表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
118/441

アルヴァの迷い

 戴冠式(たいかんしき)(うたげ)は終わり、サンドロスは正式にイドリス国王へと就任した。

 あくる日、イドリス城の食堂で、ソロンはサンドロス達と昼食を取っていた。


 食堂内には兵士や役人、使用人を含めて数多くの人々が集っている。ここには種族の境界もない。人間と亜人が同じ卓上で食事をしていた。

 戦後の一時的な状況ではなく、これは平時からの習慣だった。城で暮らす者は身分に関係なく、ここで食事をすることになっているのだ。


『役人や兵士だけでなく、末端の使用人まで同じ卓上とは驚きました』


 とはアルヴァの弁だ。上界の貴族からすれば、驚くような有様なのだろう。


 そもそもが、イドリスには帝国のような強固な身分制度は存在しない。平等思想が蔓延(まんえん)している――というよりは、厳格な身分制度を築くほどの人口がないのだ。

 今日の昼食の場にも、もちろんアルヴァを始めとした仲間達が参加していた。



「今朝、ラグナイ王の使者が来たぞ」


 開口一番、サンドロスはそんなことを言い出した。


「……!? なんて言ってきたの?」


 ソロンは(おもて)を上げて、兄の顔を見た。


「今回の件は司教ベクセンの独断であり、ラグナイ王国としては本意ではない。よってこれ以上、貴国との戦闘を続行する意志はない。ベクセンの処遇はそちらに委ねる――とかなんとか」

「そっか、じゃあ……!」

「ああ、めでたく終戦となりそうだな」


 今回の戦いに勝利したとはいえ、ラグナイはイドリスよりも(はる)かに大国だ。イドリスとしては矛を収めるのが既定路線だった。


「しっかし、分かりやすい切り捨てだなあ」


 つぶやいたのはグラットだ。既にイドリス城での生活にも慣れてきて、くつろいだふうである。


「全くだよ。王子まで来ていたのに、司教の独断も何もないよね。……それで、レムズ王子については何も言ってないの?」


 レムズは先日、ソロンが刃を交えた相手である。第三王子という立場である以上、ラグナイとしても簡単に切り捨てるとは思えなかった。


「それなんだが。案の定、王子を引き渡せと言ってきている。使者とはまだ交渉中だがな。ミュゼック砦を始めとした国内から、軍を引かせるぐらいはできそうだ」


 ミュゼック砦とは、ここより北――ラグナイ王国との国境沿いにある砦だ。防衛の(かなめ)となるはずだったが、王都が侵攻される前には陥落していた。

 今もミュゼック砦を含めた北部には、ラグナイ軍が駐留したままである。


「悪い条件ではないと思います」

 アルヴァがすんなりと会話に加わってきた。

「――第三王子の口振りからしても、今回の件はザウラスト教団の主導だと印象を受けました。司教の独断というのは疑わしいとはいえ、ラグナイ王には借りを作ってもよいでしょう」


