表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
高嶺の花  作者: オヤジギャガー
主要登場人物
22/32

高嶺の花 第二十一章

未完成の高嶺城に入った市川局ら一行は、早速に荷を解き、数少ない武具兵糧を大手門上に担ぎ上げてから、さらに手配りして城内の防衛施設を点検させました。山県の手の者が、素早く山上に駆け上がって行きます。就藤は、率いてきた内藤衆を指揮して、大手門脇の櫓台に、持参してきた盾を据え付け、あたりの木材を結わえて垣を組み、臨時の阻塞とすべく作事を始めました。


皆々、左座が特に口を酸っぱくして、家内にある農具などの金物を忘れぬよう言っていたことの意味を思い知りました。到着するなり、左座は伴ってきた下人や使用人どもに、(なた)匕首(あいくち)を持って山に散り、あちこちに植わっている矢竹(やたけ)を刈るように指示したのです。


矢竹は、もともと鴻ノ峰に多く植わっていたものではございません。しかし、十数年の昔、大内義長公がここを城砦化しようとなさったときに、長期の籠城戦に備えて山の一部に苗ごと植栽されておりました。それらが今、地下で縦横に茎を伸ばし、あちこちに繁茂し、山肌をびっしりと覆っております。これらは、切り出して先を尖らせると、ちょうど良い塩梅で即製の矢となるのです。


使用人どもには、戦の心得などございません。しかし、竹を刈り取ることや、先を削って尖らすような作業ならお手の物でございます。来るべき戦の役に立つ、自分たちの果たすべき役割を与えられ、彼らは勇躍、あちこちの山肌や谷へと散っていきました。


当の左座は、恵心和尚の引き連れてきた根来衆ら鉄砲(うち)たちと、大手門から種子島を放つ際の射界や角度について、なにごとか打ち合わせを始めました。各勢がそれぞれ持ち寄った、つごう十丁ほどの種子島を櫓門上に集め、試しに構えて狙ってみては、どのように打ち手を配するのが良いか、真剣な面持ちで話し合っております。


市川局は、あの話に、我が子が加われれば良いのに、と思いました。実戦をまじかに控えた、達人同士の真剣な会話。元教様の武将としての経験を深めるため、またとない機会となるでありましょう。しかし、今そんな余裕はございません。元教様は、いわばこの母の代理として、全体を差配し、的確な指示を与えてこの急ぎの籠城準備を滞りなく進める役割を果たしております。まだ十四歳とは思えぬほどの落ち着きでした。局は、とりあえずそのことに満足しました。


この子は、万が一、この戦に生き残れれば、大した大将になれる。一軍を率い、勝って、必ず還ってくることのできる、良き武将となれる。局は、あらためて、絶望的な戦況にも関わらず徹底的に抗戦してやろうと思いました。この子の未来のためにも。麓の寺院の奥で震える、二人の幼子のためにも、そして、遠く九州の山野で戦う、夫のためにも。




かつて、この大手門の数丁先のお堂のなかで睦み合い、愛し合った男は、今は敵でありました。われら家族の幸せを奪い、子供たちから未来を奪う、忌むべき敵でございます。


今さら、なにをしに参った?妾をさらいに来たか?それとも、またあの甘やかな笑みと舞と言辞とを弄して(わらわ)を騙し、豊後へ連れ帰ろうとしに来たか?その手には乗らぬぞ。妾には、この国に守るべき家と、愛する家族を持っておる。いや、おそらくは、多勢をたのんでこの国ごと妾を(とりこ)にし、我がものにせんと図っておるのであろう。成るものか、斯様な企てが、奏功するものか!この城には、左座がおる。恵心もおる。我が子も居る。そして、今や、昔の気の張りを取り戻した、妾がおる。


氷上(ひかみ)太郎よ、おぬしは、来るときと、ところを間違えたぞ!


