10話
* オリー *
ジャイオさんが店を出ていってから。僕も店を出る。もう結構な時間だ。早く帰らないと食事に遅れるかもしれない。道はわかりやすいから一人でも迷うことが無いのはありがたい。猫たちにはまた背負い袋に入ってもらった。今はおとなしいもんだった。
門番に挨拶して、屋敷に入る。あれ、朝出てきたときとはなんか雰囲気が違う。従業員の皆さんがそわそわしてるし、一様に深刻な顔をしてる。食事の用意もいつもより遅れがちだな。お姫様を探しても、いつもなら食事の準備中は広間にいるのに姿が見えない。キョロキョロしてたらお姫様付きの女中さんがこちらに手招きしてる。……この人の名前なんだっけ。
「何かあったんですかニャ?」
自分で呼んでおいておきながら何やら言いづらそうだ。
「……実は旦那様が意識を失われまして。お医者様を呼んでも手の施しようが無いそうなのです」
えっ? 朝はまだいつもの調子だったんじゃないの?
「お嬢様は旦那様の傍についておられます。お客様はお気になさらずに何時も通りお過ごしください、とのことです」
良いのかなぁ。ビアンコになんとか出来ないか聞いてみようか。
「ビアンコ、今聞いた件ニャんだけど」
「申し訳ありませんが難しいと思います」
速攻否定された。いや、ビアンコは僕のお願いなら出来ることはなんとかしてくれるし、本当に無理なのかもしれない。
「勿論、見てみないとわかりませんが、先日、お嬢様に頼まれまして既に色々試していたのですよ。結論から言うと、私にケナシザルの怪我は治療できません」
当然病気も、とビアンコは続けた。あれだけの魔法が使えるのに? この世界には治療魔術も存在しているのに? 疑問が顔に出たのか、ビアンコは答えてくれた。
「お嬢様から教わった治療魔術というものはですね、魔術の使い手の類縁種しか治療出来ないものだったんですよ」
ビアンコに曰く、自分の中にある設計図を参照して、対象の肉体の修復したい部位を組み立て直す、というのが治療魔術のプロセスらしい。つまり、ビアンコに猫は直せても人間は直せない。
「この魔術の根幹的な在り方がそうなのです。私がケナシザルをなんとかしようと思ったら、怪我は治るが同時に血族になります」
野盗の襲撃で傷ついた騎士を治そうとして、毛皮になりかけてたのは失敗じゃなかったのか。
「だからオリー、気をつけてください。貴方が怪我をしても私に癒やすことは出来ません。貴方にもしも何かあったら……」
ビアンコ、そんなに僕のことを心配してくれて! 感激だなぁ。
「容赦なく血族にします。その方がずっとよろしい。いや、怪我なぞしなくても今からそうしましょうか」
「ンニャッ?!」
違った。いつも通りだった。
「まぁしかし」
ビアンコが続けた。今ので話は終わりなんじゃないの? なんだろ。
「数日で急に悪化するような健康状態には見えませんでしたが」
そういうもんなの? よくわからん。
「兄貴よぅ……。気づいたか?」
「匂いますね」
「あぁ、臭え臭えネズミの匂いだ」
猫の兄弟が何か意味深なことを言ってる。食事の準備中だから何か腐ってるものでもあったとかかね? そんなことをやってる間に食事の支度は整った。伯爵もお姫様もいないのか。とりあえずいつもの席に座る。
何か横から視線を感じると思ったら、家宰さん(ちなみにまだ名前を覚えてない)がめちゃくちゃ睨んでる。あれ、俺またなにかやっちゃいました? いや、僕は何もしてないよな……どちらかというと、何もしない系の人間なのになんでこんな睨まれてるんだろ。
今日は来客もなしでホストも居ないため、真正面側に座ってるのは僕だけだった。いつもなら伯爵が座る席に肉料理だけは置いてある。従業員の皆さんが席についた時点で、家宰さんが伯爵の席のところに立って皆に語りかけた。
「皆も既に聞き及んでいるように、当家の主であり我が兄であるお館さまが意識不明の重体に陥っている。お医者さまの話では持ってあと数日とのことなので、皆にも覚悟しておいて欲しい。また、お嬢様はお館さまにつきっきりのため、ここで食事を共に摂ることは出来ない。これからしばらくは私が料理の取り分けを行う。以上だ」
従業員のみなさんも、一瞬ざわついたけどすぐにシーンとなった。まぁ仕方ないよね。この日の食事はいつも以上に味気なく感じた。お昼が美味しすぎたからかなぁ。従業員の皆さんもいつもは結構騒がしいのにみんな静かなものだった。伯爵は慕われてるんだねえ。
「お待ち下さいお客様」
食事を終えて離れに戻ろうとしたところで家宰さんに呼び止められた。
「ニャんですか?」
「こちらへ」
言葉通りについて行った。といっても廊下だ。辺りに人影は見えない。
「貴方には明日この屋敷を出ていってもらいたい」
急な話で、驚きすぎて声も出なかった。
「我々を客人として迎え入れたのは貴方の主ですよ。貴方ではありません」
ビアンコが応えてくれた。そうだぞ! もっと言ってやれ!!
