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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第三章 呪われし海
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ドノン会戦

 ソロン達が出立して二日後。

 辺りはまだ薄暗く、朝と呼ぶには早すぎる時刻だった。

 ドンタイア村に留まるサンドロスの元に、狼兵の伝令が報告にやって来た。


「ラグナイの軍勢(ぐんぜい)が王都イドリスを出発しました。方角は西――やはり、この村へと攻め込むつもりかと」

「来たか……。積極的に攻めてくるようだな。数は分かるか?」

「少なくとも三千は下らないと思われます。ひょっとしたら、四千を超える可能性も……」

「そうか」


 敵の数は多い。だがそれは、サンドロスも想定していた通りだ。

 こちらが動かなければ、敵はじきにドンタイア村に迫るだろう。

 この村にも一応の防御柵はあるが、そもそもが魔物避けに過ぎないものだ。テネドラの町のような頑丈な壁はなかった。木の柵などは、軍隊にかかれば火で焼き払われるのが精々だろう。


 ならば、こちらも打って出るの一手だ。

 サンドロスは正面から会戦する腹を固めた。そして、導入できる全軍を出陣させたのであった。

 兵達には、夜中でも半時間以内に出陣できる心構えを指示してある。たちまち、二千を超える軍勢が出発した。


 今から会議室で入念に作戦を練る時間はない。

 もっとも、戦いは想定内だ。大まかな計画はナイゼル主導の(もと)、既に決められていた。作戦の細部は進軍しながら、馬上で決定していくことにした。

 必然的にドンタイア村と王都の中間地点で、両軍は激突することになる。


「ドノン盆地だな」


 サンドロスがつぶやいた。

 それだけで、周囲の将士にもその意図が伝わった。

 イドリスの国土は起伏に富んでおり、また会戦には不向きな狭所も多い。戦場の選択は戦いの行方を決する上で軽視できない要素だった。

 幸い、戦場の選択権は守備側に(ゆだ)ねられている。サンドロスが選んだのは、村から東へ四里――そこに広がるドノン盆地だった。


 ドノン盆地の近隣は、白い虎の生息地として有名である。

 白虎(びゃっこ)は強靭かつ美しい獣として、特に軍人には愛好されていた。白虎はイドリスの王家を象徴する紋章にもなっており、その意味でも決戦の地にふさわしいといえた。


 ドノン盆地は盆地という名称の通り、南北を山で挟まれていた。大軍で戦うには少しばかり狭くはある。

 しかしそれも、数で劣るこちらにとっては悪い条件ではない。

 何よりも西側がゆるやかな高所となっているため、東側から来る敵軍を迎え撃つにも都合がよかった。


 サンドロスは軍を率いて、昼過ぎには目的地へ到達していた。

 軍の先頭に立った彼は、自ら遠く東の方角に目をやった。

 山に挟まれた野原が、なだらかな下り坂となって長く続いている。遠くまで見渡せる見通しのよい地形だ。

 今のところ、そこには何の異常も見受けられない。ちらほら山と野原を行き交う獣の姿が見える程度だろうか。


 予想通り、敵軍の姿はまだ目に入らなかった。斥候(せっこう)の報告も同様で、敵の到着にはまだ数時間がかかるだろう。

 その間、腹が減っては戦はできぬとばかりに、休憩を取ることにした。ただし一部の部隊は、敵の進軍に備えて準備を行うよう指示することも忘れない。


 *


「おお、おお~、来たなゾロゾロと」


 ドノン盆地に構えるサンドロスの視界へ、ラグナイ軍の姿が入ってきた。下界の昼間は日射しが弱く(くも)っている。そんな中でも、白い鎧兜は遠方からよく見えた。


「敵の戦力はこちらの二倍といったところでしょうかね」


 サンドロスの隣から話しかけてきたのはナイゼルだ。彼は戦場においても、サンドロスの軍師として働くことになっている。

 まだ敵の陣容を確認できる距離ではないが、その戦力がこちらを凌駕(りょうが)していることは測るまでもなかった。


「まあ、このぐらいなら予想の範疇(はんちゅう)だな。どうせまだ、緑カバも出してくるんだろうが……」


 それでも、サンドロスに焦る表情は見られない。劣勢は元より覚悟の上なのだ。

 眼下に広がる野原の向こうで、敵軍が砂埃(すなぼこり)と共に迫ってくる。軍勢の数に比較して道が狭いため、隊列が縦に長く伸びていた。


 次第に敵の陣容が目に入ってくる。

 前衛に構えるのは盾を持った兵の数々。その中にまぎれて目立つ赤い衣と帽子の姿――それがザウラスト教の神官がまとう衣装だった。

 まだ弓や魔法が届く距離ではない。だが、このまま前進を続けるならば、やがては射程に入る。


 敵軍が止まる様子はない。そのままの勢いで向かって来る。

 敵もこちらが有利な地形にいることは承知しているはずだ。それでも、会戦を行う決断をしたようだ。

 大した差ではないと踏んだのかもしれない。事実、戦力差を考えれば、この程度の優位で(くつがえ)せるはずもなかった。


 敵軍が射程に入る直前、神官達が緑の石のような物を放り投げた。

 石は地面に当たって割れ、煙となった。そこから姿を現したのは、教団が行使する魔物――緑の巨獣グリガントだ。

 グリガントは全部で五体。

 一部のイドリス兵が不気味な魔物の姿に、ざわつく様子を見せた。恐らく、今までラグナイとの戦闘を経験していない新兵だろう。


「やっぱり、使ってきやがったな」


 もっとも、サンドロスにとっては既に見慣れた魔物である。それは前衛を固める多くの兵士にとっても同じことだ。主力となる兵には、これしきで戦意を喪失する軟弱者は存在しない。

