イドリスの平和
「これがラグナイの王族とは、想像と随分違うなあ……。もっと宗教にかぶれた男を想像していたんだが」
レムズの醜態に、サンドロスが呆れたようにつぶやいた。
「ふん。本来、ラグナイは騎士で成り立つ国だ。神官かぶれの父上や兄者達と一緒にしてもらっては困るな」
レムズは威厳のある口調で語った。
その姿を見れば、彼が王族であることを疑う者はどこにもいないだろう。……だが、先程までの姿があんまりだったため、ソロンには何かの冗談にしか見えなかった。
「――そもそも、あのような邪教と組んだのが間違いだった。奴らを父上が引き入れなどするから、このような状況になったのだ」
レムズなりに思うところがあったらしく、聞かれてもいないのにベラベラと喋り出す。ラグナイ王国の内部にも、色々と事情があるらしい。
「お前はザウラストの教徒ではないのか?」
「名目上、全てのラグナイ人はザウラスト教徒ということになっている。……が、心から信仰しているのは神官どもぐらいだろうな」
「今回の侵略はラグナイ王の意向か? それとも教団の意向か?」
「正確なことは耳にしていない。だが、ザウラストが進言して父上がそれに乗った形だろう。少なくとも、他の国を攻めた時はそうだった」
「神獣――あのバケモノは一体なんなんだ?」
「教団の術で生み出されたバケモノだ。それぐらいはお前達でも知っているだろう。……ところでペネシア王妃らはどうなったのだ?」
神獣について語るかと思いきや、レムズは急に話題を転じた。呪海の亀裂に連行されて、生贄にされようとしていた母達のことだ。レムズもその事情を知っているらしい。
「僕達が助けたよ、神官達を倒してね。まだ王都には戻って来てないけど、じきに帰ってくるはずさ」
ソロンが一歩前に出て答えた。
ペネシアはあれからセベア村に向かい、そこに留まっているはずだ。サンドロスが迎えの部隊を既に送ったため、じきに王都へ戻るはずだった。
「そうか……。生贄は助かったのだな」
意外にも、レムズの口振りは安堵しているようにも聞こえた。
そんな、レムズにソロンが問いかける。
「教団が人々を、呪海の生贄にしようとするのはどうして? あの行為にどんな意味がある?」
「……人を呪海に溶かし、力に還元するのだそうだ」
レムズは苦々しい顔で吐き捨てるように言った。
「はっ……どういう意味?」
ソロンは意味が分からずに聞き返した。
「そのままの意味だ。生贄を助ける時に連中と戦ったのだろう? ならば杯を見なかったか?」
「杯……そういえばそんな物を見たような」
「黒い杯だね。あの司祭っぽい人が大事そうに抱えてた」
後ろからミスティンが証言してくれた。
「そうです」
レムズは頷いた。
「――その漆黒の杯こそが教団の聖杯に違いありますまい。カオス――つまり呪海に溶けゆく生命は、形を失うと同時に特殊な魔力へと還元される。それを吸い込んで結晶化を行う装置が聖杯なのだと聞きました」
彼はミスティンに対しても行儀がよかった。
女性なら誰でも丁寧なのだろうか? ひょっとしたら、容姿や年齢で対応を変えるのかもしれない。だとすれば、アルヴァとミスティンの二人は合格らしい。
……微妙に気になるが、どうでもいいと言われたらその通り。なので話を進める。
「魔力結晶ですか……。それほどの代償を元に生み出される物なら、よほど強力なのでしょうね?」
ナイゼルが問いかければ、レムズは頷く。
「お前達も嫌というほど知っているはずだ。聖獣や神獣といった存在はそうして生み出されたのだからな」
「聖獣に神獣か……。ふざけた命名だぜ」
グラットが小さくつぶやく。
「良質の結晶で呼び出されるカオスの神の僕――それが神獣なのだそうだ。そのために質の良い生贄――つまりは魔力に優れた生贄を集めようと、連中は躍起になっていた」
