表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第三章 呪われし海
108/441

イドリスの神獣

 黒い光が消え失せた跡から、神獣が姿を現した。

 遠くからも確認できる竜よりも巨大な姿。忘れもしない、かつてイドリスを襲ったものと同一の神獣だった。


 ムカデのように数多(あまた)の足を生やし、姿勢は地べたを這っていた。赤い甲殻が背中を覆い、ハサミのような腕が前方に二本伸びている。尾は先端で三叉に分かれていた。

 全身を覆う赤黒い瘴気(しょうき)。この瘴気こそが、神獣を守る障壁の役割を果たしているのだ。


 全体的な形状はムカデというよりも、足の多いサソリといった印象である。それでいて様々な部分がサソリとも異なっていた。

 二つの眼とは別に、背中には大きな眼がついている。

 それがギョロギョロと上方を見回していた。背中には羽のようなものが六枚生えている。ただし、空を飛ぶ様子はない。この神獣はあくまで地をゆく存在なのだ。


 見れば見るほど違和感を持つ姿態である。

 神獣は生物としてどこかおかしいのだ。通常、生物というものは自らの生存のために、様々な器官を保有する。ところが神獣はそんな法則を無視していた。

 ただ獲物を殺傷するためだけの器官。そもそもの意味が分からない器官。そんなものが多すぎるのだ。


 この戦争の行方は、神獣との戦いに全てが懸かっている。それは皆が知っていた。だから、恐怖に身を震わす者はいても、逃げ出す者はいなかった。


「ついに出やがったな……! ナイゼル、頼んだぞ!」


 神獣をその目にとらえるや、サンドロスが言った。

 一切の攻撃が通用しないことは、以前の戦いで判明している。無駄な攻撃はせず、すぐさま小さな神鏡を使うと決めていた。

 そして、鏡を使う役目はナイゼルに託されていた。彼こそがイドリス第一の魔道士であるためだ。


「了解しました! さあ、いきますよ!」


 ナイゼルは杖を腰に差し、両手で神鏡を手に持った。かつてイドリスの秘宝だった鏡……。小さくなってはいるが、今またここに戻ってきたのである。

 神鏡を用いた訓練は事前に済ませていた。だから、どれだけの魔力を込めればよいかもナイゼルは把握していた。

 みるみるうちに神鏡へと魔力が集中していく。本来の神鏡からすれば、これは欠片(かけら)に過ぎない。けれど、そうとは思えないほどの力強さだ。


 神鏡からまばゆい光があふれ出した。光は大きく広がり、まだ薄暗い朝の下界を照らし出していく。

 風が巻き起こり、長めに伸びたナイゼルの灰茶の髪がゆれ動いた。

 神鏡からあふれた光はすぐに収束し、太い光線となって放出された。

 光が洪水となって、神獣を飲み込んでいく。巨大なサソリのような体が、光に包まれて見えなくなった。


 光の反動で鏡面が振動する。

 なおもナイゼルは鏡を手放さない。神獣に鏡をじっと向けて、魔力を込めた光を存分に(そそ)ぎ込んでいく。

 神獣が耳をつんざくような悲鳴を上げた。おぞましい悲鳴であったが、それは神鏡の効力を示してもいた。


 光が消え失せた時には、神獣を包んでいた瘴気も消し飛んでいた。神獣は自らを保護する障壁を失ったのだ。


「よし、障壁をはがした! だが、迂闊(うかつ)に近づくなよ! 矢と魔法で攻めるんだ!」


 サンドロスが攻撃の号令を下す。

 呼応して、百を超える兵士達が一斉に矢を放った。二十を超える魔道士達の杖先から怒涛の魔法が放たれた。

 巨大な的となった神獣に次々と矢が、そして魔法が命中していく。

 凄まじい猛火を浴びて、神獣の元に爆炎が生じた。神獣の巨体すら隠すような噴煙が立ち昇る。その衝撃はイドリスの町中へと振動を走らせた。

 生き残っていたグリガントまでも、爆炎に巻き込まれて崩れ落ちていく。


 いまだ晴れない噴煙の中で、神獣の巨体が動く気配が見えた。

 突如――咆哮(ほうこう)が響いた。怒りの感情を思わせるおぞましい神獣の咆哮。

 空気を叩くような音と共に噴煙が晴れ上がり、神獣の姿がまたもあらわになった。神獣は六枚の羽を羽ばたかせ、噴煙を振り払ったのだ。


 サソリのような全身には矢が突き刺さっていた。甲殻には焼け焦げた跡。その足元にあった石造りの道は、無残に崩壊していた。

 だが、それでも神獣は立っていた。羽をゆらゆらと動かしながら、その生命力の健在を誇示した。


 そして神獣が動いた。

 無数の足で助走すると共に跳躍する。

 数回ほど羽ばたいた神獣は、多くの兵士達がいる只中へと巨体を着地させた。

 大地が鳴動し、逃げ遅れた兵士が踏み潰された。その鎧は重量に圧縮され、元の形を失った。その中身については言わずもがなだ。

