表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
高嶺の花  作者: オヤジギャガー
主要登場人物
26/32

高嶺の花 第二十五章

はじめに、おたきの不審な動きに気づいたのは、左座宗右衛門でございました。楼上で敵の本軍に対する今後の対応を話し合っている最中も、視界の左脇、大手門前に累々と横たわる死骸のなかから、誰かが立ち上がり、門脇の松の消火にあたっている兵らに襲いかからないか注意を怠っていなかった彼は、ふと、視界の反対側、すなわち楼上の奥に(たたず)むおたきが、何事か思いつめた表情で前を向いているのを目に止めたのでございます。


頭のかたちが小さく、それと不釣り合いなほど眼の大きな娘で、あどけない瞳がいつもきらきらと輝いておりました。表情は独特で、あまり瞬きをせず、つねに前を見つめるその仕草は、日ごろ、きっと周囲の若い男衆の注目を引いていたに相違ありません。しかし、そのとき左座が気づいたのは、彼女の瞳のなかに宿る、どこか(くら)い光のようなものでした。それは、はっきりと眼に見えるものではございません。ただ、何とはなしに発する、気のようなものでございます。


誰もそれに、気づいておりませんでした。しかし、左座にはそれが、わかりました。なぜなら、その昏い情念は、左座本人が有するものと、同じものであったからでございます。


おたきは、やがて、自らの胸元に眼を落とすと、そこからなにかを取り出し、右手と袖に隠してそれを構えました。そして前を向くと、その眼は、もう、あどけなさの残るあの眼ではございませんでした。ぎらりとした光を放つ、これから得物を仕留めんとする狩人の眼でございました。彼女は、つと走り出しました。




左座が、手にしていた種子島の火蓋を切ってすかさず引鉄(ひきがね)を引いたのと、おたきが市川局の頭上に小刀を振りかぶったのが、ほぼ同時でございました。


轟音が響き、驚いた局が、思わず身を(よじ)って左座のほうを見ました。もとより、狙いをつける(いとま)などはございません。弾丸はどこか、あらぬ方向に飛んで、楼上の鴨居の一角に当たり、そこにささくれ立った(きず)をつけました。すでにおたきの頭上に構えられた小刀は、そのまま振り下ろされ、局の眼前を通過し、そのまま左肩と胸元に当たって、鮮血が噴き出しました。


おたきは、なにか物の怪でも()いたかのような気狂いじみた奇声を上げ、左手で局の左肩をぐいと押しました。狙いを外した小刀を引き抜いて、今度こそ致命的な第二撃を見舞おうとしたのです。しかしそのときには、左座が駆け寄り、種子島の銃尾でおたきの胸元を殴りつけ、彼女はその場に転倒しました。左座は引き続き、堅い樫を削った銃尾を突き出しておたきを打ち据えようとしましたが、彼女は機敏に身を(かわ)して、左座の一撃は(むな)しく楼の床を叩きました。おたきはまた立ち上がり、まだ右手に握っていた小刀を、少し距離の空いた局めがけて投げつけようとしました。しかし、種子島を棄てた左座は、今度は腰に提げた自分の刀を抜きざま、下から斬り上げました。


飛沫(しぶき)が飛び、同時に、女の右腕が宙に舞いました。


そのまま、意志を失った右腕は着物の袖と一緒に床へ落下し、ぼとり、という重々しい音を立てました。一拍遅れて、さらに宙高く飛んだ小刀が落ち、跳ねて転がり、からからと乾いた、高い音を立てました。




このものすごい一連の出来事は、言葉のとおりに瞬く間、そこに居合わせた全員が、おそらく瞬きを一度、したかしないかくらいの間に起こったことなのでございます。


右腕を喪ったおたきは、あまりの衝撃と激痛をこらえかね、ぎいい、という、地獄の鬼が()くような声を上げました。次いで左座が飛び上がり、自分の目方を全部かけた一蹴りを頭に食らわせて、彼女は、気絶しました。周囲から数名の兵が駆け寄り、血に塗れて意識を喪ったその身体を取り押さえました。


