1、世の中は妥協と未練で出来ている。
世の中は、妥協と未練で出来ている。
なーんて、誰の言葉だっただろうか。そうそう、自分の言葉でした。そんな茶番を脳内で繰り広げつつ、手元のグラスを口に近づけ、1口。途端、溢れる甘いアイスココアの味に、私は笑みを浮かべた。
どうしてそんな茶番を繰り広げていたのか?理由は簡単だ。机の上に散らばった珈琲豆。時間は少し前に遡る。
「ふふ~ん、ふふふ~ん、ふっふふ~ん」
今日もポカポカ良い天気。こんな天気はつい鼻歌を歌いたくなる。あっちにも、こっちにも、幸せな陽だまり。開店準備をしながら私はずっと上機嫌だった。
間違いなく、今日は良い日になる。根拠もなくそんな風に思うのはどうしてだろう?人間とは得てして、面白い思考回路をしてるなぁ。って、神みたいな考え方だなぁ。ふふ。
傍から見て気味悪いだろうなというのはわかっていても、お花畑の脳内は止まることを知らない。調子に乗った私は、そういえば倉庫からそろそろ珈琲豆持ってこないと、と軽いスキップで向かったのだった。
そして倉庫から珈琲豆の入った袋を、ひとつ、ふたつ。世界で一番大事なもののように抱きしめて、カウンターへルンルンと向かう。が、途中で私は不意に立ち止まった。
「あ。ココアが飲みたいな。すごく飲みたい。今から準備したら、開店前には飲めちゃうな」
思いついたら即実行。珈琲豆は一旦近くのテーブルに置きっぱなしにして、私はココア作成に勤しんだ。
ココアは世の中で最も私が好む飲み物だ。ミルクを入れて飲むのがこれまた乙で、叶うことなら朝昼晩と飲みたい。ホットもアイスもどちらも大好きで、春夏秋冬愛している。
そんなことを考えているとココアが出来上がったので、私はゆっくりと慎重に近くのテーブルへと持って座る。
今回はホットココア。飲めるようになるまで少し時間がかかるし、この間に珈琲豆の袋を開封しようか。けど、立つのもめんどくなってしまったな。だってこんなに気持ちの良い陽だまりなんだもの。立ち上がる方が難しいでしょう?
仕方なく、ぼんやり珈琲豆の袋を手に取り自分の力で開けようと試みる。私だって普通の平均成人男性の力くらいはあるさ。ならば!
パァンっ!!!
どうして珈琲豆を入れるビンがあるカウンターで開けなかったのか。妥協してテーブルで開けるにしろ、なぜハサミという文明の利器を使わなかったのか。
色々と自分に言いたいことはあるが、何より絶望的だったのは、まだ一口も飲んでいないホットココアにも大量の珈琲豆が入ってしまっていることだ。
なんてホットココアに申し訳ないことをしてしまったのだろう。ごめん、ごめんねホットココア。どうしたらいいのホットココア。もうこのホットココアはホットココアとは呼べない。ホットココアIN珈琲豆だ。それはココアではない。許されない。
私は目の前の珈琲豆をどうこうするよりも、ココアをダメにしてしまったショックの方が大きく。虚ろな目で立ち上がり、アイスココアを作った。そしてこれまた虚ろな目で先程の椅子に座り、机に散らばった珈琲豆を眺めながら、1口啜ったのだ。
冒頭に戻る。
世の中は、妥協と未練で出来ている。
また、後悔も含まれる。よく反省はしても後悔はするな!って聞くけど、今回ばかりは後悔をさせてほしい。何が今日は良い日になる、だ。何が神みたいな考え方だなぁ、だ。私はれっきとした普通の冴えない人間だ。ことごとく残念な人間だ。
だけど、陽だまりの素晴らしさは誰よりも理解できると思うし、ココアの優しさや美味しさへの愛も、誰にだって負けない。
そんなものでいいのだ。人間はいつだって、ちょっとくらい過信して生きるくらいがちょうどいい。
愉しく、生きていこう。
ここはなんでもない幸せを、提供し、共有する店。
お店に来ても大したメニューは期待しないでくださいね。あ、ココアなら愛情持ってお出ししますよ。それと時たま珈琲豆が散らばっていてもそっとしておいてください。すぐにお掃除しますんで。
そして悩みがあるのなら、是が非でも当店へ。もちろん悩みがなくとも当店へ。喜怒哀楽、なんでもない日常にささやかな色を添えましょう。
「いらっしゃいませ、『なんでもない喫茶店』へ!」