アルヴァの迷い
戴冠式と宴は終わり、サンドロスは正式にイドリス国王へと就任した。
あくる日、イドリス城の食堂で、ソロンはサンドロス達と昼食を取っていた。
食堂内には兵士や役人、使用人を含めて数多くの人々が集っている。ここには種族の境界もない。人間と亜人が同じ卓上で食事をしていた。
戦後の一時的な状況ではなく、これは平時からの習慣だった。城で暮らす者は身分に関係なく、ここで食事をすることになっているのだ。
『役人や兵士だけでなく、末端の使用人まで同じ卓上とは驚きました』
とはアルヴァの弁だ。上界の貴族からすれば、驚くような有様なのだろう。
そもそもが、イドリスには帝国のような強固な身分制度は存在しない。平等思想が蔓延している――というよりは、厳格な身分制度を築くほどの人口がないのだ。
今日の昼食の場にも、もちろんアルヴァを始めとした仲間達が参加していた。
「今朝、ラグナイ王の使者が来たぞ」
開口一番、サンドロスはそんなことを言い出した。
「……!? なんて言ってきたの?」
ソロンは面を上げて、兄の顔を見た。
「今回の件は司教ベクセンの独断であり、ラグナイ王国としては本意ではない。よってこれ以上、貴国との戦闘を続行する意志はない。ベクセンの処遇はそちらに委ねる――とかなんとか」
「そっか、じゃあ……!」
「ああ、めでたく終戦となりそうだな」
今回の戦いに勝利したとはいえ、ラグナイはイドリスよりも遥かに大国だ。イドリスとしては矛を収めるのが既定路線だった。
「しっかし、分かりやすい切り捨てだなあ」
つぶやいたのはグラットだ。既にイドリス城での生活にも慣れてきて、くつろいだふうである。
「全くだよ。王子まで来ていたのに、司教の独断も何もないよね。……それで、レムズ王子については何も言ってないの?」
レムズは先日、ソロンが刃を交えた相手である。第三王子という立場である以上、ラグナイとしても簡単に切り捨てるとは思えなかった。
「それなんだが。案の定、王子を引き渡せと言ってきている。使者とはまだ交渉中だがな。ミュゼック砦を始めとした国内から、軍を引かせるぐらいはできそうだ」
ミュゼック砦とは、ここより北――ラグナイ王国との国境沿いにある砦だ。防衛の要となるはずだったが、王都が侵攻される前には陥落していた。
今もミュゼック砦を含めた北部には、ラグナイ軍が駐留したままである。
「悪い条件ではないと思います」
アルヴァがすんなりと会話に加わってきた。
「――第三王子の口振りからしても、今回の件はザウラスト教団の主導だと印象を受けました。司教の独断というのは疑わしいとはいえ、ラグナイ王には借りを作ってもよいでしょう」
彼女は既に、イドリスの地理を理解しているらしい。ミュゼック砦が要衝であるとも分かっているようだ。
「そうだな。その意味では、お前達があの王子を生け捕りにしたのは大きかった。あとは他の捕虜とも引き換えに、復興費用を多少は出してもらうつもりだ」
そう言いながらも、サンドロスはアルヴァを怪訝な目で見る。
「――ところで、アルヴァは随分と詳しそうだな。上界では女も政治を勉強するのか?」
平然と外交問題に口を出す彼女を、奇異に思ったらしい。
「一般的には男が主体となりますが、女が参加することもありますね。私の場合、これでも元皇帝ですから。一応は専門になります」
アルヴァは何気なく言ったが、サンドロスは絶句した。
「……皇帝ってのは、先生が言ってたあれか。確か上界の帝国で一番偉い役職だったか?」
「そうです」
いまだソロンは、アルヴァの正確な素性を話していない。わざわざ彼女の傷口に触れるような話題を、出すつもりはなかったからだ。
先日のガノンドにしても、話した内容をサンドロスには伝えなかったらしい。ガノンドにとってあれは、過去の思い出話以上のものではなかったのだ。
「つまりは女王様か?」
「通常は女帝と表現しますが」
「で、その女帝陛下がどうして――って、やっぱりいいか詮索は趣味じゃないしな」
サンドロスは興味を持ったようだが、すぐに自制した。
「平たく言えば、未知の魔法に手を出し、失敗した罪です。以前も少しだけお話したと思いますが。あの神獣のようなものを呼び出して、暴走させてしまいました」
それでもアルヴァは語る決心をしたらしく、ただ事実を語った。
