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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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なつかしき雲上

 翌朝、予定に従って半分ほどの兵士が仮設小屋に残った。

 将来に備えて、小屋を拡張するのが目的だ。ゆくゆくは宿場町としての体裁を整えたい――それがサンドロスの構想でもあった。


 兵士達の半分と別れたソロン達は、道を順調に進んでいった。

 既に人里からは随分と離れており、傾斜の激しい山道となっている。それでも山岳地帯の多いイドリスのことなので、人馬ともに山道には慣れていた。

 数時間が過ぎた頃、一行は黒雲下の手前にたどり着いた。空を見れば、白と黒の雲が垂れ込めて境界線を作っている。


「もう少しだね」


 ソロンの記憶にある界門までは、あと少しだ。界門は上界の陸地の真下に配置される。つまり必ず黒雲の下に置かれるのだ。


「もうしばらくすれば、暗くなってしまいそうですね。ひとまずはここで待ちますか?」


 既に太陽は天上へと昇り始めている。やがて、黒雲は太陽を(さえぎ)り、その下は暗闇に包まれる。アルヴァはそれを懸念していたのだ。


「いや、早く進んでしまおう。ここから半時間も進めばたどり着けるから」


 見送りの兵士達が引き返す時間を考慮しても、なお十分だと判断した。それに黒雲の奥地まで行かない限りは、白雲から漏れる光も当てになる。完全な闇とはならないのだ。


 やがて、小高い丘を登ったところで界門の姿が目に入った。

 タンダ村の北にある界門もそうだが、こちらも少し高い場所に設置されている。かつてこれを創った者は、どういった基準で場所を定めたのだろうか。

 赤い紋様が刻まれた漆黒の門柱。ほとんど光を反射しないそれは、遠近感を狂わすほど不自然に黒かった。それに一体となるようにして、広い台座が設置されている。


「いつ見ても黒いですねえ」


 ナイゼルが見たまんまの感想を述べた。彼は過去にも、この界門を調査したことがあるらしい。


「そういえばこんなヤツじゃったな、こっちの界門は初めて見るがのう……」


 ガノンドも追放当時を思い出すのか、界門を眺めていた。


「あなたも私と同じ――タンダ村の北から追放されたのですね」


 アルヴァの質問にガノンドは頷いて。


「うむ、そうです。界門を見たのもそれ以来ですじゃ。なつかしいというか何というか……」

「そう言えば、こっちの界門は帝国だと知られてないのかな?」


 ソロンはふと気になって、アルヴァに尋ねた。つい最近まで帝国の最上層にいた彼女ならば、答えてくれるに違いない。


「そうだと思います、現在の帝国政府が、把握しているのは一つだけでしょう。少なくとも、私は存じませんでしたから」

「君が言うなら間違いなさそうだね。けど、これだけ長くほったらかしにされてたっていうのも不思議だなあ」

「帝国だと、界門の存在は一般に秘せられていますからね。かつては、皇家が専属で管理していた名残でしょう。万が一、冒険者がたどり着いたとしても、見た目は風変わりな遺跡でしかありませんから」

「でも、その一つは帝国でも知られてたんだよね?」

「政治家や学者の中には、知る者もいます。ただ私を含め、他の界門を探そうなどとは誰も考えませんでした。追放刑の道具として考えれば、一つあれば事足りますし。下界は恐ろしい世界だという観念がありましたから」

「……ってことは、他にも探せばある?」

「そうですね。古い文献に当たれば、見つかる可能性はあるでしょう。ネブラシア城や帝都の大図書館にある書庫が、特に有力ですね。残念ながら、今の私ではそういった文献を探るのも困難ですけれど……」

「まあ、あれば便利だなって程度だよ。探すのは下界側からでもできるし」


 そう言いながらも、ソロンは台座の上に登った。上界に向かう者達が、続いて台座に乗っていく。

 ソロンは改めて仲間達の姿を見回した。

 上界に向かう人数は合計で十人。ソロン、アルヴァ、グラット、ミスティンのおなじみの四人にナイゼルとガノンドの二人。それに四人の兵士が、上界まで同行してくれる。


 兵士達は上界で目立たないよう、軽装の鎧を身に着けていた。少なくとも、軍の鎧だとは思われないはずだ。

 その代わり、背中には全員が重い荷物を背負っている。中身は旅に必要な物資だろうか。魔法武器を皇帝に贈呈(ぞうてい)するとも言っていたので、それも含んでいるに違いない。

 兵士達の種族は人間で統一していた。ゆくゆくは身体能力に優れる亜人兵も連れていきたいが、貴人との謁見を考えて今は避けておいた。


 ソロンは界門のカギを取り出し、漆黒の門柱へと先端を当てた。

 魔力を流し込めば、界門が「ウゥゥゥン」というおなじみの音で鳴動する。

 門の下の空間が輝き、水面のように揺らぎ出した。門が上界と接続されたのだ。


「ソロニウス王子、どうかお気をつけて!」

「ありがとう、行ってくるよ! みんなも帰りには気をつけて。兄さんにもよろしく!」


 ソロンは兵士達の見送りに応えた。多くの生徒を抱えていたガノンドも、方々から声をかけられている。

 十人の一行は、そうして界門の中へと足を踏み出した。


 *


 再び目を開けば、周囲は木々に囲まれた森の一角だった。それでも、射し込む木漏れ日によって、下界よりはずっと明るい。

 間違いなくソロンが初めて上界を訪れた場所だった。

 背後には振動する界門があり、残りの者達が続々とくぐってくる。アルヴァ、ミスティン、グラット、ナイゼル、ガノンド、兵士達……。それぞれが水面から抜け出すように姿を現してきた。

