ガノンドの過去
ソロン達は仮設小屋で夜を過ごしていた。
もっとも、狭い小屋なので全ての兵士は収まりきらない。多くの者は外で過ごすことになった。
眠りに就くには少し早い時間。ランプの明かりを頼りに、ソロン達は話に講じていた。
「ガノンドさん。差し支えなければお聞かせいただきたいのですが……。あなたはなぜ上界を追放されたのでしょうか?」
ずっと気になっていたのだろう。アルヴァはガノンドへと踏み込んだ質問をした。これについてはソロンも、今の今まで詳細を知らなかった。
ガノンドは「ん~む」と渋るようにうなり声を上げた。
やはり、あまり良い思い出ではないのだろう。簡単に話せることならば、ソロンも既に聞かされていたはずだ。
「父さんの過去ですか。私も細かくは聞いたことがないんですよね」
と、ナイゼルもつぶやく。
そうして、しばし目をつむっていたガノンドは、「うむ」と声を上げて目を見開いた。
「今を置いて、話す機会はないかもしれませんな。あなた様になら、聞いていただいてもよいでしょう。ナイゼルも他の皆もついでじゃ、聞くがよい」
「ありがとうございます」
そうして、ガノンドは語り出した。
*
「帝国にいた頃のことですじゃ。わしはドーマについて興味を持ちましてな」
「ドーマ――亜人の国ですね。あなたはその亜人と通じたため、追放されたと聞いています」
ガノンドの言葉にアルヴァが頷く。
ソロンやナイゼルも、神妙にガノンドへと向き直っていた。
「そうです。亜人――というのはもちろん帝国の亜人ですがの。彼らは戦争に敗北して、奴隷となって帝国に入ってきておりました。そしてその中でも、知能の高い者は帝国語を解するようになった」
「私はあまり詳しくありませんが……。なんせ、皇家は亜人の奴隷を身辺に置く習慣を持たないのです。ただ、人間と同じ言葉を話す者もいるとは聞いています」
「うむ。サウザード皇家は自立を重んじる家柄じゃしの。あまり奴隷は好かんと聞いております。特に卑しい亜人の奴隷なんて、もってのほかというわけじゃろうな」
ガノンドは明け透けと言った。
「ですが、あなたはその亜人に興味を持ったと?」
「そうです。最初のきっかけは、北方での戦役に参加したことじゃ。若き日のわしはオムダリア公爵の跡取りとして、千の部隊を率いていたのじゃよ。ある時は巧みな指揮で亜人達を翻弄し、ある時は杖を片手に迫りくる亜人達を魔法で薙ぎ倒し――」
「へえ~、先生は昔から凄かったんですね。それで、どうなったんですか?」
「これっ」
ガノンドは杖で軽くソロンの頭を打った。
「――せっかくわしが気持ちよく話そうというのに、口を挟むでない!」
「だって、先生の話は長いんですもん」
「全く、最近の若いもんは……。まあいい、わしの輝かしい活躍はまたの機会に取っておこう」
ガノンドはアルヴァに向き直って。
「ともかくですじゃ。戦役の中で大活躍したわしは、亜人達を百人ほども捕虜にしたのですぞ。そうして、そのうちの何人かを奴隷として引き取ったのじゃ。まっ、イドリス人なら奴隷化を非難するかもしれんがの」
「ええ、それでも殺してしまうよりは人道的かと思います。私が北方で戦った時も同様に判断しましたから。言語が通じる相手なら、身代金の交渉など選択肢も増えたでしょうが……」
「わしもそう思います。中には若い獣人の娘までいましたからな。後で尋ねれば、娘は食うに困って軍に入ったと申していました。危険の少ない後方支援の仕事であったが、運悪く逃げ遅れたと」
「なるほど……。そうやって、あなたは亜人と接する機会を得たわけですね」
「そうですぞ。彼らの中には、帝国にもないような技術を持つ者もおりました。ドーマから書物を持ち込んできた者もあった。そうしているうちに、ドーマとはどのような国なのか――と、興味が抑えられんようになったのです」
それを聞いて、アルヴァは息をついた。どうやら、思うところがあったらしい。
「今なら、あなたのお気持ちも分かります。我々帝国人もドーマに対して、もっと興味を持つべきだったのでしょう。学ぶ価値のない野蛮な国――と、どこか見下すところもありました。何より私も、その一人でしたから。今も敵であるという認識に変わりませんが、だからこそ知る必要もあったはずです」
「そう、そうなのです!」
