グラットの過去
戴冠式は終わり、祝宴が開かれた。
戦争明けで食糧事情は厳しいため、料理の質は高くを望めない。実のところ、魔物の肉が相当に入っていたりもする。それでもイドリス一流の料理人が、腕を振るった料理が披露された。
各々が食事やブドウ酒を手にして、話に花を咲かせるのだった。
最も注目を浴びているのは、言うまでもなくサンドロスとその妻子だ。サンドロスは多くの家臣に囲まれていて、見るからに辟易している。
だが、これも国王たる者が果たす役割なのだ。
次に注目を浴びているのはアルヴァだった。
「あの神獣に放った魔法は信じられない威力でしたね」
「何でも上界の姫君だったとか……」
「いやあ、あなたのようにお美しい方は初めて見ましたよ。どうですか、今度――」
というように、しきりと男達から話しかけられている。
彼女も皇帝であった頃は、このような場を何度も経験しているだろう。だから、対応も慣れたもののはずだ。
……と思ったが、こちらも辟易しているのが、ソロンの目にも伝わってきた。
かけられる声の性質が違うからだろうか。かつてのそれは、家臣が主君の機嫌を窺うもの。今のそれは、男が女の機嫌を窺うものだった。
……要するにナンパというヤツである。
さすがに皇帝に対して、ナンパをする勇者は帝国広しといえども、いなかったのかもしれない。皇女時代ならあり得たかもしれないが、普通は家を通すものだろう。
アルヴァは困惑の体で受け答えをしていた。根が真面目なので、相手を邪険にはできないらしい。合間を見ては、周囲をキョロキョロと見回している。
誰かを探しているようだ。
……というか、ソロンと視線が合った。こちらをじっと射すくめている。
試しに手を振ってみたら、怒ったような顔になった。
……さすがにソロンも後が怖くなったので、素直に助けに入ることにした。
ソロンがそばに近づいていくと、アルヴァは「失礼」と男達の囲みを抜けた。それから隣に立って、にらみつけてきた。
「どうして、すぐに来てくれないのですか?」
「いやあ、大人気だなあと思って……」
「別に人気者になりたいわけではありません」
アルヴァの声調が段々と冷え込んでいく。
「え、えっと、今日は一段と綺麗だね。黒以外を着ているのを初めて見たかも」
ここは起死回生の一手――話題をそらすに限る。
アルヴァは華やかな青色のドレスを身にまとっていた。首元から白い肩までを露出させて、そこに腰まで届く黒髪を垂らしている。
その黒髪には瞳の色に合わせた紅玉の髪飾りがきらめいており、青と赤が鮮やかに対比を作っていた。
この程度の露出でも、ソロンは目のやり場に困る始末だった。
「……最初は黒にしようと思ったのです。けれど、ナウア陛下にはそんな葬式色のドレスなんてない――と言われてしまいました。それでやむなく青で妥協したのですが」
アルヴァはもちろん、下界に礼服を持ってきていない。それで新王妃たるナウアから服を借りていたのだ。
「……そりゃあ、ナウアの言うとおりだよ。妥協も何もとても似合ってるし。眼の色が紅いから、反対に青色の服も合うんじゃないかなって。ああでも、黒が好きなんだよね?」
「どちらかというと、服装に時間をかけるのも愚かしいので、普段は色を固定していただけです」
あんまりな答えにソロンは絶句しそうになった。文字通りに色気も何もない発想である。
ブンブンと首を振って声を上げる。
「いやいやいや、その発想はおかしい」
「どこがですか? 至って合理的な発想かと思いますが」
「合理主義も程々にしなよ。そんなことを言う女の子は初めて見た」
「む……。確かに、よその令嬢は服飾についての話が好きなようですが……。けれど、服は服。飾りは飾りです。いくら着飾ったところで、自分の体が美しくなるわけではありませんから」
