神獣降臨
サンドロス率いる部隊が、王都に突入する。
奇襲を予想外の位置から受けて、ラグナイ軍は浮足立つ。南門の激しい攻撃に備えていたため、他の防御が手薄になっていたのだ。
王都の西側に駐留していた敵部隊が、最初にやってきた。
だが、これは大した部隊ではない。反抗的な住民を抑えるための治安維持部隊に過ぎないのだ。サンドロスが率いる精鋭とは相手にならなかった。
鎧袖一触の勢いで、サンドロス達は外壁の内周に沿って南東に向かう。
「南門に向かうぞ!」
目的地は南門。
内部と外部から挟み撃ちし、門を破ることが目的だった。
南門を守っていたラグナイの騎士達が、サンドロスを迎え撃つためにやってくる。
しかし、大急ぎでやって来たため、その隊列は戦う前から乱れていた。先日の戦いで勢いを得たイドリス軍を相手に、抗えるはずもなかったのだ。
突出してしまったラグナイの部隊は、弓の雨を浴びて倒れていった。慌てて引き下がったところに、サンドロスの地裂の斬撃が襲いかかる。
「あんまり、うちの地面を荒らしたくないんだがなぁ」
噴出する地面を見て、サンドロスがぼやいた。それでも大刀を振るう手はゆるめない。大地がひび割れ、次々とラグナイ軍を平らげていく。
もちろん、魔法武器の使い手はサンドロスだけではない。
精鋭を集めた彼の部隊には、多くの魔戦士が集っていた。紅蓮の槍が火炎を放ち、青晶の太刀が冷気を発する。兵士達もそれぞれの武器を振るって、敵を蹴散らしていった。
見知った道をサンドロスの部隊は突き進む。町の構造は全て把握しており、進攻する経路も最初から頭に入っていた。
敵も必死の抵抗を試みる。ラグナイの騎士達が槍を持って、襲いかかってきた。
イドリスの精鋭といえども、全くの犠牲なしとはいかない。敵の矢や槍を受けて負傷する者も一人や二人ではなかった。
それでも、多少の犠牲は物ともせずに、サンドロスの軍は突き進む。これは国家の存亡をかけた戦いなのだ。そう簡単には止まれない。
南門を守っていた敵部隊は、サンドロスを相手に人員を割かねばならなかった。自然、門そのものを守る人員が手薄になっていく。
だが、防壁の南側から魔法を放つナイゼル達も手をゆるめない。ますますその攻撃は激しくなった。
挟み撃ちを受けて、ラグナイ軍はいよいよ混迷する。
外への防御が手薄になったところに、イドリスの魔法部隊が無数の火炎を浴びせた。南門は炎上し、あっけなく破られた。
「今です! 突入してください!」
指揮を任されていたナイゼルが指示を下し、全軍が壁の内側へと突入した。
別働隊を率いていたサンドロスは、本軍と即座に合流を果たす。
鮮やかな手際で軍団は一つに結合した。全軍の指揮は再びサンドロスのものとなったのである。
合流したイドリス軍は、勢いを増していった。
ラグナイ軍が追い払われた地域では、民家の中から次々と住民が飛び出してきた。
「サンドロス殿下が戻ってきたぞっ!」
「ざまあ見やがれ、ラグナイの奴ら!」
そうして彼らは口々に喝采を上げたのだった。
* * *
「南門が突破されました。敵の全軍が侵攻してくるようです!」
イドリス城の門前に陣地を構えていた司教ベクセンは、兵士からの報告を受けていた。
戦況は新たな報告を聞く度に悪化していた。こんな小国の軍になぜこれほど苦戦させられるのか。解せない。全く解せない。だが、劣勢は認めなければならなかった。
「……やはり、カオスの結晶を使うしかないようだな。緑の聖獣を放ち時間を稼げ!」
ベクセンは苦渋をにじませた表情で言った。
カオスの結晶を消耗する降魔の術は、ザウラスト教団の秘術である。ベクセンにとっては百人の騎士の命よりも、この結晶のほうが遥かに大事なのだ。
これしきの敵を殲滅するだけで、結晶が失われるわけではない。教団には役目を終えた神獣を、結晶に復帰させる術もある。