「そういうことだったのか……。全く、得体のしれない力だ」
それから、サンドロスはアルヴァを見据えて。
「――君は、やはり上界に帰るのか?」
「…………そのつもりです」
逡巡した末、うつむき加減にアルヴァは答えた。心中に様々な葛藤を抱えているらしく、言葉少なに。
「兄さん、お願いがあるんだ」
そこでソロンは口を挟む決心をした。いつかは言わねばならないことである。今までは状況の忙しさに甘えて、先延ばししていたまでだ。
「ふむ」
「彼女達を上界に送ろうと思うんだ。だから、また旅立つことを許して欲しい」
今のイドリス王国の君主は、名実ともにサンドロスだ。ソロンだけの判断で動くべきではない。そのためにも兄の許可が必要だった。
「…………」
サンドロスは無言で考え込むような様子だった。
「えっと……。やっぱりお世話になったし、下界の旅は数日でも危険だし……。アルヴァは不安定な身分なんで、できるだけ助けてあげたいんだ。それもあって、しばらくかかるかもしれないけど」
兄は無言で頷いて、先をうながす。
「――その……大変な時期なのは分かってるけど。やっぱりみんなを、いつまでも下界に留めておけないし」
ソロンはたどたどしくも思いを語った。
サンドロスは「うむ」とソロンを見据えて。
「いいんじゃないか? というより、お前が行く気がないなら俺が命令するつもりだったがな。イドリス人なら、恩を返すのは当たり前だ」
「うん、ありがとう」
ソロンは兄に礼を言ってから、アルヴァのほうを向いた。
「ですが……よいのですか? あなたには、この国で果たす役割があるのでは?」
「そうだけど……。でも、ここには兄さんがいるし。マリエンヌさんとも約束したから。イシュティールだったっけね」
海都イシュティール――それがアルヴァの母方の故郷だと聞いていた。アルヴァの元秘書であるマリエンヌも、元々はアルヴァの母に仕えていたという。
「はい。マリエンヌならそちらにいると思います」
アルヴァは返事をしたが、その表情は暗い。深く思い悩んでいる様子が見て取れた。
「もしかして不安?」
「ええ……私は追放を受けた罪人です。今となっては、帝国にとって価値ある人間とは思えません。それでどうしても……」
以前の自信はどこへやら、なんともアルヴァは弱々しかった。やはり皇帝を罷免され、追放された事実が重くのしかかっているのだ。
「確かに帝国政府にとって、価値はないかもしれないけど……。でも、君の価値ってのはそれだけじゃない。マリエンヌさんや、みんなが待ってる。それだけで十分じゃないかな」
ソロンなりに何とか彼女を励まそうとがんばってみる。
「……そうですね。マリエンヌやお祖父様は心配しているでしょうね」
ソロンは黙って頷いた。それ以上は言わず、アルヴァの決断をうながす。
「お姫様の好きにすりゃいいんじゃないか。上に連れて帰るつもりだったが、それも結局はあんたの自由だ。結論が出せないなら、しばらく待ってもいいぜ。どうせ、俺は冒険者の身だしな」
グラットは軽い調子で言いながらも、アルヴァを気遣った。
「私はアルヴァの友達だから、できるだけのことはするよ。上に戻るならもちろん付き合うし。……下に残るなら――さすがに親が泣くから無理かなあ……」
ミスティンはアルヴァを目をまっすぐに見つめた。わりと真剣にそろって下界に残る選択も考えているらしい。
「そうですね。自分の中ではもう結論は出ていたのです。ただ勇気がなく、決心がつかなかっただけで……」
アルヴァは三人を眺め回してから、言葉を続ける。
「――上界へ戻ります。何にせよ、そうしなければ私は前に進めない気がしますから。……だから、送っていただいてもよろしいですか?」
「もちろん」
ソロンは首を縦に振った。
「それから、お願いがあるのですが……。もしかしたら、帝国は私をまた追放するかもしれません。その時は――」
「下界で暮らせばいいだけさ。君は一人にならないし、僕がさせない。これでも王様の弟だからね」
最後まで聞かず、ソロンは自分の胸を叩いた。
「……ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」
アルヴァは嬉しそうにはにかんで、それから頭を下げた。