答えに窮したらしく、適当に答えた。
「確かに魔石の共鳴反応なら、そのような不可思議な現象を起こしてもおかしくはありませんね。まあ、分からないものは仕方ありませんか」
「そうそう。僕らからすれば、島が雲の上に浮いている事自体が不思議そのものだよ」
結局、大した結論は出なかった。
*
火山の話はさておいて、北門を抜けたソロン達はタスカートの港町に入った。
整然と敷かれた街道に、多くの建物が並び立っている。
町の西側は雲海に臨んでいるため、そちらの方角だけ外壁がなかった。
町の中央から港がある西にかけて、ゆるい下り坂になっている。夕日の中で、港に停泊している竜玉船の姿が目に入った。
「はああぁ……。聞きしに勝る大きな港町ですね……!」
「タンダ村とは比較にもなりませんな」
「きっと帝国でも重要な港町なのでしょう」
ナイゼルと兵士達が、感嘆の声を口々に上げた。彼らにとっては、初めて見る上界の町なのだ。驚くのも仕方ない。
帝国の南東部に当たるカプリカ島……。タスカートはその島内でも比較的大きな港町だ。その威容は下界の王都イドリスすら上回る。
それでも帝都がある本島では、この程度の町はありふれているのだ。ましてや帝都のネブラシア港とは比較にならない。
「こんなので驚いていたら、帝都を見たとき腰を抜かすよ」
「ふ~む。それはまた恐ろしい話ですねえ。これではラグナイすら比較にならんでしょうね。万が一、そんな大国と戦争になったら、わが国など一溜まりもありますまい」
ナイゼルはおののくように嘆息した。
実際、帝国との国交はイドリスにとって賭けでもある。それほどまで、イドリスに迫るラグナイ王国の脅威は恐ろしかった。
何の手も打たずに座していても、イドリスの未来は暗い。だからこそ、サンドロスはこの賭けにすがったのだ。
「帝国の偉い人達を信じるしかないのかな。みんな、いい人だったらいいんだけど」
ソロンがそう言えば、ナイゼルはアルヴァへと視線をやる。
「ええ、今もアルヴァさんが皇帝だったらよかったのですけどね」
アルヴァは、夕日の中に映る町並みを眺めていた。
腰まで届く長い黒髪を、雲海から吹きつける微風にそよがせている。その端正な横顔は、どこか物憂げに見えた。
タスカートは彼女が追放されて後、初めて見る帝国の町だ。前皇帝として、その様子が気になっていたのだろうか。
……ともあれ、絵になる光景ではあった。
「今、恋する乙女の目をされていましたね」
「何が? そんなふうには見えなかったけど」
ナイゼルの妙な指摘に、ソロンは首をかしげる。
アルヴァの横顔は何かを憂える顔ではあるが、恋する乙女といった雰囲気ではない。
「違います。あの方を見つめる坊っちゃんです」
「……そっちかよ!? 僕は乙女じゃない!」
ソロンの顔がかっと熱くなる。断じて乙女ではない。だが実際、先の瞬間に目を引かれたのも確かだった。
「何を騒いでいるのですか?」
そんな様子がアルヴァの注意を引いたらしい。怪訝そうにこちらを見つめている。
「いや、今の皇帝陛下がアルヴァみたいにいい人だったらいいのにね――って、そんな話をしてたんだ」
どうにか少し前の話を引き出して応答する。顔が赤くなっていたかもしれないが、夕日の中で気づかれる心配はないだろう。
「帝国と比べれば、イドリスは吹けば飛ぶような小国ですからね。何かと憂慮していたわけなのですよ」
ナイゼルも案外真面目に会話をつなぐ。真剣に憂慮しているのは確かなのだろう。
「いい人とおっしゃるなら、エヴァート兄様は私などよりよほど善良な方ですよ」
「ほほお、あなたが太鼓判を押してくださるなら、安心ですが」
「いえ、善良だからこそ心配とも言えます」
「それはどういうことでしょうか?」
「そうですね……」
アルヴァは少し考えてから、ソロンのほうを見やった。
「――例えて言えば、ソロンが少し大人びたような人物を想像してみてください」
「そりゃあ心配だなあ。新しい陛下は見たことないけど、そんなんなのか」
「大丈夫なの、この国?」
なぜか、グラットとミスティンが会話に加わってきた。
「君達、僕に失礼だよ」
「ですが、本当に良い方なのですよ。私が戴冠した時も悔しがる素振りは一切見せず、本心から祝福してくれましたから。初めて狩りに行った時も、キツネ一匹殺せなかったようなお優しい方なのです。あのお兄様に、厳しい政治の世界を渡っていけるかどうか……」
感情のこもった調子で、愛おしむようにアルヴァは従兄のことを語った。それこそ、ソロンが嫉妬しそうになるくらいに。
「ああ、それでしたら坊っちゃんにもありましたよ。あれは確か……ウサギでしたか。一応、仕留めはしたのですが、その日は泣いてペネシア様の胸に――」
「やめ! その話はやめっ!」
慌ててソロンは、ナイゼルの話を遮ったが――
「よしよし、いい子だから泣かないで」
何を思ったか、ミスティンはソロンの頭をなでなでした。
「だから、昔のことだってば!」
ソロンはその手を振り払いながら叫ぶ。その後ろからアルヴァは、ソロンを母のような優しい目で見ていた。
「ふふ……。やはり、あなたは優しい方ですね」
「はぁ……」
どこまでも子供扱いされて、ソロンはうなだれるのだった。