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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第三章 呪われし海
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ラグナイの騎士

「兄さん、無事?」


 兄は倒れたまま動けないようだった。意識があるのは見て取れたが、顔を苦痛に歪めている。無茶をしたため、傷口が開いたのかもしれない。


「あまり……無事じゃないな。また回復を頼めるか?」


 どうにか兄は声を絞り出した。


「ミスティン頼めるかな?」


 ミスティンはこくりと頷いた。既に兄のそばにしゃがみこみながら、魔石を取り出している。すぐに回復の光を放ち始めた。

 イドリスにも回復魔法の使い手は何人かいるが、それほど多いわけではない、皆、他の兵士達の治療にあたっている。


「ふぅ、はぁ……。さすがに疲れましたねえ……」


 ナイゼルも早朝からずっと魔法を放ち続けたらしい。いつもは飄々(ひょうひょう)としているが、疲れを隠そうともしない。

 それからソロンは、すぐにアルヴァの元へと駆け寄った。

 彼女もへたり込んでいた。上半身は起こしているが、足を伸ばして座り込んでいる。先程倒れた場所から一歩も動いていない。


「大丈夫?」


 と、尋ねたら微笑を向けて頷いた。


「そちらも……無事なようですね」


 こちらを気遣う余裕すら見せたので、心配はなさそうだ。だが、大魔法の疲労も深いらしい。


「肩を貸したら歩ける?」

 彼女はブンブンと首を横に振った。

「――とりあえず、安全な場所まで運びたいんだけど。いいかな?」


 神獣を倒しても、戦いが終わったわけではない。ここはいまだ戦場なのだ。ひらけた場所に残しておくわけにはいかない。


「……すみません、お願いします」


 ソロンは頷き、アルヴァの膝下(ひざした)と背中に手をやった。

 やわらかな感触。変なところに触れて怒られないように、注意をしながら持ち上げる。彼女のほうもこちらの首へと手を伸ばした。

 人のぬくもりと共に、重さがぐっとソロンの両腕に伝わった。

 前回は背負ったが、今度は抱える形である。腕の筋肉への負担は今回のほうが大きい。


「……重くありませんか?」


 息がかかるような距離で、おずおずと気遣うようにアルヴァが言った。


「大丈夫、鍛えてるから」

「……そこは重くないと答えるのが、模範解答ですよ」


 アルヴァがむっとしたような声を出した。


「そ、そうなの? でも女の人を持ち上げるのって、思ったより大変だなあ……」


 ソロンは愚かにも正直だった。


「当然です。人体は重いものというのが、科学的な常識ですから。物語の英雄なら姫君を抱えたまま、跳んだり跳ねたりするかもしれません。ですが、そんなものは男性の幻想に過ぎないのです。しかと覚えておきなさい」


