7話
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* オリー *
「カルネ、彼女を助けてあげて!」
「……めんどくせえな。てめえでやれよ」
あぁ、もういうこと聞かないな! 見ていられなくて飛び出してしまった。彼らが持っている得物で刺されてもおかしくはなかった。
とはいえ、何もできないうちにあっけなく、暴漢の一人に殴られて転がる羽目に。そのまま踏みつけられる。
いってぇ、本気で殴らなくてもいいじゃん。
「先程の返答も合わせて、我々を完全に敵に回したいようですね」
ビアンコの気配が変わった。カルネも。飼い始めてそんな長いわけでもない。でも、この二匹のことなら他の誰よりもわかるだろう。元の飼い主のおばあちゃんが居ない今となってはね。
「てめぇ考え無しに突っ込むやつがいるかよ」
カルネが忍び寄って短い前足を一振りしたように見えた。それだけで僕を踏みつけにしていた暴漢の上半身が爆ぜ失せた。
「汚え足をどけな」
近くでものが砕けるような音が聞こえ、天幕の一つが吹き飛んでいる。
猫を除いたその場にいるもの全てが凍り付く。息をするのも忘れて一瞬の惨状に目を奪われた。
目の前で、上半身を欠いた奇怪なオブジェがバランスを失って倒れ込んだ。僕の上に。切断された腹部から内蔵と血が飛び出してくる。急いでどけたかったのに、体が思うように動かなかった。
それを見た者の口から次々と驚愕と悲鳴が発せられる。言葉が通じなくてもわかった。いや、多分僕も同じような声をあげていたからだ。
彼女を組み敷こうとしていた男も含めてすべての暴漢が信じられないものを見るようにこちらを見ている。
とうのカルネは涼しい顔をして、爪についた血を舐めていた。それが猫の異常性を際立たせる。間違いなく目の前にいるこの小さな猫がやったのだとみなが理解した。
たった一人の味方の騎士さんも何が起こっているのか飲み込めていないようで、チャンスだろうに全く動けていなかった。いや、倒れて立ち上がることもできなかった僕の言うことじゃないんだけどね。
野盗たちのリーダーぽい裏切った騎士が上擦った声でがなり立てている。全然怯えを隠せていなかった。多分、部下たちにカルネをなんとかしろとか言ってたんだと思うんだけど、みんななかなか動けないでいる。
お姫様を抑えていた男たちのうち二人がが、なんとか得物を抜き放ち前に出ようとした矢先、カルネを中心に小さな竜巻が起こった。けたたましい骨の砕ける音を立てながら現出した巨大なミキサーがすべてを擂り潰す。一瞬遅れて成人二人分の肉片と血を混ぜ合わせた雨が周囲に降り注いだ。
血みどろで黒と赤に染まった世界の中、なぜか白い猫の周辺だけは汚辱を免れているのが印象的だった。僕? もちろん血まみれさ! いや血まみれどころじゃない。
キジトラの猫はもう十分に仕事をしたと言いたげに身震いして血を弾き飛ばしてから耳を掻いた。
「なんてか、上手く動けねえなぁ。体が軽すぎるつうか勢いがつきすぎるつうか。兄貴、あとは頼むわ」
その言葉は僕とビアンコしか理解できなかっただろうけど、人間たちは次に自分たちがどうなるのか理解したんだと思う。みんな恐怖に打ち震えて藻掻くだけだった。
猫たちを止める暇すら無かった。僕はずっと倒れたままだったんだよ。いやあの状況じゃ普通の人間に何ができるっていうのさ。あぁ、悲鳴だけは上げてた。最初自分の声だってわからなかったくらいだ。
自分も含めた人間たちがあげる悲鳴の中で白猫のだるそうな、大声でも小声でもない一言がやけに明瞭に耳に届く。
「お嬢さんに怪我をさせないように……こんな感じだろうか?」
空中に虚ろな穴が開いて、そこから名状し難い吐き気を催すような臭いのするイカの足のような触手が何本も伸ばされる。イカなのかタコなのか迷ったけど白かったんでイカっていうことで。
「む、初めてだからか結構制御が難しいですね……あ、失敗した」
それを聞いた瞬間、ようやく体が動いた。お前、普段お高く止まってるのに何してくれちゃってるの?
