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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第四章 雲海を駆ける
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王の戴冠

 かつて、世界は一つだった。

 大地を(むしば)む『呪い』から逃れるため、もう一つの世界――上界が創られた。


 上界にはあふれる太陽があった。

 太陽は緑を産み出し、緑は穀物を産み出した。豊かな穀物は多くの生命を栄えさせた。


 残された世界――下界には土があった。

 土の中には鉱物があり、それは武器や防具の材料となった。その力があれば、魔物との戦いも有利に進められた。

 世界が二つに別れてからも、それらは交差し、互いを補った。特権を持つ者達がカギの力で行き来し、恩恵をもたらしあったのだ。


 けれど、その関係も長くは続かなかった。

 恩恵は利権を産み、利権は対立を産んだ。二つの世界は時代を経て、対立を深めていったのだ。


 上界の者達は下界の鉱物を求めた。特に魔導金属の持つ強大な力は、戦争に勝ち抜く原動力となった。


 下界の者達は上界の穀物と安全を求めた。

 下界は過酷であり、魔物が蔓延(はびこ)っていた。何より、迫る『呪い』に皆が怯えていた。

 そして、下界の者達は上界で暮らすことを望んだ。しかしながら、上界の地は既に上界人の支配下。そこへ渡るのは狭き門であった。

 その門をくぐり抜けたとしても、結局は上界人の言いなりになるしかなかった。つまりは奴隷としての待遇だ。


 今なお上界に暮らす亜人の中には、そういった経緯を持つ者もあったという。しかし、大半の者は下界に残るしかなかった。

 下界に残った者達は、太陽を(さえぎ)る上界の大地を憎んだ。自分達を置き去りにした上界の者達を憎んだ。


 やがて、憎しみは争いとなる。

 争いを優位に進めたのは上界の者達だった。豊かな上界は人口に恵まれていたのだ。数の少ない下界の者達に勝ち目は薄かった。

 それでも、下界の者達は魔導金属を用いて対抗した。下界には強力な魔物に()まれた屈強な戦士がいた。


 けれど、争いは全面的な戦争までは拡大しなかった。

 そもそも、世界の行き来は界門を通した転送に限られる。界門の起動にはカギが必要であり、狭い門を通らなければならない。

 やがて、到達した戦術はどちらも面白みのないものだった。

 互いに界門のそばに待ち伏せし、やって来る相手を撃滅したのだ。極めて単純ながら効果的なこの戦術で、戦いは膠着(こうちゃく)状態に陥ってしまった。


 やがて、上界の皇帝は苦境に(おちい)った。

 下界とは関係ない国内の内乱で、彼は帝都を追い出されてしまったのだ。もはや、下界に手を出す余裕はなかった。

 そうこうしているうちに、いつしか両者の交流は途絶えた。二つの世界は長きに渡り隔絶されたのだ。


 * * *


 イドリス解放戦が終結して幾日かが経った。

 王子サンドロスの指揮の(もと)、復興は順調に進んでいった。

 遺体の埋葬は終了し、軽微な負傷者は仕事へと戻り始めていた。破壊された外壁や家屋の修復には、より多くの時間が必要だったが、一応の応急処置がなされた。


 西からはサンドロスの妻子を始め、テネドラの町に逃れていた住民達が次々とイドリスに帰還していた。

 南からは、ソロン達の手によって救出された母ペネシアが帰ってきた。一旦はセベアの村に駐留していた彼女達へも、イドリスの解放は伝わっていたのだ。



「もう、こんなに立派になって……」


 帰って早々、ペネシアはサンドロスを抱きしめた。

 ソロンとサンドロスの母である彼女は、四十代とは思えないほど若々しい。兄弟の赤髪は彼女から遺伝したものだった。

 既にサンドロスは立派な大人で一児の父だ。ソロンとは違って、長身かつ男らしい体つきである。

 それでも、ペネシアにとってはいつまでも子供なのだろう。


「俺も心配したよ。だがこの通り、イドリスは取り戻した。親父の後もどうにか継いでみせるさ」


 それからペネシアはソロンも抱きしめた。


「ソロンもよく無事で……」

「母さん……。それこの前やったしもういいよ」


 感動の再会は、呪海の亀裂から彼女達を救出した際に済ませていた。


「でも、こっちでも激しい戦いをやったと聞いたから心配だったのよ」

「はあ……」


 ソロンは恥ずかしいやら何やらで溜息をついた。


「でも、これでサンドロスも立派な国王陛下ね」

「そうだな。さすがにもう、いつまでも王子というわけにはいかないしな」


 王都が占領されている状態で、イドリスの国王などと名乗れはしない。サンドロスはそう言って、国王への就任を先延ばししていた。しかし、解放を果たした今、名実共にイドリスの国王となるはずだった。


