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高嶺の花  作者: オヤジギャガー
主要登場人物
18/32

高嶺の花 第十七章

永禄九年末、遂に宿敵尼子を降した毛利氏は、山陰、山陽をすべて手に入れ、日の本最大の版図を持つ大々名へとのし上がりました。思えば、安芸の山間のうすら寒い盆地で、尼子と大内の二大勢力に挟まれ、まるで栗鼠(りす)が首をすくめて巣穴に籠もるがごとく年中びくびくとしていたのがほんの二十年ほど前のこと。そのうち、自家と同格の小豪族どもを悪辣な手段で次々と併呑、使える手はなんでも使って敵をひねり潰し、ここまでの大身になったのでございます。


そして元就公もそろそろ七十歳。想像を絶する労苦を重ねた前半生と、勝利と栄光とに満ちた後半生と。老境にある彼は、いままさに人生の絶頂に立っておるといってよいでありましょう。しかし、そんな元就公の胸中は、ただ、からっぽでした。理由はもちろん、聡明で人格優れた長子、隆元公を喪ってしまったことでございます。


毛利氏後継の体制は万全であり、まずそこにはなんの懸念もございません。輝元公はまだ幼少でしたが、隆元公以上に勇敢で優秀な吉川元春殿、小早川隆景殿がこれをお支えしております。福原貞俊、宍戸隆家、口羽通良(くちばみちよし)といった有能な宿老たちもうち揃い、また山口には奉行として市川経好が在り、日々しっかりと治績を挙げ、国を富ませておりました。


しかし、それでもなお、日々(うつ)ろな元就公の胸中は、晴れませんでした。もともとなにかにつけ内向きで、親しい人にもお心のうちをなかなか明かさぬご性格です。しかし、隆元公を喪った影響がことのほか大きいことは誰の眼にも明らかで、国主が斯様な鬱々(うつうつ)を抱える毛利帝国は、まるでいつまでも喪が明けぬかのように黄昏れた空気に覆われておりました。




生涯を戦に明け暮れた老雄が、心の傷を癒やす、いや、しばしその心の傷から目を背け、痛みを忘れるためにやれる、唯一の気散じ。


それはただ、次なる戦です。

新たなる征旅(せいりょ)です。


今にして思うと、毛利氏は、ただ中国を制したことで満足すべきでした。この時点で内をしっかりと固め、人心をひとつにし、東に勃興しつつあった巨大な新たなる敵に備えるべきでありました。しかし、このとき、元就公の心はただただ虚ろなままであり、その暗い大きな穴はひたすら、新たなる流血と、次の戦とを渇望していたのです。




九州にて、(にわか)に動きが(おこ)って参りました。毛利軍が門司城を拠点に北辺を抑えている筑前国で、いったんは大友氏に従うふりをしていた土豪や国人領主たちが、不穏な動向を示すようになってきたのです。彼らは、筑前にあらたな領主を迎えることを望みました。大友氏古来の掟とは違い、彼らを抑えつけず、彼らから富を奪わない、新たな秩序が打ち立てられることを望みました。


どこまでが自然に発したもので、どこからが毛利の調略だったのかは、よくわかりません。おそらく、すべてにおいて、その両方の面があったのでございましょう。


しかしともかくも、毛利氏が東方の敵を消滅させ、その大軍を自由にどこへでも投入できる余裕を得たことが、筑前にいた多くの人々の見果てぬ夢を、さらに煽りたてる結果となったことだけは、確かでございます。そして、そうした動きは、たまたま、毛利帝国の実質的な主である老元就公が抱えるうつろな心を、しばしのあいだ埋め合わせることのできる、いわば、薬師(くすし)の処方のようなものだったのでございます。




やがて、筑前、豊前北部、筑後の一部などで、相次いで叛乱の火の手が上がりました。まず口火を切ったのは、峻険な古処山(こしょさん)()る秋月種実(たねざね)殿。彼はかつて、同じこの城を攻め立てられ、豊後の名将、戸次鑑連(べっきあきつら)殿に父親を殺された過去がございます。今回、種実殿はこの怨敵の率いる敵軍を巧みな策にて迎え撃ち、したたかに叩いて敗走させる腕の冴えを見せました。