 何かの金言のようにアルヴァは語った。その口調は、怒りとも照れ隠しとも区別がつかない。


「は、はあ……。思ったより元気そうでよかった」


 確かに本物のお姫様は重たいからね――とは、さすがのソロンも口にしなかった。

 そこでソロンはふと思い出した。


「――そういえば、お礼言ってなかった」

「何のことでしょう?」


 アルヴァはきょとんと瞳をこちらに向けた。間近で見た大きな瞳は、紅く透き通っている。


「えっと、さっきの魔法だよ。帝都の戦いで僕が倒れた時、助けてくれたじゃない。意識は朦朧(もうろう)としてたけどさ」

「ああ、あの時ですか。帝都を守ることが私の職務でしたから、礼には及びません」


 と、アルヴァはお決まりの返事。


「でもありがとう。君にとって負担の大きい魔法なのも分かったから。……あ、あと、この前の塩むすびもありがとう。そっちもお礼言ってなかったね」

「……一丁前に皮肉のつもりですか? 悪かったとは思っていますよ」


 塩むすびと聞いた途端、アルヴァはまたむっとした顔になった。


「皮肉じゃない。誕生祝い嬉しかった」


 ソロンは真摯(しんし)に正直な気持ちを口にした。塩むすびにはほとほと困ったが、嬉しかったのは真実だ。


「ふぅん……そうですか」


 と、アルヴァは素っ気なく返事をして顔をそらした。機嫌を損ねたのかと思ったが、どことなく照れているように見えなくもなかった。


 そうこうしているうちに、サンドロスの元へと二人はたどり着いた。

 ここに来たのは、兄のいる場所が一番安全と考えたからだ。近辺には当然、イドリスの兵士達が集まっている。

 アルヴァを付近へ優しく降ろし、(へい)へともたれさせた。


「ありがとうございます」


 なんだかんだ言っても、律儀に礼をするのがアルヴァの偉いところだ。

 ソロンはサンドロスへと目をやった。ミスティンの治療を受けながらも、なお苦しそうな顔をしている。


「兄さん、調子はどう?」

「さすがに動けそうにないな……。ソロン、頼みがあるんだが」

「なに?」

「俺の代わりに城を制圧してくれるか? この機は逃せん」

「……分かった。後は僕に任せて」


 少しためらったが、すぐにソロンも力強く答えた。今は絶対に兄の想いを無駄にしてはならないのだ。


「アルヴァも休んでいて。僕は城に向かうから」

「お気をつけて。可能なら私も追いかけます」


 アルヴァもしっかりと返事をしてくるが、疲れは隠せていない。


「いや、無理しないで。……グラットも頼める?」

「まあ、俺が見るしかないか。ここの全員、俺に任せとけ」


 グラットはどしりと槍を構えて言い放った。


 ソロンは辺りにいる兵を集めた。それから兄達の護衛をする者と、城に連れていく者に分割した。

 既に日は昇り下界の一日では、最も明るい時間帯になっていた。その日射しの中で、イドリス城を仰ぎ見る。


 ネブラシア城と比べれば、なんてことのない城。帝国人から見れば、館と表現したほうがしっくりくるかもしれない。

 それでも、ソロンは帰ってきた。今こそ故郷の城を取り戻す時が来たのだ。


 *


 百人ほどの部隊を率いて、ソロンは城に突入した。

 城に至るまでの大通りにも敵の姿があったはずだが、それも神獣の敗北を見て逃げていったらしい。

 入口の大広間に陣取る敵軍の姿が見えた。人数は三十を超える程度。劣勢にも関わらず、布陣に乱れはない。なおも戦う意志はあるようだ。


「イドリス軍が来たぞ! 一歩も引くな! ラグナイ騎士団の誇りを見せてやれ!」


 奥から、敵の指揮官らしき声が高らかに響いた。

 一斉に敵軍が襲いかかってくる。その中に神官らしき姿は見えない。騎士団と名乗った通り、ここに残っているのは武器で戦う部隊のようだ。


 イドリス軍とラグナイ軍が剣や槍、盾を手にぶつかり合った。

 敵の数は少ないが、侮れない練度の高さだ。既に趨勢(すうせい)は決しているにも関わらず、思いのほか敵の士気は高い。

 ソロンは刀を振るって三人の敵兵を斬り捨てた。

 炎をまとった紅蓮の刀は、鎧をまとった敵ですら一撃で倒せる。鋼鉄を溶かすのは難しいが、熱さえ通れば敵も無事では済まないのだ。


 だが、敵の強い抵抗にイドリス軍にも犠牲が出始めた。

 やむを得ず、抑えていた炎の魔法を解放すると決めた。それまでは魔法の効果を絞って、一人ずつ斬り捨てるようにしていたのだ。

 城内は石造りであるため炎の魔法を使っても、簡単に崩れるわけではない。それでも、できることなら損傷は避けたかった。


 とはいえ、ここで優先すべきは城の損傷を避けることではない。味方の兵に犠牲を出さないことだ。

 ソロンは扇のように炎を振るって、容赦なく敵兵を薙ぎ払う。一挙に四人の敵兵を炎上させた。劣勢の味方がいれば、遠くから火球を放って支援する。

 元々、人数の少なかった敵軍はみるみる崩れ始めた。


 だが――


「ぐあっ!」「うぉ……!」


 イドリスの兵士が立て続けに二人、斬り捨てられた。ソロンは一瞬、何が起こったのか分からなかった。


 その向こうから黄金色(こがねいろ)の鎧を身にまとった男が現れた。

 男は戦場の中を悠々とソロンに向かって近づいてくる。それでいて隙は見せず、周りの兵達も彼には近づけないようだ。

 右手に剣を持ってはいるが、盾や兜はしていない。栗色の髪に、騎士としてふさわしい引き締まった体をしていた。ラグナイの指揮官であると、ソロンにも一目で分かった。


「ベクセンは逃げたか……。しょせんは魔物に頼る愚か者め」


 ベクセンとは、イドリスを占領した司教の名前だったはずだ。男は自分の仲間であるはずの司教に対して、冷たく吐き捨てた。

 そして、ソロンを鋭い目でしかとにらみつけた。


「わが名はラムジードの子レムズ。ラグナイ王国の第三王子にして、騎士道を奉ずる者だ」


 ラグナイ王国の第三王子――思っていた以上の大物だ。そこで、ソロンも名乗ろうかどうか悩んでいたが――


「お前がサンドロスか? 思ったよりも華奢(きゃしゃ)で、想像と違ったが……。まあよい。小国の軍を率いながらも、わが元までたどり着くとは……。なかなかの手並みだ。敵ながらあっぱれと言ってもよかろう。だが――その快進撃もここまでだ。この俺と出会ったのが運の尽きだったな」


 レムズは傲然(ごうぜん)とこちらを見下すように言った。既に趨勢(すうせい)が決しているにも関わらずだ。


「いや、人違いだけど……。兄さんだったら怪我したんで休んでるよ」


 ソロンは普通に返事をした。


「…………」


 レムズは一瞬、何を言われたのか分からなかったらしい。呆然としていたが。


「――サンドロスでなかろうが、貴様も王子であることに変わりあるまい! ならばまず、名乗るのが礼儀であろう!」

「ごめんなさい。イドリス第二王子――セドリウスの子ソロニウスと言います。みんなにはソロンと呼ばれることも多いけど」


 レムズの勢いに気圧されて、ソロンは素直に名乗った。


「ソロニウス……。貴様、なんだその情けない名乗りは!」

「そんなこと言われましても……」

「貴様も騎士ならば、もっと堂々と名乗れ! そして剣を手に取れ!」

「別に騎士じゃないよ。馬にはときどき乗るけどね」


 古くは騎士であることが、階級として特別な意味を持つ時代があった。

 ……が、それも今のイドリスにとっては時代遅れでしかない。今も騎士はいるが、それはあくまで言葉通り――騎馬を駆る戦士という以上の意味はなかった。

 恐らく、ラグナイはそのような旧来の価値観が残っている国なのだろう。


「剣を手にして軍を率いる――それが騎士でなくて何と言うのだ! だが、その人を喰ったような受け答え。貴様、度胸だけはあるようだな」

「はあ……」


 もちろん、ソロンは普通に受け答えしているだけである。


「……いいだろう、イドリスの騎士よ! 男と男の戦いは古来より一騎打ちと決まっている。貴様も男なら騎士道に(のっと)り、正々堂々とかかってくるがよい!」


 妙に時代がかった口上で、騎士たるレムズは剣を構えた。

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