「それでは、善は急げです。戴冠式(たいかんしき)を行いましょう」

「やっぱり、やらなきゃいけないのか……? 俺そういう堅苦しい儀式はどうもなあ。もう今から国王を名乗ってよくない?」

「何を言っているのですか。戴冠式をしない国王なんて歴代の誰にもいませんよ。当然のことでしょう」


 母は偉大である。サンドロスもやはりペネシアには逆らえなかった。


 *


 それから一週間が過ぎて、戴冠式の日がやって来た。

 イドリス城の玉座の広間――そこに重臣達が集められることになった。

 といっても、準備はわずか一週間というごく短期間。招集されたのは王都とその近隣に駐在する者だけだった。

 平時ならありえない大雑把なやり方だが、それもサンドロスの意向が強く働いていた。

 長い期間を取って準備をすれば、それだけ費用と人手がかかる。イドリスはまだ復興の途上であり、内容は極力簡素に抑えられたのだ。


 ソロンも王弟として、前列かつ正面に参列させられた。隣には、今回の戦いで軍師として活躍したナイゼルの姿もある。

 アルヴァ、ミスティン、グラット――上界から来た三人は立場の違いもあって、正面からは離れていた。それでも、前列付近にいるのは、その貢献が大きかったからだ。

 人間も亜人も、広間には分け隔てなく整列している。亜人が着飾って正装する姿は上界から来た三人にとって、さぞ見慣れない光景に見えたに違いない。


 やがて、サンドロスが玉座の間に現れた。

 イドリスの財政力が成し得る範囲で、精一杯に豪奢(ごうしゃ)な服とマントを羽織っている。

 新たな王の姿を前にして、玉座の間は水を打ったように静まり返った。


 サンドロスが堂々たる足取りで絨毯(じゅうたん)の上を進んでいく。後ろには妻であり王妃となるナウアを従えている。彼女の腕には王子となるスライが抱かれていた。

 サンドロスは玉座に背を向けて、集まった一同を見渡せるように立った。スライを抱えるナウアはその斜め後ろに控えた。


 次には母ペネシアが現れた。

 王冠を大事そうに抱えたまま、サンドロスの元へと歩いていく。

 国王が在命中に王位が継承されるなら、前国王から新国王へと王冠を授けるのがイドリスの習わしだ。しかし残念ながら、前国王セドリウスは、ラグナイ王国との戦いで命を落としていた。

 よって、王冠を授けるのは前王妃たるペネシアの役目となる。今は亡き前国王の名代として、王権の継承を行うわけだ。


 ペネシアがサンドロスの前にたどり着いた。それに向かって、サンドロスはひざまずいた。

 ペネシアは王冠を両手で高く掲げた。前王妃の手によって、新王サンドロスの頭に王冠がかぶせられたのである。

 鮮やかな赤髪の上に王冠をきらめかせ、サンドロスは立ち上がった。

 玉座の間に居並ぶ者達を見やって、就任の演説を始めるのだった。


「ラグナイ王国との戦いに勝利し、私サンドロスは今日よりイドリスの王となった。父の後嗣(こうし)として、栄光あるわが国を担えることを誇りに思う」


 堂々たる声音(こわね)でサンドロスは語り出した。


「――こたびの勝利を獲得できたのは、諸君らが私に力を差し出してくれたからだ。剣、杖、米、知恵、皆が持てるものを王国のために振り絞ってくれた。全ては決して、私一人の力で成し遂げたことではない。臣下の者はこれからも、わが国のために力を貸して欲しい」


 イドリスの王は、決して全てを意のままにする専制君主であってはならない。イドリス人の代表として、地位を預かっているに過ぎないのだ。そういった理念が演説には含まれていた。

 それから、サンドロスは上界から来たアルヴァ達を見やった。


「――異国より来訪した友人達へも感謝を述べると共に、長い友誼(ゆうぎ)(たまわ)らんことを」

「長い友誼か……」


 ソロンはつぶやいた。

 今回の戦いでは、アルヴァ達は自らの意志で力を貸してくれた。けれど、いつまでもこちらにいるわけにはいかないだろう。だから、長い友誼という言葉は形式だけかもしれない。

 サンドロスの演説は続く。


「……あぁ、え~となんだっけ、まあいいや。みんな、親父の時と変わらずよろしく頼むぞ。俺も頑張るからな」


 内容が段々と適当になっていき、やがて無理矢理に演説は締めくくられた。しかしそれも、体面にこだわらないサンドロスらしかった。

 参列者は盛大な拍手を新王へと送るのだった。

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