「一理あるけど、極端過ぎるよ。どうしてそうなるかなあ……」
「……そういった言い方は、私でもいささか傷つきます」
アルヴァはムスッとした声になった。
「ご、ごめん言い過ぎた。せっかく綺麗なのに、同じような服しか着ないのはもったいないなって……。さっきも言ったけど、そのドレスはよく似合ってるし」
アルヴァは頬に手を当てながら、考え込むふうに。
「……ソロンは青のほうが好みですか?」
「うん? そうだね、青は好きかな。黒もいいと思うけどね。他の色でも似合うものはあると思うし」
「なら考えておきます。……それと一応、褒めていただいたことには礼を言います。あなたは世辞ができる人でないのは知っていますから」
多少は機嫌を直したらしい。
それからソロンをしげしげと見て。
「こうして見ると、あなたも立派なものですね。私のお兄様にもそう見劣りしないと思いますよ」
ソロンもこの場に合わせて、それなりの正装をしていた。兄を少し控えめにしたような服とマントである。彼女はそれを品評したのだろう。
ちなみに『私のお兄様』というのは彼女の従兄。つまり、ネブラシア帝国の現皇帝のことだろう。
「うん、ありがとう。……そういえば、あの二人はどうしてるかな?」
なんとか会話を冷え込ませずに済んだようだ。また悪い流れにならないようにするため、ここはグラットとミスティンに頼ることにした。
*
ソロンはアルヴァを連れて、仲間の姿を探した。
程なくして、二人の姿が見つかった。
歩いてくるこちらに気づいたミスティンが、笑顔になって手を挙げる。
彼女は緑のドレスを着込んでいた。こちらも肩をさらして、健康的な肌を見せている。いつも後ろでくくっている髪は、今日はほどいて長髪になっていた。
きちんとなでつけられた金色の髪には、緑柱石の髪飾り。空色の瞳も鮮やかで、服の緑ともよく似合っていた。
それだけを見れば、彼女が上界の貴族にして神官家の次女であることを誰も疑わないだろう。
が――
「ミスティン、はしたないですよ」
歩み寄るなり、アルヴァはミスティンをたしなめた。
ミスティンは肉を喰らいながら、頬をふくらませていた。まさに食べるというより、喰らうという表現のほうがふさわしい。
「ほんとだよ、お前はリスか何かかよ」
その隣に座っていたグラットが溜息をついた。ブドウ酒を味わいながら、じっくりと料理を堪能しているところだった。
「へも、ほいひいよ」
ミスティンがモゴモゴと頬張りながら何かを言った。……恐らく『でも、おいしいよ』だ。
「本当においしそうに食べるよね」
ソロン達もそばに座って、食事を頂くことにした。まだ何も手を付けていなかったのだ。
「そうやってちゃんと着飾れば、お前だって姉ちゃんにも見劣りしないと思うんだがなあ……」
グラットが肉を手に取りながら、ミスティンを眺めていった。
「ほりゃあ、レスレダでは美人過ぎる姉妹と言われていたから」
ミスティンはようやく口の中が空いたらしく、聞き取れる声になった。
以前、ミスティンは姉のセレスティンと会う前にそんなことを話していた。レスレダというのが彼女たち姉妹の故郷だったはずだ。
「ああ、そんなことも言ってたな。だから、もうちっと行儀良くしろよな」
「ミスティンらしいなあ」
「さっきなんて、声をかけてくる男どもを軒並み無視だからな。それで食いもんに一直線だ。後はご覧の有様よ」
「ミスティンらしいですわね……」
アルヴァも、ソロンに輪唱するように言った。
「グラットは全然似合わないね」
散々話題にされたミスティンが、グラットの服装を指して言い返した。
いつもの乱雑な茶髪はしっかりと整えられている。体格に優れたグラットは貴公子然として見えなくもない。それでも、どこかぎこちなさがあった。
