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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
序章 雲海の帝国
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孤独な戦い

 翌日、ソロンは山の(いただき)に立っていた。

 名前は知らないが、帝都から西にある近郊では最も高い山である。

 最も高いといっても、所詮この辺りは平野部であり、高い山自体が少ない。この山も別に難所という程ではなく、猟師が狩りに行くような普通の山だった。


 ソロンの目的は神鏡の入手である。

 そのためには、ネブラシア城へ忍び込むのも辞さない覚悟だ。ここに来た目的も、偵察のためだった。

 セレスティンにはああ言ったが、他の方法が現実的でないこともソロンは理解していた。


 もちろん、犯罪行為は好きではない。けれど、国の皆を助けるためには神鏡以外の方法が浮かばなかった。

 何よりも時間がない。

 手段を選んでいるうちに、故郷が滅んでいた――となっては、笑い話にもならないのだ。


 頼れる相手はいないが、それでよい。

 グラットやミスティンに頼ろうとは思わなかった。これからやることは悪事であり、巻き込むわけにはいかないのだから。

 だから、ソロンが一人でやる。

 責任は自分一人で背負うと決めたのだ。


 ソロンは帝都の方角へと視線をやった。

 円形に町を囲む長大な外壁。張り巡らされた街道。敷き詰められているかのように並んだ建物の数々……。

 改めて見れば、帝都の巨大さに圧倒されそうになる。


 ソロンは(かばん)から双眼鏡を取り出した。

 この双眼鏡は皇帝イカの報酬で購入したものである。以前、双眼鏡を持つ船員の姿を見て、気になっていたのだ。


 そうして、目的となるネブラシア城へと双眼鏡を向けた。

 城の外側を高い城壁が囲んでおり、その周囲には立派な建物が並んでいる。さらにそれらの外側を水堀がまとめて囲んでいた。

 水堀の内側は貴族街といったところだろうか。水堀の内と外で、別の街に分かれているかのようである。


 水堀の内へ渡るには南北どちらかの橋を渡るしかない。

 ……が、いずれも兵士達が抜け目なく構えている。橋を通れるのは皇族・貴族とその傘下に限定されていた。これは実際に近くから観察して得た情報だった。

 城内へ潜入するには、この水堀を越えた上で、さらに城壁も越えねばならない。相当に困難なのは間違いなかった。


 さて、問題は城壁の内側がどうなっているかだ。

 それを見極めるために、ソロンはわざわざ魔物がいる外を抜けて、山の上を訪れたのだから。

 中央にある最も大きな建造物が、本城だろう。その頂上には神鏡が安置されており、夜になれば大通りを照らすのだ。

 北西・北東・南西・南東にそれぞれ四隅を守るように尖塔(せんとう)があった。


 ここまでの五つの建物は、帝都の中からも視認できるものである。

 本城の北・西・東に三つの小規模な支城が立っている。これらは普段、城壁に隠れて全貌が分かりにくくなっていた。

 それら八つの建物が空中回廊によって、複雑に連結されている。そうして、ネブラシア城は一つの城を成していた。


『ネブラシア城はイドリス城の十倍は大きい。お前も見れば、びっくりして腰を抜かすぞ!』


 そんなことを力説していたのは、帝国生まれの恩師だ。

 実際その言葉に違わず、巨大かつ優雅な城だった。ソロンの故郷の基準で言えば、水堀の内側だけで小さな町ぐらいの規模はあるかもしれない。


 ただし、これでも城としての防衛能力は程々なのだそうだ。それはそもそも、帝都そのものが堅牢な城塞都市だからである。

 城を守る以前に、都とその住民を守ることが優先される。都が陥落した状態で、城だけ守っても仕方がない。そういう設計思想があるのだ――と、恩師が故国の城を誇っていたのを思い出す。


