6話
* オリー *
伯爵家を御暇して中央広場近くにある衛士の詰め所に向かうことに。今日は一応正式な外出なので、マールも変装はしてないしマールって呼ぶのも駄目なはず。いやしかし、この侯爵さまは随分と接触が多いんですが……。やたらとベタベタしてくるよ……。マールの視線もなにやら刺さるものを感じるし。
ビアンコは既にこちらから離れて、周囲の建物の塀や屋根から見下ろしてきてる。
こっちの世界では男同士で手を組むってのはどうなの? この街で見たこと無いよ? 侯爵様ってめちゃくちゃ偉い人だよね? この手をはたいて、僕にその気は無いですからやめてもらえませんか! 気持ち悪い! とか言ったらまずい? 伯爵様やマールの立場もまずくなったりする? なんて考えが頭の中をグルグル巡っていた。
騎士団から呼ばれたらしい供回りの人たち(流石に侯爵閣下と伯爵家の跡取り娘が一緒に出かけて護衛なしってことはない)の視線もめちゃくちゃ痛い。僕も侯爵様も余所者だから触れないようにしてる感じが……。
「では侯爵様、然程複雑でもない道のりですが私が案内いたします」
言いながらマールがニッコリ笑って僕と侯爵様の間に入ってくれた。この時ばかりは彼女が光り輝いて見えたね。もっと早くしてくれても良かったのに。でも、直ぐ側にいた僕だから見えたのだけど、侯爵様は一瞬ムッとなってめちゃくちゃ鋭い目で彼女を睨みつけた。ほんと一瞬だから、周りの人達も気が付かなかったんじゃないかな。とても婚約者に向ける目つきではなかったな……。
中央広場まではほんと大した距離じゃない。ゆっくり歩いてもせいぜい10分ほどだろう。でもその距離を移動するために、伯爵家の公の馬車が屋敷の広場に用意してあった。二頭立てで、大人4人くらいが乗れそうな感じ? それの前後を供回りの騎士たちが馬で護衛して移動する。ちなみに、街中は人も多いので速度も全然出せない。供回りの人たちが歩行者を追い立てて道をひらきながら進むことになるだろうし、時間かかるからね。
仕立ての良い服を来た御者が馬車の扉を開いて侯爵様にお辞儀をする。この文化圏ではお客様を先に乗せるのかな? 侯爵様が乗りこむのを見てたら、マールと御者から見つめられてることに気づいた。
「オリー、貴方もお客様なのですから」
あぁ、自分が乗らなきゃ行けないなんて考えてなかった。
「ビアンコが多分乗りたがらないニャ。僕は歩いてついていくから先に行って欲しいニャ」
本当はマールがいるとはいえ、閉鎖空間に侯爵様と一緒になりたくないだけです。ハイ。
「あの子ならいくらでもついてくるでしょう。気持ちはわかりますが、当家がお客様をないがしろにするなどという噂を立てられるわけにはいきませんから」
気持ちはわかりますが、の部分は小声になってた。侯爵様には聞こえてないはず。
「ウニャア……」
諦めて乗りこむ。侯爵様の対角線上に座ろうと思ったら、侯爵様は片側は一人で占めてたので、反対側にマールと並んで座った。婚約者なんだよね? いいの? いや、この人の婚約者云々って偽装ぽいしいいのか……。
「これから行くところは、街の中央にある衛士の詰め所です。本来であれば分署なのですが、騎士団本部も側で利便性の高さから治安維持の拠点となっていまして、衛士長と文官たちも主にそちらで仕事をしています」
「この街は騎士と衛士で役割を分担しているんでしたな?」
防衛上の観点から侯爵様も興味があるようだった。僕はあんまり無い。だから適当な相槌だけうっておく。
「騎士は軍隊、衛士は治安維持組織ということになりますので、外敵に対しては騎士が、都市内の中小の犯罪は衛士が担当することになっています。ただし、この地が他所から攻められたときは、衛士は騎士団の指揮下に加わります」
細かく管轄が分かれてるらしい。ただ、騎士の数が現状かなり減っているのでその分衛士の仕事と発言力がマシてるそうな。以前だったら、都市周辺に出没した猛獣などは騎士が処理してたのも衛士の仕事になってるのだと。難民の流入もあって、衛士の手が足りず非常に治安が悪化している。
侯爵様は難しそうな顔をして聞いてた。一応、伯爵様と打ち合わせ済みで、この都市の防衛力がどれほど低下しているかは把握してるらしい。
そうこうしてるうちに到着した。正直、歩いた方がよほど早いくらいの時間だったと思う。途中何度も馬車止まってたし。
衛士の詰め所で幾つかの羊皮紙にサインをする。めっちゃ書きづらい。漢字で書いた僕の名前は誰も読めないらしいけどね。逆に、誰も書けないらしいのでこれはこれで証明になるんだそうな。真似して書こうとすると、字じゃなくて絵とかの範疇になりそうだってさ。それで、一部持ち主が判明した盗品を返したお礼を受け取った。お金じゃなくても良いですよ、と先に伝えておいたら、服とかお皿とか色々あった。中には、大した価値の無いものや持ち主が亡くなってたものもあってそのまま僕が引き取ることになったりも。