「母上!」

元教様が、狂ったように叫びながら母に取り(すが)り、恵心和尚も、そのとき楼上にいたすべての者どもが、一斉に局のほうを見ました。

すこしの間だけ、床に伏した市川局ですが、やがて、右手をついて起き上がり、

「大事ない!」

と大声で周囲に呼ばわりました。しかしすぐそのあと、ごほごほと大きな咳をして、口から血を吐き、また崩折れました。




そのあとの小半刻(こはんとき)ばかり、戦に大勝利を収めたはずの高嶺城の大手門上は、いまだ戦が続いているかのような大騒ぎになっておりました。医師、薬師(くすし)はこの城におらず、多少の医術の心得がある恵心和尚が、日頃の飄々(ひょうひょう)たる温顔はどこへやら、厳しい(かお)で配下の坊主どもを叱りつけては、諸肌脱(もろはだぬ)ぎになって乳房をあらわにしている局を必死に手当しております。囚われたおたきは、腰に縄を掛けられ、脚を縛られ、ただ腕の千切れた部分にだけ血止めの薬が雑に塗られ、そのまま転がされておりました。いずれ、気がつけば厳しく詮議(せんぎ)され、憎むべき卑劣な細作(さいさく)を必ず見舞う運命、すなわち、頸を打たれることとなるでしょう。


左座宗右衛門は、先ほど、局への襲撃を防ぐ大功をたてたばかりですが、一刻たりとも無駄にせず、次は各方向からの総攻めに備えよとばかり、山の上の郭のほうへと向かい、そこでの部署などを手配りしております。各銃列を成していた兵らの半分ほども、いまは配置を離れ、湯を沸かしたり、足りなくなった早合(はやごう)の口を切ったり、今のうちにと用便に走ったり、のちの戦に滑らぬよう血に塗れた楼の床を拭いたりしておりました。


この状態で、眼下遠くに居並ぶ大内輝弘の大軍団が一斉に総攻撃をかけてきたら、高嶺(こうのみね)城の命運も極まっていたことでございましょう。なんといっても、この城を守る者どもの魂、いや、天から遣わされた武神とも言うべき市川局が、負傷して意識を失い、床につっ伏していたからでございます。局に代わるべき守将、元教様も、母が目の前で深傷(ふかで)を負うては、ただおろおろする十四の童に過ぎません。


しかし、激しく転変する戦局は、この城を守る彼らに、それ以上の猶予を与えてはくれませんでした。さきほどから、大手門前広場のかなたに、美々しい旗指物を背にした二人の騎馬武者が姿を現し、楼上の騒ぎをじっと、眺めていたのでございます。




根来衆のうちのひとりが、彼らの存在に気づき、大声で注意を呼びかけました。それと同時に、二騎はゆっくりと前に進みはじめ、あちこちに散らばる死骸を避けながら、城門へと接近して参りました。腕にそれぞれ長さ一間ほどの持鑓(もちやり)を抱き、その背に指す旗指物には、他の兵らと少し違った文様が染め抜かれておりました。上の方は、他と同じ風格のある大内菱なのですが、下のほうは、見慣れぬ縦と横の一文字が交わったような模様になっております。


「切支丹じゃな。」

二騎の接近を眺めていた楼上の誰かが、言いました。その言のとおり、それは切支丹が崇める細長い十字の模様で、これは彼らの教祖が遠き昔、異国の丘の上で磔刑に処された時の杭、すなわち十字架を写し取ったものだと言われております。


二騎の切支丹の武士は、ゆっくりと馬を歩ませ、そのまま、城門から十五間ほどの距離で止まりました。隅から隅まで、優雅な、落ち着いた所作でございました。兜の目庇(まびさし)の影になり、その顔までは見えません。うち一人が、大声で、こう呼ばわりました。

「忠烈なる毛利軍の諸士にご挨拶申し上げる。ここまでの果敢な抗戦、今は敵同士とはいえ、大いに感じ入って御座る。我らは、大内家再興を期し、当地へと戻り来たった者。ついてはお尋ね申したい。当城に、毛利家山口奉行、市川経好殿のお身内はおられるか?」


「居たら、何じゃ?」

すかさず、元教様が、大声を上げて立ち上がりました。

「おのれら、この地を侵さんと攻め来たる邪宗徒どもに、斯様なことをいちいち問われる筋合いはない!」

十四歳の、若き血潮が猛り立つままに、感情をぶつけ、母を傷つけられた怒りをぶつけました。


いきなり立ち上がった若武者のあまりの剣幕に、しばし顔を見合わせていた二騎ですが、やがて、先に呼ばわったほうとは別のほうの武士が顔を上げ、落ち着いた声音で元教様に言いました。

「これは、名乗りもせず、ご無礼致した。拙者、名を大内周防守(すおうのかみ)輝弘と申す。いま、彼方に居並ぶ一軍を預かり、これを率いておる者。大将でござる。傍らに居るは、倅の武弘。なにとぞ、お見知りおき願う。」

「周防守じゃと、なにを抜かす!戯言(ざれごと)を申すな!それに、将みずからが軍使じゃと?敵陣の前まで、種子島の的になるため、のこのこやって来るだと!斯様な阿呆な大将が世に居るものか!笑わせるでないわ!」