 ソロンにとって、付け入る隙があるとすればそこだろう。ネブラシア城は堅牢な城ではあるが、完全無欠の要塞ではないのだ。


 *


 さらに翌日、計画に必要な物を購入して、入念に準備をした。

 これから行うことの重大さを考えれば、二日という準備期間はあまりにも短い。

 だが城への潜入は、日を置かずに決行すると決めていた。

 慎重に時間をかける余裕はない。先送りしたところで、決心を鈍らせる以上の意味はないだろう。


 そうして深夜、ソロンは宿を抜け出したのだった。

 ミスティンとグラットには、置き手紙を残しておいた。自分が戻らなくても、気にしないで欲しいという趣旨のものだ。

 万が一の場合、わざわざ捜索などの手間をかけてもらっては申し訳ない。自分のことは忘れてもらうのが一番だろう。


 真夜中の大通りをソロンは静かに進んでいく。

 中央公園の時計塔が街灯に照らされて、深夜二時を示していた。

 大通りを照射していた神鏡も、夜深くには消灯される。そのことは事前に確認していた。

 あまり真夜中まで明るいと、市民が眠れなくなるからかもしれない。

 それでも帝都の夜を照らす明かりの数々は、この時間でも残っていた。


 千鳥足で歩く酔っぱらい、疲れた顔の仕事帰りらしき男、夜行性らしき猫顔の亜人奴隷、さらには巡回の警備兵……。

 さすがに女子供は見当たらないが、いまだチラホラ人影が見えるのは驚きである。

 もっとも、そのせいで夜道を歩き回っていても、さほど目立つことはなかった。


 ソロンはネブラシア城の正門前を遠目に左折した。水堀のそばを歩いて西側へと回り込む。

 南の正門前と、その裏に当たる北には水堀を渡る橋があるが、衛兵もいるため警備が手厚い。そのため、西から水堀を渡る計画だった。

 遠くからポツポツと点在する光が見える。衛兵が掲げるランプの光に違いない。


 ソロンの胸の鼓動が高まっていく。

 近くを歩く衛兵のそばを、ソロンは素知らぬ顔で通り過ぎた。

 最低でも、衛兵が近くにいない時を見図らなければならない。できれば、住民にも見られたくない。

 なるべく人通りが少なく、かつ明かりの少ない地点を見定め、物陰に隠れる。

 遠くに街灯が見えるものの、近辺を照らすのは月と星だけとなった。


 水堀は真っ黒で底知れない不気味さがある。大した距離ではないのだが、尻込みしてしまいそうだ。

 そんな自分をソロンは押し殺す。

 周囲に人気(ひとけ)がないことを確認して、覚悟を決めた。


「今だ……!」


 ソロンは静かに水の中へ入った。春の四月とはいえ、夜の水は冷たく身にしみる。

 服を来たままではあるが、(かばん)が浮き袋になるため(おぼ)れる心配はない。


 音を立てないように、水面下で必死に手足を振って泳ぐ。

 かすかな星明りだけでは、黒い水の中は見通せない。

 この水堀はどれだけの深さがあるのだろうか。

 ひょっとして、水中に何らかの魔物が潜んでいないだろうか……。警備のために魔物を放し飼いにしている可能性もないとはいえない。

 ここに至って、段々と不安が湧き上がってきた。

 今、力尽きたら、誰も助けてくれる者はいないのだ。死体すら発見されず、水底へ放置されるかもしれない。


 *


 ……ソロンの恐怖は杞憂だったらしく、そうこうしているうちに対岸へたどり着いた。わずか数分の水泳が随分と長く感じられたものである。

 水堀の岩垣にへばりつき、水滴を垂らしながら登り切る。


 上陸した先には立派な館が並んでいた。聞くところによれば、貴族や行政関係者といった上流階級向けの施設なのだという。

 幸い上流階級の方々は、夜中にうろつくような品のないことはしないらしい。静かにしていれば、気づかれることはなさそうだ。


 ソロンは館と城壁の隙間へ、速やかに滑り込んだ。ここならば、まず誰の目にもつかないだろう。

 そうして、ソロンは服に染み込んだ水分を(しぼ)り取った。

 まだ先は長い。ここは焦らずに服を乾かし、万全の状態で続きに挑むべきだ。

 背中の刀を抜き放ち、目立たないように小さな炎をつける。数分をかけて、入念に服を乾かした。


 *


 さて、ここからが本番だ。

 城壁をよじ登り、ネブラシア城の敷地内へ侵入するのだ。


 まずは城壁から距離を取って、観察してみる。

 城壁の上にランプを持った見張りが何人か見える。もっとも、近くにはいないため発見される危険はまずない。この辺りなら大丈夫だろうと判断する。


 ネブラシア城の弱点――それは巨大過ぎることである。巨大な城壁の全てを、水も漏らさぬ警備で埋められはしないのだ。

 城壁の高さはソロンの背丈のおおよそ五倍。

 帝都の外壁と同じく、継ぎ目は見当たらない人口の岩壁だ。これをよじ登るのは、さすがに困難だろう。

 だが突破口はあるはずだ。


 周囲を観察すれば、すぐに経路が見つかった。

 さっそく館の庭木につかまってよじ登る。身軽さに自信のあるソロンにとっては、木登りなど造作もない。

 上まで登ったところで、丈夫そうな枝の上に足をつけた。

 そこから館の屋根へと(かろ)やかに跳び移る。


「よし……」


 これで随分と城壁の上に近づいた。ソロンの口から思わず声が漏れる。

 ソロンは(かばん)から鉤縄(かぎなわ)を取り出した。

 鉤縄は山登りや城攻め、潜入といった用途に使えるが、日常的に使う道具ではない。そんなものでも探せば売っている辺り、さすがは帝都である。


 ソロンは鉤縄を城壁の上に向かって投げつけた。

 カチリと音がして、鉤は城壁へとひっかかった。何度か強く縄を引っ張って、外れないことを確認する。

 ソロンは屋根の上から跳び上がり、思い切って城壁へ張りついた。


「うぐっ……!」


 体を軽く打ちながらも、どうにかうめき声を飲み込む。

 鉤縄も外れてはいない。万が一、落ちたとしてもまだケガぐらいで済む高さだ。

 ソロンは縄をつかみ、城壁を蹴りながら腕の力で上を目指した。

 グラットのように屈強な男と比べれば、ソロンの筋力は劣る。だが、そのぶん体重は軽いという長所がある。


 ソロンは難なく城壁の上へと登りきった。

 姿勢を低くしたまま、周囲を(うかが)う。

 目に入ったのは各地に点在する二色の光。すなわち、緑と(だいだい)の二色だ。

 緑の光は街灯に使われていた魔石に違いない。城の敷地内にも、同じようなものがあるのだ。

 そして、橙の光は衛兵が掲げるランプである。うかつに近づけば見張りに見つかる可能性があった。


 左右では衛兵の持つランプが光っているが、どちらも距離にして百歩は離れている。

 その他にいくつもの明かりが見えるが、いずれも十分な間隔があった。


 少なくない見張りがいるのに、敷地が広すぎてどうしても死角ができてしまうのだ。

 ここまではソロンの思った通りである。不用意に動かなければ、気づかれはしないだろう。

 しばらくは息を潜めて、敷地内の観察に徹することにした。

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