市川局は、この櫓門の上から、眼下に向けてそう叫びたい衝動にかられました。大手門前の広場には、わが手の者らが忙しく立ち働き、あちこちに荷が開かれ資材などが積まれているだけで、いまだ敵の姿はございません。それでも、局は、気が昂ぶり、一刻も早く氷上と見え、このように啖呵を切りたいと思ったのです。


局は、わが胸のうちに、燃え(さか)る熱情を感じました。かつて月の下で、優雅にたおやかに舞う氷上の姿に感じたものと、おそらくは同じ質のものであります。しかし、いま、かつての「聞かん気の姫」の内なる熱は、ただ烈々たる戦意と化して、かつて愛した男の胸元に向けた恐るべき鋭鋒(きっさき)となって、その着到を待ち受けていたのでございます。




そうこうしているうちも、城門を目指し、ぱら、ぱら、ぱらと加勢の者らが駆けつけて参りました。また、頻繁に海岸とのあいだを往復している物見どもが、馬の尻を叩き続けて走り抜け、大軍の様子を伝えました。そのうちの一人が、秋穂浦を見下ろす高台の上から、正確に敵船の形状と数を数えており、左座は、そこから敵の兵力を、正確に一千名と割り出しました。根来の衆らも同じ意見でございます。もちろん海岸でこの軍勢に合流した地元の大内残党らも加わっていることから、現在は、おそるべき大軍に膨れ上がっていることが想像できました。


左座ら実戦経験を持つ者らは、山上から駆け戻ってきた山県の手の者らの報告と、現状の飛び道具の数(弓三十張、鉄砲十一丁)を検討し、次のような戦術を、市川局と元教に建言しました。


まるで階段のように連なる郭段(くるわだん)を、ひとつひとつ守り、寄せてくる敵に損害を与えつつ、徐々に退がっていく戦法です。この場合、「退がる」とは、山の上に高度を取って、上がっていくことを指します。高嶺城は、さいわい、深い山懐を(かね)に抱え込むようにして長大な稜線が折れ曲がる地形の上に築かれております。一段あたり、二刻(ふたとき)でも保たせることができれば、頂上の本丸までなんとか二日は時が稼げそうでございます。しかも、斜面が真横に屈曲する本丸の直下は最大の撃ち所で、ここに寄せた敵勢は真上の段から見下されるばかりでなく、側方からの横矢にも晒されることになります。


ここで、どれだけの敵勢を討ち取れるか。どれほど、敵勢の戦意を削り取ることができるか。これにより、敵軍による攻めの勢いが変わって参ります。仮に敵勢が寄せ集めの烏合の衆で、戦技に甚だしく劣る場合、(おびただ)しい死傷者を見て攻めを中止し、麓にて対陣する道を択ぶことも、決してあり得ないことではございません。しかし、いずれにせよこの頃までには、味方の小勢の過半は討死している筈。数と装備が違いすぎ、圧倒的に劣勢であることは、変わりません。


「まあ、おそらくは無駄でござろう。しかし、僅かでも時を稼ぐとしたら、この策のみ。」

左座が、口の端をゆがめ、苦笑しながら局に言いました。周囲の根来衆も、その言葉に頷き、同意を示しています。彼らのような、戦闘に熟達した手練の者達にも、現下の情勢はかくも絶望的なものであったのです。


「そちが申すなら、その策で構わぬ。それで参ろう。良いな、元教殿。」

局は、はっきりと答え、息子のほうを見ました。元教は母を見て、黙って頷きました。




秋穂浦に上陸した大内輝弘は、この地で十年以上、彼の到来を待ちわびていた旧大内氏家臣どもの応接に追われておりました。以前から豊後より多くの間諜どもが潜入し、周辺の村落を焚きつけて廻っておりましたが、手ごたえは予想以上で、なんと、この日の昼までに、五千名を越える一揆衆がほうぼうからこの浜辺を目指し集って来たのです。


毛利家による占領以来、奉行・市川経好の差配のもと、山口の町は、またかつてのような繁栄を取り戻しているかに見えました。現実に、富み栄え、我が世の春を謳歌している者どもは、数多くおりました。しかし、その陰で、その恩沢に浴することができず、苦しい暮らし向きのもとでひたすら毛利への怨念を抱き続けた者らも居たのです。彼らにとって、大内菱を輝かしく打ち振っての輝弘勢の上陸は、長年の圧政からの解放であり、栄光に満ちた未来の始まりに他なりませんでした。