 全員が無事に上界へ渡れたようだった。


 界門の振動はなおも止まらない。

 一度起動した界門は何日かに渡って、世界の連結を保ち続けるという。正確な期間はナイゼルも検証中らしいが、流し込んだ魔力に依存するというのが彼の推測だ。

 将来的には、この状態を維持して上下界の交流を図りたいところである。


 とはいえ、今はまだその時ではない。

 ソロンはまた界門の柱にカギを当てて魔力を流す。振動は収まり、世界の連結は解除された。


「はぁ~……」


 安心したこともあって、ソロンは思わずその場にへたり込んだ。界門の起動に多くの精神力を消耗してしまったらしい。


「大丈夫ですか?」


 アルヴァはすぐそばに座り込んで、ソロンの顔を覗き込んだ。


「意外とこの魔法は消耗するみたいなんだよね……」

「でしたら、私が半分ほど肩代わりすればよかったですね。次は私も……」


 アルヴァは言葉をそこで切った。次があるかどうかは分からない――そのことを考えているのかもしれない。彼女が上界で平穏に暮らせるならば今後、界門に近づく必要はなくなるのだ。

 そんなソロン達の様子に気づくこともなく、ナイゼル達は立ちすくんでいた。


 ソロンもよろよろと立ち上がって、彼らの視線を追った。

 木々の隙間から白い雲海の姿が見えていた。この界門は雲海のすぐそばにあったのだ。


「素晴らしいですね……! どこまでも広がる青い空に、輝く太陽。そして白い海が、眼前に広がる姿のなんと美しいことか!」


 ナイゼルが詩的に感動を表現した。いつも大袈裟な彼ではあるが、今日のそれは心がこもっているように見えた。


「これが上界なのか……」

「まぶしいところですが、美しい場所ですね」


 四人の兵士達も、困惑と感動で呆然としていた。

 上空には青い空が広がっている。

 上界人にとっては何てことのない景色に違いない。けれど下界人にとって、(さえぎ)るもののない空は驚くべき奇跡なのだ。


「やっぱり上界はいいなあ~!」


 ミスティンが思いっきり伸びをしながら快哉を上げた。


「本当だな、離れて初めて分かる故郷のよさってヤツよ」


 グラットもミスティンに同意する。

 彼らにとっては見慣れた景色のはずだ。けれど、久方ぶりに見た上界の景色は、かつてない鮮烈な印象をもたらしたようだ。


「みんなにも、僕の感動を理解してもらえたかな。上界っていうのは、存在自体が奇跡なんだよ」


 ソロンはかつて、上界に渡った時のことを思い出す。

 王都イドリスを脱出した直後は不安でいっぱいだった。イドリスから界門へ向かう道のりは精々二日。さほど厳しい道のりではなかったが、やはり胸中は不安で覆われていた。


 上界への転移に成功した時は本当に驚いた。

 そもそも、ソロンは界門がきちんと機能し、上界へ渡れるという自信すらなかったのだ。それがうまくいき、目の前には新世界が広がっていた。そしてその世界は、形容しようもなく美しかった。


 これほど美しい世界なのだ。だからここは悪しき世界ではないはず。感動したソロンはそう直感した。

 もちろんそれは、根拠もない直感に過ぎない。それでも感動はソロンに勇気を与えた。上界の町に到達し、帝都へと向かう強い意志の力を与えてくれたのだ。


 アルヴァも雲海をじっと眺めていた。


「私は……もう、見れないと思って――……」


 そうしてつぶやいた言葉はかすれて途切れた。

 見れば紅の瞳が濡れて輝かいている。

 涙は頬を伝い、(つゆ)のようにしたたり落ちていく。盗賊から救われた時にも涙を流さなかった彼女だ。よほど故郷の光景に感極まるものがあったのだろう。


「ああ、美しい……。上界はなんと美しいんじゃ……!」


 そんなアルヴァとも、比較にならない滂沱(ぼうだ)の涙を流すのはガノンドだった。

 数十年振りに上界を見た彼の感慨は、他の者とは比較にならない。ソロンの想像を絶して、号泣する恩師の姿がそこにあった。


「――オウオウオウォゥォゥ……」


 ガノンドは激しく泣き続けた。老人とは思えない凄まじい号泣ぶりだった。

 その有様に先程まで涙していたアルヴァまでが引いていた。彼女は袖で目をぬぐって、急速に冷静さを取り戻していた。

 ……なんだかソロンは残念な気持ちになった。

 そんな父を苦笑気味に見守っていたナイゼルだったが、


「休憩にしましょうか」


 まだ座り込んでいたソロンに気づき、それから提案した。


「そうだね。僕は休んでるけど、みんなは景色を見にいくといいよ」


 ソロンの足元にはちょうどよい台座がある。

 精神の疲れをいやすため、(かばん)を枕に寝転がった。普段なら野外で寝転んだりはしないが、疲れには勝てなかったのだ。

 季節は夏。それでも朝の森林は涼しかった。ちょうど気持ちの良いそよ風が肌をなでてくる。

 風にゆられる木々のざわめきが聞こえてきた。時折、その中にまぎれるのは鳥のさえずりだ。


 ソロンが寝転がっている間に、各々(おのおの)が上界を見て回っていた。初めての上界に興味を持つ者もいれば、なつかしの上界に郷愁(きょうしゅう)を覚える者もいた。

 そんな中、アルヴァだけはソロンのそばに座り込んでいた。木漏れ日を浴びながら、その紅い瞳で空と雲海を眺めている。


「僕のことはいいから、君も見に行ったら?」

「景色はここからでも見えますから」


 アルヴァはそれだけ言って、それ以上は語らなかった。


「そっか……」


 近くに人がいてくれるだけで安心感があった。だからこそ、彼女はそこに座ってくれているのだ。

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