2話
* マール *
数日ゆっくり休まれただけですが、お父様は随分と回復なされました。まだ体力こそ戻らないものの、お医者様の見立てでは、時間はかかるものの自分の足で歩くことも出来るようになるだろうとのことです。本当にありがたいことです。それだけ薬と呪いが強力だったということですが……。晩餐後、そのお父様から、今後のことについて話したいと呼ばれました。ある程度方針を固めるおつもりらしい。侯爵様のことも、いつまでもそのままにしておくわけにも行きませんよね。
「現状、ニールの置かれている状況は危機的ですらあると言っても過言ではあるまい」
まだお話は途中でしたので、頷くだけに留めておきます。実際お父様はこちらを見ずに窓を横目で眺め、思案げに言葉を続けられました。
「単純な戦力の低下だけではない、戦が流通自体にも影響を及ぼしている。難民の流入も留まるところを知らない。国内の権力動向もどうなっているのかさっぱりわからなくなってしまった」
後者に関しては私も伝手が無いので存じ上げません。お父様に曰く、病に倒れる前は主戦派の意見が強かったはずだそうです……。私も詳しくは知りませんでしたが、王都における各勢力の権力争いは魔軍の出現から以前よりさらに混沌としたものになっているようです。
「トラーダ会戦前は主戦派一辺倒だった。多くの貴族どもが魔軍を打倒して新しい領地を手に入れられると躍起になっていたものだ。特に領地を持たない官僚を主体とする法務貴族はうるさいものだったさ。実際軍を提供する地方貴族も目の色を変えていたよ。私はというと……我が国軍が単独で戦うようなことがあれば、惨敗もやむ無しと見ていた。文字通り烏合の衆だったからね。だからこそ我が領の部隊には勝敗よりも殿下のご身命をこそ大事にせよと厳命しておいたのだがね」
それも無駄になってしまった、とため息をつかれるお父様。実際、結果はまさかの全滅でした。詳細は伝わってきておりません。調査した限りでは、元々古王国国軍は連合の主力として目されておらず(そのことを愚痴っぽく述べている開戦前の書簡が残ってるそうです)、賑やかし扱いだっだそうなのです。そんな前線を離れて後詰めだった国軍ですら、一兵も逃げることが出来なかったというのは想像するだに恐ろしいことでしょう。あのヒューとか言う元傭兵はそんな戦場から逃げてきたというのですから、よほどの臆病者か、あるいは勇者なのか。臆病者には見えませんし、実際腕は立つようです。いや、それだけの腕前が無いと生き延びられない世界だったのかもしれません。
「敗戦後、ウォルズ侯爵を中心とする国元に残っていた国軍は報復を訴えていた。無論一国家でそれがなせるはずもないので、同盟軍の再結成が前提だったが。勿論というか、開戦前は濡れ手に粟を目論んで大やけどをした貴族たちは揃って反対に回ったものさ。国防だけに力をいれれば良いとね」
ニールの方針を固めなければなりません。お父様が倒れていたときはこういうことをする余力すらありませんでしたから。
「我が国に取りうる選択肢はおそらく三つ。まず一つ目、国境に隣接する領地の軍隊を再編成し、国防に注力、鎖国を行う。二つ目、再度の出兵を行い、魔軍との戦端を開く。三つ目としては、物資や金銭を送付することで前線国家を支援する、というものだ。私がお前にこのような話をするのは、今となってはお前がニールの跡取りであり、その去就にニールの将来が掛かっていると言っても過言では無いからだ」
……婚姻のことも関係するからでしょう。実際、今回は運良くお父様の命は助かりましたが、あのまま亡くなられていてもおかしくは無かったのです。
「一つ目は案として挙げただけで実際は論外だな。国防だけに注力したとして、一国だけで護りきれるものなのか。都に籠もって政治遊びだけしている連中には国外のことが見えておらん。世界中が魔王の軍門に下れば我が国とて耐えられるものではあるまいよ。鎖国をするのも自分たちの首を締めるようなものだ。特にニールには影響が大きすぎる」
ちなみに、叔父様の方針は宰相閣下に合わせていたのでこの一つ目だったそうです。
「その通りだとは思いますが、王都ではそれを主張する者たちの声も大きいと聞きます」
王都とニールとでは当然立場が異なる。ニールの経済は東西貿易が前提になっているので、難民や余所者の流入を防ぐための鎖国まで行えば、古王国で最初に干上がるのは我が邦でしょう。
「そうだな。とは言えニールがこの立場を選ぶことはあり得ん。この点については良いな?」
私の意思を確認してくるお父様。頷いて返します。勿論否やはありません。
「では魔軍に対するとしてどのように関わるかだが……先程挙げた二つ目と三つ目、積極的侵攻派と後方支援派とでも呼ぼうか。現状選べる手段としては後方支援以外は難しいだろうと思われる」
お父様はそう仰ると思っていました。ですがそれでは私の目標は達し得ないのです。肯んじる訳には参りません。とは言え表向きは従順なふりをしなければなりません。
「積極的な侵攻は、我が国一国では到底不可能だ。全戦力をもって打って出たとしても前線が遠すぎて糧秣は持たないだろうし通過国が素直に通してくれるとも思えない。そもそも、同盟軍を討ち果たした魔軍に対する戦力としては不足しすぎている。可能な範囲で再度の同盟軍結成だと思うが、前回敗北時の原因が明らかにならなければ二の舞になるだけだろう」