彼らは、隠し持っていた武具を手に取り、一家一村うち揃ってここ秋穂浦にやって参ります。輝弘としては、まずは何よりも、この地から徒歩で半日ほどの山口を攻落しなければなりません。さりとて、こうした現地の大内家旧臣を無下にするわけにも行かず、人の良さを捨てきれない輝弘は、初動の貴重な数刻を、ただ無駄にしてしまいました。


しかし、あちこちに散った物見どもが、状況を逐一知らせて参りました。もっとも距離の近い峠道は、井上就貞の一隊によって封鎖されておりました。また、蛮勇はなはだしき者どもは、そのまま山口の街路にまで駈け入り、その様子を注進して参りました。山口市街の備えは脆く、守備兵力は僅少。わずかな数の迎撃隊が編成されこちらに寄せて参りますが、あまりにも小勢のため、物見は彼らを悠々と迂回し、帰りにはまたそれらを追い越して戻って参ったのでございます。


「奉行の屋敷は?市川経好の邸宅の様子はどうじゃ?」

輝弘は物見どもに尋ねました。みな、屋敷に人影なく、家人どもは逃げ散った模様と口々に言いましたが、ひとりだけ、得意満面で血の付いた包みを掲げ、市川邸の門番を討ち取った経緯を語った者がおりました。


この門番の老人は、ひとり端然と門の前に(たたず)み、この物見の者を出迎えました。

「ご加勢ならば、高嶺のお城に参られよ。敵勢ならば、さっさと、豊後へと戻れ。」

こう言うと、静かに、腰へ提げていた錆刀(さびがたな)を抜いたそうにございます。さりとて腕も刀もなまくら、哀れ、勇敢な老人は物見にあえなく討ち取られてしまったのでございます。


物見は、本日の初手柄とばかりに包みを開き、中で半眼(はんがん)を向いた老門番の首を見せつけました。輝弘がかつて氷上太郎として内藤家の門前になんども立ったとき、同情して、なんとかかな姫に話を取り次いでくれようとした親切な老人で、輝弘はその顔をよく覚えておりました。老人は、そのあと、市川家に引き取られてずっと市川局に仕え続けていたのでございます。輝弘は、喜色満面の物見を睨むと、褒賞を期待する彼の気持ちを無視し、言いました。


「では、市川家の者らは、高嶺に退がったと申すのだな?」

「はい、左様でございます。市内に兵は、一人として見当たりませぬ。今寄せれば、やすやすと町を手に入れることできまする。」

「わかった。大儀であった。斯様な下郎(げろう)の首など、まだ手柄のうちには入らぬ。高嶺の城に寄せるとき、より手強き相手の頸を()って我が眼前に据えよ。」

物見は、恐懼(きょうく)して包みをもとに戻し、後ろに下がりました。


輝弘はそのまま、腕組みをして考えこんでしまいました。これは、彼が想像していた成り行きと、ずいぶんと違っております。豊後を出る前の計画では、上陸後、すぐさま一隊を率いて山口に向け進発し、昼過ぎにはこれを無血で()とす積りでありました。そしてなるべく速やかに山口奉行らの一族を捕らえ、邸宅の屋根に堂々と大内菱の旗と馬印を立てるつもりでありました。そして、夫の居ない市川局を我が息子とともに保護し、これまでの経緯(いきさつ)を語って誤解を解き、ふたたびよりを戻して、山口全域を我がものとするのです。


大内家の遺児が、海を越えて舞い戻り、かつての大内帝国の首府を陥とした。この報は自然と、物凄い勢いで各地に飛び、さらなる味方が、周防、長門じゅうからきっと続々参集して参ります。それらを糾合し、万を越える大軍に編成して西へ進み、赤間が関にへばりつく老毛利元就を討ち取り、海峡をそのまま封鎖してしまえば、毛利家は、憎き首魁(しゅかい)ごとこの世から消えてなくなってしまうのでございます。輝弘は、今は亡き主君の大内義長公を敬い、その人格を敬愛しておりました。主君の仇である毛利一族を討ち、愛する女をその一家の(くびき)から解き放ち、我が胸に取り戻すことは、長年、豊後でひとり、夢に見続けてきたことであったのです。