 同時に大きく伸ばたハサミが、兵士の体を上下に引き裂いた。盾も鎧も役には立たず、真っ二つになるしかなかった。


 勇敢な兵士達も、背後から攻撃しようと槍を構える。けれど、振り払ったしっぽが三人の兵士を呆気なく弾き飛ばしてしまった。

 体中の器官を駆使したデタラメな攻撃。イドリスの兵士達はたちまちにかき乱れた。


「ひるむな! 攻撃は効いている! もう一度行くぞ!」


 サンドロスが号令し、次なる総攻撃をかけようとした途端――

 神獣が口から何かを吐き出した。

 赤い魔石のような何かが、大量に地面へ降り注ぐ。それは着地すると同時に煙となって、中から赤い虫のような魔物が現れた。

 角を生やした大型の甲虫。体長は人間と同じかそれ以上の大きさがある。全部で数十体はいるだろうか。


 兵士達はたちまち、甲虫を相手にせねばならなくなった。

 甲虫は群れを作って、突進してくる。勢いのある突進に兵士達が吹っ飛ばされた。

 兵士達が反撃するが、硬い甲殻に槍も矢も弾かれてしまう。

 サンドロスは大刀に体重を乗せ、甲虫を叩き割った。グシャリと嫌な音が鳴って、甲虫が潰れた。どうやら、重量のある武器での攻撃は有効なようだ。


「斬っても突いても効果が薄い! 重い武器で叩き潰せ。魔法も頼む!」


 サンドロスの指示した通り、兵士達は甲虫を叩いて攻撃し出した。槌を持ち出して叩き潰す。あるいは刀や槍の重量で叩き潰した。

 効果はあったようで、少しずつ甲虫が潰れていった。魔道士達も炎を放ち、甲虫を何匹も焼き殺した。

 それでも、甲虫は残っている。しぶとく、うじゃうじゃと数で攻め寄せてくる。


「クソッ! うっとうしい奴らだ!」


 地裂の魔法で敵を蹴散らしながら、サンドロスは吐き捨てた。


「陛下、私にお任せを!」


 神鏡を使用して消耗していたナイゼルが、再び杖を手に取った。


「すまん、頼めるか?」

「承知しました」


 ナイゼルは杖を向けて、突風を巻き起こした。竜巻のように渦巻く風が、甲虫の群れへと襲いかかる。巻き込まれた甲虫が次々と飛ばされていく。

 仰向けになって腹をさらした甲虫に、兵士達は槍を突き刺す。お腹はやわらかく、簡単に武器が通るようだ。


 神獣は甲虫を産み出した直後は大人しくしていた。

 どうやら、甲虫の生産と攻撃を同時にはできないらしい。だがそれも、わずかな猶予(ゆうよ)でしかない。神獣は間もなく、体を揺らして動き出そうとしていた。


「今を逃すな!」


 攻撃するのは周囲の甲虫を一掃した今しかない。またもサンドロスは号令をかけた。

 一斉に矢と魔法が乱れ飛ぶ。再び、神獣は爆炎の中に包まれていく。


 その間に、サンドロスは地面に大刀を突き刺した。魔力を込めるほどに、刀身の輝きが増していく。大地の力が大刀に結集されたのだ。

 この魔法がサンドロスの切り札だった。

 矢と魔法が途切れた瞬間――サンドロスは意を決して動いた。大刀を上に構えながら、神獣に向かって走り出す。

 伸ばされた両腕のハサミが危険だが、その隙間を思い切ってすり抜けた。


「くれてやる!」


 サンドロスは咆哮(ほうこう)するや、跳び上がった。

 大刀を大きく振り上げ、力の限りに神獣の頭部へと叩きつける。

 途端、凄まじい衝撃が(くう)をゆるがした。大地の力が神獣の顔面に伝わり、弾けたのだ。

 神獣はもだえ苦しむように、叫びを上げた。顔の甲殻に亀裂が入ったようだった。


 けれど、神獣は動きを止めない。接近しすぎたサンドロスに、反撃の突進をかました。

 とっさに後ろへ飛ぶが、間に合わない。顔面の甲殻がサンドロスに衝突する。


「ぐふあっ……!」


 体が大きく吹っ飛び、サンドロスは地面へと転がった。

 全身に激しい痛みが走る。まだしも敵に接近していたため、さほどの勢いがなかったのが幸いした。もう少しの助走があれば、再起不能になっていただろう。


「畜生め……! なんて固い野郎だ……!」


 サンドロスは体を起こそうともがきながら、悪態をついた。神鏡は確かに効果があった。実際に損傷も与えている。以前の戦いでは傷一つつけられなかったのだから。

 だがそれでも、あれを倒すには及ばない。もっと強力な力が必要だ。


 ズシリと地面を踏み鳴らしながら、サソリ型の神獣は迫ってきた。倒れたままのサンドロスを踏み潰さんばかりに。

 刹那(せつな)――神獣の頭が炎上した。

 いや、正確には神獣の頭に火球が衝突し、それが炸裂したのだ。


「間に合ったあぁ! 兄さん、大丈夫!?」

「よお……待ってたぞ」


 倒れたまま、サンドロスは小さく手を挙げた。

 姿を現したのは、サンドロスの弟――ソロンだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