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高嶺の花  作者: オヤジギャガー
主要登場人物
13/32

高嶺の花 第十二章

さて、これまで、大内氏が毛利氏にじわじわ討滅されゆくさまをお話し申し上げました。大内義長公と内藤隆世殿は、長門の端まで落ち延びられましたが、大友に見放され、毛利の奸計に(はま)り、哀れ、そこで自刃させられてしまいました。


そのとき、かな様はどこで、なにをしておられたのでしょうか。かつて、隆世殿の御前で、涙にくれながら、内藤や大内と生死をともにすると誓ったかな様ですが、そのお言葉を(たが)え、我が身を助くるため、恨み重なるあの毛利に(なび)いてしまわれたのでありましょうか?




たしかに、かな様は、長門へ落ち延びられる大内義長公と、お供をする内藤隆世殿、左座宗右衛門らの死出の旅路を、心ならずも辻で見送り、そのまま山口の内藤邸に(とど)まられました。それには、理由がございました。かな様は、腹に氷上太郎の子を宿しておいでだったのでございます。


氷上が海の彼方へと去りてはや半年。この頃には、すっかりおなかも大きくなり、ひところの酷い悪阻(つわり)などは治まっておられました。内藤邸の庭や、外の街路などを侍女に手を引かれ、あるいはご自身で杖などついて歩くお姿は、すでに多くの人々の目に触れていたのでございます。舞の師匠と弟子という関係に過ぎぬふたりのあいだに子ができたことは、もちろん表向きには伏せられています。しかし、人の口に戸は立てられぬもの。内藤邸内の誰しも、あるいは山口の町雀共が、そのことを知らぬ訳はございません。


もし、かな様が内藤家の人間だったら。あるいは、あれこれと口さがないことなどを言われ、どこか邸外へと放逐されるようなことも、あり得たことかもしれません。しかしながら、かな様は哀れな漂泊の安芸国人領主の娘。住むところとてなく内藤に引き取られた身です。また、言うたら聞かぬその勝ち気なご気性からも、たまに古い武家のしきたりへ忠実でないお振舞いなどがあったとしても、それはそれでやむ無し、と周囲から大目に見られておる面がございました。


これは、日頃のかな様が、武家の娘たる、凛としたお振舞いを常になさっていたことも関係していたことでしょう。その(つよ)さ、たくましさは、この程度の不実で、その評価を汚されてしまうようなものではなかったのでございます。




されど、ひとつ、心配事がございました。かつて宮庄家の面々は、吉川家の乗っ取りに抗して毛利から安芸を()われた身。いまふたたび、毛利の(とりこ)とされると、どのように扱われるか、わかったものではございません。内藤のご当主が隆世殿であれば、どのような手を打ってでも宮庄をお守りになられたことでしょうが、彼が去られたあと、家内を仕切っているのは、完全に毛利に転ばれた、あの隆春殿でございます。


隆春殿の宮庄家に対する日頃の扱いは、隆世殿同様、丁寧で穏やかなものでしたが、もちろん、これからやって来る新たな支配者、毛利の意向次第で、その態度は豹変してしまうこともあり得るのです。かな様は恬淡(てんたん)としておられましたが、宮庄の面々、また内藤家や周囲の者どもは、いささかの懸念をもって、その日が来るのを待ち受けておりました。




毛利軍が、大挙して、山口の邑に進軍して参りました。数は優に一万を越え、美々しいなりで整然と隊伍を組み、地響きを立てて歩いて参ります。先駆(さき)に騎馬隊、継いで徒歩の足軽たち。そして無数の夫丸(ぶまる)が曳く荷車には山のように武具糧食が積まれ、後衛を受け持つ一隊は、見慣れぬ筒のような石火矢(いしびや)を肩に抱えておりました。


特徴のある一文字三星紋の旗指物が風に(なび)き、そのあとに小早川の三つ巴紋、吉川の三つ引両紋が続きます。将らの黒甲が陽の光を跳ね返してぎらりとした輝きを放ち、辻の脇で不安げに隊列を見上げる民草どもの眼を射ました。しかし、それまでの噂と違い、入城してきた毛利軍の軍規は厳正で、つきものの略奪や陵辱などの不祥事は、ここではほとんど起こりませんでした。