触手は既に残った一人を絡めとり、彼女にもその手を伸ばそうとしている。しかし、僕史上最速の動きで倒れた彼女に飛びつくとその上に覆いかぶさった。
すでに彼女の足には触手が取り付いていおり、僕が蹴りを入れても離さない。彼女の体は僕という重しがなければ簡単に引きずられてしまっていただろう。
「ビアンコ!」
「しばしお待ちを、10分頂ければ完璧に制御しておみせします」
「待てるか!」
「よし、できましたよ! やはり私は天才だな」
それなら最初から失敗するなよと。
なんとか彼女の足は触手から解放される。僕と彼女は息をつく間もなく続きを見守ってた。先に捕まっていた男は触手にギリギリと締め上げられ、声もあげられずに卵の殻のようにグシャリと砕かれてしまった。僕と彼女のほぼ真上で。見るんじゃなかった。でも目が離せなかったんだ。当然肉片やら内容物やらが音を立てて落ちてくる。汚いシャワーだ。二人でおもいっきり頭からかぶってしまった。
いつの間にか触手も消えていたのだが、体に力が入らない。先程の人間ミキサー・触手ミンチの連続グロ処刑が大分ショックだったんだと思う。僕も彼女を守ってるんだか彼女にしがみついているんだかわからなくなってた。彼女の方もガチガチに震えて僕の体に手を回してて、多分気づいてない。めっちゃ力強い。あれ、僕より力強くない?
てか、眼の前で人が殺されたという実感が湧いてこない。いや、頭ではわかってるんだよ、人間ってどんな悪いことをしたらこんなむごい死に方をしなきゃいけないんだろ。あぁ、主人を裏切り人を暴力で言うこと聞かせたりものを奪ったりしたらだって? いやでもここまでされなきゃいけないことなの……。
多分この死には人間としての尊厳がなさすぎるんだ。人間をミキサーにかけたりとか、触手で力任せに解体したりとかなんてきっと許しちゃいけないんだ。
さっきまではぼーっとしていたんだけど、なんていうか世界が戻ってきた感じがする。今までは目も鼻も耳も麻痺していたんだろうね。それが急にはっきりしてきてさ。まだ彼女を抱きしめたままで、お互い血と骨と肉片でドロドロになってて、気持ち悪くて仕方ない。臭いも酷いときている。
カルネとビアンコで都合男性3人分の臓物(大腸・膀胱の中にあるものが全て)を見事にぶちまけただけんだ。おまけに触手の腐った魚のような臭いもひどかった。彼女からなんとか体を引き離すと、もう我慢しきれなくなってその場に吐き出してしまう。それにつられて彼女も激しく嘔吐しだした。さっきの話し合いは形だけのもので、これが実際の彼女とのコンタクトだった。最悪の出会いだよほんと。
とはいえ、あとで思い返しても、僕がこっちにきて成し得た最大の奇跡は彼女を庇って動けたことだったのではないかとね。
僕が胃の中が空っぽになるまでリバースしている間に、状況は変わっていた。おかげであとでもっと後悔する羽目になった。そのときはどうしようもなかったんだよ。
「完璧だと言ったでしょう? 私の触手はすべてを捕らえているッ!」
全部終わってからカルネに聞いたらさ、ビアンコはテンション上がって調子に乗っていたらしい。もう一度呼び出した触手で、味方の騎士以外の周囲に居た野盗が全員捕らえられて、ミンチにされて破片がそこら中に撒き散らされていたそうな。僕は直接は見る気にならなくてね……。裏切りの騎士は特に念入りにされてたそうだ。人間のたたきだとさ。砕いて伸ばした血と骨と肉が土と混ざって捏ね合わされて、ほんの少し前までは元気に動き回っていたとは思えないくらいの薄汚い異臭を放つ泥団子だそうな。
ビアンコ曰く、練習も兼ねて様々な操作方法を試しながら処刑したんだって。猫って遊びで生き物を殺すって言うよね。それの対象が人間になったらなんてこと考えたこともなかったよ。とても気持ち悪くて見れない。僕には刺激が強すぎる。関係ない人は巻き込んでないかだけは確認したんだけどさ。
「立って動いてる敵側ぽい猿どもをやったからそれ以外は存じ上げません。まぁ大丈夫でしょう。多分ですが。だいたいオリー、貴方は細かいことを気にしすぎですよ」
などという心強い返事が。全然細かくないよね?!
本来僕らは中立であるべきだった。でも介入してしまった。猫のやったことは主人である僕の責任だ。巻き込まれた故の成り行きとはいえ、お姫様と騎士側に助力したのも僕の判断だし。
体に力が入らなかった。どれだけ呆けてたのかわからない。いつの間にか夜明けが近い。あぁ、ほんとに、人間なんて簡単に死んじゃうんだなぁって。猫たちにこれだけの力があるってわかってたら、適当に相手をして適当に追い散らすなんてことも難しくなかったはずなんだ。一発物凄い魔法を使って見せれば蜘蛛の子を追い散らすように逃げ出したんじゃないかな? なんてことを後から後から考える。
長かった夜は明け、日の光が暗闇のヴェールを切り裂いて優しく覆い隠していたものを剥き出しにした。僕は流石に死んだことはない。地獄というものがあるのなら多分こんな感じなのだろうと思った。この血と糞便と吐瀉物塗れの体よりも、僕の魂自体が汚れてしまったような気がした。