高嶺の花 第五章
氷上は倉庫の中に消えてしまい、あとに残されたかな様は、後ろに下女を従え、その、むっつりと刀を抱える男と差し向かいになりました。
どちらから、何を言うでもなく。さりとて、にらみ合いになるような刺々しさもなく。互いに無関心ではないのですが、特に親しく会話を交わすほどの理由もない。そのような不思議な間が空きました。
やがて、一度消えた氷上の、涼やかな顔がふたたび現れ、かな様を丁重に手招きしました。
「お入りくだされ。」
かな様は、いちど奪い取った竹杖をふたたび下女に預け、ここで待つように申し付け、古木のような男の脇を通って中に入りました。男は、いったん半身を横に傾け、かな様の通り良いようにしてから、後に続いて自分も中に入りました。入る前、立ったままの下女を見遣り、刀で脇にころがる古びた道具箱を指して、腰掛けているよう無言で指示したのを、かな様は横目で見ました。
先程は、いかにも稽古中であったと思しき大袴を履いていた氷上は、それを取り、身分ある姫を迎えるにふさわしい装いに着替えておりました。
そして、柔らかく微笑みながら、先ほどの、古木のような男を紹介しました。
「左座宗右衛門と申します。」
男は、あらたまってかな様に一礼しましたが、自分では口を開きませんでした。
その代わり、氷上が話しました。
「この者も、わたくし同様、晴英さま・・・今は義長公ですが、晴英さまに附いて海を渡り来った者でございます。もとは肥後の生まれですが、幼少のみぎりより大友家に寄食し、以後、要人の警衛などに当たっております。口重なれど、弓馬刀槍のすべてに優れ、また、舞もそこそこに巧み。」
舞も、というところで、意外な面持ちでかな様が左座を見ました。
「意外で、ござろう。」
本人の代わりに、氷上が答えました。
「お気づきかどうか、あのときの采女でも、舞台に立っております。連の脇に居た旅僧の役ですが。」
氷上は、悪戯っぽく笑って、左座に目を遣りました。
「急に、欠員が、出申してな。」
ここで、はじめて左座が口を開きました。見た目のとおり、ゆっくりと落ち着いた、低い、喉の奥に重石がしてあるような声です。相変わらず、愛想はありませんが、口を開けば、かな様に警戒心や敵意を持っているわけではないことがわかります。
「ああ。」
左座は、かな様の目線に気づきました。
「これでござるな。ご無礼を。ひとたび舞台を降りれば、警衛こそ拙者の役であるため、刀は常にこうして腕に抱いておるのです。」
笑わずに、言いました。そのあと、刀は腰に提げて、二度と手に触れようとしませんでした。
「それで。」かな様は左座から目を放し、氷上のほうを向いて話を続けました。
「あのとき、そちは采女に扮していたのだな。妾が見たとおり。それに相違ないな。」
氷上は、困ったような顔で左座を見ましたが、やがて、観念したように申しました。
「はい。仰せの通りでございます。面が取れましたからな。すぐと扇で押さえた故、誰にもわかりはせぬと高を括っておりましたが・・・まさか、視て居られたとは。」
「隠し立てせぬとは、殊勝である。申しておくが、妾は、なにか仔細あるならば、そのこと他言したりはせぬ。だが、その仔細は、尋ねたい。そのために、来たのだ。」
ふう、と氷上はため息をつきました。そして、言いました。
「義長公は、あくまでもご自身で舞われると仰せられたのです。しかし。」
「しかし?」かな様が先を促します。
「尋常ならざる噂を耳にしましてな。」
横から、左座が答えました。
「杉伯耆守さまの一党が、能楽のさなか、お屋形様を襲うという風聞です。」
「杉どのが!」かな様は、驚かれました。
背景を、ご説明いたしましょう。
伯耆守とは、杉重輔さまのことで、大内家累代の重臣、杉家跡取りの青年でございます。お父君、杉重矩さまは亡き義隆公股肱の重臣として知られ、かつてまだ義隆公が武将としての覇気に満ち満ちておられた頃は、陶隆房さまと並ぶ大内家の武の双璧であられました。
とうぜん、武断派。陶様とも歩調を合わせられ、例のご謀叛の際は、陶様や内藤様とともにご主君を討つ側に廻ったのですが、そのあとがいけませんでした。内藤様同様、主殺しを恥じ、引き籠って隠棲してしまわれたのですが、もともと陶様と折り合いが悪く、個人的野心から新政権にふたたび背く企てありとして、軍勢をさし向けられ討たれてしまったのです。
されど、本当の理由は、誰にもわかりません。杉重矩様は佞人で、義隆公の生前、陶の企てを密告したことがあるからとも、あるいは謀叛の責任をすべて杉様に被せてしまうための陶様の策謀だとも。さまざまに言われますが、すべての方々が亡くなられた今となっては、もはや真実など、奈辺に在るのか、わたくしはただ、考えれば考えるほど頭が痛くなって参ります。
