王都解放戦
イドリス城の一室。
かつては王の執務室として使われていた部屋である。今、その主として振る舞っているのは、ラグナイ王国の若き騎士だった。
「散々にやられたようだな。サンドロスという男……なかなか気骨があるようだ」
椅子に座って頬杖を突いた騎士――レムズは、目の前に立つ男から報告を受け取っていた。
相手の男は父親ほどの歳の男であるが、それにも関わらず尊大に振舞っていた。
「はい、厄介な男であります。あやつのせいで、我々もテネドラより西へは進出できないでいました。それどころか、まさか野戦で敗北しようとは……」
報告をしている男の名はベクセン。
ザウラスト教団の司教として、ラグナイ王国でもそれ相応の地位を占めていた。だが、第三王子たるレムズに対しては、下手に出なければならなかった。
「今の兵力で勝てるか?」
「残念ながら苦しいというのが正直なところです。……ですが、心配召されるな。わが手元にはカオスの結晶が一つあります。それをもって神獣を呼び起こせば、イドリス軍などひとたまりもありますまい」
司教の説明を、レムズは「フン」と鼻で笑った。
「貴様らの汚い魔法は気にくわんが、やるだけやってみるがいい。俺も客員という身ではあるが、城の留守ぐらいは預かってやろう」
レムズは視察として駐留している身に過ぎない。王国内での地位はベクセンを上回るとはいえ、その方針に口を出す気はなかった。
「仰せのままに」
* * *
ドンタイア村に戻ったサンドロスは、軍の再編成に取りかかった。
テネドラの町より送られてくる新兵によって、死傷者の穴埋めを図ったのである。
大勝の吉報はもちろん町にも伝わっており、お陰で志願者も急増していた。難なく先の戦闘での穴埋めを果たせる見込みだった。
その間、偵察の兵を送ってみたものの、ラグナイ軍に動きはなかった。
会戦の結果、敵は情勢を不利と悟ったのだろうか。予想した通り、王都イドリスに籠城する構えを見せていた。
ラグナイの本国には、まだ何千という兵がいるという。何より厄介なのは、ザウラスト教団の操る魔物達だ。
一ヶ月、二ヶ月と長引けば、敵の援軍によって情勢が悪くなるのは火を見るより明らかだった。
ゆえにこのまま勢いに乗って、王都を奪還しなければならない。敵が動かなければ、こちらからしかけるしかないのだ。
サンドロスは再度の出征を決意した。
またも二千の軍勢を引き連れて、王都イドリスを目指したのである。
*
イドリス軍は先の戦場となったドノン盆地を進んでいく。
ドノン盆地には、いまだ先の戦闘での死者が放置されていた。味方の死者については走竜を含めて回収し、葬ってある。だがさすがに、敵兵を葬る余裕まではなかった。
そこには屍肉を漁る魔物の数々が群がっていた。
その中でひときわ目立つのは、やはりグリガントの死骸である。あれだけの巨体であったにも関わらず、既に相当の部分が野生の摂理によって解体されていた。
いずれにせよ、どこにこれだけの魔物がいたのか――と言いたくなるようなおぞましい光景であった。
屍肉に群がる魔物を遠くに避けて、イドリス軍はドノン盆地を過ぎていく。途中、寄ってくる魔物もいるにはいたが、これだけの軍隊である。追い払うのはたやすかった。
そうして、サンドロスの軍は王都の外壁が見える距離まで近づいた。
だが、すぐさま攻め込むわけではない。敵もそれ相応の備えはしている以上、拙速は避けねばならなかった。
まずは陣地を構築し、長すぎない程度に持久戦を挑む覚悟をする。
陣地に定めたのは、イドリスから少し離れた丘の上。ここからならば、王都で起こる動きを常時監視もできる。
サンドロスとしては、イドリスの町中での戦いは避けたい。
何といってもイドリスは我らが王都であり、故郷なのだ。なるべくなら敵との戦いは野戦で済ませてしまい、町や城での戦いは最小限で抑えたかった。
ひょっとしたら陣地の構築を妨害するため、敵が打って出るかもしれない。それで返り討ちにできれば好都合だ。
……が、そんな期待が叶う気配はなかった。
やはり、イドリスへの進攻は避けられない。陣地の構築が終わる頃には、サンドロスもそう決断していた。
*
サンドロスは部隊をイドリスの南門に向かわせた。
まずは門の破壊を試みる。破城槌を用意して、兵を門へと殺到させたのだ。
だが、敵が激しく矢を射かけて来たために、あえなく撤退の憂き目にあった。
門に隣接する壁の上には、防衛用の弩弓が備えつけられていた。