これは、さきの防芸国境における長く苦しい戦いで、行き過ぎた乱妨や無統制な略奪により抵抗の連鎖を引き起こしてしまったことを猛省した毛利軍の首脳部が、自らの兵どもの引き締めに乗り出した結果であったのです。戦野に(むな)しく散った、名もなき者どもの魂が、ある意味で山口の平穏を守った訳でありました。


毛利は、変わろうとしておりました。かつての、手段を択ばぬ酷薄さと豺狼(さいろう)のような残忍さに代わり、わが身を律する(ことわり)、民草を慰撫する温情を持ち、そしてその家名をより良く天下に響かせるための、さまざまな人の和と繋がりとを欲しておりました。


特に、かつて日の本一の殷賑を誇ったこの文化の都、山口に入ったことは重要でございました。この町のあちこちには、いまだ京洛や堺などと濃いつながりある人々が残り、通交や連絡は頻繁です。ここでの振舞い、ここでの統治のありようが、おそらくその後数十年の、日の本全体における毛利家の評判を決めてしまうのでございます。


元就公はじめ、ご当主の隆元公、さらにそれを補佐する弟御のお二人。いずれも英明な毛利家の首脳陣は、このことをよく理解しておりました。武威の家から内治の家へ。憎しみから温情へ。


そして、そのひとつの(あらわ)れとなった小さな(えにし)が、内藤家を舞台に、取り結ばれることとなるのでございます。




その日の内藤邸は、急に決まった来客への応対で大わらわでございました。


なんと、新たなる山口の主となった毛利家から、当主隆元公の正室である、尾崎局(おざきのつぼね)がお越しになられるというのです。以前にご説明申し上げましたが、尾崎局は、御名をあやや様といい、ほかならぬこの内藤家から毛利家へ嫁がれた身の上であられたのでございます。すなわち、あやや様は隆世様亡き後の内藤家ご当主、内藤隆春殿とお歳のちかい実の姉上。このご訪問は、久方ぶりの実家への里帰りということで、しつらえられた場でございました。


あやや様は、竺雲恵心(じくうんえしん)という高僧と数名の重臣を伴い、内藤家に入られました。しばし、弟御の隆春殿ら内藤家の面々と打ち解けた座談のあと、急きょではございましたが、邸内離れの書院に控えておられた、かな様にお呼びがかかりました。


これは、全く予期せぬこと。かな様も、いささか慌てられ、身重の身体ゆえとご辞退されました。しかし、あやや様たってのご希望と言われては、内藤家として御前に出さないわけには参りません。説得され、とうとうかな様も折れて、そのまま邸内の渡り廊下を静々と歩き大座敷へと顔を出されたのでございます。




(おも)を上げられい、()く、上げられい。」

あやや様は、上機嫌で言われました。


お言葉通り、かな様が目を伏せたまま顔を上げると、

「おお・・・やはり、聞きしに勝るご器量やな。のう、恵心どの。」

と、傍らに控えた紫衣の僧を見やって嘆声を上げられました。

恵心と呼ばれた僧も、にこやかに同意されました。


内藤隆春殿が、かな様にお声をかけられました。

宮庄(みやのしょう)の姫君よ。お喜びめされい。毛利家は、貴家との過去のいきがかりをすべて水に流し、今後、昵懇(じっこん)にしたきご意向にござる。」


なんのことかわからず、かな様は、きょとんとしたまま隆春殿のほうを見ました。

「これ、亦二郎(またじろう)、話が唐突に過ぎまする。これでは、姫君とて吃驚(びっくり)なさるであろう。」

扇を口に当て、あやや様が弟の先走りを軽く(たしな)められました。そして、かな様を向いて、こう言われました。


「いや、他でもない。(わらわ)もこれまで立場ありて、便りなど致すことはできなかったのじゃが、いま、こうして和平が成り、宮庄の姫君と対面することができて、まこと、嬉しいのじゃ。」