僕がそんなことをしてる間に施設内を案内されてた侯爵様とマールが戻ってきた。
「噂の元傭兵君は今日はいないのかね?」
ヒューは早出だったそうで、今日は昼過ぎには上がったらしい。忙しいといってもきちんと勤務交代できてるのは良い職場なのかね。侯爵様にそう言うと、非常に残念がってた。
「確かオリーの家の裏に住むことになったのではありませんでしたっけ?」
マールが余計なことを……、僕としてはこのまま侯爵様と別れて家に帰りたかったのに。あと、裏口であって裏ではありません。
「おお、そうなのかね! では地下に行くついでにちょっと寄ろうじゃないか」
住みやすいところだといいな、とか言ってるぞ! なんだよ、うちに住み着く気か?! 一泊だって泊めるのも嫌だ。やめてよ、僕の心の安らぎが! 流石にそれは冗談だと思いたい。ああいや、カルネが侯爵様を見たら敵認定しないかなってのも怖い。
戦々恐々としながらも裏口のダミーハウスへ向かう。中央付近でも、ちょっと入り組んだところにあるので途中からは歩きだ。騎士も何名かは馬を戻しに行った。
家の中は空だった。
「もしかしたら酒でも飲みに行ってるのかもしれニャいニャ。カルネいるかニャー?」
下水に通じる扉を開けて声をかけるとしばらくしてカルネが駆け上がってきた。
「呼んだか」
「おお、本当に猫が喋った! それにその、なんとも奇妙だな……」
侯爵様が大げさに驚いてみせる。人の鼻がついてる猫をみたらそういう反応にもなるか。そういえば、さっきビアンコは一言も喋らなかったな。そう思って机の上のビアンコを見るとこちらを見返してきた。
「何だこいつは?」
「ウォルズ侯爵様だニャ。もうちょっと言葉遣いに注意するニャ。侯爵様、この子はカルネ。紹介が遅れましたがこっちの白猫はビアンコだニャ」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません侯爵閣下。わたくしビアンコと申します」
器用に会釈してみせるビアンコ。カルネは興味無さそうにあくびをしてる。
「これはご丁寧な挨拶痛み入る。私は国王陛下よりウォルズ領を拝領している、イサウ・ダ・リュク・ハーガンだ。よしなに」
そう言って侯爵様はビアンコの前足をちょこんと摘むと、笑顔とともに軽く上下に振った。もしかしたら女性よりも猫の方が好きなんじゃないかこの人。
「カルネ、ヒューがどこに行ったか知らニャいかニャ?」
「知るわけねー。一度戻ってきてからすぐに出ていったみてえだがな」
多分飲み屋だろうな。これで侯爵様が諦めてくれれば。
「おお、歓楽街の方もまだだったな。行ってみようじゃないか」
「侯爵様。流石にそれは難しいのではニャいかと」
マールの方に顔を向けながらそう伝えた。
「あぁ、そうだったな。ご婦人の前で失礼した。いやはや、武辺者ゆえ、気が回らず申し訳ない」
武辺者どうこうって関係ないよね……? この人自分の欲望に素直なだけだなぁ。
「まだヒューを探す気ですニャ?」
興味を失ったらしくカルネは地下に戻っていった。僕も戻りたい。ビアンコも地下の入口を眺めてる。
「ここまで来たら気になるからな。私も長いことこの街に滞在しても居られんのだ。出来れば今日中に片付けたい」
まぁメインゲストがそういうのなら仕方ない。マールにはこないだ行った茶店で待ってもらって、侯爵様とビアンコと一緒にヒューを探す羽目に。あの犬頭な人がいたら楽なのに。
「では行こうか」
歓楽街入ってからは僕と侯爵様の二人きりだと思ったら、侯爵様が僕の肩に手を回して先を促してきた。あれっ、なんでこんな事態になっちゃったの? クッソ、ここって裏に入ったらホテル街とかあったはずだよね?! ヤバイヤバイ。この人、絶対狙ってるだろッ。
「オリー、あの男を見つけましたよ」
救いの神は白い猫の姿をしていた!! ヒューはあっさり見つかった。歓楽街に入ってちょっとの辺りをうろうろしていたのだ。
「あぁん?!」
「侯爵様、見つかりましたニャ! あれが目当ての元傭兵ですニャ!」
「チッ」
今舌打ちしたよ! この人もう隠す気無いよ! そのまま、僕が指し示す先にいる、背の高い髭面へと視線を向ける。
「ほう、これはなかなな……」
節操なしだな! 少し顔が赤いんですが……。そう言って侯爵様は僕から離れるとヒューに近寄っていった。
「君がヒューか! 噂に違わぬ肉体だな!」