元教様は、唾を飛ばして続けざまに悪罵を並べ、楼上から吼え続けました。


しかし、その元教様の肩に、後ろから、そっと手を置くものが居りました。今まで局の手当をしていた恵心和尚が立ち上がり、元教様を押さえ、前へと出たのでございます。




「貴公、真に大内輝弘殿でござるか?」

恵心和尚は、その容貌からは想像もつかぬ大音声で、彼方の騎馬武者に呼ばわりました。


和尚は以前、京に居た折、輝弘の名をすでに聞いておりました。大友家が運動し、将軍家からわざわざその名を賜ったのです。その時は、意図まではわからず、ただそれをそのまま毛利家に報ずるのみであったのですが、今となっては、輝弘なる名の偏諱(へんき)は、なにか今回の策戦に通ずる壮大な遠謀であったような気がしてきたのでございます。


「左様。大内輝弘こそ、我が名。これは先年、京の足利義輝公より賜りし、まこと有難き(いみな)で御座る。その前の名乗りは、大内隆弘。」

一騎が答えました。そして、やや大げさな身振りで周囲を見渡し、こう続けました。

「さらにその前は・・・別の名で、当地にしばし逗留しておったことも有り。久しぶりに戻って参った。ここは、わが生まれ故郷。懐かしき土地で御座る。」


「成る程。大内家のご縁者と。さりとて、いきなり、かかる大軍率いて攻め寄せ来たるは穏やかならず。貴公、なにか毛利家に含むところあっての(きょ)か。」

恵心和尚は大声で詰問しました。

「無論のこと。毛利家は、かつてわが大内家を卑劣にも騙し討ちし、ご当主、義長公を(しい)せし(かたき)なり。大内の縁者として、機会あらばかつてのわが領土を奪回し、失われた名誉を取り戻さんとせし事、武士(もののふ)として当然の事なり!」

「それは、あくまで大友家に言い含められた名分であろう。大友の狙いは、大内復興に非ず。貴公ら大内縁者をただ毛利の腹中に放ち、これを撹乱(かくらん)せんとする試みなるは明々白々。じき、我らが援軍来たりて、貴公らを蹴散らすこと、これ火を見るより明らかなり!」


「はて・・・そうでござろうか?」

輝弘は、余裕をもって和尚の舌鋒(ぜっぽう)(かわ)しました。

「いま毛利の主力は、遠く海を隔てた彼方に()り。元就公、こちら岸の赤間ヶ関におわすとて、その周囲に侍する武士の数、さして多からず。周防長門にはもとよりお味方なし。安芸と伯耆に留守居の勢が僅か、あとはせいぜい、石見の山深きに吉見勢ひとつあるばかり。あとの諸氏は、おそらく日和見を決め込み、大内有利と見るや、こちらへ一斉に馳せ参じて参ろう。はて、斯様な状況で、どこから当地に援軍が来たるものか、御坊の深きお知恵で、どうか拙者にご教示願いたい。」




恵心和尚は、黙りました。たしかに、落ち着き払った輝弘の言には、それなりの(ことわり)がございます。輝弘は、かなたからさらに言葉を継ぎました。

「其処なる若武者の言われるがごとく、一軍の将みずからが敵陣まで馬を寄せるは、たしかに異例のこと。軽挙妄動と(そし)られても文句は申せず。されど、本日、ひとつばかり、如何にしてもお知らせせねばならぬ事あり。」

「はて、それは何で御座ろうな?」

「当地の奉行、市川経好殿のことで御座る。誠にお気の毒ではござるが、遠く博多、立花城近辺の激戦にて、過日お討死遊ばした旨、お伝え申したく。」


虚事(そらごと)じゃ!」

ふたたび、元教様が吼えました。

「数日前より、山口の町じゅうに流れておる、下らぬ噂じゃ。おおかた、そなたらの手の者が、我らを惑わせんと流した虚事に相違なかろうて!」

「虚事では、ござらぬ!かの地にて両軍対峙、激戦多く行われ、双方に死者多数。そのなかに市川殿の頸、たしかに含まれ居たる由。われらこの報を、二日前、豊後出帆の直前に聞いたり。至近の戦場からの早馬なれば、その報の確度、これ極めて高し。早馬が味方に嘘をついて、なんとする?」