この動きに呼応したのが、大友宗麟公子飼いの忠臣と言われていた高橋鑑種(あきたね)殿です。歴戦の忠将で、その彼が毛利方に(なび)いて謀叛を起こしたことは、宗麟公の脆弱な心にあらたな動揺を与えました。これは、噂ではございますが、宗麟公が高橋一族の女の(みさお)を強引に奪ったことがきっかけだとのこと。真偽の程は明らかではございませんが、いかにも、宗麟公ならば有りそうなことではございます。


さらに翌年には、博多を護る要衝・立花山にて、守将の立花鑑載(あきとし)殿が、この巨大な山塞ごとまるまる叛乱を起こし、毛利方に靡いてしまったのです。これは、大友氏にとり、まさにおそるべき事態と申すべきでありました。門司周辺に上陸した毛利軍の西進を食い止めるべく強化されていた巨城で、これが寝返ったということは、博多までの進路がすべて無抵抗に開いてしまったことを意味するのです。




北九州の全体が、まるで火にかけた鍋のように熱くたぎり立ち、ぐらぐらと揺れて、沸騰しておりました。


その叛乱者たちが等しく望む、唯一のこと。それは、一刻も早い毛利全軍の上陸と、博多への堂々たる進撃です。これにより大友帝国の威信と軍事力は粉砕され、あの優柔不断かつ情緒の不安定な大友宗麟公は、青くなって降参してしまうでありましょう。さすれば、彼ら叛乱者たちは、毛利より手厚く遇され、故郷の山野に新たなる給地を与えられ、海外と畿内とをつなぐ一大経済圏への参画を果たすことができるのです。


皆が、毛利の到来を待ち望みました。そして、そうした九州諸侯の招きに応じ、遂に巨大な毛利軍が動き始めることとなりました。


西の果てに、俄に興った戦雲。それが、ただひとりの老人の淋しき心に巣食ってしまった、寄る()のない虚しさに発するものであることを知る者は、誰もございませんでした。




山陰、山陽の各地に陣触れが飛び、諸侯は軍を整えて進軍し、まずはいったん山口を目指しました。そこに集結し、必要な兵備や糧秣(りょうまつ)を整えてから、赤間ヶ関へと進み、あらかじめ待ち受けた船団に整然と乗り込んで、一気に幅の狭い海峡を押し渡るのです。


山口は、降って湧いたような好景気に沸き立ちました。毛利領内から陸続と到着する軍勢。その宿泊や給食や武具矢玉の調達などで、多額の商機が産まれました。戦地へと渡る船の調達、兵どもが喰らう酒、そして酔った兵どもにたかり、春を(ひさ)ぐ女たち。逞しい商人(あきんど)たちは、ここぞとばかり、蔵の中に仕舞っていたありとあらゆる商品を放出し、町の辻毎に多数の市が立つありさま。


奉行の市川経好の尽力により、ここのところずっと繁栄を続けていた山口ですが、この時のぎらぎらとした活況ぶりは、もう、殷賑を極めるなどといった言葉で言い尽くせるものではございませぬ。戦は、その背後の策源地に、潤沢な儲けをもたらすのです。誰かが死に、傷つけば、別の誰かがそれで儲けて潤うのです。このとき、山口は、ただひたすら潤う側でございました。




もと内藤一族出身の山内元興(もとおき)は、このときすでに長じて廿(にじゅう)代のなかばに達しておりました。やや軽忽な、武家出身とは思えぬ性格ではございましたが、商機を観ることと、利殖の才は抜きん出ておりました。そのような彼が、この山口の活況にただ手を(こまね)いているわけがございません。


商人としての彼の非凡なところは、ただ山口に在って、そこで商いをするのに全く満足しなかったことでございます。彼は、考えました。毛利が必要とするものは、必ず、敵手となる大友も必要とする、と。そして、それらをふんだんに畿内から買い付け、内海を経由して安定供給できる毛利にひきくらべ、このところの戦乱で博多が荒れ、商人たちが別の(とまり)や小さな湊に逃げ散ってしまった大友氏は、こうした資材を調達するのにたいへんな苦労を強いられているという報を、山内元興は、いちはやく掴んでいたのでございます。


