20話
* オリー *
「女?」
その単語に、男は何度も何度も頭を振った。
「あの女の言葉はいつものように、皆を魅了するだけじゃなかった。まるで耳元で囁かれるように言葉が聞こえた」
「その女は何を言ったのです?」
ジャイオさんが続きを訪ねたときだ。
「オリー、注意してください。何かがおかしい」
僕も離れたところのみんなと一緒にその男の言葉に集中していたので全く気が付かなかった。その時、ビアンコが声をかけてきて、はじめていつの間にか騒ぎが静かになっていることを知った。全く気が付かない内に民衆は暴走を収めていた。
「捧げろ、祈りを捧げろ、汝の信仰を明らかにするときが来た」
女の声がそう呼ばわった。
「「捧げよ、祈りを捧げよ、我らの信仰を明らかにするときが来た」」
民衆が唱和する。
群衆がいつの間にか、大通りの左右に分かれていた。その開けた中心に女がいる。夕暮れの街中でもその金髪は人の目を釘付けにした。地味な灰色のローブが女の美しさを余計に際立ったものに見せた。紅の瞳が、西日を跳ね返し、輝いて見えた。年齢はよくわからない。20代半ばくらい? これほどの美女はこちらに来てからお目にかかったことはなかった。
その声が、暴走に参加していなかった市民たちにも届く。恐ろしいことに、彼らも彼女の言葉を唱和して、暴徒に加わって行った。これは、聞くもの全てを虜にするのか? 衛士とか治安を維持する側でももしかしたら取り込まれちゃわない?
「あれなる不信心者。神を畏れぬ愚か者。この地にかの者の居場所はない」
女が不吉な言葉を唱えた。その指差す先には、頭を抱えてうずくまるみすぼらしい男。
危険な言葉だった。その言葉を聞いて、理解して、ようやくもやが晴れたように意識がはっきりした。
「「不信心者を八つ裂きにしろ! 愚か者の身をもって神への捧げものとするのだ! かの者を相応しき場所へ送ってしまえ!!」」
群衆が同調する。
「く、何を言っているんだ彼らは!」
「なんだか危ないニャ、マール、ジャイオさん、彼を連れて逃げるニャ!」
「ええ、一旦ここを離れましょう」
「お、お、ふ、不信心者め……」
ナガリさんが痙攣するように体を震わせたあと、おぼつかない足取りで男の方に近寄っていった。ナガリさんですら駄目なのか!
「ナガリ君? どうしたんだ! おい、ナガリ君、しっかりしたまえ!」
ジャイオさんが、慌ててナガリさんを押し止めようとした。
「おお、主よ、その罪に相応しき罰を……」
ジャイオさんの体をナガリさんが払い除けた。それもやんわりとではなく、かなりの力で持って押し飛ばしたのだ。ナガリさんがジャイオさんにそんな扱いをしたのを見るのは初めてだった。
「ナ、ナガリ君?!」
突き飛ばされたジャイオさんはショックを受けたようで、尻もちをついたまま呆然としていた。ナガリさんを止めるものは最早いない。
うずくまる男を地面に引き据え、左手で頭を押さえつけると、右手で腰から短刀を引き抜いた。
「ナガリさん、やめるニャ!!」
「太陽よ! 生贄を受け取り給え、これなるは罪に塗れし汚れた魂、かの者の贖罪を受け入れよ、沈んだ夕日が東の空から再び昇るように……」
「あれは遠い昔に禁じられた、太陽神の再生の儀?! 【戦車】にはその儀法が脈々と受け継がれていたのか!!」
ジャイオさん、今はそんな嬉しそうにしているときじゃないです!!
「誰でもいいから止めてくれニャ!!」
ナガリさんは文言を唱えているが、いつそれが終わるのかはわからない。
「炎の矢よ!」
「風よ! 切り裂け!」
急いでビアンコとマールを止める。
「火も風も駄目ニャ!」
これだから攻撃魔法しか無い連中は!
「俺にッ、任せろッ!!」
遠くから黒い弾丸が風のように人々の頭の上を飛び越えてやってきた。こちらに背を向けていたナガリさんのど真ん中にぶち当たり、そのまま吹き飛ばす。
ナガリさんは建物の壁に強く体を打ち付けてそのまま動かなくなった。頑丈な人だし怪我とかしてないといいけど……。
「カルネ! よくやったニャ!」
「へへっ、なんとか間に合ったぜ!」
カルネが見事にやってくれた。
「おやおや、つまらないねぇ」
安堵したのも束の間、またあの声が背後からする。ビクリとして慌てて振り返った。
ビアンコの触手の届く位置に、金髪の女が居た。粗末な灰色のローブに、十字と輪を組み合わせた金属を首からかけていた。ローブの上からでも彼女の体が非常にメリハリがあるというか、肉感的というか、グラマラスなのがわかった。こちらに来てからあまりこういう凄い体の人をあまり見てなかったから……いや、マールも年齢の割には悪くないと思うよ!