ともかくも、このとき、陶様に父を討たれた伯耆守様が、その陶様の担ぐ義長公を亡き者にせんと企てているという風聞が流れ、それを知った左座と氷上が、強く注進して公に舞うことを思いとどまらせたのです。
公は、短い挨拶だけには立たれましたが、その脇にも屈強な警衛の武士を侍らせ(そのうちの一人は、左座であったそうです)、長いあいだ御身を晒す能の上演中は、氷上が決死でその身代わりを務めました。そして、役が次々繰り上がることで空いた役に、多少の心得のある左座が旅僧の扮装で入り、舞台上から客席を監視していたという訳でございました。
「采女の回向を穏やかに弔いながら、実は左座らは、穏やかならざる心持ちで、油断なく客人の席に気を配っておった訳でございますよ。」
氷上が、悪戯っぽく笑いました。
「さて、宮庄さま。」
氷上が、かな様に向き直って言いました。
「かな、で良い。かな様と呼べ。」
「承知。宮庄の、かな様。」
「なんじゃ。」
「われら、すべてお教えいたしました。本来であれば、人には申さぬ秘密です。しからば、我らも、かな様にお尋ねしたい。」
「うむ。」
「このことを知って、どうなさる?なにが、お望みじゃ?」
「おぬし等が、ただの能役者や警護の武士でないことくらいは、妾でもわかる。」
かな様が、いきなり、驚くべきことを言われました。
「すべて答えた、などと申しながら、まだなにか隠し立てしておることもな。だいたい、斯様な、ひと目につかない店の裏手で、稽古に見せかけ、こちこちと二人きりで何ぞ談合しておるなど、怪しいことこの上ない。」
かな様は、ここまで言って、凝っと氷上と、左座の顔を見回しました。
左座は表情を変えておりませんが、氷上の顔からは微笑が消えておりました。
「なにか不都合あらば、斬ればよい。」
かな様は、こともなげに言われました。
「妾も、武芸には多少の心得あれど、所詮は女子じゃ。そこなる、左座殿には太刀打ちできまい。じゃが。」
「じゃが?」
氷上が、真剣な面持ちで先を促します。
「じゃが、左座殿は、斬らぬ。なぜかはっきりとせぬが、妾にはわかる。」
無表情な左座の、眉根が動きました。
「先ほど、妾が連れてきた下女に対する気遣いじゃ。」
かな様は言葉を続けました。
「わざわざ、座らせたであろう。これは、お主らの心根が、さほど悪きものではないことの、顕れだ。なので、そち等は、妾を斬らぬ。」
氷上と左座は、互いに顔を見合わせました。これはまた、けったいな姫が訪てきたものじゃ。かな様は、そんな彼らの様子には構わず、言われました。
「そち等が何者で、何をしにきたのか、また何が目的なのか。そのようなことは、どうでもよい。」
「はて。それを問いに来られたのではないのですか?」
氷上が、目を丸くして、聞きます。
「うむ。妾は、そちが、義長公の身代わりとなられていた理由を、ただ知りたかっただけじゃ。これでわかった。わかって、胸のつかえが下りた。なので、もう、それでよい。」
「それで、よいと?」
「二度言わすな。よいと申したら、よい。」
「されど、いま申したことども、周りの者どもには、黙っておいていただけませぬと。巷では、あの舞は、あくまで義長公が舞われたことになっておるのです。今さら替え玉だったと知れるは、これ、いささか不都合が・・・」
「言わぬ。誰にも言わぬ。妾が言わぬと申さば、本当に言わぬ。なので、気に病まぬでよい。」
氷上は、どうにも、割り切れないものを感じておりました。この美しい姫には、本当に、裏表がなさそうです。彼女が、黙る、といえば、本当に黙っておいてくれるでしょう。氷上には、わかっておりました。
しかし、本当に、話をそれだけで終わりにしてしまってよいものか。そのまま、この娘子を帰らせてしまって良いものか。そこで、もう少し、話の接ぎ穂を探して、この姫と語らおうとしました。
しかしもちろん、そうと考えた、もっとも大きな理由は、姫の凛とした、あまりの美しさに心が烈しく揺さぶられていたからでもございます。氷上は、三十路のなかば、妻帯もせず、ただただ十数年、芸事を追求してきた男なのです。いや、彼には、もうひとつ別の貌もございました。そのことについては、あとでお話しますが、とにかく、日ごろ、身の回りに近づく女生は、すべて芸事と、彼の人生にとっては、邪魔なものでしかございませんでした。そのような彼が、いまはじめて、ひとりの女生に芯から心を乱されております。
そのことを感じ、隣で、かすかに左座が眉を顰めました。
氷上は、その左座をだしに使い、こう申しました。
「これなる左座は、肥後隈本の生まれ。まだ幼きみぎりに、大友義鑑公と、菊池義武公との大戦に巻き込まれました。」
いきなり、なんの話か?