「それを、なぜ、わざわざ我らに伝えに参る!そなたには、なんの関係も無い話じゃ!おおかた、我ら市川勢の戦意を削がんがための詐略(さりゃく)であろう!」

「我ら市川勢、とな!貴殿・・・もしや?」

馬上の輝弘の影が、櫓門のほうを指さしつつ、しばらく黙り、そして尋ねました。

「市川経好殿が長子、元教殿でござるか?」


言い当てられた元教様が吃驚(びっくり)し、真横に居る恵心和尚と、眼を見合わせました。

意外な成り行きに、なんと答えてよいのか、元教様には、わかりません。

恵心和尚が、あとを引き取りました。

「如何にも。市川元教様じゃ。これなるは・・・」

あたりの、死骸ばかりの光景を示すかのように両手を拡げ、声を励まし、言いました。

「元教様の下知(げち)のもと我軍一丸となりて戦い、貴軍を打ち倒せし、その痕跡(あと)じゃ!」




二名の騎馬武者はしばらく、その場にとどまり小声で何事かを話し合っていましたが、

「いまひとつ!いまひとつばかり談合したき儀これあり。これより、馬を寄せ申す。どうか、お撃ちあるな。」

こう呼ばわって、大内輝弘ただ一騎のみが、(あぶみ)を踏みしめ、馬の尻を叩いて前へと歩んで参りました。古今の戦例に於いて、敵将ひとり馬を寄せ交戦中の敵城門下まで来るなど、まず聞いたことのない話でございます。城内の誰も、その意図を(いぶか)しみましたが、特に危険はないと思われたため、誰も否とは答えず、輝弘はそのまま静々と馬を近づけて参りました。


城門の間近、ほんの数間先にて馬を停め、目を輝かせて上を見上げました。目庇の陰に隠れていた、大内輝弘のすずやかな笑顔が、櫓門の上に立っている全員の眼に映りました。元教様の周囲で、いくつか、「おお!」という小さな声が上がりました。古く宮庄家に仕え、その後、市川家に移った少数の古株どもには、覚えのある顔だったのでございます。


輝弘は、火のついたような眼で彼を睨みつける元教様の顔を眺め、笑みを溢しました。そして、小声で、ひとりごとのように漏らしました。

「似ておる・・・似ておる。かなに、似ておる。」

元教様は、その一言で、気づきました。はっとした顔で、何事か言おうとしましたが、その言葉を、すんでのところで飲み込みました。

代わりに、輝弘が言いました。

「そうじゃ。元教殿。儂は・・・いや、儂こそが、そなたの父じゃ!」




元教様は、先ほどまでの勢いはどこへやら、何事か言葉を呑み込んで、黙ってしまわれました。なにかを言いたいのですが、言えないのです。


目の前にいる、大内輝弘と名乗る騎馬武者が、もしその昔の氷上太郎であるとするなら、彼は紛れもなく元教様の父親です。そのことは、すでに母から聞かされ承知しております。しかし、表向き、元教様は市川経好の子。周囲にも、そうと周知しております。十年前ならば、事情を知る者もまだ多く残っておりましたが、今では、そのあたりの事情を知っている者はすくなく、先ほど輝弘の顔を見てわずかに声を上げた数名ばかり。しかも忠良かつ口の堅い者どもで、そうした過去の経緯は、いつしか語られなくなっていたのでございます。


元教様は、目の前の男を父親と認めず、自分は市川家の跡取りであると叫ぶべきだと思いました。しかし、そうと叫べば、実の父との薄い絆が、ここで完全に断ち切られてしまうかもしれません。そうまでする気構えは、まだ十四歳の若武者には、出来て居らなかったのでございます。誰にも、それを、責めることなどできぬでございましょう。




氷上は、いや、大内輝弘は、そんな元教様の心中を(おもんぱか)ってか、優しく、次のように言いました。

「わかっておる。わかっておる。いささか混乱するは自然のこと。いきなり、こんな成りで敵将として現れ、誠に相済まぬ。済まぬが、成行(なりゆき)じゃ。赦せよ。ずっと、ずっと、会いたかった。海の向こうから、そのことだけを念じて生きて参った。いまこうして、願いが叶った。こんなに嬉しきことはない。」

輝弘の胸元に、首から提げた十字架が陽の光を浴びて、白銀(しろがね)色に輝きました。


「い、いや。そちは、現在はまだ市川経好殿のお子じゃ。それで良い。これまでの、成行じゃ。しかしよもや、将として城に()もり居るとは!儂は、我が子と相争わねばならぬのか。なんという皮肉じゃ。せっかく、父が会いに戻って参ったに。その我が子が、よりにもよって敵将とはの・・・毛利に、他に人は居らぬのか。」

