東の界門へ
イドリスから東へ向かう道を、竜車と騎馬からなる一隊が進んでいた。
道とはいっても街道はない。そこはただ、黄土色の草がはびこる荒れ果てた草原に過ぎなかった。
その方角には、町はおろか村もない。行き着く先には、ただ荒野と砂漠があるだけのはずだった。イドリスの民には、そんな土地を整備する物好きはいなかったのだ。
けれど、そんな道を進むソロン達一行には、明確な目的があった。それは界門を通って上界へ到達することだ。
一行の中心となるのはソロン、アルヴァ、グラット、ミスティンの四人。そこにナイゼルとガノンドを加えた六人だった。
その他にも三十人近くの兵士が同行しており、そのほとんどは馬を駆っていた。
ただし、その全員が上界に向かうわけではない。
今後は頻繁に、上界と下界の行き来が求められる。そのため、界門までの道を整備すると決めたのだ。
帝国との国交が確定していない段階での決断である。それはサンドロスにとっても賭けであったろう。
その一環として、道中には仮設の小屋を建てることになっていた。その役目を担うのが兵士達である。
界門へは、竜車と馬を使って一日半で到着する予定だった。
目的の界門はイドリスとも距離が近い。普通に歩いても精々が数日。軽装で馬を走らせれば、一日で至るのも不可能ではなかった。
タンダ村の北――アルヴァが追放された界門の位置と比較すれば、遥かに交通の便は優れていた。
ソロンにしても、ここは数ヶ月前に通った道である。しかも、今回は一人旅ではないので魔物の心配もずっと小さい。
とりわけ、竜車の存在は大きかった。
竜は魔物の中でも上位に属する存在だ。並の魔物ならば、その走竜の雄姿を恐れて近づいてくることはなかった。
竜車の手綱を握るのは、前回の旅と同じくミスティンだ。本来の御者は別にいたのだが、彼女は最後の別れとばかりに役目を譲らなかった。
走竜もそんなミスティンの想いに応えてか、力強く大地を蹴っていく。整備された道ではなく路面状態はよくない。それでも、砂漠の旅すら耐えぬいた竜は物ともしなかった。
「この子、上界に連れていけないかな?」
ミスティンは走竜の背中を、愛おしそうに見やって言った。
「う~ん、さすがに界門を通るには大きすぎると思うよ。通れたとしても、上界では目立つだろうし」
竜車に併走して馬を駆りながら、ソロンが答えた。
「む~。ダメかぁ」
残念そうにミスティンはうなった。
「まあ、そう残念がることはありませんよ」
竜車の後ろに座っていたナイゼルが、そんなミスティンを慰める。
「――あくまで現段階ではという話です。子供の竜ならば、界門を通るのも不可能ではありません。将来的に帝国の了承を得られれば、竜を運ぶこともあり得ます。今は交渉するに当たって、帝国の方々を怯えさせるわけにはいきませんからね」
「ん、じゃあ期待してる。帝国でも竜車が見れたら面白いね」
「まあ、頑張ってみますよ。全ては国交を結んでからです。……それにしても、ミスティンさんはお上手ですねえ。これだけの短期間で竜を御せるようになるとは、驚嘆に値しますよ」
「それほどでもないけど」
称賛を受けたミスティンは、口ではそう言ったがどこか得意気だった。
「それよりも、ナイゼルよ。さっきから休んでばかりではないか。お主も馬に跨ったらどうじゃ?」
苦言を呈したのは、ナイゼルの隣に座っていたガノンドだ。ナイゼルは最初こそ騎乗していたものの、すぐに疲れを見せて竜車に乗り換えていた。
「いえいえ、私は基本的に文官ですから。それに父さんだって、今もお休みではありませんか?」
ナイゼルはいつもの軽さで矛先をかわそうとした。
「これっ、わしのような年寄りと一緒にするでないわっ!」
隣り合ったナイゼルへと、ガノンドは唾を飛ばす。
「――お主はまだまだ若いじゃろう。ほれ見るがよい。馬上に燦然と輝く姫様の凛々しいお姿を。女性であってもこうなのだ。お主にできぬはずもあるまい」
指差された先には、馬に姿勢よく跨るアルヴァの姿。手綱をゆるやかに握るその姿は、真似のしようがない気品にあふれていた。
ガノンドはアルヴァのことを姫様と呼んでいた。彼は実際に皇帝として君臨していた彼女を知らない。ガノンドから見たアルヴァは、前の皇帝というよりはオライバル帝の皇女なのだ。
「ええ、ええ。アルヴァさんは大した方だと思います。坊っちゃんがゾッコンなのも当然ですね。……が、私は私。アルヴァさんはアルヴァさんなのです。時代は男女平等ですから」
ナイゼルは眼鏡に手をやって、キリッとした顔を作った。……今のは決め台詞のつもりだったらしい。
馬に乗るのは意外と体力を使う。重い荷物を運ぶには、徒歩よりずっと楽なのは間違いない。それでも楽な運動とはいえなかった。
だから、それを平気で続けられるアルヴァは大したものなのだ。聞くところによれば、帝国北方を亜人が襲撃した際には、騎乗したまま一気に港まで駆けつけたらしい。
「わが息子ながら、情けない男よのう……」
そしてついに、ガノンドは匙を投げた。
*
昼下がり、泉が目に入ってきた。