しかしいま、あちこちからあまりに多く(つど)ってくる味方の小勢力への応接に追われ、すぐと決行するはずであった山口市街への突入が、なかなか果たせませぬ。そうこうしているうちに市川局の一行を取り逃がし、彼女らが、あの、輝弘もよく知る鴻ノ峰へと退がって行ってしまいました。高嶺城が、いまだ完成しておらぬ裸城(はだかじろ)であることは、輝弘もよく知っております。しかし同時に、あの城に籠られ、山の峻嶮さをたのんだ抗戦をされると、少々やっかいです。


わずか数日のことであっても、時間がかかればかかるほど、輝弘の賭けが成功する目は、減って行ってしまうのでございます。上陸の報とともに、市川一族が町をあげて降参してくると期待していた輝弘の希望は、まずは、打ち砕かれてしまうことになりました。




輝弘は、しばし沈思し、やがて次善の策を取ることを決断しました。ずなわち、前方の進路を塞ぐ小勢を、まず配下の数将に命じ排除させる。本日の山口突入は諦め、その合間を、予想以上に膨れ上がった味方の大軍を編成し直すことに充てる。明日、日の出とともにこれらを整列させ、秩序正しく隊伍を組んで進軍させ、山口の住民と、鴻ノ峰の高台に陣取った敵軍とに、大軍の威容を見せつける。そのうえで軍使を派し、降伏を促す。さすれば、予定とは僅か一日だけの違いで、目的を達することができるのです。そして、輝弘にとってもっとも大切なもの、すなわち、市川局と市川元教の身柄が、無傷のまま、手に入るのでございます。


輝弘は、傍らに立つ息子、武弘に微笑みかけました。大丈夫、きっとうまくいく。明日になれば、山口が我が手に入り、かなとの、そしてもう一人の息子との対面が叶う。そして、すべての誤解や(わだかま)りを解き、ともに手を携えて周防と長門を()べて参るのだ。大丈夫。明日が来れば・・・。




高嶺城に籠もる兵と、兵以外の者どもの数は徐々に増えてゆき、今では百名を越えておりました。さりとて、この巨城の縄張に隈なく配すには、到底足りない人数です。左座は、先ほどの策に従い、後方の守備をすべて捨てることにしました。すなわち、もっとも堅牢に作られた大手門で全員がまず徹底的に抗戦し、破られそうな頃合いで次の(くるわ)に退がり、相互に支援しながらまたその次と、戦況にしたがい、徐々に味方の全員が稜線を上がって参るのです。


物見の報では、輝弘の本軍は動かず、そのかわり、峠と川沿いで町への入り口を塞ぐ味方に、大内軍の前衛諸隊が襲いかかりました。味方は、時を稼ぐと言い遺して出張って行った井上勢と信常勢です。両勢果敢に奮闘するところまでは物見に視認されておりましたが、その後の消息は(よう)として知れません。おそらくは、衆寡敵(しゅうかてき)せず壊滅したものと思われました。


市川局は、この勇敢な両隊へ心の中で手を合わせました。彼らが身を挺して稼いでくれた間を利用して、ないない尽くしの自分たちが、なんとか明日、大軍を迎え撃つだけの準備を整えることができたのです。もちろん、勝利の見込みは、ほぼありません。いかに死ぬか、いかに時を稼ぐか、ただそれだけのことなのですが、ともかくも自分たちは、

前を向き、敵と刺し違えて死ぬことができるのです。




櫓門の上で、局が眼をつむり、しばし勇敢な味方勢の運命について思いを巡らせているとき、とつじょ前方から大きな叫び声が上がりました。


「市街に動きあり!大軍、列をなしてこちらへ向け寄せて来たり!」

皆々、びくっとして作業の手が止まりました。敵軍主力は、今日は波打際から動かぬはず。あと一夜だけは、命が繋げるはず・・・さきの物見の報は城内に隈なく伝わり、誰もが、そう信じた矢先であったからでございます。