かな様は無言のまま、じっと、正面からあやや様のお眼をご覧になられました。

「おほほ。聞きしに勝る美しさ。そしてお気の(つよ)さ、潔さ・・・あの毛利が、今さら何をと、その美しきお顔に書いてあるぞよ。」

あやや様は、やや戯言(ざれごと)めかして鷹揚に言われましたが、隆春様は、いささか焦りを面に出し、こう言い添えました。


「宮庄家は、過去、安芸にて毛利家と行違(いきちがい)あり、この山口へと落ちてこられた。しかし、毛利家のほうでは、その行違の理非曲直についてよくよく吟味され、御家のほうにも多少の行き過ぎがあったとお考えになられておるのじゃ。尾崎局様は、ご当主、毛利隆元公のご名代として、その旨、宮庄家の姫君と話合(わごう)に来られた。まこと、有難きことにござるぞ。」


実の姉御であっても、いまはもう遥か格上。新たなる国主のまぎれもなき正室です。隆春殿は、自らの立場を常によくわきまえた御方でした。




かな様は、自分の呼ばれた事情を理解し、つと背筋を伸ばされました。そして、目をかるく(つむ)りました。なにも申されませんが、改まって、毛利の言い分を聞くという態度を、暗に示されました。


現在の毛利・宮庄両家の置かれた立場の違いを考えれば、それは、いささか礼を失した態度であったかもしれません。しかし、毛利では、過去の行違に関する話し合い、と申しております。すなわちそれは、両家対等の立場での話し合いになるべきでありました。


凡百の者であれば、ここで、格上の相手の恩情に対し、まずなにはともあれ拝跪(はいき)して感謝の念を示すものですが、かな様は、それを端折りました。ただ凛として、相手の言葉を待ったのでございます。


あやや様は、そのような堂々としたかな様の態度を、大いに好ましく思われたようでした。率直な口調で、このように仰られました。


「吉川家をめぐる過去の経緯(いきさつ)、妾も家内でいろいろ聞き大概を承知しておる。そちら宮庄として、毛利を赦せぬという気持ちがあるはよく判る。判るが、ここらで、手打ちとしたいのじゃ。これは、わが夫、毛利隆元じきじきの意向でもある。」


毛利家の実質的な当主は、いまでも毛利元就公でございます。しかし、元就公はこのとき齢すでに六十歳。家督はとうにご長子、隆元公に譲られ、表向きは隠居の身の上でありました。


戦ごとや対外的な(はかりごと)などはまだ父上の独壇場でございましたが、隆元公は謹直かつお人柄に優れ、衆をまとめてこれを和するに優れた長者として知られております。昔の仇を赦し、これと和したいというお申し入れは、まさしく、隆元公らしいご決断によるもの。また、それを伝えるに、宮庄家当主のかな様とおなじ女子(おなご)のあやや様を差し向けるとは、これまた、隆元公ならではの、細やかなる気遣いと申すべきでありましょう。




世に様々な手打ちのかたちがあるとしても、勝ったほうが、敗れたほうへまずこうまで温かい手を差し伸べる例はございますまい。それだけ、この時の毛利家は、みずから変わろうと懸命だったのでございます。


しかし、かな様は、眼を瞑ったまま、無言でした。


案に反し、喜色を面に表さないかな様に対し、内藤家のものどもは、やや焦りを感じ始めました。もともと、かな様は過去二度にわたり、まさにこの座敷で、亡き内藤家二代にわたる当主に対し啖呵を切り、そしていきなり突っ伏してそのまま号泣などした過去がございます。今回も、なにか驚くような挙に出るのではないか、あるいは毛利家当主の正室に対し、あり得べからざる無礼を働いてしまうのではないか、彼らは胸騒ぎを覚え始めました。




あやや様は続けて、言われました。


「毛利はの。」

澄んだ目で、眼を瞑るかな様を真正面から見つめ、

「過去、たしかに無理もよう、した。無論、必死で、ただ生き残らんがためだけにしたことじゃ。小早川家、吉川家。これらが家内の(いさか)いで弱るは、安芸より外からの外敵の侵入を赦し、いずれ我が家に飛び火してくるは必定。そのための予防であったが、世間から見れば、単に我が子を送り込み、欲得ずくで乗っ取ったとみられても仕方がないことであろう。それはよう、わかっておる。」