それはおいといて、あれ、なんだろうどこかで初めて会ったはずなのになんだか既視感が? いや、見覚えはない。何かが引っかかる。
「貴女のその印章はまさかっ、真龍教団?!」
流石ジャイオさん、何でも知ってる。
「よく、勉強しているようだね。賢い子は好きだよ」
群衆は地面に跪いて各々の神に祈りを捧げていた。
僕はやり取りには参加せず、記憶を探っていた。ちらりとビアンコを見ると、触手を動かすことも忘れてその女のことを見つめていた。カルネは……いや、カルネはわかってない。
「私のことはツァンダオ・ルゥヴェンと呼びなさい」
聞いたことのない名前だ。そのはずだ。この声を聞くのも初めてのはずだ。
「ツァンダオというのは確か真龍教団の大司教位の呼び名だったはず。貴女は本当に真龍教団の大司教なのですか?」
「それを証明するのはそれほど難しくはない。でもいいのかい? 真龍教徒に身の証を立てろだなんて言って」
「ルゥヴェンとやら、ここは私の街です。これ以上の狼藉は許しません!」
マールの言葉と同時に東からの風が吹いた。鼻をつく微かな匂いに記憶が刺激され……。
「まさか、マウアさんか、ニャ?」
思わず言葉が口をついて出てきた。皆が僕に注目するのを感じた。ビアンコは目を見開いて彼女を見ている。
「オリー君、一体何を馬鹿なことを……」
「オリー、私もマウア司教にはお会いしたことがありますが、こんな若い美女ではありませんでしたよ」
ジャイオさんとマールが当然のように否定した。
「嘘、だ、信じられません」
「いや、オリーよ、何言ってやがんだ」
これはビアンコとカルネだ。ビアンコの方はそうは言っても気づいているはず。
「僕の鼻は戻ったように見えるけど、まだ猫のもののままなんだニャ。匂いでわかったニャ。貴女はマウアさんニャ」
彼女は妖艶に微笑むと拍手した。
「んー、正解だよ。よく当てたね。ナガリは上手い具合にかかってくれたから大丈夫かと思ったんだがねえ。猫もかなり鼻が良いんだった。急なことだったんで香水が手元に無かったのは失敗だったねぇ」
まぁばれたところで何も問題は無いがね、とすました顔で続けた。
「この騒ぎは貴女の手によるものですか! 一体何が目的なのです!」
マールは元々繋がりが無いから受けたショックも少ないみたいで、すぐに反応できたようだ。
「騒ぎに乗じて遊びたかったのさぁ」
「は?!」
何を巫山戯たことを……。
「せ、先生、本当に先生なのですか?? その姿は一体??」
一拍遅れてジャイオさんが再起動した。でもまだ事態を飲み込めていない様子。彼女に向けて伸ばした右手が虚しく震えてる。そりゃそうだろう。僕もまだ信じられない。
外見は、年齢、服装、髪型、立ち居振る舞いと全て違う。喋り方くらいしか面影はない。それすら声質も違うからモノマネ程度に思える。
でもこの人はマウアさんだ。間違いない。ビアンコに大分いじられたからだろうか、猫の本能的な部分が僕の中にあってそう感じるんだ。
「あたしゃ今じゃもう皺くちゃのババァだけどね、百年前はこんなに美人だったんだよ」
「百年前? じゃあ一体今何歳なの」
年齢と美しさに反応したのはマールだった。気持ちはわかるが、今聞くことでもないような。いや気になるのはわかる。
「女に歳を聞くもんじゃないよ。あんた若いからそんなことが言えるんだろうけど」
「そ、それが真龍教団の秘術なのですか?」
「いーや、これは我が王の恩寵だよ。もう少しで龍の秘奥に届くところなのに、寿命で死にかけてた私を王が拾ってくだすったのさ」
「王とは一体誰なのです! その王がこんなことをした理由に関わりがあるのですか!」
僕が聞きたいことをマールが代弁してくれてる。正直頭の回転が追いついてない。
「改めてご挨拶させていただく、ニール辺境伯ファズバン家マリークレスト公女殿下。私は<北方領域における多種族からなる連合王国>国王陛下に仕える第四軍団将軍マウア・ルゥヴェン。とはいえ将軍呼びは慣れてないので大司教あたりでいいよ」
「北方……なんです? 私はそんな王国は知りませんが、巫山戯ているのですか?」
「あぁ、こちらではまだあまり馴染みのある名前じゃあないよね。あんたたちにわかりやすくいうと、魔王様だよ」
マールは、ジャイオさんも呆然としていた。その言葉が唐突すぎて理解するのに時間がかかっているのだろう。その間にマウアが言葉を続ける。
「私は王に若さと強靭な肉体をいただいたのさ。そしてこれも」
彼女がゆっくりと右手を差し上げ、空を指差した。周囲の人々の視線がその一点に集中する。
「神を讃えよ。我らが主の威光を讃えよ」
「「神を讃えよ。我らが主の威光を讃えよ」」
一斉に唱和した。
「救いを求めるものの心を暴走させる、我が王の恩賜【狂信】。信仰心を持たないものには効かないのが難点だねえ」