さすがのかな様にも、氷上の意図がわかりません。
「義鑑公と義武公は、姓こそ違えど、血を分けた実のご兄弟。これは、それぞれ国をまるごとひとつ巻き込んだ兄弟喧嘩であったのです。まるで、古の観応年間、日の本を真っ二つに割ったとされる、足利高氏公と直義様の諍いのようなもの。」
おそらく、兄弟喧嘩の例を出して、義長公と、その兄すなわち、豊後の大友義鎮公との間柄について、なにか言う肚だな、勘のいいかな様は、そうと当たりをつけられました。
「義鑑公と義武公の兄弟喧嘩は、長期に渡る、熾烈なものになり申した。その諍いは、いまに至るまで断続的に、もう二十年も続いておりまする。」
そう言って、左座を見、気の毒そうにこう言い添えました。
「そして、肥後は戦嵐の野になりました。当時まだ幼子だった左座も、両親眷属をみな亡くし、食う物、着る物とてなく、荒野をさまよい、明日をも知れぬ身でございました。」
そして、かな様のほうへ振り返り、その目をまっすぐ見て、こう申しました。
「かく申す拙者も、もとは武家の生まれ。実は、大内に連なる、さる名族の出でございます。事情ありて海を渡り大友に寄食し、明日をも知れぬ、詫しく貧しい暮らしをしておりました。その、われらをお救いくだされた、とある情け深き大友重臣の方がおられ、左座もこの氷上も、そのおかげでそれぞれ、いっぱしの者になり申した。」
「そうか、それは何よりであったな。それだけ立派になり、主君の危機をも救う機転まで身につけたは、そのご重臣にとっても嬉しきことであろう・・・。で、そちの言いたきことは、何じゃ?」
「すなわち、ここに集いたる三名、それぞれ出自は違えども、みなよく似たり。」
「似たり?」
「はっ。恐れながら宮庄の姫君も、あいや、かな様も、遠く安芸の国より逐われ給うた御身。われら男子二名は、それぞれ寄る辺なき、半端な武士くずれ。それぞれ、元は武家、いまは・・・何と申しましょうか、武家にあって武家にあらず、いわば、武家のようなもの、でございます。」
誇り高きかな様は、これを聞いて、お怒りになられるかと思いきや、ひときわ高く、笑い声を上げられました。
「そちは、面白いことを申すのう。じゃが、言えておる。われら三名、故郷を逐われ、寄る辺なき、いわばうたかたのようなものじゃ。いつ、ぷくっ、と弾けて、消えてしまうかわからぬ。確かに、ようく、似ておるのう。」
「御意。」
「なるほど・・・うたかたじゃ。うたかた同士、仲良うせねばならぬまいて。」
「はっ。」
「案ずるな。そちらのことは誰にも言わぬ。そもそも、言うたとて妾には、なんの利もない。恩義のある内藤の利になるならばとも思うが、その内藤とて、いまは真っ二つに割れ、なにがどちらの利になるのか、まるでわからぬ有様じゃ。」
かな様の言われるとおり、先代が身罷ったばかりの内藤家においても、陶様にひたすら心を寄せるご当主内藤隆世さまら武断派と、かつての文治派に近い、経済利得の保全を第一義と考える一派の内部対立が始まっておりました。人の世とは、つねに、争いごとが尽きぬものなのでございます。
「そうじゃ。その、似た者同士のよしみで、頼みたきことがある。」
かな様は、突然、そう仰せになられました。
「この、妾に、能の舞を教えてはもらえぬかの?そちらの秘密を黙っておることの、いわば、見返りじゃ。」
男二人は、この、次になにを言い出すかまったく予想のつかない姫君の言葉に、またも驚かされた様子でありました。あの無表情な左座の目までもが、今度ばかりは、いささか、丸くなっております。
「どうした?女子が舞を舞うのが妙か?」
きょとんとした顔で、
「采女とは、正真正銘の、女子であろうに?」
あのえも言われぬ、美しき笑顔で、にっこりと、そう仰せになられました。