だが、消耗した力は補充しなくてはならない。できれば使わずに済ませたかった。
しかしそれも、結果的にイドリスを奪い返されるようでは責任を免れない。今は使い惜しみをしている場合ではないのだ。
そして、ベクセンは決断を下した。
「我らがザウラストの神官よ。カオスの神へ祈りを……」
城門の前には魔法陣が描かれていた。戦いが始まるよりも前に、神官達が描いたものである。ザウラスト教団の古式に則って、紋様が刻まれた神聖なる魔法陣だった。
その中央にはカオスの結晶が配置されていた。
黒い魔石のような奇妙な見た目をした結晶である。その中には赤黒い霧が渦巻いている。カオスの力が結晶の中に閉じ込められているのだ。
そして今、その力が再び解き放たれようとしていた。
カオスの化身を、現世へと降臨させる降魔の術が行われるのだ。かつてのイドリスも、この術によって陥落せざるを得なかった。
十人の神官達が魔法陣を囲み、円陣を組んだ。その一人には司教ベクセンも自ら加わる。この儀式を執り行う能力があることは、司教に就任する絶対条件であった。
ベクセンは呪文を唱え始めた。
教団に古来より伝わる、古き言葉で構成された呪文である。言葉の意味は司教たるベクセンすらも知りえない。それを知るのは、教団でも一握りの者だけだろう。
それでも言葉には神秘が宿っていた。それは確かにカオスの神へと通じ、奇跡を引き起こすのだ。
司教に続いて神官達も、それぞれの役目に応じて呪文を唱え出した。
戦場にほど近いイドリス城の前で、神官達の呪文が鳴り響く。そこだけが一種異様な空間として際立っていた。
カオスの結晶が黒く輝き出した。自然界には通常存在しない黒い輝き……。その輝きは儀式が進むに従って増していく。
結晶にヒビが入り小さな音が鳴った。黒い輝きがますます強まっていく……。
* * *
まっすぐに北進するイドリス軍は、王都の中央広場へと到達した。さらに奥にはイドリス城の姿も見えていた。
「俺に続け! この勢いで城を奪い返すぞ!」
サンドロスが号令をかけた時、前方で緑の煙が巻き起こった。これはもはや見飽きた光景だった。
「止まれ! グリガントが来る!」
煙が収まると、予想違わず中から緑の巨獣が姿を現した。教団の生物兵器――グリガントの軍団だ。数十体はいるかもしれない。
グリガントが迫り来る。
城前の大通りを埋めるように、集団で地響きを鳴らしながら。
坂のような有利な地形はない。市街地の戦いなので、竜も迂闊には投入できない。
兵士達は生身でこの怪物と戦わなくてはならないのだ。それでも勢いづいたイドリス軍に、もはや怖気づく者はいなかった。
「くたばれ、カバ野郎が!」
兵士達が勇ましく叫んだ。
まずは弓矢や魔法で、長い腕の射程外から集中砲火を浴びせる。弱ったところを一気に襲いかかれば、さしものグリガントも崩れ落ちる。
サンドロスも金剛の大刀を振るい、大地を打った。叩かれた大地がひび割れ、振動と共にグリガントへと伸びていく。
ひび割れに足を絡め取られ、巨獣は叫びながら地に伏した。
なおもグリガントは起き上がる気配を見せたが、そうはさせじと兵士達が一斉に襲いかかる。たちまちこのグリガントも頭を割られ、赤黒い瘴気を噴出させた。
グリガントは手強い相手であったが、それでもイドリス軍を止められなかった。イドリス軍は破竹の勢いで、緑の巨獣を一体また一体と葬っていく。
サンドロスは兵を鼓舞し、イドリス城へと近づいていった。
やがて、イドリス城の門が面前に迫ったその時――城の方角から黒い光が立ち昇った。
朝の日射しの中で、その黒い光は奇妙に浮き立っていた。
「あれは……!?」
「神獣だ、神獣が来るぞ!」
兵士達が恐怖と興奮に駆られるように叫んだ。
かつてのイドリスを陥落させた神獣――それが現れた時もやはり黒い光が放たれた。だから、あの時にイドリスにいた者は、皆それを悟った。
――神獣がそこに降臨するのだと。