そこで彼は、内海をふんだんに行き交う物資のうち、東の堺や国友村より毛利向けに送られてくる鉄砲や大筒、弾丸などの重要資材から一部をこっそりと間引いて、廣島の外れに儲けた隠し泊から陸揚げし、ひそかに間道を伝って陸送、いったん山口の自分の蔵へと収め、機を見て海沿いの赤穂から沖へ出し豊後に密送する計画を立てておりました。


そうすれば、毛利に売るときの何倍もの値段で、大友がそれを買います。これは、たいへんによい(あきない)でした。もちろん、中途、海路を警戒する村上海賊などの検問を受ければ、ことが露見し商品が船ごと拿捕される危険もございます。しかしながら、波間をたゆたう水軍衆は、陸地の義理などに縛られる者だけとは限りませぬ。悪は悪とつながり、利は利と結び、元興はすでに、彼の意のままに豊後へと商品を送る(みち)を啓開しておりました。


敵にも味方にも、同じ質の、同じ資材を売るのです。さすれば、両軍はおなじ武具で戦うこととなり、戦勢は膠着し、戦は長引きます。そして次の、さらなる武具の需要となるのです。毛利と大友、双方から。要するに、この戦は、そのすべてが()い商のもとでした。


山内元興が、「有徳人(うとくにん)」として巨額の資産を溜め込むことのできた理由は、兄の内藤隆世殿の死が大きかったように思います。元興十五歳のとき、隆世殿は武家の徳と義とに殉じて毛利に抗し、非業の死を遂げました。長門からもたさらされたその報に、身体の芯から震え上がった元興は、武家の中では生きられぬ己を悟り、その徳や義なる、人の身を滅ぼす忌まわしきものをひたすら憎み続けました。その後、内藤家を出、武士を棄て商人となり、武家の徳とするところを意識して踏みつけにし続けることで、ただ自らが望むまま、思うがまま自在に活動できたのでありましょう。


まこと、稀有の才を持つ、有能な男ではございました。




山内元興の仕立てた小早船は、鉄砲や煙硝(えんしょう)類をしこたま積込み、秋穂浦をひそかに船出しました。元興は、こうした時には無類の勇気を持った男です。この豊後への初荷を送り届けるに当たって、配下に任せずみずから船頭として小早に乗り込みました。すべての灯を消し、闇の中ひたすら(ひつじ)の方角へ向け(かい)を動かします。このまま、ただまっしぐらに櫂を漕ぎ続ければ、ほぼ一夜だけの航走で毛利側の警戒水域を抜け、豊後の若林水軍が制圧する近海へと到着するはずでございました。そして、その闇のなかの水域は、あらかじめ金品を撒いて手を回した村上水軍の警戒が、この一夜、この一角だけ緩んでいるという手筈でございました。


墨を流したような真っ暗闇の中、元興は声を枯らして配下を督励し、ほぼ休み無しに小早を進め続けました。航走すること数刻、やがて、船尾に在った元興は、奇妙なことに気づきます。


少し遠く、左舷のほうの闇のなかを、こちらと同じように灯を消した船が、反対方向へとすれ違ったような気がしたのです。


もちろん、月も出ぬ闇夜のなか、眼には見えません。遠くのこととて、櫂の音や人の声なども聞こえません。ただ、それは、なにか大きな物が水上を滑って行く気配のようなものでございます。しかし、かつて内海を経巡(へめぐ)り、あちこちを交易して廻った水先案内人としての経験が、元興の耳に、なにごとかを囁きかけました。そして、頭の良い元興は、瞬時に状況のすべてを悟りました。


この水路は、たまたま、今日だけ開いたものではない。常に、開いている。そして、水路の両側からすでに何事かの目的を持った船が、わずかながら闇に紛れて相互に行き来している。


その意味するところは、明白でした。


まず、自分は、大いに無駄金を使ったのであろう、ということ。すなわち、彼が話をつけた村上水軍の裏切者は、多額の金子を手にし、苦労して水路を開けるふりをして、常に開いているこの水路のことをただ自分に教えただけなのです。元興は、闇の中、ひとり苦笑しました。今回は、相手の詐術に引っ掛かった。しかしそれは、生き馬の目を抜く商の世界では、当たり前のことでございます。いつもと違うのは、自分が、騙す側ではなく騙される側になってしまったことだけ。彼は、このようなことを、全く気に致しません。騙そうと、騙されようと、最終的に大いに儲かれば、ただそれで良いのです。


