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雲海のオデッセイ  作者: 砂川赳
第三章 呪われし海
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狂宴の結末

 敵とはかなりの距離があった。

 それでも悠々とミスティンは弓を引いた。

 風を味方につけて飛んだ矢は、生贄(いけにえ)をつかんでいた兵士を吹き飛ばした。生贄に刺さる危険もあったが、彼女の腕前は確かで危なげがなかった。


「なんだ!?」


 司祭の左手から(さかずき)が転がり落ちた。

 その瞬間には、もう一人の兵士も稲妻に貫かれていた。アルヴァが眉一つ動かさずに、杖を向けていたのだ。

 解放されたペネシアが駆け出した。

 彼女をつないでいた鎖は、既に断ち切られている。いまだ手は自由でなかったが、それでも走るのに支障はなかった。


 そして、ソロンも矢が放たれた時には駆け出していた。

 司祭はペネシアに一瞬だけ注意を向けたが、諦めたようだ。駆け寄るソロンに向かって口を開いた。


「何者ですか! あなた達は!?」


 五十代ぐらいの甲高く耳障りな声の男だった。その右手には杖が握られていた。


「みんなを解放するんだ。降伏するなら命は助けてもいい」


 ソロンは刀を司祭に突きつけながら宣言した。その間にも母ペネシアはソロンの後ろへと回った。

 母さん――と、声をかけたい気持ちは押し留める。

 既に母の安全は確保した。ならば敵に弱みを見せてはならない。ペネシアも同じ考えのようで、ソロンと一瞬だけ目を合わせ、頷くに留めた。


 セベア村へと向かう途中、向かってくるラグナイ兵と虜囚達を発見したのはミスティンだった。狩人特有の優れた視力で、遠方から敵に察せられる前に気づいたのである。

 ソロンの想定では、ラグナイ軍はセベア村を発した辺りだろうと見ていた。ところが敵の動きは予想より早く、虜囚達を過酷に追い立てたのが(うかが)い知れた。

 砂漠を抜けていなければ、間違いなく追いつけなかったであろう。その時間的余裕が、母達を助けるに至ったのだ。


 そして、一行は遠方から好機を(うかが)っていたのである。馬や竜は気配を気取られぬため、また呪海を恐れるため、少し離れた場所に置かなければならなかった。


「あなた達は、我々の理念を理解できぬのですか?」


 司祭は信じられないようなものを見る目で言った。


「捕虜を処刑するような行為に理念も何もない。早く降伏するんだ」

「処刑ではありません。神への供物です」


 自信に満ちた表情で司祭が言い切った。その異様な形相に気圧(けお)されまいとソロンは踏ん張る。

 司祭はなおも続けて。


「――カオスとは無であると共に有である。万物はカオスより生まれた。カオスの海とは神の胃液であり、人が神と一体化するための接続口なのです。ゆえに、生きとし生けるものはカオスに還るのもまた摂理。悲しむことではありません。我らザウラストの者達も、死せる時はカオスの海に沈む。それがしきたりです」