真摯に耳を傾けるアルヴァの態度に、ガノンドは喜色を浮かべた。
「――わしは彼らの言葉を学び、また国家について学びました。亜人とも友人のように親しくなることができたのです。……じゃが、それこそがわしの過ちとなった」
ガノンドは顔を曇らせた。
「もしかして……父さんが追放されたのは、亜人と親しくなり過ぎたからでしょうか?」
「そうだな。……ある意味でそうとも言える」
ナイゼルの問いかけにガノンドが頷いた。そこには深い後悔のようなものが窺えた。
「でも、それはあんまりじゃないですか? そんなことで下界に追放されてしまうだなんて……」
「いや言うな、ソロンよ。全てはわしの弱さから起こったことだ。妻ある身でありながら、ウサ耳の誘惑に負けた、このわしの弱さがな……」
「はい? ウサ耳ですか?」
唐突に発せられた恩師の言葉に、ソロンは不意を突かれた。意味が分からず、それだけ言うのが精一杯だった。
「左様、ウサ耳じゃ」
ガノンドは重々しい声で語り続けた。
「――ウサ耳を生やした愛らしい娘じゃった。顔は幼いのに体つきはボン・キュッ・ボンでな。いやあ、たまらんかったわい……」
いつの間にか、ガノンドの表情が恍惚としたものになっていた。
ソロンは理解すると同時に呆れた。ミスティンは「ふわ……」と赤くなった頬に手をやった。
「爺さん、奴隷の亜人に手をつけたのか……。そいつはいけねえな。やるなら独身のうちにやるべきだったな」
グラットがガノンドの肩をポンポンと叩いた。非難よりも同情しているように見えたのは、気のせいだろうか。
「若き日の過ちだ、許せ」
と、ガノンドは無駄に神妙な声で言った。
「――まあそんなわけで、わしは密告されてしまったのだ。ドーマと密通しているとな。恐らくは元妻と弟の仕業に違いあるまい。元老院にはオムダリア家と仲の悪い連中もいたが、奴らもそこに乗っかってわしを糾弾した。もちろん無実、断じて無実だ! 確かに……わしは亜人と密通したかもしれん。だが、ドーマと密通したという事実は断じてない!」
ガノンドは勇ましく言い放った。長年の鬱憤を晴らすような強い感情のこもった熱弁だった。
しかし、ソロンの心には響かなかった。……というか、長年この人を先生と尊敬し続けていたことを後悔しそうだった。
「先生……。それはうまいこと言ったつもりですか? 女性もいるので自重してくださ――」
ふと気になって、アルヴァのほうに目をやった。
……彼女の表情は凍りついていた。先程までは尊敬すら含んでいたガノンドへの眼差し――それがもはや、氷点下まで達せんばかりに冷ややかになっていた。
ガノンドもその視線に気づいたようで、慌てて取り繕った。
「ま、まあそんなわけで、わしは元老院の議席と共に家督を剥奪されてしまった。そして、そのまま下界へ追放されてしまったのですぞ。いや本当に……他はともかく敵国との内通については無実ですからな」
目に見えて狼狽をしていたが、それでも無実を改めて主張したのだった。
ガノンドは助けを求めるように、ナイゼルへと視線をやった。
ナイゼルは大きく溜息をつきながら、それでも父の弁護を買って出る。
「……父さんも災難でしたね。ですが、このナイゼルは信じておりますよ。父さんは確かに女にだらしないところはあります。ですが、それ以外の部分では尊敬すべき人物です。上界の皆様にも、そこはお知り置きいただきたく」
「……それは分かったけど、ウサギさんがかわいそう」
ミスティンがポツリとつぶやいた。
「うぐっ……!」
これは抜群の効果があったらしく、ガノンドは胸を押さえた。
「妾の一人や二人は大目に見ます。……私の父にもいましたし」
苦々しい顔でアルヴァが付け足した。
「――ですが、立場の弱い奴隷を手ごめにするとは感心しませんね。末端の貴族ならばともかく、あなたは栄誉ある元老院議員で公爵だったのでしょう?」
「ぐふぉっ……! て、手ごめにしたわけではないですぞ! 確か……互いの言葉を教え合うことで自然と仲が深まって……。うん、たぶんそうじゃった。昔のことなんで、記憶は朧気じゃが、間違いはなかったと思う」
「父さん……。間違いはなかったというわりに、どうしてそんなに曖昧なのですか……」
ナイゼルも眼鏡を外し、目頭を押さえていた。
ガノンドの弁解は遅くまで続いたのであった。