しかし、もうひとつ推察できる事実は、より重大でありました。すなわち、村上水軍は、すでに大友氏と気脈を通じ、同盟相手の毛利に黙って一部の水路を開けてしまっているということでした。常にこうしたことを続けるには、当然のこと、水軍中枢の指示ないし黙許が必要です。


これまで、内海における毛利氏の絶対的な制海権を保証していたのは、なんといっても村上水軍の力。毛利にも直属の優れた水軍衆がありますが、なんといっても数が少なすぎ、すでに瀬戸内のあちこちの島々に根を下ろし、各水域の潮流と航路を熟知している村上水軍の大群と戦って利はございません。


もし、村上水軍がすでに大友と手を握り、この内海の航行を、大友方の若林水軍などに認めてしまっているのだとしたら。


これまで、毛利帝国を護るもっとも固い外殻であったはずの内海が、無防備な、ただの柔らかい下腹にすぎなくなってしまいます。長門、周防、そして安芸。長大な帝国の海岸線が、敵軍の思うがままの攻撃に(さら)される危険がございます。これは毛利氏にとって、いかな外地での敗軍などより、遥かに重大なことのはずでした。




山内元興は、真っ暗闇のなか、ただひたすら前へ向け高速で航走する小早船の(とも)のうえに立ち、慄然としました。


毛利は、負ける。


彼は、そう、ひとりごちました。毛利は、負ける。この重大な危機に、まだ、まったく気づいてもいないのだから。


他ならぬ彼自身が、敵と通謀し、貴重な軍需物資をいま懸命に運んでいる最中でございます。そんな彼が、自分の裏切った毛利氏の行く末を憂うのは、いかにも可笑しなことでありました。しかし、それまで彼は、毛利氏が大友に敗れるなどといった将来を、微塵も考えてはおりませんでした。元興にとって毛利は、無限不朽、不敗の大帝国です。これまでの二十年間、連戦連勝、またたく間に全中国を席巻し、元興の故郷を踏みにじり、一族の幸せをずたずたに引き裂き、実の兄をも非業の死へと追いやりました。その毛利が敗れ、滅びる将来など、これまで考えたこともございません。それは、嬉しいことなのか、悲しいことなのか。


これまで、昏く密やかな想いを胸に内海を駆け、巨額の利を手にし、それを以て毛利と自在に駆け引きし、時に手を組み、時に裏切りました(今回のように)。そうした自由を手にしていることこそが、元興の誇りであり、同時に巨大な毛利帝国に対する、彼なりのひそやかな復讐であったのです。しかし、その巨大な毛利が、まさか、打ち倒されてしまったとしたら。


元興は、あらためて身震いしました。


そしてそのとき、なぜか、山口にいる市川経好と、その美しい妻の面影が頭をよぎりました。彼らは元興にとり、いわば、大毛利の象徴です。彼らが憎いのか、それともなにか憧れを持っているのか、元興は、自分の心中奥深いところにある彼自身の想いが、よくわかりませんでした。しかしともかく、海が無防備であるということは、山口にある彼ら夫婦にとっても、きわめて重大な危機であるということになります。戦線の後背地で、ひたすら戦争の利を(むさぼ)る立場であったはずが、ある日突然、戦場になってしまうかもしれないのです。


どうなるのだろう、これから。

どうすればよいのだろう、儂は。

そして、あの二人は・・・。


頭がごちゃごちゃになり、整理がつかぬまま、いつしか夜が明けて参りました。元興の配下の漕手たちは、がんばり続け、遂にこの困難な仕事をやり遂げました。ちょうどそのとき、前方に豊後の蒼い島影と、汀を照らす幾つかの灯火が見えてきたのです。漕手は拳を振り上げ、海上で快哉を叫びました。元興も、片手を挙げてかれらの健闘をたたえましたが、その顔に笑みは、ございませんでした。


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