 異常な論理を司祭はとうとうと説いた。それを何一つ疑ってもいないというように。

 ソロンは呆気に取られて言葉も出ない。この狂信者に対して、何を伝えればいいというのか。


「はぁ!?」

 啖呵(たんか)を切ったのはグラットだった。

「――お前らがどうやって死のうが、そりゃ勝手だがよ。よそ様にまで、それを押しつけんな。はっきり言えば、お前らは狂ってんだよ!」

「やれやれ、異教徒に我らが教義を理解してもらうのは、なかなか難儀ですね」


 そう言いながら、司祭は(ふところ)から赤い石を取り出した。

 その刹那――容赦なくソロンは刀から火球を放った。

 司祭は杖を前に向けて火球に対抗した。

 魔力をぶつけあうことで相殺しようとしたのだろう。火球を弱めることはできたようだが、長い袖に火が移った。


「ぎゃっ!」


 司祭は杖と赤い石を放り出した、必死で袖を振り火を消そうとしている。

 それでも、


「――あ……赤の聖獣ヴァルカスよ! 異教徒を滅ぼしておしまいなさい!」


 怒りの声を上げ、ソロンをにらみつけた。


「遅かったか……!」


 赤い石は砕けて煙となる。中から現れたのはグリガント――かと思いきやそうではなかった。

 グリガントのような巨体であるが、体色は不気味に赤い。奇妙に大きな耳、猛獣のような牙。コウモリに似た大きな翼を持っているが、それも四枚あるのが異質だった。

 司祭が聖獣ヴァルカスと呼んでいた魔物である。グリガント同様に聖獣と呼ぶには、あまりにも禍々(まがまが)しい姿であったが……。


 ヴァルカスは翼竜のように悠然と羽ばたき、宙に浮かんでいた。だがすぐに、ソロンをにらみつけ、こちらに向かって来る様相を見せた。

 ソロンも迎撃する構えを取った。

 まずは、いつものように火球を放つ。翼に火球が炸裂したが、赤の聖獣はわずかに動きを止めるに留まった。すぐにまたこちらへ向かって来る。

 もっとも、ソロンにしてもこの程度で倒せる相手とは思っていない。


 迫ってくる敵を走って避ける。

 勢い余ってヴァルカスは向こうまで飛び過ぎた。しかし、なおも旋回して向き直ってくる。


「おし! 今のうちに行くぞ!」


 ソロンの仲間達もぼうっとしてはいない。グラットは兵士達を先導して、虜囚を助けるために走り出した。

 ラグナイの兵士達は困惑しながらも、戦いを挑んできた。

 虜囚を人質に取るような動きを見せる者もいたが、たちまち雷撃に貫かれた。矢よりも速いアルヴァの稲妻を喰らったのだ。あれに反応して対処するのは相当に難しい。

 ミスティンも弓を手に、虜囚へ危害を加える者がいないか身構えている。三人に任せておけば、ひとまずは安全だ。


 ソロンはまた向かってくる赤の聖獣に構えた。

 今度は迫りくる敵を避けるのではなく、あえて突進することに決めた。


「当たれっ!」


 敵に向って駆け寄りながら、火球を連射する。大きく広げたヴァルカスの翼に五発の火球が命中した。

 羽ばたきながら向かってくる聖獣の勢いが削がれた。


 すかさずソロンは跳躍(ちょうやく)し、炎を帯びた刀で斬りつける。

 上空に逃げようとしたヴァルカスの足に、炎の斬撃が入った。片足が炎上し、鉤爪が崩れ落ちる。敵はよろめいて高度を落としたが、なおも四つの翼をはためかせた。

 そのまま高度を上げて、ソロンのはるか頭上に移動した。どうやら、今度は慎重に上空へ留まるつもりのようだ。

 ソロンも紅蓮の刀を上空へ掲げ、火球で狙い撃つ――が、距離が遠い。機敏な動作で避けられてしまった。


「ちえっ」


 ソロンが動きを止めた瞬間を狙って、ヴァルカスが急降下してくる。

 それを避けながら斬撃を狙う。……が、すぐに敵はひらりと浮上してかわす。決め手にはなりそうもなかった。


 その時、ヴァルカスが奇怪な叫び声を上げた。

 耳を覆いたくなるようなけたたましい奇声。ソロンの平衡感覚が崩れて、転びそうになる。

 よろめくソロンへとヴァルカスが滑空してくる。


 ソロンは自ら転がり、紙一重で攻撃を回避した。

 大きな鉤爪が空を裂く。ソロンもその余波を浴びて、わずかに服を切り裂かれた。

 胴体に炎の斬撃をぶち込んでやりたいが、敵は動きが速く空を飛んでいる。なかなか好機をつかめそうにない。


 またもヴァルカスはこちらに急降下してきた。

 その瞬間――


「ソロン!」


 背中からミスティンの声が聞こえた。

 矢が目にも留まらぬ勢いでそばを飛び、ソロンの赤髪が風にゆられた。矢はヴァルカスの翼を貫いて、はるか遠くまで飛んでいく。

 翼の一つに風穴を空けられたヴァルカスの羽ばたきが乱れた。

 赤の聖獣が叫ぶ。その高度が一気に落ちていく。必死に翼を動かしているが、体が傾いてうまくいっていない。


「しめた!」


 ソロンは高く飛び上がり、ヴァルカスの翼を蹴った。

 再度、跳躍しさらなる上空へ。

 狙いは胴体よりもさらに上――ヴァルカスの頭だ。炎の刀を振り下ろし、聖獣の頭部をかち割った。