ここでひとつ、深いため息をついて、

「小早川では、毛利に抗して高山の城に籠もる家内の面々を根切りにした。吉川家でも、無理をしたの。ご先代、興経どのをあとから成敗するまでのことがあったか、この点、毛利の家のなかにも、さまざまな思いがある。」


かな様は、表情を変えず、まだ目を瞑って聞いておられます。


「毛利が生き残るために、そのときは仕方のないことじゃった。しかし、やり過ぎた面は、ある。宮庄に対する仕打ちも、そうじゃ。そのことについては、率直に、妾からまず詫びを申したい。」


あやや様の率直なお言葉に、かな様は、目を開きました。そして、にこっと笑い、軽く頭を下げ、その謝罪をこころよく受け入れる態度を示されたのです。特に、あらたまった言葉はなし。しかしそれでも、あやや様、さらに、その場に居合わせたすべての人々に、かな様の暖かなお心がすぐと伝わりました。


積年の恨み重なる毛利と宮庄の手打ちは、女子同士のこの簡単なやり取りで、疾く、成ってしまったのでございます。




ここで、横から、竺雲恵心殿が口を入れられました。

「この婚儀、拙僧から毛利家へ言上したことでござる。過去の行違を水に流し、両家相和(あいわ)して、新たなる山口を創る。そうしたご縁を取り結びたいのでござる。」


穏やかなお顔になられていたかな様が、(きっ)と、恵心殿のほうを向きました。

「御坊、何と申された?」

高位の僧に対する口の聞き方ではございませんでしたが、かな様の声には、その程度の無礼を、無礼と思わせぬほどの迫力がございます。

「いま、婚儀と。妾は、斯様なこと、全く聞いてはおりませぬ。」


その言葉の勢いに、ややたじろいだ恵心が苦笑しながら、あやや様のほうを見遣りました。引き取って、あやや様が答えました。

「さきにそのことを、知らせるべきであったな。経好(つねよし)殿、前に()りゃれ。」

かな様の背後のほうに居た烏帽子姿の男が、すかさず膝行して、前に出て参りました。かな様に一礼し、顔を上げました。


やや(えら)の張った面の広い男で、肌の色は白く、あまり毛利の武者とは思えぬ雰囲気です。ただ、全体として柔らかく優しげな印象のなかで、目の光だけは強く、意志の強さを感じさせる(かお)でございました。


「市川経好という者じゃ。もと吉川家中の縁続き。いまは別家を継いでおる。」

あやや様は、言われました。

「そして新たなる奉行として、山口全体の統括を任すこととなる。毛利としても、かなり思い切った人事での。わが夫、毛利隆元じきじきに、市川になら任せられると惚れ込んでの抜擢。重責じゃ。」

市川は、かな様のほうを一瞥し、軽く頭を下げました。




そして、あやや様は、こう言われたのでございます。

「市川は、故あって独り身での。このたび、山口奉行への就任に当たり、嫁御の一人居らぬはなにかと不便。誰ぞよき縁はないか、妾と夫とで悩みに悩み、恵心和尚に相談したところ、なんと、妾の実家に、あの宮庄の姫君が落ち延びて来られているとのことではないか。」

あやや様の横に居た恵心和尚が、少し得意げに、頷きました。


「そして、矢も盾もたまらず、安芸から実家に飛んで参ったのじゃ。姫君に会うてみて、妾もおおいに気に入った。なんら媚びず、ただ凛として美しい。まさに、誇り高き、安芸の武家の血を引く姫君じゃ。どうじゃの、市川殿?」

「拙者などに、勿体なきくらいの(うるわ)しき姫君。しかも宮庄家とは、お家柄も素晴らしく、この上なきほどの栄誉でござる。もしご異存なくば、ぜひ。」

市川は、あやや様にそう答えましたが、あらためてかな様のほうを向き、丁寧に頭を下げられました。


あやや様は、そんな趣のある市川の挙措(きょそ)を、微笑みとともに見遣りました。そして、かな様にこう言われました。

「そういうことなのじゃ。妾からも、お頼み申す。この市川の、嫁となってくりゃれ。そして、二人で力を合わせ、この山口を、また昔のごとき天下一の、平和で、賑やかな町へと戻してくりゃれ。」


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