出発前から目星をつけていた泉である。まだ日が暮れるまでは余裕もあるが、この付近を宿泊場所と定めた。
「この辺でいいかな」
「そうですね。地盤はしっかりしているようですから、悪くはないでしょう」
「うむ。この辺りなら泉を利用するにも好都合じゃ」
ソロンはナイゼルやガノンドと相談しながら、泉のそばに丁度よい場所を見つくろった。仮設の小屋を建てる位置を決めていたのだ。
これは今日の宿泊場所を、決めるだけには留まらない。今後、上界と下界を行き来するため、拠点を設立する目的があったのだ。
「では、ここに建てるとしましょう。まずは土台からですね」
ナイゼルが指示をすれば、兵士達が仮設小屋の建設を始め出した。
荷馬車に積まれた木材が降ろされていく。こういった建築作業は軍団にとってもおなじみの労働であり、みな慣れたものだ。彼らは先の戦でも、陣地の構築に活躍した者達だった。
ソロンも下馬して、その手伝いをしようとしたが――
「晩御飯を取りに行こう」
と、ミスティンに手をつかまれた。彼女はソロンを引っ張りながら、もう片方の手でアルヴァの手もつかんだ。
晩御飯を取りに――とは狩りに行こうという意味である。
いかに弓の達者なミスティンとはいえ、下界の野外を一人で出歩くのは危険極まりない。外を出歩く時は複数人で動くのが常識だった。
「食料なら十分に積んでいるはずですが……」
アルヴァは困ったように紅い瞳を向けるが、ミスティンは取り合わない。
「保存食ばかりだとつまんないよ。食材は鮮度が命」
「なんつ~か、既視感があるよな。そのやり取り」
グラットがつぶやいた通り、数ヶ月前にも二人は似たやり取りをしていた。アルヴァに対して、ミスティンが敬語で接していた頃の話である。
「あっ、グラットも荷物持ちお願い」
つぶやきがミスティンの注意を引きつけてしまったらしい。勧誘はグラットにも及んだ。
「まあ、仲間外れにされるよりかいいけどよ……」
グラットは渋々承諾する。この男も何だかんだで面倒見がいいのだ。
アルヴァも「はあ」と観念したらしく。
「私は構いませんが、ソロンは?」
「僕はこっちの作業を手伝わないと」
と、手を振り払おうとするが、ミスティンが離してくれない。
ならば――と、しばらく無言で手を振って、彼女が離すのを待つ。……しかし、二人の手はつながったまま、ぶらんぶらんとゆれるだけだった。
そんな目立つことをしていたので、自然ナイゼルの目にも留まった。
「楽しそうですね。私と父さんがいますから、坊っちゃんは好きになさってください。まあ、このナイゼルがいれば、どうせ坊っちゃんの出番はないですし」
「う~ん、それなら……」
言い方は引っかかるが、ここはナイゼルに任せることにした。この種の作業を監督させれば、彼に勝る者はそうそういない。土魔法だって使えるから、整地もお手のものなのだ。
ソロンがミスティンへと視線を戻すと、彼女は嬉しそうに顔をほころばせた。
無表情かと思いきや、すぐに感情が面に出るのがこの娘である。ソロンの手を握ったまま、楽しげに手を振っていた。
*
やがて、狩りを終えた四人は作業場所に戻ってきた。
そこには、数時間前にはなかった小屋が建てられていた。壁、床、天井と板を張り巡らしただけの簡単な小屋。それでも、当面の寝床としては申し分ない出来だった。
さらに、小屋は簡単な柵で囲われていた。イドリス王国ではよく使われる魔物除けの手段である。よほど凶暴な魔物でない限り、これを越えたり破壊したりすることはなかった。
「仕事早いね~。イドリスの兵隊さんは凄いなあ」
できあがった建物を、ミスティンがしげしげと見上げていた。その手には獲物である野鳥がぶら下がっている。
「軍隊なめんなよ。帝国軍だってこれぐらいならやってのけるぜ。なあ、お姫様よ」
帝国軍に所属していた者としての誇りが、グラットにもあるらしい。ちなみに彼が背負ったカゴには、人間の子供ほどにも大きなウサギが背負われている。もちろん、これも今日の晩御飯だ。
「そうですね。帝国の工兵隊なら小屋の一つや二つ、瞬く間に仕上げてしまうでしょう。……とはいえ、イドリスの技術力も素晴らしいものだとは思います」
「ははは、お褒めいただいて光栄です。今は単なる仮設の小屋ですが、将来的には泉を含んだ大きな施設にしたいですね」
ナイゼルは夢を語った。
今求められるのは夜風と魔物をしのぐ設備に過ぎない。だが将来は、ここがイドリスと帝国をつなぐ要所となるかもしれないのだ。
その夜には、保存食に狩りの獲物を交えたものが振る舞われた。一仕事を終えた男達は、追加の食材を見て歓声を上げていた。
ミスティンは案外心得たもので、狩りの獲物も自分達で独占せず均等に振り分けたのだ。
一行は三十人を超える上に、多くは屈強な男達だ。大きな獣であっても、難なく平らげてしまった。
「お前のことだから、自分達で独り占めするんじゃないかと思ってたぜ」
「そんなことしないよ。私だって、兵隊さんのお仕事は尊敬してる。私が狩りに行けたのは、他のみんなが頑張ってくれたからだよ」
グラットにからかわれて、ミスティンは頬をふくらませていた。