弩弓とは機構式の弓である。連射には向かないものの、射程や威力に優れた矢を放つことができるのだ。
味方である時は心強かった兵器が、今は敵として牙をむく。城塞はそのようにして、攻め手にとって極めて不利な構造になっていた。
ならば――と、サンドロスは次の指令を出す。上に構える敵兵を、射程外から魔法で攻撃するように命令したのだ。
結果、何人かは撃退に成功したものの、次々と敵兵が補充されたためうまくいかなかった。そもそも矢の犠牲にならない安全圏から魔法を放っても、命中が極めて悪かった。
兵には慎重に攻めて、大きな被害を出さないように伝えてある。サンドロスは自らの拠点であるだけに、その強固な構造を熟知していたのだ。
そうして、消極的な攻めが数日続いた。サンドロスはいまだにイドリスの南門を破れなかった。
「なんという強固な防御だ……。さすが、わがイドリスの門だな」
サンドロスは苦悩の表情を見せ、それから頭を抱え込んだ。その様子はどこか大袈裟な印象もあった。
「ええ、なんといっても我らが王都ですからね。ただの門とは一味違います」
ナイゼルは平静に言った。それから小声になって、
「――ところで……いつまで続けるのですか? これ以上は敵の本国から増援が来るかもしれません」
「そうだな。俺としても、もう終わりにしてもよいと思っている」
サンドロスの表情が一変し、真顔になった。
「私も賛同します」
「では、お遊びはこの辺にするか。明日、決行するとしよう」
「準備はできております」
ナイゼルが頷いた。
ここから始まる戦いこそが、本当の決戦だった。
*
時刻は早朝――太陽が登り始める少し前に、作戦は決行された。
夜襲も検討したが、あえて取らなかった。
王都には今だ多くの住民が暮らしている。相手の区別が難しい夜間の戦闘では、誤って住民を犠牲にする確率が高かった。また、ラグナイ軍が夜間の明かりとして、町に火を放つ可能性も考えられた。
作戦は暗い時刻から進行したい。しかし、戦いは明るい中で行いたい。そうしてこの時刻が選ばれたのだ。
サンドロスは全ての兵を引き連れて陣地を出た。目指す先はイドリスの南門である。
南門の前に集まった全軍は、門を囲むように扇型の布陣を張った。まだ弓や魔法の射程に入らないよう、距離を取ることは徹底してある。
集まったのは二千に迫る大軍である。……少なくとも、イドリス人の感覚では破格の大軍だ。
まだ暗い早朝とはいえ、ラグナイ軍が気づかぬはずはない。当然、内部で兵を集めていると予想できた。
扇型の布陣が大々的に作られる陰で、別働隊が動いていた。それもサンドロスが自ら率いる数百の勇士達だ。
もちろん、サンドロスの姿が本軍になければ、敵も警戒するだろう。そこは鎧兜を着せた影武者を残しておいた。
静かに道を外れた別働隊は、闇にまぎれて西へと回り込む。やがて、王都を囲む外壁の西側にとたどり着いた。
当然、そちらの方角に門はない。ただ壁があるばかりだった。
ところが、サンドロスは壁をにらみながら、
「ここだな……」
と、目星をつけた。
そうして、しばし待つこと数分。
南側から激しい炎が上がった。魔道士達が、かつてない激しさで王都の南門を攻撃したのである。ナイゼルが巻き起こす大風に乗せて、魔道士達が猛烈な魔法を浴びせているはずだ。
それを合図にサンドロスも動いた。
金剛の大刀を手に、彼は勇ましく石壁に向かって突撃した。一見すると、愚かな蛮勇にしか見えない行為である。壁を登る手段があるのか、抜け道でもあるのか……。
何をするのかと思いきや、サンドロスは石壁へと大刀を振り下ろした。大刀が輝きを放つと共に、外壁の一部を吹き飛ばした。
実のところ、この部分の壁は脆くなっていた。
……ただし、こういった事態を想定してそうなっていたわけではない。そこは古くから壁が造られていたが、費用の問題で補強が後回しになっていたのだ。
それでも、並大抵の攻撃で破壊されるような壁ではない。それを可能としたのは、金剛の大刀が持つ土魔法の力――それにサンドロスの技量だった。
土も岩も砂も、実態は類似した物質で構成されている。だから土魔法は岩を操ることもできる。無論、岩の破壊は土や砂の操作よりも複雑だ。
だが、ソロン以上の修練を重ねたサンドロスはそれを成し得た。
外壁には人が通れるほどの穴が穿たれていた。同じように破壊を繰り返して、サンドロスは何人も通れるような大穴を作り出す。
大量の砂ぼこりが辺りに舞い散っていた。
「俺に続け!」
サンドロス率いる別働隊は、一挙に壁の内側へとなだれ込んだ。