無理だとは言いつつもきちんと理由を説明してくださる点がとてもお父様らしいです。とは言え、私もお父様が今仰ったことは既に考えていましたので、現時点での即時出兵は現実的なものではないと判断していました。
「では三つ目の案になるのでしょうが……、実際のところ前線の維持というのは可能なのでしょうか?」
私の方から第三案に対して疑義を唱えてみます。正直実現できるとは思えません。
「恐らくは可能だと思うよ。前線国家の詳細な情報が入ってこない現状では希望的観測になってしまうがね」
「魔軍に一国で太刀打ちできないというのはお父様もさきほど仰った通りだと思います。放っておけばすべての国が魔王の支配下に入るとも。それではどうやって?」
「伝え聞くところによると、トラーダ以降魔軍は、戦力を分散して手当たり次第に周辺国家を攻めているらしい。魔軍の支配地域は大陸中央のかなりの部分まで広がっているそうな。魔軍全体は無理でも、一部であれば支えることが可能だということだ。小国では難しいと思うがね。例えば大陸西方ではカン帝国が国家の威信を賭けてかなり善戦しているとも聞く」
「魔軍が戦力を集結させない間に各個撃破を行うと?」
「そのために主軸となる国家複数に同盟国の戦力を集め支援する。食料や軍需物資は当然のことながら、傭兵を派遣しても良い。もちろん、一国で賄えるものではない。この目的なら再度同盟結集が可能だろう。どこにこちらの戦力を集中させるかなども、きちんと情報収集した上で判断する必要がある。この案の一番の問題点は各国の思惑がまとめきれないだろうということかな」
流石お父様、少ない情報でこれだけの判断を下せるとは。おそらくその方針ですすめるのが最善でしょうが……迂遠に過ぎる。
「この期に及んでもまとまりまらないのでしょうか」
「第三案では特に無理だろうね。これは要するに、護れるもの、護れないものを取捨選択するということだ。国家間の都合で。我々上に立つものは目先のものだけで判断してはいけない。だが、現実に危機に直面しているものたちに、我らの都合を押し付けて犠牲になれとは言い辛い。とまれ我らに選べる選択肢自体があってないようなものだ」
「出来ることをするだけということですか」
「そうだね。そこでマール、お前にもやってもらわなければならないことがある。ニールのために」
やはりお父様は最初から方針を決めていたようですね。そしてこれからが今日の本題なのでしょう。
「心得ています」
実際、次の言葉は予想出来たものでした。
「ウォルズ侯爵との婚約を前向きに考えてもらいたい。この話自体はノスルが準備したものではある。とはいえ、アレの目論見も今となってはどうでも良いことだ。侯爵の意図もどこにあるのかは不明だが……恐らく、我々と同じように協力関係の構築が目的なのだろう。彼は侵攻派でも中心となる人物だ。外に打って出るにせよ、防御を固めるにせよ、古王国における外部への窓口であるニールは敵味方に限らず人目を集めている。王都の連中も普段は辺境、田舎と蔑んでいるくせにね」
特に最近は色々起こりすぎていますから、耳目も集まりましょう。それら全てがあの猫使いを中心にして起こっているような感じがします。厳密にみると彼は巻き込まれているだけなのですが。そうそう、オリーと言えば、一応確認だけはしておかないと。
「オリーの扱いはどうしましょう」
一瞬だけお父様は私を気の毒そうに見つめました。すぐに表情を顔から消しましたが。もしかしたら勘違いされてるのかもしれません。婚約という話の流れもありましたしね。現時点で彼に特別な感情は抱いていませんよ。好意に値する人物ですし、猫たちは可愛いですが。
「当面客人として扱うしかなかろう。実際恩もある。ただし、彼に関してはどこまでのことが出来るのか、どこまで期待して良いのかが不明だ。彼の目的は故郷への帰還だから、将来に渡って拘束することもできない。それまでは何かがあった時に備えてこの地に居を構えてもらおう。要求があれば便宜を図るように皆にも伝えておく。ついでにちょっとやってもらいたいこともある。それで良いかね?」
彼を囲い込んでおくという意見については賛成です。だたし、彼に対して何を求めるかで私とお父様では決定的に異なっていますね。
「私としてはもう少し積極的に、彼にも関わって欲しいところですが……」
「焦りすぎないようにしなさい。そこまで要求するのは無作法というものだよ。さて、明日にでも侯爵を招待してみようか。随分お待たせしたからね。事情が事情とは言え怒ってらっしゃらないと良いのだが」
実は侯爵閣下がいらっしゃった際に、正直に事情をお伝えして本当はお引取り願おうかと思っていたのです。当主が暗殺されかけて起き上がることもままならず、婚姻話を勧めていた当の家宰が黒幕だったなどというのはお互いの汚点になりかねないものでしたから。仕方なく、お父様がすぐにはお会いできないと伝えたところ、侯爵様はニールにゆっくりと滞在したこともないから一度きちんと見て回りたいと思っていたと仰って、現在もニールの最上級の宿に宿泊されてます。
「侯爵とは協力関係を築くのなら胸襟を開き、思うところを話し合うつもりだ。だが、彼の思惑が我々と一致しなければ今回の話も無かったこととする」
お父様の目を見据え、頷いて返しました。心構えはとうに出来ています。跡継ぎとは言え、貴族の子弟は所詮政争の道具にしか過ぎません。どの道味方をもっと増やさないと私の目的は達成され無いのだから。