魔力に優れた生贄――と聞いてソロンは二人の女性を思い浮かべた。
ソロンの母ペネシアは高い魔力の持ち主だった。そして、もう一人はアルヴァだ。彼女を連れ去ろうとした盗賊にも、教団の手がかかっていた。
「では、あの杖も……」
ソロンの背中でアルヴァが小さくつぶやいた。小さな独り言だったが、ソロンには何を指しているのか理解できた。
上界で彼女が振るった女王の杖。そして、そこから現れて帝都を襲った神獣。その力はイドリスの神獣に酷似していた。
つまりはあの杖も、似たような術によって作られた可能性を示していた。
それにしても、ソロンの背中にピタリと隠れるような位置取りは……。よっぽどレムズを嫌がっているのだなと分かってしまう。
「神獣を呼び出す術はそう何度も使えない――そのように認識してもよいのでしょうか?」
「そうだな。詳しくは知らんが、降魔の術――神獣の召喚にはそれなりの生贄がいるはずだ。それも質と量の両方でな」
ナイゼルの質問は、ラグナイ王国にとっても重大な機密事項のはずだ。しかし、レムズはあっさりと答えてしまった。心底、ザウラスト教団を嫌っているらしい。
「ならば、当分はイドリスにも攻めてこないと考えていいか?」
「それが聞きたかったのか? ベクセンのように降魔の術を使える者は限られている。カオスの結晶も豊富にあるわけではない。お前達がどうやってあの神獣を破ったかは知らんが、教団にとっては大きな痛手だ。奴らも警戒するだろうさ。当分、無闇に攻め込みはしないはずだ」
「随分と気前よくしゃべってくれるな。お前を信用してよいものか?」
「俺は騎士だ。相手が敵国だろうと嘘はつかん。それにザウラストの意向に与する気は最初からない。もっとも、俺に権限があるわけではないからな。先程、語ったのも推測に過ぎん。信じるかどうかは貴様らが決めろ」
「そうさせてもらおう。……しかし、呪海の生贄か。全く趣味が悪いな。はっきり言えば胸糞が悪い」
「ふん、同感だな」
サンドロスが強い口調で言えば、レムズも憎々しげに同調した。
「あなたは――反対だったのですか?」
その意外さに打たれたのか、思わずアルヴァが声をかけた。ただし、ソロンの肩に手をかけたまま、おずおずと。
「ええ、反対でしたとも。ラグナイは元来が騎士の国です。弱きを助け強きをくじく。敵国に攻め入るにも騎士として、堂々と挑む。それが騎士道だったはず。それがあの邪教に侵食されて、騎士としての本分を失ってしまった」
「どうしてそのような宗教が浸透したのですか? 話を聞く限り、本来のあなたの国とは相容れないように思いますが」
「力ですよ。邪術といえど、力があれば国を守れるし、まとめられる。かつて、弱小国だったラグナイには何よりもそれが必要だったのでしょう」
最初からこの調子で話していれば彼女にも、もう少し好かれただろうに……。誠に残念でならない。と、一瞬だけ考えたが――それはそれで嫌だ。やっぱりこれでいいやと思うソロンだった。
以降もレムズは、ザウラスト教団の内情については協力的な態度を取ったのだった。
こうして、ラグナイ王子レムズの尋問は終わった。彼によれば、ラグナイ王国が再びイドリスに攻め込む可能性は低いという。
だが、油断はできない。
戦争に勝利したとはいえ、敵の軍勢はラグナイの一部分に過ぎないのだ。また、ラグナイが野心を起こしたならば、それ以上の軍勢と新たな神獣をしかけてくる可能性がある。
とはいえ、数ヶ月に渡った戦乱はこれにて小休止を得た。イドリス王国の皆は、久々の平和をかみしめるのであった。
第三章『呪われし海』完結です。
故郷を救うという物語の当初の目的が達成されました。その意味では第一部完といってもよいかもしれません。
というわけで次章は新展開。第四章『雲海を駆ける』。
久々に雲海世界へと戻ります。