そのまま絶句し、しばし無言で、ただ馬の歩に合わせて、背の上で揺られておりました。

その様は、まさに子を思う父そのもの。演技や詐略の類ではございません。輝弘の真情は、櫓上にいる全員が等しく感じ取れるものでした。


しばし考え込んでいた輝弘は、隣の和尚のほうを向いて、

「竺雲恵心殿と、お見受けいたす。」

恵心和尚が頷くと、

「御坊の国清寺に、先ほど、立寄って参った。なかに、二名の幼子(おさなご)が保護されておった。身元も承知しておる。あいや!」

櫓上から身を乗り出してなにか叫ぼうとした息子を持鑓(もちやり)で制して、

「幼子ふたりに、決して手は出させぬ。また、寺にも禁制(きんぜい)を出し、兵の出入りは厳禁としておる。山口の町において、決して乱暴狼藉はさせぬよう、昨夜かけて改めて軍規を徹底した。いや、先遣隊に不埒(ふらち)者がおり、民家に押し入り梯子を数本、奪ったそうじゃが、処罰しようにも、その者もはや、この広場のどこかに骸となってしまっておるであろう・・・とにかく、みなみな安心なされよ、山口は、儂にとっても、故郷じゃ。」


「それは重畳(ちょうじょう)。しかし、なぜに伴天連(ばてれん)の貴殿が、我が寺になど参られる?」

恵心和尚が、不思議そうに尋ねました。

「探し(びと)が、おってのう・・・なにはともあれ、先ずひと目だけでも、会いたき(ひと)じゃ。息子とは、会えた。じゃが、まだ、その(ひと)とは、会えて居らぬ。」

「貴殿は、どうしたいのじゃ?」

「ひと目、会いたい。そして、昔の詫び言を申したい。夫君の訃報に、お悔やみを申したい。そして・・・そして出来うることならば、また皆で手を取りて、この山口で平和に暮らして参りたい。それが、望みじゃ。」


「その願い、叶わば、この山口を一切、戦火に巻き込まずに・・・」

「左様。大内勢の大将たるこの儂が・・・異国の神で御坊には相済まぬが、でうすの神に誓って、(これ)以上の戦禍を及ぼさず、戦を停止する。おお!」

輝弘が、櫓上に姿を現した男の姿を見て、声を弾ませました。

「左座!左座ではないか!息災であったか?いや、お主のことだ、決してどこかで朽ちるような男ではないと思っておった!」

輝弘は、歯を見せて嬉しそうに笑い、馬の背を尻で押して少し前に進ませ、旧友との再会を喜びました。

「なんと、なんと佳き日じゃ!昔のなじみに、次々会える。また皆と、笑い合える日が参ったのじゃ。この十二年の我が雌伏、無駄ならず!」


本丸付近から急ぎ駆け下りてきた左座は、まだ肩で息をしております。しかし、少し声を枯らしながらも、やっとのこと、こう言いました。

「まさか・・・邪宗の徒となっておるとは。しかし、あのときの約を(たが)えず、戻って参ったのだな。」

「お主に託した、あのときの約定、しかと守って、戻って参ったぞ!いささか、時は要したがのう。また斯様な・・・なんとも奇妙な状況では、あるがのう。しかし、儂の心は、あのときのままじゃ。何処じゃ?かなは、今どこに居る?」


左座は、困ったような顔をして、和尚のほうを見ました。和尚も、すこしばかり眉を潜め、元教様を見ました。元教様は、しばし迷って、いちど父のほうを見遣り、それから、思い切って背後を振り返りました。




そこには、既に、呼ばれた本人がすっくと立ち上がっておりました。先ほどまで、なかば意識を失いながら、諸肌脱ぎになって手当を受けていた筈なのですが。いつのまにか、前を合わせ、乱れていた髪にはきちんと櫛が入って左右に下ろされ、白鉢巻をした凛とした姿で、母が立っておりました。


薙刀を手に、いや、おそらくはそれを支えに、櫓の床を踏みしめ、立っておりました。


大内輝弘、かつての氷上太郎は、長年、想い焦がれていたその姿を、いまやっと眼にしました。時が経ち、あの輝くような美しさはやや影を潜めておりました。傷つき、血の(にじ)む衣のうえに載るその(かお)は、痛々しさを感じさせました。口を真一文字に結び、(きっ)とわがほうを(にら)むその眼は、かつてこの鴻ノ峰で自分を見つめたあの(とろ)けるような瞳とは違い、烈々とした、あの宮庄の聞かん気の姫だけが持つ眼でございました。


しかし、そのようなことは、今はどうでも良いことであります。


宮庄の、かな姫。そして氷上太郎は、十二年の時を経て、ここ鴻ノ峰にて、再会を果たしたのです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