「確かにその通りです。ですが、主が意識を失っている今、私にはこの家を保つ責務があります」
「きゅ、急にそんなことを言われても困るニャ。それに伯爵様が目を覚ましたらわからないニャ!」
家宰さんは首を横に振った。
「先程も申し上げましたが、その可能性は低いと思われます。これから当家もどうなるかわからない状態です。どうかお聞き入れください」
言葉は丁寧だが、反論を許さない。この人の中では僕は無価値な存在なのだ。他人にこんな目で見られたのは初めてだった。
そうだ、お姫様に泣きつけば!
「お嬢さんとお話させてくださいニャ」
「王都より、お嬢様の縁談がありまして、その相手が明日・明後日にでもこちらへ参ります。貴方のようなうろんな男をお嬢様の傍に近寄らせるわけにはいかないのです」
……そう言われたら仕方がない。僕はいわゆる仮初の稀人だ。ただ通り過ぎて行くだけの存在。他人の人生に関わる資格はない。
そう思って、諦めようとしたときに猫たちが口を開いた。
「黙ってきいてりゃあつけあがりやがって」
「我らが料理係への暴言、それ以上は見過ごすわけにはいきませんよ」
二匹の目が薄明かりの中でギラリと輝いた。ここは既に二匹の間合いだ。武装していない初老の男性ならカルネが秒とかからずに解体してのけるだろう。
「気持ちは嬉しいけどいいニャ。おとなしく出ていくニャ」
猫たちを上から抱き抱えて持ち上げる。家宰さんも内心はビビってたみたいであからさまにほっとしたようだった。そのまま顔を背けると立ち去った。
「おい、オリー、なんで止めるんだ! あの野郎なめた口利きやがって、バラバラにしてやったのに」
「いいんだニャ。どの道僕らはこの家を出ていくんだから、それがたまたまちょっと早くなっただけニャ」
「貴方がそういうのなら構いませんが……。それでもせめてお嬢様に挨拶くらいはしていくものでしょう」
正直、ここを出たらどうしたらいいのか、さっぱり思いつかなくて不安でいっぱいだった。でも、お父さんが危篤なのにお姫様に負担をかけるわけにもいかない。お姫様が自分の叔父とあまり仲が良いわけではないのはなんとなく感じてた。後ろ盾の伯爵が倒れた以上、二人の全面対決はすぐにでも始まるだろう。それを置いて逃げるように出ていくのかって? 何もできないのに首を突っ込んでどうしようっていうんだ? こんなところで御家騒動に巻き込まれてる場合じゃないだろう。
実際、僕の目的は元の世界に帰ることだ。ここにはいつまでも居られない。ここの人たちにとってみれば、所詮流れ者だ。
裏の庭に出て星を見上げる。最初は見慣れない星空だった。大分慣れてきたと思ったのにもうここともおさらばか。いや、屋敷を出ても空は変わらないんだ。気にするほどのことじゃあない。