 魔物の頭から火柱が立ち昇り、同時に赤黒い霧状の血が噴き出した。


 ヴァルカスは完全に翼の制御を失い、落ちていった。ソロンも、敵の体に乗りかかりながら降下する。

 魔力を十分にためる時間がなかったため、威力はさほどではなかった。だが、頭に一撃を受けたのが、敵にとっては致命的だったようだ。

 ヴァルカスは黒焦げになった頭をさらしながら、荒野の上に骸を落とした。ソロンはヴァルカスを緩衝(かんしょう)にして、落下の衝撃をやわらげた。


 足元の死骸を蹴るようにして、ソロンは起き上がった。


「助かったよ、ミスティン」


 ほっと一息をつきながら、追いかけてきたミスティンに礼を言った。


「えっへん、こいつは私向きだと思ったからね。他の敵はアルヴァに任せてきたよ」


 彼女も誇らしげに胸を張った。


 *


 赤の聖獣ヴァルカスとの戦いに勝利したソロンは、状況の確認に努めた。自分の戦いに必死で、他を(かえり)みる余裕がなかったのだ。

 仲間達の奮闘で全ての虜囚(りょしゅう)が解放されていた。

 母ペネシアも戦場から離れて無事なようだ。駆け寄りたい気持ちを抑えて、他に目をやる。


 アルヴァは稲妻を放ち、何人もの敵兵と神官を倒していた。

 生き残った者も何人かいるが、既に武器を捨てている。抵抗の意志は見られなかった。

 そして、グラットはザウラストの司祭を追い詰めていた。司祭の杖は既に折られ、なす(すべ)もない。

 司祭の背中は呪海に迫っていた。


「赤の聖獣がやられた……。なんということだ!」


 魔物の死骸を見やって、司祭は絶望の叫びを上げた。


「もうお終いだな。とっととお縄につきやがれ!」


 グラットが司祭を槍先で突つきながら、吐き捨てた。


「おのれぇ、異教徒め! 異教徒めがぁ! 神の御心に逆らうかぁぁ!」


 司祭は額に青筋を立てて、凄まじい形相で叫んだ。


「お、おい、怖えよ! やめろよその顔……!」


 狂信的なその様子にグラットは気圧(けお)されているようだった。

 ソロンも近づいて、説得を試みる。


「これ以上、抵抗しなければ命までは奪わない。だから、大人しくするんだ」


 司祭はソロンを相変わらずの形相でにらみつけた。それから不気味な笑みを浮かべるや――


「カオスの神よ! この身を捧げます!」


 ザウラストの司祭は後ろへ跳躍した。

 その後ろには――呪海だけがあった。


「なにをっ!?」


 ハッとしたソロンが叫んだ時には遅かった。

 司祭の体は赤い海へと着水していた。着水――といっても、飛沫(しぶき)も音もほとんどない。泥の中に沈み込むような奇妙な様相だった。


「んな……?」


 グラットが槍を持ったまま呆然としている。

 ソロンは司祭が飛び込んだ場所の手前に駆け寄った。そのせいで、ゆっくりと沈み込んでいく司祭と目があってしまった。


「カオ……スノ……カミ……ヨ……」


 苦悶(くもん)とも恍惚(こうこつ)ともしれない表情を浮かべながら、司祭はうわ言のようにつぶやいた。

 その衣と肉が呪海の中で溶けていく。

 溶けたそれらは赤黒い霧となって立ち昇っていく。それはまさしくザウラストの魔物達が内包する瘴気そのものだった。

 ソロンは絶句した。他の仲間達も同じ様子で息を飲んでいた。

 だが、狂宴はこれで終わらなかった。


「カオスの神よ!」


 生き残っていた神官が、司祭の後を追うように呪海へと飛び込んだのだ。


「やめろ! 命は奪わないと言っているだろ!」


 気を取り戻して制止をかけたが、もはや手遅れだった。

 同じようにもう一人の神官も駆け出した。


「バカ野郎が!」


 グラットも走り寄って、神官を止めようとした。だが、神官の鬼気迫る勢いの前に、わずかに届いた手も弾かれてしまった。


「私も神の元へ……!」


 三人目の神官は制止されなかった。狂気に駆られた自殺志願者を救おうとする者は誰もいなかったのだ。

 結局、一人の司祭と三人の神官が呪海へ身を投じた。

 ソロンは呪海へと目をやった。見たくはなかったが、目にせずにはいられなかった。


 既に司祭達の肉は溶けていた。

 残った白い骨がゆっくりと呪海へと沈んでいく。その骨も赤い海の中に埋もれて、すぐに見えなくなった。あの様子では、それほど時間をかけずに溶けてしまうだろう。


「うへぇっ……見るんじゃなかった」


 覗き込んだグラットは、すぐに顔をそむけた。

 ミスティンも一目見るなり、何も言わずに後ろを向いて駆け出した。

 ただ、ソロンの後ろにいたアルヴァが、呪海で繰り広げられる惨状を眺めていた。


「あぁ……」


 冷静な彼女にも衝撃は大きいようで、言葉にならない声を上げていた。

 ソロンは振り向いて、その手をつかんだ。アルヴァの紅い瞳がゆれていた。


「もういい、諦めよう。それより捕まっていたみんなだ」

「……はい」


 彼女も従って、(きびす)を返した。

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