 敵軍が進軍を速めてきた。グリガントを先頭に、一気に射程圏内を突破する気だ。だが、そうさせるわけにはいかない。


 そして、戦いの火蓋(ひぶた)は切られた。


「魔法を放て!」


 サンドロスは最初の号令を下した。

 まず放たれるのは射程の長い魔法だ。魔道士が一斉に杖を向けて、敵陣へと魔法を放った。

 いくつもの火球がグリガントへと飛来する。

 魔法は炎だけではない。土の魔法で放たれた岩石が、引力を借りて敵陣へと転がっていく。


 先頭のグリガントは、一発や二発の火球を受けても物ともしなかった。だが、これが十発、二十発と繰り返されるとそうはいかない。

 まもなく一体目のグリガントが、野原に黒焦げの(むくろ)をさらした。


 もっとも、敵軍にしても先刻承知の上だろう。

 緑の巨獣は射撃の良い的になるが、それはつまり盾にもなるということ。その間、後ろのラグナイ軍は安全に進軍できるというわけだ。

 二体目のグリガントも岩雪崩(いわなだれ)の下敷きになった。岩は止まらず、後ろの敵兵を巻き込んでいく。


 それでも敵軍は止まらない。グリガントの屍からあふれ出す瘴気を避けながら、ゆるやかな坂を登ってくる。

 しかし、それは弓の射程に入ったことも意味していた。


「矢を放て!」


 魔道士達に続けと、イドリス軍から矢が放たれた。

 ラグナイ軍からの反撃はまだない。イドリス軍のほうがやや高所を陣取っているため、敵に先んじて弓を射れるのだ。

 三体、四体とグリガントが倒れていく。さすがの化物も百を超える矢で全身を射たれては、立っていられるはずもなかった。

 緑の聖獣は残り一体を残すのみとなった。

 だが、巨獣を盾に矢と魔法の雨をくぐり抜け、ラグナイ軍は進み続けていた。やがて、こちらに反撃の矢を放てる距離まで迫った。


「ナイゼル、頼む!」


 そこで、サンドロスはナイゼルに声をかけた。

 ナイゼルは軍師であると同時に、王国一の魔道士でもある。これまでの攻撃には加わらず、力を温存していたのだ。


「かしこまりました。ではいきますよ!」


 ナイゼルは杖を高々と掲げ、意識を集中した。杖先に輝く緑の魔石は緑風石(りょくふうせき)。ナイゼルの周囲に、空気の流れが集まってくる。

 ラグナイの兵が一斉に弓を構えてくる。既に距離は近く、敵の一挙手一投足が判別できるようになっていた。

 なおもナイゼルは魔力の集中を続ける。時間をかけてじっくり溜めて、大きな魔法を発動しようとしているのだ。


 ラグナイの弓兵がついに矢を放った。

 イドリス軍へ矢の雨が降り注ごうとしたその時――

 ナイゼルが一歩前に踏み出し、杖を前方に向けた。

 力は解き放たれ、たちまち東へ向って風が吹き荒れた。思わず顔を覆いたくなるような強風である。


 広い範囲に風を起こすには、それ相応の魔力と技術がいる。それを成し得るのがナイゼルという男の真骨頂であった。

 杖先から激しい風が広がり、反動で彼の灰茶の髪が乱れた。もっとも、空気の流れを巧みに制御しているため、ほとんどの風は敵陣へと向かっていく。


 ラグナイ軍は吹き荒れる暴風の中にさらされた。

 多くの者は重い装備を身に着けていたため、飛ばされはしない。それでも、弓矢にとっては致命的な強風だった。

 矢の射撃とは精密な技術である。強い向かい風の中で遠くに届かせるのは相当に難しい。仮に届いたとしても、まともに狙いをつけられるはずもなかった。


 敵軍が満を持して放った矢は、風に吹かれて野原に落ちていった。

 そして――敵にとっての向かい風は、味方にとっての追い風でもある。


「残りの矢を射ち込め! 精神が尽き果てるまで魔法を放て! 追い風に乗せろ!」


 サンドロスの号令に、矢と魔法が一斉に放たれた。

 追い風の中で放たれた矢は、勢いを増して敵へと襲いかかった。 追い風とはいえ強風の中で狙いを定める難しさはある。それでも緑色をした巨大な的には容易に命中した。

 威力を増した矢に貫かれ、最後のグリガントも地に崩れ落ちた。


 イドリス軍が放つ矢の勢いは止まらない。次々と雨のように放たれる矢は、命中さえすれば敵の盾をも突き破った。

 魔道士達も弓兵に負けてはいない。彼らが放つ炎の魔法は風にあおられ、敵軍をまとめて焼き払った。放たれた岩石は風を受けて加速し、敵を盾ごと押しつぶした。


 ラグナイ軍は西からの一方的な攻撃に浮足立った。もっとも、それ相応の被害を受けたとはいえ、いまだその勢力は優勢を維持していたが……。

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