なんだ、どういう挨拶なんだ? これがこの国の上流階級の作法なのか……? この人に出会ってから僕の常識が崩れまくっている。流石は異世界だ。
「おっと、いきなりだな。どちら様ですかい?」
ヒューも警戒してる。どうやらさっきの挨拶は一般的では無さそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。僕からターゲットが移ったことも合わせてね。
「ヒュー、こちらウォルズ侯爵様だニャ。今ニールに逗留されてるニャ」
「おっと、旦那も一緒だったんで。てぇことは辺境伯様のお客人で?」
頷いて返す。
「君の噂を耳にしてね。是非一度拝見したいと思っていたのだ」
へぇ、と言いながら頭をボリボリ掻くヒュー。少しだけどお酒が入ってそうだ。
「少し付き合ってもらえないだろうか。マリークレスト嬢も待たせてあるのでな」
「おらぁ今勤務外なんですがねぇ」
愚痴りながらもヒューは従うようだ。侯爵様もこちらに目配せする。僕にもついてこいってことだろう。
マールも合流して向かった先は衛士の練兵場。西の城壁近くにある施設で、本来はこちらが衛士の本拠地らしい。
侯爵様は衛士から訓練用の剣を二本受け取って、それをヒューに差し出した。
「私と手合わせ願いたい」
「んなこったろうと思いましたよったく……」
ここを目指していた時点でなんとなく読めていたらしい。僕とマールは蚊帳の外だったので、練兵場の壁の方によって見物することにした。
「彼は実際どれくらいつかえるの?」
マールは直接ヒューが剣を振るうのを見たこと無いんだっけ。
「ネズミ頭を一度に三人相手してたニャ」
物見高い衛士たちがワラワラと野次馬めいて湧いてきた。新入りとは言え身内のヒューを応援するものが多い。お貴族様に声援を送るものは一人も居なかった。
「侯爵様はお強いんですニャ?」
「この国では有名な騎士で何度も戦場を経験してますね。でも、将軍として軍を率いてますし、自ら先陣を切るような人だとは聞いたことがありません」
広場の中央で侯爵様とヒューが剣を合わせて一礼する。どうやら始まるようだ。面白そうだとは思うけど、僕には正直わからん。剣道もやったことがない。二人が剣を打ち合わせてるのを見ても技も何もわからん。でも、見た感じ侯爵様の方が押してるのはわかる。なんとなくだけど。
僕には剣術の知識は欠片もない。予想に反して、公爵様の方が荒っぽい戦い方をしている気がする。鍔迫り合いから相手の腕を取ろうとしたり、脛を狙ったり、合間合間に蹴りもとんでる。よく見ると、ブーツを金属板で強化してるみたいだ。それをヒューが華麗にいなしてる。ヒューの方はなんていうか、お手本みたいな戦い方をしてる感じ。素人が見ても立ち居振る舞いが綺麗だ。こんなヒューははじめて見た。
「僕は剣術詳しくニャいですニャ。でも二人とも強いってことはなんとなくわかりますニャ」
「そうですね」
ビアンコもいつの間にか側に来て、塀の上でこちらを眺めていた。そうこうしてるうちに勝負はついたようだ。ヒューが剣を飛ばされて負けを認めた。うーん、よくわからんがヒューは手を抜いてる気もする。
「ヒューがわざと負けた気がするニャ」
「それはそうでしょう。流石に侯爵様を相手に本気は出さないと思います」
当たり前か。普通はお貴族様相手に元流れ者が本気で斬りかかったりしないよねえ。いくら訓練でも。ヒューはそこら辺かなり手慣れてる感じもするし。
侯爵様とヒューは握手を交わしてお互いを褒め称えてる。そのまま二人共こちらに向かってきた。
「君の太刀筋は北方ロウエン式の正当な剣門だろう? 何度か見たことがある。元は兵卒だと言っていたが実は名のある騎士だったのではないかね?」
「いやはや、侯爵閣下にはかないませんな。何、部隊長が厳しい人で基本だけ叩き込まれたんでさぁ」
さわりだけですよ、さわり、と主張するヒュー。ほへー、そんなの全然わからんかった。
「良ければ、我が領へ来ないかね? 騎士として取り立てようじゃないか」
「過分なお言葉痛み入ります。とはいえ、自分はこちらで雇用されたばかりでまだその恩も返しておりません。閣下のご厚情はありがたいのですが、条件次第ですぐ他所へ移るというのでは、あまりにも忠にもとるというもの。流石に変節が過ぎます」
「そうか。それは残念だな。それと君はもしかして……。いやまぁ気が変わったら言ってくれ。いつまでも待とうじゃないか」
最後は何を言おうとしたのかね。とりあえず侯爵様は満足したようだった。夕方も良い時間なのでそのまま宿に戻るらしい。マールも迎えに来たお供とともに屋敷へ帰った。
侯爵様がうちに来るとか言い出さなくてよかった……。今日は安心して眠れそうだ。