「お前らのような貴族様、王族様じゃないからな。こちとら武門の生まれだぜ」
「初めて聞いた。それでなんで冒険者なんてやってるの?」
ミスティンは手の動きを止めて、グラットへと瞳を向けた。問いかけたミスティンは、教会での修練を嫌って冒険者となった身の上だった。
「お前と同じだよ。軍隊暮らしなんて性に合わないから辞めてきたんだ」
グラットは二十歳を少し過ぎたぐらいの年齢のはずだ。
イドリスなら十代の半ばで新兵となる者も珍しくない。彼の年齢と実力から見て、軍人としてもそれなりの経験を積んできたに違いない。
「その槍さばきを見れば、驚くことではありませんが……。故郷はベオとおっしゃいましたか。ならば所属は雲軍ですね」
かつて帝国軍の上に君臨していたアルヴァは、グラットの過去に興味を持ったらしい。
「ご明答。かつての皇帝陛下から見れば、下っ端中の下っ端だけどな」
「サラネド方面の抑えですね。私はもっぱら北方ばかりを相手にしていたので、そちらの情勢には疎いのですが……。もしかして、二年前の戦にはあなたも?」
疎いと言ったアルヴァだが、それでも二年前に戦があったことは知っているらしい。
もっとも、ソロンにはよく分からない話だ。
どうにかベオという町が帝国の国境付近で、サラネドという国と隣接しているのだとは察した。雲軍というのは、帝都にも基地のあった雲海軍のことだろう。
「おうよ、辞めるちょっと前だな。竜玉船に乗ってサラネドの雲賊どもと戦ったぜ。三人ぐらいはやっつけたかな」
「雲賊って――もしかして、海賊の雲海版ってこと?」
ソロンが質問すれば、
「んあ? 海賊ってのは雲賊の海版か?」
全く正反対の質問で返された。グラットにとっては、逆に『海賊』という言葉が耳慣れないらしい。
その様子がおかしかったのか、アルヴァは「くすっ」と笑った。
「二人ともその認識で間違いありません。それから上界にだって海賊という概念は存在しますよ。海沿いで暮らす人々を除けば、なじみが薄いだけです」
「おおそうなんか。まあともかく、サラネドの連中がその雲賊を飼いならしてるみたいでな。カプリカ島の西側を行く船から、略奪を働くわけだ。そいつらを取り締まるのが、俺がいたベオの雲軍ってわけよ」
カプリカ島というのは、ソロンが初めて上界に昇った時の島だ。帝都から南東に位置している。
「飼いならしてる?」
「ええ。サラネド共和国は領土内の雲賊を服従させ、自国の船を襲わないよう確約させたのです。そこまではよいのですが、代わりに帝国の船を襲うよう仕向けたようなのです。まさに卑劣……匹夫の所業ですね。そして業を煮やした父の指示で、大規模な掃討作戦が二年前に実施されたというわけです」
二人そろってソロンにも分かるように説明してくれた。
「グラットにも色んなれきひがあったんだね」
ミスティンがまたも口をモグモグ動かしながら感想を述べた。どうやらデザートのケーキに手をつけているようだ。『れきひ』というのは歴史のことらしい。
「そりゃあ俺だって、木の股から生まれたわけじゃねえからな。人生は色々あるもんさ」
「ともかくご苦労様でした。父に代わって礼を申しましょう」
「よしてくれよ、俺はもう仲間を捨てて辞めた身だしな」
軍隊暮らしは性に合わないと言ったグラットだが、何かしらの心残りはあったのかもしれない。
「いいえ。辞めたからといって、貢献がなくなるわけではありませんから」
「……それもそうか。そんじゃあ俺も、一帝国臣民として言わないとな。お姫様も一年間お疲れ様でした。何だかんだ言って、北方の人らは感謝してると思うぜ」
「まあ……。その、ありがとうございます」
アルヴァはグラットの意外な思いやりにとまどっているようだった。