左座が、高みにある別の郭のほうから、転がるように駆け下りてくるのが見えました。数名の根来衆が、門前より山裾へ向け走り、先の声を上げた見張りの者のもとへ行こうとしております。局の傍らでは、大鍋で粥を煮て炊き出しを行っていたおたきが、不安そうな面持ちでかなたを見遣っております。


しかし、わずかな後、それが誤報であったことがわかり、皆、胸をなでおろしました。麓から高嶺城に近接してきたのは、味方の隊列だったのです。それは、(おびただ)しい数の車列からなる荷駄(にだ)隊でありました。各車の上には、見慣れない黒い長持(ながもち)(ひつ)が山と積まれております。一見して、それがなにかの武具であろうということは、局にも推察がつきました。


列の先頭に騎乗し、隊列を率いてきた男は、馬を降り、門前にやってきて、笑顔で局を見上げました。

「あ、あやつ・・・」

局の背後に居た市川元教が、苦々しげに吐き捨てるのが聞こえました。

男は、あの林泉軒。山内元興でありました。彼は、局に大声でこう言上しました。

「毛利家、市川家ご籠城のお役に立ちたく、ここに種子島(たねがしま)四百八十七丁と玉薬(たまぐすり)、献上つかまつる!」


呆気にとられた局は、眼下に立った元興にすぐとかける言葉も思いつきません。代わりに、恵心和尚が問いました。

「林泉軒。いかなる風の吹き回しじゃ?鉄砲を五百などと。なにか()れておるのか?」

「真面目も真面目。大まじめで御座います。われら、日ごろ山口で、市川様のご高誼に

預かり、大いに儲けさせていただいておる者。その市川様の危機とあっては、黙って看過することできませぬ。拙者もはや武士ではござらぬが、この程度は、役に立たせてくだされ!」


そう言うと元興は、率いてきた手下に合図し、ひとつの長持の蓋を外し、中身を見せました。紛れもない、本物の黒光りした種子島が五丁重ねてあります。その長持が、その車だけに六つ積まれており、あとに続く夥しい数の車列からして、五百という林泉軒の言葉は、どうやら、本当のことらしいように思えました。


門下に居た根来(ねごろ)の者が、長持とともに積まれていた櫃に手をかけ、その蓋を取りました。中には、いくつもの小箱が積み重ねてありました。根来者は、うちひとつを手に取り、中身を確かめると、やにわに目を輝かせ、櫓上の左座と、仲間たちを見上げてこう叫んだのです。

「これは・・・早合(はやごう)じゃ!早合でござる!」


「なに!」

門上に居た左座らは、一斉に、驚きの声を上げました。局と元教には、その意味がわかりません。恵心和尚も、きょとんとした顔をしておりました。左座は直接、元興に問い質しました。

「早合か?みな、早合にしてあるのか?何発ある?」

問いただすというより、半分、怒鳴りながら尋ねたといったほうが正しいでしょう。

元興は、得意満面でこう答えました。

「種子島一丁につき、玉薬は約三百。みなみな、早合にしてござる。我ら手の者、先ほどまで総出で作業して早合を巻き、なんとか間に合わせ申した。あと若干、早合にはできておらぬ玉や火薬もございますれば、これをも併せて、献上つかまつる!」


「どういうことじゃ?早合とは、一体なにか?」

状況がわからず、焦れて、局が左座に声をかけました。

左座は、珍しく歯を見せて笑い、傍らに居た根来者と肩を叩きあい、局のほうを振り返って、こう言ったのです。

「かな様。いや、局。これで・・・これで、もしかするとこの戦に勝てるかもしれぬ目が、出て来申した。」

「なに?」


「いや、先ほどまで申しておった策は、いずれも当方壊滅必至の、いわば、よりよく死ぬための策でござった。しかしこれは・・・これは全く違う。五百の銃に、それぞれ三百もの早合あらば、たとえ敵軍が万ありとても、これに打ち克つことでき申そう・・・かな様。」