 彼女は既に、イドリスの地理を理解しているらしい。ミュゼック砦が要衝であるとも分かっているようだ。


「そうだな。その意味では、お前達があの王子を生け捕りにしたのは大きかった。あとは他の捕虜とも引き換えに、復興費用を多少は出してもらうつもりだ」


 そう言いながらも、サンドロスはアルヴァを怪訝(けげん)な目で見る。


「――ところで、アルヴァは随分と詳しそうだな。上界では女も政治を勉強するのか?」


 平然と外交問題に口を出す彼女を、奇異に思ったらしい。


「一般的には男が主体となりますが、女が参加することもありますね。私の場合、これでも元皇帝ですから。一応は専門になります」


 アルヴァは何気なく言ったが、サンドロスは絶句した。


「……皇帝ってのは、先生が言ってたあれか。確か上界の帝国で一番偉い役職だったか?」

「そうです」


 いまだソロンは、アルヴァの正確な素性を話していない。わざわざ彼女の傷口に触れるような話題を、出すつもりはなかったからだ。

 先日のガノンドにしても、話した内容をサンドロスには伝えなかったらしい。ガノンドにとってあれは、過去の思い出話以上のものではなかったのだ。


「つまりは女王様か?」

「通常は女帝と表現しますが」

「で、その女帝陛下がどうして――って、やっぱりいいか詮索は趣味じゃないしな」


 サンドロスは興味を持ったようだが、すぐに自制した。


「平たく言えば、未知の魔法に手を出し、失敗した罪です。以前も少しだけお話したと思いますが。あの神獣のようなものを呼び出して、暴走させてしまいました」


 それでもアルヴァは語る決心をしたらしく、ただ事実を語った。


「そういうことだったのか……。全く、得体のしれない力だ」


 それから、サンドロスはアルヴァを見据えて。


「――君は、やはり上界に帰るのか?」

「…………そのつもりです」


 逡巡した末、うつむき加減にアルヴァは答えた。心中に様々な葛藤を抱えているらしく、言葉少なに。


「兄さん、お願いがあるんだ」


 そこでソロンは口を挟む決心をした。いつかは言わねばならないことである。今までは状況の忙しさに甘えて、先延ばししていたまでだ。


「ふむ」

「彼女達を上界に送ろうと思うんだ。だから、また旅立つことを許して欲しい」


 今のイドリス王国の君主は、名実ともにサンドロスだ。ソロンだけの判断で動くべきではない。そのためにも兄の許可が必要だった。


「…………」


 サンドロスは無言で考え込むような様子だった。


「えっと……。やっぱりお世話になったし、下界の旅は数日でも危険だし……。アルヴァは不安定な身分なんで、できるだけ助けてあげたいんだ。それもあって、しばらくかかるかもしれないけど」


 兄は無言で頷いて、先をうながす。


「――その……大変な時期なのは分かってるけど。やっぱりみんなを、いつまでも下界に留めておけないし」


 ソロンはたどたどしくも思いを語った。

 サンドロスは「うむ」とソロンを見据えて。


「いいんじゃないか? というより、お前が行く気がないなら俺が命令するつもりだったがな。イドリス人なら、恩を返すのは当たり前だ」

「うん、ありがとう」


 ソロンは兄に礼を言ってから、アルヴァのほうを向いた。


「ですが……よいのですか? あなたには、この国で果たす役割があるのでは?」

「そうだけど……。でも、ここには兄さんがいるし。マリエンヌさんとも約束したから。イシュティールだったっけね」


 海都イシュティール――それがアルヴァの母方の故郷だと聞いていた。アルヴァの元秘書であるマリエンヌも、元々はアルヴァの母に仕えていたという。


「はい。マリエンヌならそちらにいると思います」


 アルヴァは返事をしたが、その表情は暗い。深く思い悩んでいる様子が見て取れた。


「もしかして不安?」

「ええ……私は追放を受けた罪人です。今となっては、帝国にとって価値ある人間とは思えません。それでどうしても……」


 以前の自信はどこへやら、なんともアルヴァは弱々しかった。やはり皇帝を罷免(ひめん)され、追放された事実が重くのしかかっているのだ。


「確かに帝国政府にとって、価値はないかもしれないけど……。でも、君の価値ってのはそれだけじゃない。マリエンヌさんや、みんなが待ってる。それだけで十分じゃないかな」


 ソロンなりに何とか彼女を(はげ)まそうとがんばってみる。


「……そうですね。マリエンヌやお祖父様は心配しているでしょうね」


 ソロンは黙って頷いた。それ以上は言わず、アルヴァの決断をうながす。


「お姫様の好きにすりゃいいんじゃないか。上に連れて帰るつもりだったが、それも結局はあんたの自由だ。結論が出せないなら、しばらく待ってもいいぜ。どうせ、俺は冒険者の身だしな」


 グラットは軽い調子で言いながらも、アルヴァを気遣った。


「私はアルヴァの友達だから、できるだけのことはするよ。上に戻るならもちろん付き合うし。……下に残るなら――さすがに親が泣くから無理かなあ……」


 ミスティンはアルヴァを目をまっすぐに見つめた。わりと真剣にそろって下界に残る選択も考えているらしい。


「そうですね。自分の中ではもう結論は出ていたのです。ただ勇気がなく、決心がつかなかっただけで……」


 アルヴァは三人を眺め回してから、言葉を続ける。


「――上界へ戻ります。何にせよ、そうしなければ私は前に進めない気がしますから。……だから、送っていただいてもよろしいですか?」

「もちろん」


 ソロンは首を縦に振った。


「それから、お願いがあるのですが……。もしかしたら、帝国は私をまた追放するかもしれません。その時は――」

「下界で暮らせばいいだけさ。君は一人にならないし、僕がさせない。これでも王様の弟だからね」


 最後まで聞かず、ソロンは自分の胸を叩いた。


「……ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」


 アルヴァは嬉しそうにはにかんで、それから頭を下げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