左座は、明らかに興奮しております。またも、局を間違えて昔の呼び名で呼びました。

「かな様!この早合なるは、ただの種子島の威力を、倍にも三倍にもする仕掛けでござる。これを上手く使わば、我らの力は恐ろしく強くなり申す。勝てるかも知れぬ。まさかとは思うが、本当に、勝てるかも知れぬ・・・。」

興奮のあまり、左座はここでひとつ息を継ぎました。




局の傍らで、まだ憎々しげな表情の元教様が、はっと気づいて、言いました。

「母上。わかり申した。これら種子島は、噂になっていた林泉軒の、抜荷(ぬけに)でございます。おそらくは、豊後に送ろうと岸辺の近くのどこかに隠しおったもの。この騒ぎで積み出せぬと観念し、おそらくは我らに恩を着せ、後日、多額の代金をせしめんが為に献じたものでござる。騙されてはなりませぬ!あの男、この場にて斬り捨てるがよろしかろう!」


「若、ご明察。左座も同じ見立てでござる。おそらくは、これは抜荷。」

左座が、櫓下から届いた種子島を手に取り、ためつすがめつしながら言いました。

「しかしながら、林泉軒を斬るは早計。彼奴の忠心は、おそらくこんどばかりは本物。」

「なぜじゃ、なぜそうとわかる!」

元教様は、左座に食ってかかります。


左座は落ち着き払って、こう答えました。

「この種子島、どこもかしこも第一級の品。豊後に売らずとも、戦の終わりし後、この地にて大内勢へ売らばそれなりの値になり申す。拙者が林泉軒ならば、必ずそう致す。あの利に敏い男が、斯様な商機を逃すはずがござらぬ。それをわざわざこちらへ献ずる・・・これまでの抜荷の罪を不問とさえすれば、それで、よう御座る。」


元教様は、黙りました。たしかに、いまここで林泉軒を斬り、その献じた武具を回収して使い勝利しても、戦後の市川家、毛利家の評判は地に落ちてしまうことでありましょう。逆に、ただ抜荷の件を不問にするだけで、この絶望的な戦に、堂々とした逆転の見込みが出て来るのでございます。


「もしこの戦に勝ち、敵軍を追い返したならば、勲功一等は、明らかにあの男ですぞ!」

左座は、こう言って、眼下を指さしました。




市川局は、つと前に進み、櫓門のへりから元興を見遣り、笑顔を作って尋ねました。

「林泉軒殿。かかる夥しき武具を、献上くださるとな?まこと有難きことなれど、これらはそもそも・・・。」

「その儀は、なにとぞご容赦を。こののちも、その段どうかご詮議無用に願いとう存ずる。献上にあたり、拙者が求めたき、いわばそれが唯一の代価でござる。」

元興は、そう答えました。


「なる程・・・承知した。それ以外の代価は、要らぬというのじゃな?」

「左様。要り申さず。われら日頃から貴家の恩沢に浴し、すでにこれまで、対価の分だけ御恩を頂戴しておりまする!」

「それでは・・・有り難く受取り申そう。我らが勝ち、生き残ったならば、貴殿の忠義、必ずや市川経好殿に伝えようぞ。」

「有難き幸せ。かな様とは、かつて庭を(ほうき)で追いかけ廻されて以来の長き御縁。その折、我が父内藤興盛は、かな様を指して、千軍万馬の名将にもなり得る姫と称しました。かな様ならば、この戦、もしかすれば勝てるかも知れぬ。拙者はそう思い、斯様なやり方ではございますが、お味方申した次第。必ず、勝って下され。」


「承知した。勝つ。」

かな様、いや、市川局は、力強くそう言いました。




そして、少しだけ茶目っ気を出して、こう元興に尋ねました。

「必ず勝つが故、そちもこちらに上がり、共に戦わぬか?(わらわ)はしょせん女子(おなご)。箒を持ち、男衆の尻を叩いて廻るくらいのことしかできぬ。内藤家正統の血筋を引く御曹司が、ともに籠城くだされば、これに過ぎる馳走(ちそう)はないのじゃがのう?」


「それだけは・・・それだけは、平にご容赦を!」

元興は大笑いしながらそう言うと、一礼し、馬に鞭を呉れて、一目散に逃げて行ってしまいました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